地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の5/13
五、愛着より菩提に入る事
山城國美須と云所に栖ける小館の伊賀の前司と申しける子の
に伊賀の次郎紀の伊直(これなほ)は諸藝人にすぐれてありけるが生年十七に成りける時九条の院に参りけるに宰相の中将平の善平と申す若上臈の北面を通りさまに一目見奉り愛念肝を消しわすれがたく、せんかたなさに清水寺に詣で其の人をさずけさせたまへ、とても叶はぬことならば命をめして来 . . . 本文を読む
京都東山御文庫記録「(文明十五年1484)(後土御門天皇は)五月十六日及び九月十六日、恒例の百萬反念仏を誦せらる」蜷川親元日記「(文明十五年)九月十六日丙午、(足利義尚は)殿中において大般若御祈祷」天皇は後土御門天皇。室町幕府は足利義尚。・後土御門天皇は阿弥陀信仰をされ「誓ありと 思ひうる身に なす罪の 重きもいかで 弥陀はもらさむ」と詠まれ、鎌倉の浄土宗光明寺を『勅願所』としています。・蜷川親元 . . . 本文を読む
今日は敬老の日です。祝日に関する法によると「敬老の日、9月の第3月曜日 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」とあります。(以前は9月15日でした。これは聖徳太子が悲田院というお年寄りや体の不自由な人を救うための施設を四天王寺に開かれたのが9月15日と伝わっているためでした。)仏教上も老いはむかしから大きなテーマとなっていました。1、まず馬齢を重ねることに対する戒めです。「老い . . . 本文を読む
法句経「一一〇 若し人壽百歳なるも惡戒散動なれば、一日生きて具戒靜慮するに若かず。一一一 若し人壽百歳なるも惡慧散動なれば、一日生きて具慧靜慮するに若かず。一一二 若し人壽百歳なるも懈怠怯弱なれば、一日生きて勇猛努力堅固なるに若かず。一一三 若し人壽百歳なるも生と滅とを見ざれば、一日生きて生滅を見るに若かず。一一四 若し人壽百歳なるも甘露處を見ずんば、一日生きて甘露處を見るに如かず。(甘露處とは不 . . . 本文を読む
吾妻鑑・文治五年(1189)「九月小十六日癸酉。知家御前に參進し俊衡入道が轉経の事を申す。二品、往日自り此の經を持た令め給ふ之間、罪名を定められずに、本所を安堵したまふ之由、下知せしめ給ふ。是、併ら十羅刹の照鑒を優じ奉る之旨、仰せ含めらると云々。(八田知家が、頼朝の前へ進み出て、俊衡入道が法華經を轉讀した話をした。頼朝は、前からこのお経を大事に思っていたので、罪人とはしないで、元の領地〔比爪〕を従 . . . 本文を読む
今日は法句経の一節に依って日本が領土分割から免れることを得た日
・1951年9月6日のサンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席したジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後のスリランカの第2代大統領)は、
「日本の掲げた理想に、独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む
( Hatred c . . . 本文を読む
金剛佛子叡尊感身学正記「寛元三年1245乙巳四十五歳・・・(九月)十六日共に住吉社頭に参ず。神宮寺(注1)において大般若経一部を転読し當社法楽に備へ、(弟子の(注2))渡海安穏、聖教奉請、所願成就を祈請す。」(注1)「古今著聞集巻第一慈覚大師如法経書写の折、住吉神託宣の事」「慈覚大師、如法経書き給ひける時、白髪の老翁、杖にたづさはりて、山によぢ登りけるが、『あな苦し。内裏の守護といひ、此の如法経の . . . 本文を読む