福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

第2回(2/2)福聚講・鎌倉13佛霊場巡拝(2014-2-23 晴れ

2014-03-02 | 開催報告/巡礼記録
第2回(2/2)福聚講・鎌倉13佛霊場巡拝(2014-2-23 晴れ)

海蔵寺から徒歩10分、浄光明寺12時50分着。

○第9番札所 浄光明寺(真言宗泉涌寺派) 勢至菩薩  鎌倉市扇ヶ谷2-12-1
 開基 北条時頼第5代執権 北条長時第6代執権
 開山 真阿和尚(真聖国師)(1251)建立
 赤橋流北条氏の菩提寺 。鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏が一時蟄居した寺としても知られ、その後も、足利氏により、厚い庇護を受けた。

          
  
 参道を進むと山門。入って境内奥の一段高いところに受付があり、拝観料をはらう。受付の人は、お寺の説明や案内を丁寧にして下さり、ありがたい。仏殿前には槇の大木(市の天然記念物)がある。推定樹齢750年。多くの人々を見てきたこの木の命の長さに心を動かされた。手足のように伸びた長い枝は、先日の大雪で、一部がおれて悲しい。

 正面の仏殿には、三世仏が祀られている。仏殿の左手には、収蔵庫があり、阿弥陀三尊(木造阿弥陀如来及び両脇侍座像ー観世音菩薩、勢至菩薩))が祀られている。阿弥陀如来は、「土紋」と呼ばれる、装飾技法が用いられた最古のもので、ふくよかな顔立ちと切れ長の目が心に残った。阿弥陀三尊前で心を込めて納経。収蔵庫の左には錫杖の先が、矢のように作られている矢拾地蔵が祀られている。

 受付の人の説明で、境内は四段に別れているという。仏殿、収蔵庫は二段目に在るので、納経後石段を上がって三段目に。明るい空間が広がり、視界が一挙に広がる。遠くに由比ヶ浜が見え、鎌倉駅方面が望まれる。またやぐらと呼ばれる洞穴があり綱引き地蔵(石造地蔵菩薩座像)が祀られている。さらに少し急な階段を上って四段目に上がる。鎌倉歌壇の指導者として、活躍した、歌人冷泉為相(阿仏尼、十六夜日記の作者の子で冷泉家の祖)の墓がある。

 浄光明寺13時15分発。切り通しを戻り、近くの店で昼食をすませて、円応寺へ14時15分着。

○第5番札所 円応寺(臨済宗建長寺派) 地蔵菩薩  鎌倉市山之内1543
 創建 智覚禅師1250年
 13佛の元となる、十王を祀る寺。

          

 境内の入り口の石垣には、閻魔大王の看板があり、山門に続く石段の両脇には、「南無延命地蔵菩薩」と書かれた赤い旗が目に付く。正面の本堂(閻魔堂)にて納経。本尊の閻魔大王座像は運慶の作と伝わり、国の重要文化財。 近在の人々に、「笑い閻魔」「子育て閻魔」と親しまれている。閻魔様の前にて合掌し静かに「懺悔文」を三度唱えると今まで犯した罪は全て許されると言われている。左右に十王や脱衣婆などが祀られている。丁寧な説明文により、死後の世界の様子を知ることが出来る。

 説明文によると「閻魔大王(地蔵菩薩の化身)は冥界の王として、生前の罪を裁き、亡者を地獄に落とす。それは閻魔大王の罪になる。この罪のために、閻魔大王は日に3度苦しみを受ける。その苦しみは亡者が地獄で受けるどれよりも苦しいといわれる。」

 堂の中央に祀られている閻魔大王の威嚇しているような見開いた目は、善い行いをして欲しいという願いを込めた慈悲の目に見える。

 今までと違った閻魔様を感じながら御堂を後にして、講員は鎌倉駅と北鎌倉駅に分かれて帰路についた。

 
 
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