山 岡 瑞 円 上 人 の 略 伝(三 井 英 光)・・3
香園寺 の本尊大日如来は秘仏にして数百年以来 扉を開いたものなく、 若し開けば生命がないと云 い伝えられ ていた。 併し 一度死線を超えた上人は開扉する ことを思 い立ち、 或る日ひそかに開 いて見た。 然るに中は鼠の巣となり糞が一ぱいつま っていて本尊 の像は全く その中に埋れ て拝 むす べもな かった。 何日かかかってそれを 取り除けば正しく智拳印に住 し給 う本尊仏 大日如来(智拳印は金剛界大日如来、いまのご本尊のお姿) の尊像が出現し給うた。更にその台座のふたあたりに一つの聖教函があり、蓋を開 けて見 れば、 以下の内容 の教書が入っていたのである。
「その昔、 弘法大師、 四国巡錫の醐り、 此の地に来り、旅の女人の妊産に苦しむを見て、哀憐の情止み難く、秘法を以って加持してその難を救い、玉の如き男子を安産することが出来た。 大師は思わずその子を衣の袖に抱きあげ給い、 そして女人にまつわる此のような苦難を末永く救わんと、
安産、 子育て、御身代り、女人成仏の四大誓願
を立 られ、 そ のための秘法を遺しおかれた。此の四大誓願に住し給える大師を子安弘法大師と崇め奉 る。 云々」とあ った。
此の秘封を開 いた のは正 しく明治 四十年、 即ち上人の廿五才の時であったのである。
爾来身心共 に更生の意気に燃 ゆる上人は、此の子安の誓願をかざ して世 の人 々の苦難を救うこと こそ、自から に与えられた使命 なりと決意 したのである。(寺伝によれば、香園寺は、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立したとされ、その後大師も来錫されたとされる。)
香園寺 の本尊大日如来は秘仏にして数百年以来 扉を開いたものなく、 若し開けば生命がないと云 い伝えられ ていた。 併し 一度死線を超えた上人は開扉する ことを思 い立ち、 或る日ひそかに開 いて見た。 然るに中は鼠の巣となり糞が一ぱいつま っていて本尊 の像は全く その中に埋れ て拝 むす べもな かった。 何日かかかってそれを 取り除けば正しく智拳印に住 し給 う本尊仏 大日如来(智拳印は金剛界大日如来、いまのご本尊のお姿) の尊像が出現し給うた。更にその台座のふたあたりに一つの聖教函があり、蓋を開 けて見 れば、 以下の内容 の教書が入っていたのである。
「その昔、 弘法大師、 四国巡錫の醐り、 此の地に来り、旅の女人の妊産に苦しむを見て、哀憐の情止み難く、秘法を以って加持してその難を救い、玉の如き男子を安産することが出来た。 大師は思わずその子を衣の袖に抱きあげ給い、 そして女人にまつわる此のような苦難を末永く救わんと、
安産、 子育て、御身代り、女人成仏の四大誓願
を立 られ、 そ のための秘法を遺しおかれた。此の四大誓願に住し給える大師を子安弘法大師と崇め奉 る。 云々」とあ った。
此の秘封を開 いた のは正 しく明治 四十年、 即ち上人の廿五才の時であったのである。
爾来身心共 に更生の意気に燃 ゆる上人は、此の子安の誓願をかざ して世 の人 々の苦難を救うこと こそ、自から に与えられた使命 なりと決意 したのである。(寺伝によれば、香園寺は、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立したとされ、その後大師も来錫されたとされる。)