「中世の仏教においてすでに経済倫理が述べられていた。それは古来の正統的な天台宗に対して批判的な立場をとった中古天台の口伝法門においてである。それによると、日月の光から草木国土に至る迄、一切の自然物が人に利用されうるのは、ことごとく仏の慈悲である。草木は精神をもたないが、他者である人間を利する働きをもっているから、すでに仏となっているのである。財は人間の利他の行為をわれわれの分身となって助けてくれる手段なのである。経済行為である職業は修業であって悟りを開く道である。・・」
また鈴木正三は「万民徳用」に於いて、どんな職業でも衆生済度の仏行であるとして、「世法即仏法」といいました。
また鈴木正三は「万民徳用」に於いて、どんな職業でも衆生済度の仏行であるとして、「世法即仏法」といいました。