・弘仁7年8月15日は大師が勅賜の屏風に詩を賦し嵯峨天皇に進呈された日です。
「沙門空海言す。去んじ六月二十七日、主殿助布勢海(とものすけふせのあま)五彩の呉の綾錦の縁の五尺の屏風四帖を将って山房に到り来たれり。聖旨を奉宣して空海をして両巻の古今の詩人の秀句を書せしむてへり。忽ちに天命を奉って驚悚喩難し。
空海聞く、物類形を殊にし、事群体を分つ。舟車用別いして文武才異なり。もしその能に当る時は、事,則ち通じて快し。用その宜を失う時は労すといえども益なし。空海もとより観牛の念に耽って(者が牛を観じてよく解体するように般若の智慧で禅定三昧に耽る)。
久しく返鵲(筆跡)の書を絶つ。逮夜数息す。誰か穿被に労せん(専心に書道にいそしむ暇がない)。終日修心す。何ぞ墨池に能えん。人曹喜にあらず(私は東漢の曹喜のような能書家ではない)。謬って漢主の邸に対へり(誤って嵯峨天皇の命令を拝し奉っている)。辞せんと欲すれども能はず。強いて竜管(筆)を揮う。古人の筆論にいわく「書は散なり」。ただ結か(字画の正しさ)をもってよしとするにあらず。必ず須らく心を境物に遊ばしめ懐抱を散逸して(思いを込める)、法を四時に取り(字の勢いを四季の景物に象り)、形を萬類に象るべし。これをもって妙なりとす。このゆえに蒼公が風心は鳥跡に擬して翰ふんでを揮い(蒼詰の風流心は鳥の足跡を見て文字をつくった)、王少が意気は龍爪を想うて筆を染む(王義之は龍の爪を想うて飛という字を造り)、蛇の字は唐綜より起こり(蛇書体は唐綜が蛇に巻き付かれた夢からできた)。蟲書は秋婦に発せり(蟲書は魯の秋胡の妻が夫に虫に象った字をを書いておくったところから発している)。軒聖雲気の興(雲気の書は軒轅が雲に感じてつくった)。務仙風韭の感(風薤の書は殷の務光が風に靡く薤葉を見て作った)。垂露懸針の体(垂露と懸針の書体)、鶴頭偃波の形(鶴頭の形と偃波の形)、麒麟鸞鳳の名(麒麟の書体・鸞鳳の書体)、瑞草芝英の相(瑞草たる芝の英(はな)の書体)、かくのごときの六十余の体は並びにみな人の心物に感じて作れるなり。あるがいわく「筆論筆経はたとえば詩家の格律の如し」詩はこれ声を調え、病を避くる制あり。書も亦病を除き、理に会う道あり。詩人、声と病とを解らざれば誰か詩什に編まん。書者病理に明らかならずば、何ぞ書評に預からん。また詩を作る者は古体を学ぶをもって妙とし、古詩を写すをもって能しとせず、書もまた古意に擬するをもって善とし、古跡に似たるを以て巧なりとせず。このゆえに古より能書百家の体別なり。蔡雍おおいに笑い(蔡 邕は書法の妙に達して大いに笑った)。鍾 繇深く歎ず(鍾 繇が歎ほど非常に努力した)。良に以ゆえあるかな。
空海たまたま解書の先生に遇うて粗ぼ口訣を聞けり。しかりといえども志す所、道別にして曾って心に留めず。今聖雷の震響に頼って心地の蟄字を抜く(春雷で啓蟄となるように天皇の詔勅により書法を思い出した)。六書の萃蘇を折り(漢字の象形・指事・会意・形声・転註・仮借という六区分の秀でたものを集め)、八体の英華を摘む(八書体の麗しい精粋をつむ)。転筆を鼎態にまなび(運筆を古代中国の鼎文字に学び)、超翰を草聖に擬す(超絶した筆翰を草書の名人張伯英に学ぶ)。山水を想うて擺撥し(はいはつ、筆を揮い)、老少に法って終始す(文字の骨ある老と肉の在る少という筆法で終わりを老とした)。君臣風化の道、上下の画に含み、夫婦義貞の行、陰陽の点に蔵めたり。客主揖譲し(客と主が譲り合い)、弟昆友悌あり(兄弟なかよい)。三才変化し(天地人の三才は変化し)、四序生殺す(四季はめぐり春夏には生まれ、秋冬には死す)。尊卑愛敬し、大小次第あり。隣里和平にしてかん区粛恭なり(世の中は慎み深くうやうやしい)。これらの深義悉く字字に韞めり。巧を書池に謝すといえども竊に雅趣を庶幾う。
