今日弘仁九年三月十九日は大師が(大師45歳)、「新羅の道者に与える詩幷に状」を書かれた日です。「新羅の道者に与える詩幷に状忽ちに筑前の大守の説を見て新羅の上人等海を過ぎて入朝せらるることを承る。喜ちょく(よろこび恥じる)何ぞ言わん。春の華灼々たり(咲き誇る)。伏して惟んみれば上人等海を過ぎて忽ちに到れり。容体如何。貧道久しく禅関を閉じて迎慰することあたわず。中心に謁を企て日夕に我を労す。聊か一篇の . . . 本文を読む
今日は故小野田寛郎氏の誕生日です。小野田 寛郎は大正11年(1922)3月19日生まれ。 (平成26 年1月16日91歳没)情報将校として太平洋戦争に従軍、太平洋戦争終結から30年、フィリピン・ルバング島でゲリラとして生き残りその後発見され、マルコス大統領に英雄として扱われ日本へ帰還。 ここでは小野田は「国も自らを貶めては、他国から信頼されない。・・単なる経済大国というのは肥えたる豚にすぎない。・ . . . 本文を読む
今日応徳四年1087、三月十八日は勝覚が武蔵国子生山に東福寺を建立した日です。鶴見区佛教会ホームページには「東福寺は1087年3月18日理源大師の法孫勝覚僧正霊夢により生麦浦より本尊如意輪観音を得てこの地に創建された鶴見で一番古いお寺です。」とあります。密教辞典によると勝覚は「1057・天喜5年から1129・大治4年。73歳。三宝院開祖。左大臣源俊房の息。幼時から仏門に帰依。醍醐座主定賢に師事。醍 . . . 本文を読む
観音様のお像を初めて造ったと思われる記録です
「扶桑略記」「(推古天皇)三年595乙卯春、土佐海岸に夜大光あり。其の声雷の如し。丗箇日をへて夏四月淡路島南海に着く。其の大きさ一囲、長さ八尺、其の香異薫、朝廷に貢献す。島人知らず薪に交て多く焼く。太子奏して曰く「是れ沈水香なり。此の木、栴檀香木と名く。南天竺南岸に生じ夏の日、諸虵、この木を相繞る。冷たき故也。人、矢を以て射る。冬月虵 . . . 本文を読む
今日から彼岸です。今年も昨年に引き続き大変なお彼岸となりましたが古来大変でないときはありませんでした。ここらでじっくりと精神を落ち着けて昔を偲ぶことも大切でしょう。五來重の「宗教歳時記」から関連部分を抜き書きします。「・・彼岸の七日間の間に「日の供」とか「日迎え日送り」をする行事は丹後や播磨に良く残っていた。村人は朝は東の方のお宮やお寺・お堂に参り、日中は南の方のお宮やお寺・お堂、夕方は西の方のお . . . 本文を読む
権記・長保三年1001 三月十八日「大極殿に於いて疾病消除天下泰平のために、般若妙典を転読すべき事仰せらる…(一条天皇)」(権記の長保三年二月九日の条には「近日天下不静、病死之輩遍満京中」とあり。) . . . 本文を読む
今日は花園天皇が証道・如円から十戒・五戒を受けられた日。(正和二年三月)「十八日、戊申、晴る。今日、高野の証道上人(注1)参る。十戒を受く。如円上人(注2)、また参る。五戒を受く。阿闍梨俊幸参る。加持し了りて退出す。」(花園院宸記)(注1)証道上人。実融。高野山金剛三昧院長老・証道方祖。証道上人実融の声望は極めて高く、「寿福智兼備。事相・教相明匠也。於末代希有之仁也。頗大 (弘法大師) 師再来歟」 . . . 本文を読む
今日18日は浅草寺のご本尊示現会です。浅草寺のご本尊の聖観音さまが推古天皇36年(628)3月18日に隅田川で、檜前浜成、竹成兄弟が引く網に示現されたことから、それを祝い、毎年3月18日に行なわれる法要です。貫首様をはじめ一山の住職のお練りと法要が執り行なわれ、また境内西側で「金龍の舞」が奉演され、参拝者に「紅札」が授与されるそうです。 . . . 本文を読む
彼岸会は、『日本後紀』巻13の「大同元年(806)3月辛巳の条」に、「崇道天皇(早良親王)のため諸国の国分寺の僧をして春秋二仲月別七日に、『金剛般若経』を読ましむ」とあるのが初めとされます(注)。猶、高野山では「寛仁四年1020、御影堂において始行、長久五年1044これを金堂に移した。」(真言宗法儀解説)(真言宗法儀解説等)(注)日本後紀卷十三に、「大同元年(806)三月辛巳【十七】》○辛巳。勅。 . . . 本文を読む
今日は法済大師奝然が79歳で遷化された日です。以下ウキぺデアに依ります。奝然(ちょうねん、天慶元年1月24日(938年2月25日) - 長和5年3月16日(1016年4月25日))は、平安時代中期の東大寺の僧。俗姓は秦氏。京都の出身。法済大師。 983年(永観元年)入宋。天台山・五台山を巡礼。太宗から大師号や新印大蔵経等を贈られる。インドの優填王(うでんおう)が造立の釈迦如来立像を模刻し、胎内にそ . . . 本文を読む
今日は慧可遷化の日です。以下ウキぺデア等に依ります。慧可(太和11年(487年) - 開皇13年3月16日(593年4月22日))は、中国南北朝時代の僧。中国禅宗第二祖。諡号は大祖禅師。河南虎牢の人。嵩山少林寺で達磨に入門をもとめ,一夕雪の中に立ちつづけ,臂を断って決意を示した慧可断臂の話は画材にもなっている。また達磨に安心の法を問うと,達磨が不安の心をみせよと答えたことで,慧可が頓悟した話,達磨 . . . 本文を読む
今日は法華会(注1)が東大寺で勅会となった初めての日です。「法華会縁起」です「去る天平十八年春三月十六日を以て公家に奏聞して初めて件の会(法華会)を修す。爾より以降毎年の間、諸寺の高徳を請ひ、妙法玄宗の講演す。‥しかるに本願上綱(東大寺・良弁(注2)の御意を伝へ聞けば、紅桜開敷の春は妙法華を講じて、種智の果を期し、黄葉飛散の秋は無辺佛土を示して常楽の道を訪ふ。」(注1、法華会とは法華経を講讃する法 . . . 本文を読む
奝然は東大寺三論宗の僧。法済大師。長和五年丙辰1016三月十六日示寂。79歳
東大寺観理に三論を、石山の元杲に真言を学び、983年(永観元年)入宋。天台山、五台山を巡礼。太宗から法済大師号や新印大蔵経などを賜って日本へ帰途、途中でインドの優填王(うでんおう)が造立の釈迦如来立像を模刻し、胎内にその由来記などを納めて、986年(寛和2年)に帰国。翌987年(寛和3年)、請来した釈迦像は . . . 本文を読む