今朝、身内の事で大変ありがたいお蔭の報告がありました。最近拝むときに身内の事はわすれて他人のことばかり拝んでいたのですが、かえって身内に大変有難いお蔭を頂き感激しました。
思い出すと、四国徒歩遍路のときも最後は具体的なことを拝むのでなくただ「有難い・有難い」との一心で拝んでいたら、縁者の病気が治ったり、
求聞持のときも「衆生無辺誓願度」と拝んでいたらこのときも身内に大変なお蔭を頂いきました。
何度もお蔭を頂いていますが、すべて此れらは、㈠身内の事を忘れて他者の事を拝んでいたり、㈡「衆生無辺誓願度」とおがんでいたりしていたときでした。
盥の水を自分の方にばかり寄せようとするとかえって向こう側に逃げていく、むこうに押しやるとかえって水はこちらに帰ってくる、という例え話がありますが、こうして何度もお蔭を頂くと本当だということがわかります。
思い出すと、四国徒歩遍路のときも最後は具体的なことを拝むのでなくただ「有難い・有難い」との一心で拝んでいたら、縁者の病気が治ったり、
求聞持のときも「衆生無辺誓願度」と拝んでいたらこのときも身内に大変なお蔭を頂いきました。
何度もお蔭を頂いていますが、すべて此れらは、㈠身内の事を忘れて他者の事を拝んでいたり、㈡「衆生無辺誓願度」とおがんでいたりしていたときでした。
盥の水を自分の方にばかり寄せようとするとかえって向こう側に逃げていく、むこうに押しやるとかえって水はこちらに帰ってくる、という例え話がありますが、こうして何度もお蔭を頂くと本当だということがわかります。