延暦二十三年十二月二十一日は大師一行が長い御苦労の末に長安に到着された日です。(大師の御一行は五月十二日に出港されています、から実に七か月と九日かかって長安にたどり着かれたわけです)
日本後紀に(延暦二十三年804)「十一月三日、臣等(大師・遣唐使藤原葛野麻呂等)発して上都に赴く。此州は京を去ること七千五百廿里、星発星宿、晨昏兼行。十二月廿一日、上都長楽駅に到る」
(長楽駅とは長安にある駅舎で遣唐使が長楽駅に到ると、唐朝廷から勅使の迎えがあるのが慣例)
大師の長安への道筋については桑原隲蔵の「大師の入唐」の記録があります。
日本後紀に(延暦二十三年804)「十一月三日、臣等(大師・遣唐使藤原葛野麻呂等)発して上都に赴く。此州は京を去ること七千五百廿里、星発星宿、晨昏兼行。十二月廿一日、上都長楽駅に到る」
(長楽駅とは長安にある駅舎で遣唐使が長楽駅に到ると、唐朝廷から勅使の迎えがあるのが慣例)
大師の長安への道筋については桑原隲蔵の「大師の入唐」の記録があります。