17、磯長御廟参詣(大師三十七歳、弘仁元年、八百十)・・叡福寺(大阪府南河内郡太子町太子2146)「嵯峨天皇の御宇、・・百か日を限りて聖徳太子の御廟所にもうでたまひぬ。その九十六日目と申す夜、・・かの御廟の前にたちまち光明を放って、其の光の中より声あって、『我はこれ、救世観音の垂迹なり。衆生を利益せんがために安養世界を捨てていまこの穢土に来たれり。わが母后は本地阿弥陀仏の化身なり。我が妃は大勢至菩薩に垂迹なり。三尊ちぎりをむすんで三骨を一廟におさむ。・・』となたまひてより、勝鬘経等の大乗の要文をときたまひければ和尚(大師)ことにありがたくよろこばしくおもひて、「のたまひけるは『われいままのあたりの、仏を拝み奉り、お説法をうけたまはることよ。われこの見佛聞法の力によって第三発光地を證す』と・・」(大師御伝記)
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