我があると考えるのは、ないものをあると考える、さかさまの見方であり、仏性を認めないことも、あるものをないと考える、さかさまの見方である。・・「我」は迷いに導くものであり、「仏性」はさとりに至らせるものである。・・それなら人々は皆この仏性を備えているのにどうして貧富等の差があり、殺したり欺かれたりするような厭わしいことがおこるのか?これは例えば、力士が眉間に金剛の珠を飾ったまま相撲を取って、その額を打ち珠が眉間に隠れてできものを生じたが、力士は珠をなくしたと思いただできものを治すために医者に頼む、医者はそのできものが膚の中に隠れた珠のせいであるとわかり取り出して力士に見せた。このように、人々の仏性も煩悩の塵の中に隠れ見失われているが善き師によってふたたび見いだされるものである。このように、仏性はあっても貪瞋痴のために覆われ業と報とに縛られてそれぞれの境遇を受けるのである。しかし、仏性は実際には失われても破壊されてもおらず、迷いを取り除けば再び見出されるものである。この力士が医師によって取り出された球を見たように、人々も仏の光によって仏性を見るであろう。・・この仏性は金剛石のように堅いから破壊することはできない。身と心は破られることはあっても、仏性を破ることはできない。・・黄金の粗金を溶かしてそのかすを取り、練り上げると貴い黄金になる。心の粗金を溶かして煩悩のかすを取り去るとどんな人でも皆同一の仏性を開き現わすことができる。・(仏教聖典・大般涅槃経)
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