阿字秘釈和訳 興教大師撰
問ふ、阿字本不生の義とは何といふ事ぞや
答ふ、これに略して二義あり。一には遮情の義、二には表徳の義なり。
第一の義とはいわく、これにまた二義あり。
一にはいわく一切有為有漏の無明染法はもとよりこのかた自性空無にして畢竟不生なり。故に本不生といふなり。
二にはいわく一切の無明妄想の分別執着より生ずる諸法は若しは染法、若しは浄法、あるひは功徳、あるひは過患、みなことごとく本より自性空無にして生あることなきがゆえに本不生といふなり。いわく如来の三密の諸法はもとより相対観待を遠離し、染浄得失を離れたり。善悪長短等は皆ことごとく相対観待の法なり。若しもとより染といふことなくんば何に相対してか浄といはん。若しもとより長といふこと無くんば何に対してか短といふことあらん。故に知んぬ、染法悪法等は本より空寂にしてなければ、浄法善法等も亦不生なり。故に浄功徳の諸法も亦不生なりといふなり。もし強ひて委しく名句義をいはば、本とは本来といふことなり。又本自なり、本性なり、本体なり、本源なり、本初なり、根本なり等といふことなり。不とは空也、無なり、非なり、遠離の義なり、断絶の義也等といふことなり。生とは生起といふことなり。又は発生なり、出生なり、有なり、在なり、存なり、又これ四相のなかの初めをしばらく挙るなり。
問ふ、阿字本不生の義とは何といふ事ぞや
答ふ、これに略して二義あり。一には遮情の義、二には表徳の義なり。
第一の義とはいわく、これにまた二義あり。
一にはいわく一切有為有漏の無明染法はもとよりこのかた自性空無にして畢竟不生なり。故に本不生といふなり。
二にはいわく一切の無明妄想の分別執着より生ずる諸法は若しは染法、若しは浄法、あるひは功徳、あるひは過患、みなことごとく本より自性空無にして生あることなきがゆえに本不生といふなり。いわく如来の三密の諸法はもとより相対観待を遠離し、染浄得失を離れたり。善悪長短等は皆ことごとく相対観待の法なり。若しもとより染といふことなくんば何に相対してか浄といはん。若しもとより長といふこと無くんば何に対してか短といふことあらん。故に知んぬ、染法悪法等は本より空寂にしてなければ、浄法善法等も亦不生なり。故に浄功徳の諸法も亦不生なりといふなり。もし強ひて委しく名句義をいはば、本とは本来といふことなり。又本自なり、本性なり、本体なり、本源なり、本初なり、根本なり等といふことなり。不とは空也、無なり、非なり、遠離の義なり、断絶の義也等といふことなり。生とは生起といふことなり。又は発生なり、出生なり、有なり、在なり、存なり、又これ四相のなかの初めをしばらく挙るなり。