今日は一粒万倍日 . . . 本文を読む
第十三 世俗の部
一六七 下劣の法を習ふべからず、放逸に住すべからず、邪見を習ふべからず、世俗を助長すべからず。
一六八 發起せよ、放逸なる勿れ、妙行の法を行ぜよ、如法の行者は快く寐ぬ、今世にも亦他(世)にも。
一六九 妙行の法を行ぜよ、惡行の法を行ずる勿れ、如法の行者は快く寐ぬ、今世にも亦他(世)にも。
一七〇 (世は)泡沫の如しと觀よ、(世は)陽炎の如しと觀よ、斯く世間を觀察する人を死王は見 . . . 本文を読む
法句経「一九」に
「 經文を誦むこと多しと雖も、此を行はざる放逸の人は、他人の牛を數ふる牧者の如く、宗教家の列に入らず。」とありました。頂門の一針です。経典に説かれていることを行うことは勿論、十善戒を護る事すら難しい我が身を反省する事しきりです。しかしよくよく考えると以前に書いたように「お大師様への恩返しをどうするか」などと考えている時は自然と十善戒も護れて善行もできる気がします。神仏を忘れて「我 . . . 本文を読む
Q,長生きは仏典でどう評価されていますか
A,酔生夢死はまったく評価されてはいません。
法句経に
「人もし生くること百年ならんも、汗戒にして定なくんば、戒を具し禅思あるものの一日生くるにしかず。」
「人もし生くること百年ならんも、劣慧にして定なくんば慧を具し、禅思あるものの一日生くるにしかず。」
「人もし生くること百年ならんも、怠惰にして精進足らずんば堅き精勤あるもの . . . 本文を読む
大師の「辯顕密二経論下」に「心暗きときは即ち遇う所悉く禍なり。眼明らかなるときは即ち途(みち)に触れて皆宝なり。」とあります。理論的には華厳経にも「三界所有、唯是一心」(『華厳経』巻37・十地品)とあり心がすべてを作り出しているのですが、お大師様のこの「心暗きときは即ち遇う所悉く禍なり。眼明らかなるときは即ち途(みち)に触れて皆宝なり。」ということばにはさらに生々しさが伝わってきます。最近も迷いの . . . 本文を読む
今日はお大師様の日です。今朝はなぜか早く目が覚めて御大師様の恩のありがたさをしみじみと感じました。70年の人生を振り返ると常に伸るか反るか、という剣が峰を渡ってきたことに気が付きますが、其の剣が峰を毎回守っていただき無事今日まで来ることができたのはまさにお大師様のお陰だったのです。高校時代交通事故で空中に放り投げられても無事だったこと、塾も本屋もない過疎地から最難関大学に入学できたこと、苛烈な学園 . . . 本文を読む
今日は瑞泉寺の伝統行事「太子伝会」です。
瑞泉寺の太子伝会は、1710年頃に始まったといわれる、南砺市井波別院瑞泉寺の伝統行事「太子伝会」のこと。掛け軸の絵をもとに聖徳太子の一生を語る絵解きや、聖徳太子二歳像のご開扉などが行われます。 この太子伝会に合わせて開催されるのが「太子伝観光祭」。踊り町流し、模擬店など多彩なイベントが市街地を賑わせるとあります。 . . . 本文を読む
「人々が僧侶に求めるものは先祖供養と祈祷である」との記事がありました。
しかし先祖供養も祈祷も根底には僧侶に絶対的な信仰がなければできないはずです。
寺離れが叫ばれて久しいものがありますが理由は簡単です。僧侶から滲み出る信仰心が感じられなくなっているからです。
キリスト教の結婚式に出て牧師さんの話を聞くことも多かったのですが牧師さんの話はやはり信仰心が滲み出ていて聞いていても有難い気持ちになるこ . . . 本文を読む
今日から長野県飯山市の<a
href=" http://www.iiyama-ouendan.net/sightseeing/2011/09/704.php">(国指定重要無形民俗文化財)小菅神社例大祭「柱松柴燈神事」
</a>です。小菅山は1300年前に役の行者によって創立された北信濃三大修験霊場。「柱松柴燈神事」は神仏一体の修験・修行の道場として . . . 本文を読む
神仏の縁日一覧
「一日は定光佛・熱田大明神・妙見様・天神と地神の日。定光佛は「三十日秘仏」による。
熱田大明神(本地は大日如来。「禁闕守護の三十番神三十番神」による。)
天神・地神は「我が国守護の三十番神」による。天神はあまつかみ、地神はくにつかみ。
「二日は灯明佛、諏訪大明神、日高見と太元の日
・灯明佛(「三十日秘仏」)。仏像図鑑に「定珍曰く、『日月燈明と云は、 雲自在燈王と云と同體異名也 . . . 本文を読む