6番安楽寺のご本尊薬師如来は最近も知る人ぞ知る有名な霊験を現されました。各種の霊験記や安楽寺のパンフレットをまとめると以下のようになります。
昭和31年安楽寺住職畠田禅峰師はお薬師さまのお導きで重度脊椎カリエスの患者水谷しずをつれた夫繁治に決死の遍路行を指導します。その道中、27番神峰寺の急峻な参道で、しずは転倒し、したたかに患部を打ったのですが、そのショックでその場で立てるようになったというのです。そしてそのまま全快したという霊験談があります。 この霊験に感激した水谷夫妻が昭和38年3メートルの薬師如来座像を奉納し古いご本尊を坐像の中におさめています。平成19年5月にもここに泊めていただき住職の畠田秀峰師に母の得度のお礼方々、この話を確認しましたがその通りであるとのことでした。25年の遍路のときは食堂のビデオで此の時の有難い模様を紹介されていました。またこの水谷夫妻は四国でいただいてきた88所のお砂をもとに自宅にお砂ふみ道場を開設し地元の人々に昭和35年から52年までお参りしてもらったということです。毎年4千人が旧正月の3日間に訪れバスの行列ができたと近藤堯寛「空海大師巡礼」にあります。
17年の遍路の時の夜は本堂のこの巨大な薬師如来の前でお勤めをし、その後その大きなお膝元まで進み拝することができました。なんともいえないありがたさでした。(25年は又違うところで遍路は夕勤行をしました。)
食事は10数人の団体と4人の歩き遍路がいっしょにいただきました。
食事の後2時間近く初対面のお遍路さん同士が話し込みました。どこの遍路宿でもお遍路さん同士は瞬間的に打ち解けます。外国旅行中の日本人同士が避けあうのとは対照的です。お遍路さんたちは次々話します。
まず七十歳位の脂ぎった人が話し始めます。
この人は高卒で銀行にはいったが次々に発売されるデリバチブ等の金融商品がまやかしにみえて仕方ないので流通業に転職し、役員にまでなったと繰り返します。 同席した一橋大の学生遍路二人に、心を荒廃させては駄目だとこんこんとお説教をしていました。卒業旅行代わりに遍路に来たという学生二人は素直に聞き入っていました。その後リーマンショックがおきたのでこの人はいい時期に気が付いてよかったと思いました。これも仏さまのお導きでしょう。
私はこの二人によってあとで大変な奇跡に遇うことになりますがこの話は後で述べます。
その次に京都からきた「技術労働者」と名乗る細身のお遍路さんは、幼い頃、徳島の叔母の葬儀で、お遍路さん一行が導師の読経の横を鈴を鳴らして通り過ぎた。これがなにか映画の一シーンのように感動的で、故人はこれで成仏できたと確信したという思い出話を語りました。
昼間通ってきた田んぼのあぜ道とこの話が重なってこちらにも絵のようなイメージがひろがりました。
そういえば遍路道中ではよく葬儀に出会います。亡魂が遍路にも供養をしてほしいと願っているのかもしれません。当時は縁起でもないと避けるように遠ざけましたが、いまでは求聞持行等のおかげで「阿字の故郷へかえるのですよ」と自信をもってそういう霊魂に語りかけることができるようになりました。
昭和31年安楽寺住職畠田禅峰師はお薬師さまのお導きで重度脊椎カリエスの患者水谷しずをつれた夫繁治に決死の遍路行を指導します。その道中、27番神峰寺の急峻な参道で、しずは転倒し、したたかに患部を打ったのですが、そのショックでその場で立てるようになったというのです。そしてそのまま全快したという霊験談があります。 この霊験に感激した水谷夫妻が昭和38年3メートルの薬師如来座像を奉納し古いご本尊を坐像の中におさめています。平成19年5月にもここに泊めていただき住職の畠田秀峰師に母の得度のお礼方々、この話を確認しましたがその通りであるとのことでした。25年の遍路のときは食堂のビデオで此の時の有難い模様を紹介されていました。またこの水谷夫妻は四国でいただいてきた88所のお砂をもとに自宅にお砂ふみ道場を開設し地元の人々に昭和35年から52年までお参りしてもらったということです。毎年4千人が旧正月の3日間に訪れバスの行列ができたと近藤堯寛「空海大師巡礼」にあります。
17年の遍路の時の夜は本堂のこの巨大な薬師如来の前でお勤めをし、その後その大きなお膝元まで進み拝することができました。なんともいえないありがたさでした。(25年は又違うところで遍路は夕勤行をしました。)
食事は10数人の団体と4人の歩き遍路がいっしょにいただきました。
食事の後2時間近く初対面のお遍路さん同士が話し込みました。どこの遍路宿でもお遍路さん同士は瞬間的に打ち解けます。外国旅行中の日本人同士が避けあうのとは対照的です。お遍路さんたちは次々話します。
まず七十歳位の脂ぎった人が話し始めます。
この人は高卒で銀行にはいったが次々に発売されるデリバチブ等の金融商品がまやかしにみえて仕方ないので流通業に転職し、役員にまでなったと繰り返します。 同席した一橋大の学生遍路二人に、心を荒廃させては駄目だとこんこんとお説教をしていました。卒業旅行代わりに遍路に来たという学生二人は素直に聞き入っていました。その後リーマンショックがおきたのでこの人はいい時期に気が付いてよかったと思いました。これも仏さまのお導きでしょう。
私はこの二人によってあとで大変な奇跡に遇うことになりますがこの話は後で述べます。
その次に京都からきた「技術労働者」と名乗る細身のお遍路さんは、幼い頃、徳島の叔母の葬儀で、お遍路さん一行が導師の読経の横を鈴を鳴らして通り過ぎた。これがなにか映画の一シーンのように感動的で、故人はこれで成仏できたと確信したという思い出話を語りました。
昼間通ってきた田んぼのあぜ道とこの話が重なってこちらにも絵のようなイメージがひろがりました。
そういえば遍路道中ではよく葬儀に出会います。亡魂が遍路にも供養をしてほしいと願っているのかもしれません。当時は縁起でもないと避けるように遠ざけましたが、いまでは求聞持行等のおかげで「阿字の故郷へかえるのですよ」と自信をもってそういう霊魂に語りかけることができるようになりました。