またそれ右軍巧を累ねて猶未だその妙を得ず(王義之は書に精進したがいまだ奥義に達せずといった)。衆芸沙を弄んで始めてすでにその極に会へり。自外の凡庸、なんぞ点画の奥を解らん。いかに況や空海耳にその義を聞くとも、心に理を存せず。空しく筆墨を費やして忝く珍屏を汚す。一たびは慄き一たびは懼れて心魂飛越す。時に堯ぎ(嵯峨天皇のたとえ)光を流し、葵藿自ら感ず(きくわく、葵の花が自ら太陽を向くように自分も嵯峨天皇の徳に自然と感化されている)。山に対して管を握るに物に触れて興あり。自然の応おぼえずして吟詠す。輙ち十韻を抽んでて敢えて後に書す。
伏して乞う。天慈その罪過を宥したまえ。幸甚幸甚。謹んで書く所の屏風及び秀句の本、表に随て奉進す。軽しく聖覧を黷す。伏して流汗を増す。沙門空海誠惶誠恐謹言。
弘仁七年八月十五日 沙門空海上表
蒼嶺(そうれい)白雲(はくうん)観念の人
等閑(なおざり)に絶却す 草行真(そうぎょうしん)
心は仏会(ぶつえ)に遊んで筆に遊ばず
揚波(ようは・筆法)を顧みざること爾許(いくばく)の春ぞ
豈(あに)謂(おも)わんや明皇(めいこう)
染翰(せんかん)を交(かわ)し
鵠頭(こくとう・鸛の頭・筆法)龍爪(りゅうそう・筆法)君が為に陳ぶ
祥雲(しょうん)濃淡(のうたん)御邸(ぎょてい)より出で
瑞草(ずいそう)秋冬(あきふゆ)帝仁(ていじん)を感ず
青山(せいざん)翠岳(すいがく)翔鳳(しょうほう)を見る
花苑(かえん)瓊林(けいりん)走驎(そうりん)を望む
更に懸針(けいしん)と倒韭(とうきゅう)と有り
切に思い相伴って丹宸(たんしん)に竭(つく)す
龍管(りゅうかん)池に臨んで漆墨を調(ととの)え
烏光(うこう)忽ちに照らして豪賓(ごうひん)を点ず
暴風驟雨(しうう)来り汗(けが)すこと莫(なか)れ
此れは是れ君王の愛珍したまう所なり
松巌(しょうがん)数(しばしば)霧ありて菴中湿す
汗(けが)さんことを恐れ晴を望んで月旬を経たり
画虎画龍都(すべ)て似ず
心寒く心暑くして幾たびか逡巡(しゅんじゅん)す
「沙門空海言す。去んじ六月二十七日、主殿助布勢海(とものすけふせのあま)五彩の呉の綾錦の縁の五尺の屏風四帖を将って山房に到り来たれり。聖旨を奉宣して空海をして両巻の古今の詩人の秀句を書せしむてへり。忽ちに天命を奉って驚悚喩難し。
空海聞く、物類形を殊にし、事群体を分つ。舟車用別いして文武才異なり。もしその能に当る時は、事,則ち通じて快し。用その宜を失う時は労すといえども益なし。空海もとより観牛の念に耽って(者が牛を観じてよく解体するように般若の智慧で禅定三昧に耽る)。
久しく返鵲(筆跡)の書を絶つ。逮夜数息す。誰か穿被に労せん(専心に書道にいそしむ暇がない)。終日修心す。何ぞ墨池に能えん。人曹喜にあらず(私は東漢の曹喜のような能書家ではない)。謬って漢主の邸に対へり(誤って嵯峨天皇の命令を拝し奉っている)。辞せんと欲すれども能はず。強いて竜管(筆)を揮う。古人の筆論にいわく「書は散なり」。ただ結か(字画の正しさ)をもってよしとするにあらず。必ず須らく心を境物に遊ばしめ懐抱を散逸して(思いを込める)、法を四時に取り(字の勢いを四季の景物に象り)、形を萬類に象るべし。これをもって妙なりとす。このゆえに蒼公が風心は鳥跡に擬して翰ふんでを揮い(蒼詰の風流心は鳥の足跡を見て文字をつくった)、王少が意気は龍爪を想うて筆を染む(王義之は龍の爪を想うて飛という字を造り)、蛇の字は唐綜より起こり(蛇書体は唐綜が蛇に巻き付かれた夢からできた)。蟲書は秋婦に発せり(蟲書は魯の秋胡の妻が夫に虫に象った字をを書いておくったところから発している)。軒聖雲気の興(雲気の書は軒轅が雲に感じてつくった)。務仙風韭の感(風薤の書は殷の務光が風に靡く薤葉を見て作った)。垂露懸針の体(垂露と懸針の書体)、鶴頭偃波の形(鶴頭の形と偃波の形)、麒麟鸞鳳の名(麒麟の書体・鸞鳳の書体)、瑞草芝英の相(瑞草たる芝の英(はな)の書体)、かくのごときの六十余の体は並びにみな人の心物に感じて作れるなり。