元暦元年八月二十八日は文覚上人が後白河法皇にたのみ大師の金泥両界曼荼羅が神護寺灌頂堂に戻された日です。
この曼荼羅は9世紀の両界曼荼羅図で、通称は高雄曼荼羅。国宝です。紫色に染めた綾地に金銀泥で描いたもので画面寸法は胎蔵曼荼羅が縦448.0センチメートル、横408.0センチメートル。
金剛界曼荼羅が縦409.0センチメートル、横368.0センチメートルの巨大な曼荼羅。
根本曼荼羅からは弘仁12年(821年)に転写が製作され東寺に所蔵されていたが、根本曼荼羅・転写共に現存していない。高雄曼荼羅は天長後半代に根本曼荼羅もしくは第一転写本を基に製作されたものとされ『神護寺略記』に拠れば淳和天皇の御願によるもで平安時代後期には京都の蓮華王院に納められ、高野山を経て文覚により戻ったという。
この曼荼羅は9世紀の両界曼荼羅図で、通称は高雄曼荼羅。国宝です。紫色に染めた綾地に金銀泥で描いたもので画面寸法は胎蔵曼荼羅が縦448.0センチメートル、横408.0センチメートル。
金剛界曼荼羅が縦409.0センチメートル、横368.0センチメートルの巨大な曼荼羅。
根本曼荼羅からは弘仁12年(821年)に転写が製作され東寺に所蔵されていたが、根本曼荼羅・転写共に現存していない。高雄曼荼羅は天長後半代に根本曼荼羅もしくは第一転写本を基に製作されたものとされ『神護寺略記』に拠れば淳和天皇の御願によるもで平安時代後期には京都の蓮華王院に納められ、高野山を経て文覚により戻ったという。