国家危機を救う仏教原理「成就衆生浄佛国土」その1
「成就衆生浄佛国土」とは「摩訶般若波羅蜜經」「大智度論」「注維摩詰經」「摩訶止觀」「金光明最勝王經玄樞」「往生要集」など多くの仏教経典にでてくる言葉です。衆生が成就する(悟る)ことによって佛国土は清められると読めます。衆生の心が向上すればその国土は浄くとなるとでも訳せると思いますが、要は衆生の心と住んでいる国土は切り離せないように一体となっていることを示しているといえます。瓜生津隆真「成仏國土と菩薩道」では「成仏國土の思想は初期大乗仏教の主要経典である『阿閦佛國経』『大阿弥陀経』『大品般若経』『華厳経』『法華経』『佛名経』などの説かれているが、・・・もっともまとまった所説は『維摩経佛國品第一』であろう。そこでは『衆生と云う國土こそ實は菩薩の仏土なのである。・・衆生が鍛錬されていく状態、其れに応じて佛國土が考えられる。・・・佛國土は衆生を抜きにして空中にはつくられるはずもなく・・。国土清浄を欲する菩薩は自己の心を治め清めることにつとめるべきである。なんとなればどのように菩薩の心が清らかであるかによって佛国土の清浄があるからである。』・・」とありました。
衆生は心次第で魔物にもなれば仏にも成る存在です。六道をとめどなく彷徨っている存在です。さすれば我々衆生がふとしたことで魔物になればその住んでいる國土は魔の國土に成るのは当たり前です。
歴史の上でもこの「成就衆生浄佛国土」という仏教概念が国家危機を救ってきたのではないかとふと思い断片的ながら思いつくところを書いておきたいと思いました。なお仏典には「浄佛国土成就衆生」とひっくり返して出てくるものもありますがほとんど同じお経の中で同じ意味で出てきます。
1、 聖徳太子の「成就衆生浄佛国土」
7世紀にはいり、新羅が任那を亡ぼしたり、隋が高句麗を滅亡に追い込んだりなどの緊張した国際情勢の中、太子は隋の煬帝にあて「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」と冊封拒否の国書を出しています。現在の日本とも類似したあるいはそれ以上に緊迫した国際情勢だったのです。
こういう切迫した国際情勢の中、太子は国内的には憲法十七条を制定、「篤く三宝を敬へ」とおっしゃり、『法華義疏』『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』の三経義疏を作られみずから在家仏教を標榜され仏教を国の基礎とされ国の基盤を固められました。
太子の『維摩経義疏』には維摩経佛國品の「・・菩薩その直心に随ふときは、すなわちよく行を発し、・・其の方便にしたがひて則ち衆生を成就し、成就衆生にしたがひて則ち佛土清し、・・・もし菩薩、浄土を得んと欲せば當に其の心を清くすべし、その心清きに随て則ち佛土清し。」を釈して「その心が清らかになるのに従って一切の功徳が清らかになるとは、心はあらゆる美徳の基本である。いま心がすでに清らかになったならば其れから生ずる一切の功徳がどうして不浄でありえようかということを明かすのである」と書かれています。(中央公論「維摩経義疏」中村元「聖徳太子」より)
また、『法華義疏』もお書きになっているという事は法華経は護国経典とされたお経ですから当然鎮護国家の思想もお持ちであったと考えられます。
聖徳太子は日本国民を一人一人菩薩にすることにより「成就衆生浄佛国土」をなしとげ東アジアの一角で仏様に守られた国として存続したいとおおもいになったのではないかと推測します。太子は物部氏に勝ったお礼に四天王寺を建てられましたが正式名称は「金光明四天王大護国寺」です。後で述べますが、この金光明経によれば仏教信者には四天王が国土をまもってくださることになっています。太子が仏教による護国思想を強くおもちでありそれは「成就衆生浄佛国土」の原理ではなかったかと推察されるのです。(後の聖武天皇のところで金光明経は詳説します)