あるがいわく「筆論筆経はたとえば詩家の格律の如し」詩はこれ声を調え、病を避くる制あり。書も亦病を除き、理に会う道あり。詩人、声と病とを解らざれば誰か詩什に編まん。書者病理に明らかならずば、何ぞ書評に預からん。また詩を作る者は古体を学ぶをもって妙とし、古詩を写すをもって能しとせず、書もまた古意に擬するをもって善とし、古跡に似たるを以て巧なりとせず。このゆえに古より能書百家の体別なり。蔡雍おおいに笑い(蔡 邕は書法の妙に達して大いに笑った)。鍾 繇深く歎ず(鍾 繇が歎ほど非常に努力した)。良に以ゆえあるかな。
空海たまたま解書の先生に遇うて粗ぼ口訣を聞けり。しかりといえども志す所、道別にして曾って心に留めず。今聖雷の震響に頼って心地の蟄字を抜く(春雷で啓蟄となるように天皇の詔勅により書法を思い出した)。六書の萃蘇を折り(漢字の象形・指事・会意・形声・転註・仮借という六区分の秀でたものを集め)、八体の英華を摘む(八書体の麗しい精粋をつむ)。転筆を鼎態にまなび(運筆を古代中国の鼎文字に学び)、超翰を草聖に擬す(超絶した筆翰を草書の名人張伯英に学ぶ)。山水を想うて擺撥し(はいはつ、筆を揮い)、老少に法って終始す(文字の骨ある老と肉の在る少という筆法で終わりを老とした)。君臣風化の道、上下の画に含み、夫婦義貞の行、陰陽の点に蔵めたり。客主揖譲し(客と主が譲り合い)、弟昆友悌あり(兄弟なかよい)。三才変化し(天地人の三才は変化し)、四序生殺す(四季はめぐり春夏には生まれ、秋冬には死す)。尊卑愛敬し、大小次第あり。隣里和平にしてかん区粛恭なり(世の中は慎み深くうやうやしい)。これらの深義悉く字字に韞めり。巧を書池に謝すといえども竊に雅趣を庶幾う。
またそれ右軍巧を累ねて猶未だその妙を得ず(王義之は書に精進したがいまだ奥義に達せずといった)。衆芸沙を弄んで始めてすでにその極に会へり。自外の凡庸、なんぞ点画の奥を解らん。いかに況や空海耳にその義を聞くとも、心に理を存せず。空しく筆墨を費やして忝く珍屏を汚す。一たびは慄き一たびは懼れて心魂飛越す。時に堯ぎ(嵯峨天皇のたとえ)光を流し、葵藿自ら感ず(きくわく、葵の花が自ら太陽を向くように自分も嵯峨天皇の徳に自然と感化されている)。山に対して管を握るに物に触れて興あり。自然の応おぼえずして吟詠す。輙ち十韻を抽んでて敢えて後に書す。
伏して乞う。天慈その罪過を宥したまえ。幸甚幸甚。謹んで書く所の屏風及び秀句の本、表に随て奉進す。軽しく聖覧を黷す。伏して流汗を増す。沙門空海誠惶誠恐謹言。
弘仁七年八月十五日 沙門空海上表
蒼嶺(そうれい)白雲(はくうん)観念の人
等閑(なおざり)に絶却す 草行真(そうぎょうしん)
心は仏会(ぶつえ)に遊んで筆に遊ばず
揚波(ようは・筆法)を顧みざること爾許(いくばく)の春ぞ
豈(あに)謂(おも)わんや明皇(めいこう)
染翰(せんかん)を交(かわ)し
鵠頭(こくとう・鸛の頭・筆法)龍爪(りゅうそう・筆法)君が為に陳ぶ
祥雲(しょうん)濃淡(のうたん)御邸(ぎょてい)より出で
瑞草(ずいそう)秋冬(あきふゆ)帝仁(ていじん)を感ず
青山(せいざん)翠岳(すいがく)翔鳳(しょうほう)を見る
花苑(かえん)瓊林(けいりん)走驎(そうりん)を望む
更に懸針(けいしん)と倒韭(とうきゅう)と有り
切に思い相伴って丹宸(たんしん)に竭(つく)す
龍管(りゅうかん)池に臨んで漆墨を調(ととの)え
烏光(うこう)忽ちに照らして豪賓(ごうひん)を点ず
暴風驟雨(しうう)来り汗(けが)すこと莫(なか)れ
此れは是れ君王の愛珍したまう所なり
松巌(しょうがん)数(しばしば)霧ありて菴中湿す
汗(けが)さんことを恐れ晴を望んで月旬を経たり
画虎画龍都(すべ)て似ず
心寒く心暑くして幾たびか逡巡(しゅんじゅん)す