入楞伽經を読んでいると以下のような言葉がありました。古代インドの「順世外道」という、現代人とおなじように因果を認めず現世快楽至上主義の外道ですら肉食を禁じていたというのです。(戒律については仏教でも複雑な経緯がありよくわからないところがありますが徐々に研究していきたいと思います。大乘入楞伽經(實叉難陀譯)斷食肉品全訳をこの後出します。)大乘入楞伽經(實叉難陀譯)斷食肉品第八「・・・路迦耶(ローカー . . . 本文を読む
一切の修行も祈りも善行も無駄になることはないということ「仏教汎論・宇井伯壽」に「修行は結局仏性の開発といふことになるのであるが、之を如何にすべきかといへば・・自力と他力とで漸く仏性の開発が得られることになるものである。・・他力の主たるものは仏の力である。この仏と衆生との間に感応がおこなわれのであって、天台宗ではこれを感応道交といふておる。これは感と応との道まじはる、との意味であるが、感は機や縁と同 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 7/14巻の7/8
七、神女、尼に成る事
大和國南都の傍に住みける神女あり。曽って佛といふことをしらざれば僧法を忌んで言をも不通七五三の縄をはり弊を捧げ鈴をふり神代の事を聞き集めて神歌とて由無きことなんど語りて人を誣て世を渡るはかりごととしけるが、心地常ならず煩ひければ神の御とがめなりとて氷をくだき水をあび鈴を振りて氷をくだき水をあび鈴を振りて舞踊れども重りこそすれ減なくし . . . 本文を読む
今日九月十日は興正菩薩叡尊の御母堂の崩御された日です。自伝、感身学正記に「承元元年、(1207)七歳、九月十日、悲母、三人の少児を懐の内に置き逝去し畢んぬ。予は七歳、次五歳、次三歳なり。」とあります。叡尊は興福寺の学僧・慶玄の子(母は藤原氏と言われる)で、大和国添上郡箕田里(現・奈良県大和郡山市)の生まれ。弘法大師遺戒の「仏道は戒なくしてなんぞ到らんや。すべからく顕密二戒を堅固に受持し清浄にして犯 . . . 本文を読む