「成就衆生浄佛国土」とは「摩訶般若波羅蜜經」「大智度論」「注維摩詰經」「摩訶止觀」「金光明最勝王經玄樞」「往生要集」など多くの仏教経典にでてくる言葉です。衆生が成就する(悟る)ことによって佛国土は清められると読めます。衆生の心が向上すればその国土は浄くとなるとでも訳せると思いますが、要は衆生の心と住んでいる国土は切り離せないように一体となっていることを示しているといえます。瓜生津隆真「成仏國土と菩薩道」では「成仏國土の思想は初期大乗仏教の主要経典である『阿閦佛國経』『大阿弥陀経』『大品般若経』『華厳経』『法華経』『佛名経』などの説かれているが、・・・もっともまとまった所説は『維摩経佛國品第一』であろう。そこでは『衆生と云う國土こそ實は菩薩の仏土なのである。・・衆生が鍛錬されていく状態、其れに応じて佛國土が考えられる。・・・佛國土は衆生を抜きにして空中にはつくられるはずもなく・・。国土清浄を欲する菩薩は自己の心を治め清めることにつとめるべきである。なんとなればどのように菩薩の心が清らかであるかによって佛国土の清浄があるからである。』・・」とありました。
衆生は心次第で魔物にもなれば仏にも成る存在です。六道をとめどなく彷徨っている存在です。さすれば我々衆生がふとしたことで魔物になればその住んでいる國土は魔の國土に成るのは当たり前です。
歴史の上でもこの「成就衆生浄佛国土」という仏教概念が国家危機を救ってきたのではないかとふと思い断片的ながら思いつくところを書いておきたいと思いました。なお仏典には「浄佛国土成就衆生」とひっくり返して出てくるものもありますがほとんど同じお経の中で同じ意味で出てきます。
1、 聖徳太子の「成就衆生浄佛国土」
7世紀にはいり、新羅が任那を亡ぼしたり、隋が高句麗を滅亡に追い込んだりなどの緊張した国際情勢の中、太子は隋の煬帝にあて「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」と冊封拒否の国書を出しています。現在の日本とも類似したあるいはそれ以上に緊迫した国際情勢だったのです。
こういう切迫した国際情勢の中、太子は国内的には憲法十七条を制定、「篤く三宝を敬へ」とおっしゃり、『法華義疏』『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』の三経義疏を作られみずから在家仏教を標榜され仏教を国の基礎とされ国の基盤を固められました。
太子の『維摩経義疏』には維摩経佛國品の「・・菩薩その直心に随ふときは、すなわちよく行を発し、・・其の方便にしたがひて則ち衆生を成就し、成就衆生にしたがひて則ち佛土清し、・・・もし菩薩、浄土を得んと欲せば當に其の心を清くすべし、その心清きに随て則ち佛土清し。」を釈して「その心が清らかになるのに従って一切の功徳が清らかになるとは、心はあらゆる美徳の基本である。いま心がすでに清らかになったならば其れから生ずる一切の功徳がどうして不浄でありえようかということを明かすのである」と書かれています。(中央公論「維摩経義疏」中村元「聖徳太子」より)
また、『法華義疏』もお書きになっているという事は法華経は護国経典とされたお経ですから当然鎮護国家の思想もお持ちであったと考えられます。
聖徳太子は日本国民を一人一人菩薩にすることにより「成就衆生浄佛国土」をなしとげ東アジアの一角で仏様に守られた国として存続したいとおおもいになったのではないかと推測します。太子は物部氏に勝ったお礼に四天王寺を建てられましたが正式名称は「金光明四天王大護国寺」です。後で述べますが、この金光明経によれば仏教信者には四天王が国土をまもってくださることになっています。太子が仏教による護国思想を強くおもちでありそれは「成就衆生浄佛国土」の原理ではなかったかと推察されるのです。(後の聖武天皇のところで金光明経は詳説します)