119.
まだ悪の報むくいが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇あうことがある。 しかし、悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。
120.
まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。 しかし、善の果報が熟したときには、善人は幸福に遇う。
121.
「その報いは私にはこないだろう」と思って、悪を軽んずるな。水が一滴づつ滴りおちるならば、水瓶でも満たされるであろう。愚かなものは、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいに満たされる。
122.
「その報いは私には来ないであろう」と思って、善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、 水瓶でも満たされる。気をつけている人は、水を少しづつでも集めるように善を積むならば、 やがて福運に満たされる。