地蔵菩薩三国霊験記 14/14巻の3/8
三、寶蔵寺 世に関の地蔵と云ふ
伊勢國鈴鹿郡九関山寶蔵寺(現在は鈴鹿郡関町新所にある地蔵院がこれ)は草創誰人と云こと審かならず。古老傳て云へらく、叡山伝教大師の門徒大同元年(806年)に建立する所なりと。すなはち大師を請じ奉りて結願供養をなす。此の地は則ち東国往来の駅路なり。本願の心を推測に廣く衆人に結縁して信を起こさしめ、或は戯言なりとも地蔵の名号を口唱したらん輩は一善を以て三界の有を破し速やかに菩提を證すとの趣ならんかし。しかるに文應年中(1260年から1261年)火災ありて堂宇地を拂て亡す。法師某陳述の永く廃れんことを痛く思ひて普く四衆をすすめて文永四年(1267年)に小宇を営みて安養寺の佛通禅師(鎌倉時代の臨済僧。伊勢の人。はじめ天台・真言を学んだが、東福寺において円爾弁円と論争して敗れ、その弟子となった。郷土に安養寺・大福寺を開き、のち東福寺に住す)を請じて慶讃し玉ふ。凢そ当寺の本尊の靈験数多ありといへども人口にあれば今更記するにをよび侍らず。