福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秘藏寶鑰6

2013-08-19 | お大師様のお言葉
第三嬰童無畏心

嬰童無畏心者、外道人を厭い、凡夫天を欣うの心なり。上、非想に生じ、下、仙宮に住して、身量四萬由旬、壽命八萬劫。下界を厭うこと瘡瘀(そうお)の如く、人間を見ること蜉蝣の如し、光明日月を蔽し、福報輪王に超えたりというといえども、然れども猶お彼の
大聖に比すれば劣弱愚朦なること此の咳兒に似たり。少分の厄縛を脱るるが故に無畏なり。未だ涅槃の樂を得ざるが故に嬰童なり。

問う、聞くならく淮犬高く踏み、費龍遠く飛ぶこと、並びに是れ藥力の致すところ、師術の爲すところなり。今此の天等は何の教により誰の師に就てか能くこのごとくの自在光明身、壽命長遠の樂を得る。又天に幾種かある。請う其名を示せ。高問來り叩く。鐘谷何ぞ默さん。嘗試に之を論ぜん。

夫れ狂毒自ら解けず。醫王能く治す。摩尼自ら寶にあらず、工人よく營く。所謂ゆる醫王と工人と豈異人ならんや。我大師薄伽梵其人なり。如來の徳は萬種を具せり。一一の徳は即ち一法門之主也。彼の一一の身より機根量にしたがって種種の法を説き衆生を度脱す。故に大日經(住心品に)云。「如來、應供、正遍知、一切智智を得て無量衆生の爲めに廣演分布して種種の趣、種種の性欲に随って、種種の方便道をもって一切智智を宣説したもう。或は聲聞乘道、或は縁覺乘道、或は大乘道、或は五通智道(五神通を得るための天仙の教え)、或は願って天に生じ、或は人中及龍夜叉乾闥婆に生じ、乃至摩睺羅伽に生じる法を説きたまう」 云云。

今此文によらば三乘及人天乘の教は並に皆な如來の所説なり。若し教によって修行する者は必ず天上に生ず。

問う、若し然らば諸の外道等の所行は皆な是佛法歟。
答う、此に二種あり。一には合。二には違なり。合とは如來所説に契合するがゆえに。違とは佛説に違乖するが故に。元は是れ佛説なりというといえども、然も無始時より展轉相承して本旨を違失せり。或は自見に随って牛狗等の戒を持って、もって生天を求む。如是之類並に本意を失せり。

問う、若し是佛説ならば宜しく直ちに佛乘等を説くべし。何ぞ天乘等を説くを用いんや。機根契當の故に。餘の藥は益無きが故に。

問う、已に師および教を聞きつ。請う天の數を示せ。天に三種あり、謂く、欲・色・無
色界が是れなり。初の欲界に六天あり。四王・忉利・夜摩・都史・樂變化・他化自在是也。色界有十八。此に有四つの別あり。四禪各別の故に。初禪に三あり。梵衆・梵輔・大梵是れなり。二禪に三あり。少光・無量光・極光淨が是れである。三禪に三あり。少淨・無量淨・遍淨是也。第四禪に九天あり。無雲・福生・廣果・無想・無煩・無熱・善見・善現・色究竟是也。無色界に四あり。空無邊・識無邊・無處有處・非想非非想是也。此れ是の二十八種の天、海を去るの遠近、身量の大小、壽命の長短等は具には十住心論のごとし。繁を恐れて不述。

問う、既に天の名數を聞きつ。重ねて請う、彼の行相を示せ。
答う、諸外道等も亦た三寶三學等(仏法僧、戒定慧)の名を立つ。梵天等を覺寶となし、「四吠陀論」(「梨倶吠陀(リグ・ヴェーダ)」「娑摩吠陀(サーマ・ヴェーダ)」「夜柔吠陀(ヤジュル・ヴェーダ)」「阿闥婆吠陀(アタルヴァ・ヴェーダ)」)等を法寶となし、傳授修行者を僧寶となし、十善等を戒となす。四禪那は即ち定なり。此定は六行によって得る。六行とは言く、苦・麁・障・淨・妙・離これなり。下界を厭うて苦麁障の想をなし、上天を欣うて淨妙離の觀をなす。此觀によるがゆえに展轉上生し、他主空三昧によって空惠發生す(大自在天、梵天のみが実在し、それによってつくられた一切は虚妄である)。此の三學によって上天の妙樂を得る。しかりといえども道、究竟にあらざるがゆえに生死を出でて涅槃を得ることあたわず。上、非想を射すれども還って地獄に墜つること譬えば箭を虚空に射るに力盡きて即ち下るごとし。是故に樂求すべからず。

