地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の4/13
四、花を盗み供養して感應を受る事
丹後の國天橋立と云所に栖ける人の娘の阿賀と申すあり。生得佛をうやまひ佛法をあがむ心あり。人の教るにあらざれども地蔵菩薩を皈依したてまつりて色よき花を求めては必ず地蔵菩薩に供し奉りける。或時隣家の園にある菊を見てあかつき方に忍び入り彼の花一朶を引き折り皈来りて地蔵に供へける。明日花の主見付けて大にいかり日比の事なればだれ . . . 本文を読む
吾妻鑑「(寛元二年1244)九月十五日癸丑、後鳥羽院御追福法華経摺写、持仏堂において始めて之を奉読さる。定親法師之を奉仕す。」天皇は後嵯峨天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼嗣、執権は北条時頼。後鳥羽天皇は延応元年1239に配流の地・隠岐で崩御されています。怨霊を鎮めるために鎌倉幕府は何度も鎮魂の供養を行っています。 . . . 本文を読む
今日は時頼とその子女が赤斑瘡(はしか)に罹った日史料綜覧 巻五 / 康元元年(1256)九月十五日条「十五日 時頼 及ビ其幼女 赤斑瘡ニ罹ル」時頼はこの麻疹により後に出家します。吾妻鑑には「九月十五日 壬寅 陰 相州(時頼)赤班瘡を悩ましめ給う。九月十六日 癸卯 朝間雨降る 晩に及び相州不例の事、去る六月二十六日御衰日に当たり、始めて出仕せしめ給うの 間、今この御不例その煩い有るべきの由、陰 . . . 本文を読む
15日は全国の八幡宮の放生会です。
放生会は、養老4年(720年)の大隅、日向両国の隼人の反乱、同年あるいは神亀元年(724年)に誅滅された隼人の慰霊と滅罪を欲した八幡神の「合戦の間多く殺生すよろしく放生会を修すべし」というご託宣により宇佐神宮で放生会を行ったのが嚆矢で、石清水八幡宮では貞観4年(863年)に始まり、その後天暦2年(948年)に勅祭となった、とされます。
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