土曜日は葛生という栃木県の町にOPELで行った。
先週の3連休は大渋滞で途中で戻ることになったのだ。
葛生は東武佐野線の終点で、昔は貨物が中心の魔界とも言われた鉱山地帯だ。
秩父や足尾のような場所である。
葛生駅の広大なヤードにはたくさんの鉱石を積んだ貨車が並んでいた。
東武の奥地まで貨物線を持っていたし、そこから先には専用鉄道が伸びていた。
町のあちこちにナローの貨物用トロッコがあったし、住友セメントは立派なナローを
数分おきに走らせていた。
日鉄羽鶴はあまりにも有名なSLを運行していた。
工場の上部には人間が押すようなトロッコがあったし、
インクラインも見受けられた。
その頃に撮ったたくさんの写真はネガごと、見失ってしまったが、
記憶にはちゃんと残っている。
しかしあの写真たちはどこに消えてしまったんだろう?
最初に葛生に東武電車で行ったのは中学校3年生。
受験前でも構わずに訪問していた。
高校に入ってからは、暇を見ては訪問していて、
自由研究まで葛生に関することだった。
大学に入ると、音楽サークルに入ったものの、並行して鉄道研究会にも入り、
鉱山班に所属した。
結婚してからも女房と葛生に行った。
人生の中で葛生が占める時間はかなりのものだ。
日鉄の職員も顔を覚えていたのか、時代なのか、採石場や工場へ入ることはまったくOKだったし、
片道数キロの採石場まで行った時は、そこから機関車の運転席に乗せてもらって、
葛生駅の近くまで送ってもらった。
良い時代だった。
運転席からの写真もどこかにいってしまったが、あの振動や音は忘れられない。
葛生から鍋山に山を越えて行った時は、子熊に出会って焦ったこともある。
付近の山にはクマが出たのだ。
いつの間にか鉱山からの運搬はダンプに変わって、東武も貨物列車を廃止してしまった。
奇跡的に残っていた写真をまずは載せておこう。
PCに残っていた中高生の頃の写真。
こんなナローが何か所かにあった、まさしく魔境だ。
中高生の頃に撮ったので、恐らくオリンパスOM-1