問う、諸の外道同じく三學(戒定慧)を修して彼の二界(色界、無色界)に生じ、空三昧を證して言亡慮絶す。何によってか煩惱を断じ涅槃を證することをえざるや。
答う、觀、二邊に著し、定、二見を帶するが故なり(観智のうえからいっても断常の二辺にとらわれ、定のうえからいっても有空の二見にかたよっているからである)。

問う、同じく非有非無を觀ず、何ぞ二邊二見に墮するや。他主に繋屬して因縁中道を知らざるが故なり。因縁の中道其意云何。因縁を觀ずるが故に斷邊に墮せず、自性空を觀ずるが故に常見に墜ず。有空即法界なりと觀ずれば即に中道正觀を得る。此の中道正觀によるがゆえに早く涅槃を得る。外道邪見人は此義を知らず。是故に眞の圓寂を得ず。若し此理を聞かば即ち羅漢を得ん。

問う、戒を護って天に生ずるに幾種かある。生天有四種。一には外道、前説のごとし。二には二乘、また天上に生ず。三には大乘菩薩、必ず十天の王(六欲天と四禅天の王)となるがゆえに。四つには應化の諸佛菩薩、化して天王となるがゆえに。具には十住心論にとくが如し。

頌に曰く
外道發心して天の樂を願い、虔誠(げんじょう・・つつましく)に持戒して歸依を覔む
大覺圓滿者を知らず、豈に梵天・龍尊の非を知らん。
六行修觀して無色に生じ、 身心五熱して徒に自ら嘰(いた)む
斷常空有に勝住を願う、 若し世尊に遇ば我違を覺らん。

問う、今此住心亦何の經論によって解説するや。
答う、「大日經」「菩提心論」なり。彼經何説。彼經云。「祕密主、彼れ戒を護って
天に生ずるは是れ第七受用種子なり。復次に祕密主、此心をもって生死に流轉するに、善友の所において如是言を聞く、此は是れ天なり、大天なり、一切の樂を与える者なり。虔誠に供養すれば一切所願皆滿つ。所謂自在天・梵天・那羅延天・商羯羅天・自在天子・日天・月天・龍尊等、乃至或いは天仙・大圍陀論師なり。各各に應普く供養すべしと。彼聞如是心に
慶悦を懷いて、慇重に恭敬し、隨順し、修行す。祕密主、是を愚童異生の生死に流轉する無畏依の第八嬰童心となずく。

又云。
「復次に、殊勝の行あり。彼所説中に随って殊勝に住して、解脱を求める惠生ず。謂る常・無常・空なり。如是説に隨順す。祕密主、彼れ空・非空を知解するにあらず。常・斷なり。非有非無倶に彼れ分別を無分別とす。云何が空を分別せん。諸法の空をしらざれば彼れ能く涅槃をしるにあらず。是故に應に空を了知して斷・常を離るべし。 解して云。外
道出要を願って種種に身心を苦しむ。斷常空有の教は角を搆(しぼって)乳を求めるごとし。若し因縁の空を知らば忽璽に解脱を得てん。 又云。「祕密主 、世間因果及業若生若滅、他主繋屬して空三昧を生ず。是を世間三昧道と名ずく。」又云。「若諸天世間眞言法教道、如是の勤勇者、衆生を利せんがための故なり。」と。

龍猛菩薩の「菩提心論」に云。「諸の外道等は其身命をおしんで或は助くるに
藥物をもってし、仙宮の住壽を得る。或は復た天に」生ずるを究竟とおもえり。眞言行人彼等を観ずべし。業力若し盡きぬれば未だ三界を離れず、煩惱尚存し、宿殃未だ殄びず。惡念旋起す。彼之時にあたって苦海に沈りんして出離すべきこと難し。當知。外道之法もまた幻・夢・陽焔に同じ也」と。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 菩提心論 | トップ | Sさんが土曜日の講の模様を記... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

お大師様のお言葉」カテゴリの最新記事