十一月十六日 晴――曇、行程八里、越智町、野宿。
暗いうちに起きたが出発は七時ちかくなった、思いあきらめて松山へいそぐ、――高知では甲斐なくも滞在しすぎた、さよなら、若い易者さんよ、老同行よ、さよなら高知よ。
途中処々行乞、伊野町へ十一時着いて一時まで行乞(道中いそいだので老同行を追いぬいたのは恥ずかしかった、すまなかったと思う)、銭三十四銭米六合戴いた、仁淀川橋、土佐紙などが印象された。
とっぷり暮れて越智町に入ったが、どの宿屋でも断られ、一杯元気で製材所の倉庫にもぐりこんで寝る、犬に嗅ぎ出されて困った、ろくろく睡れなかった、鼠に米袋をかじられた、――絶食野宿はつらいものである。
(山頭火は三六番等の札所のある海岸から相当内陸に入った越智町のあたりを歩ています。ここには札所は有りません。)
暗いうちに起きたが出発は七時ちかくなった、思いあきらめて松山へいそぐ、――高知では甲斐なくも滞在しすぎた、さよなら、若い易者さんよ、老同行よ、さよなら高知よ。
途中処々行乞、伊野町へ十一時着いて一時まで行乞(道中いそいだので老同行を追いぬいたのは恥ずかしかった、すまなかったと思う)、銭三十四銭米六合戴いた、仁淀川橋、土佐紙などが印象された。
とっぷり暮れて越智町に入ったが、どの宿屋でも断られ、一杯元気で製材所の倉庫にもぐりこんで寝る、犬に嗅ぎ出されて困った、ろくろく睡れなかった、鼠に米袋をかじられた、――絶食野宿はつらいものである。
(山頭火は三六番等の札所のある海岸から相当内陸に入った越智町のあたりを歩ています。ここには札所は有りません。)