


阪神高速の真下にある高架駅ですが、西口しかありません。唯一撮影できるポイントは、ご覧の通り立ち話が続いており終わる気配はないですが、無理矢理撮影


ミニストップで缶コーヒーを2本買った後、15時21分発の2473S(201系ND606編成)で放出に帰還しました。今度こそは途中下車しました。

駅に戻ると、発車表示が1列車分ずつ遅れるというトラブルに見舞われ、15時54分発の4537B(321系D15編成)で尼崎方面に向かうことに。

15時56分に鴫野に到着です。ひさびさに「日常」の駅に降り立ち、スタンプは余裕で押せました。少し古めかしい、単通路の高架下の駅で、トイレは超コンパクトにまとめられています。ホームは対面式です。地下鉄今里筋線との乗換駅です。尚、スタンプの表題は、「大坂冬の陣 古戦場の駅」です。
放出で1列車分だけ遅れてしまったので駅構内調査のみに済ませ、16時12分発の4539B(207系S52編成+T4編成)でJR東西線を走破して尼崎に帰還しました。13分の乗り継ぎで、同駅16時46発の高槻まで快速の798Tに乗車して、上淀川橋梁を越えました。221系B8編成のみで車内は激パでしたが、大阪で客が入れ替わり、何とかボックス席の窓側を確保しました。(実はこれを狙ってたのさ)

17時18分に、開業初日の島本に到着です。山々をモチーフにした橋上駅舎です。島本町に初めてJRの駅が出来たということで、地元はお祭り状態で、自由通路には地元民の写真展がありました。スタンプの表題は、「名水百選 離宮の水のまちの駅」です。

駅近くには史跡・桜井駅跡があります。(これを狙って島本駅が立地されたともいえます)京都から西国につながる道の宿駅の1つです。延期元年(1336)足利尊氏の大軍を迎え撃つために京都を発った楠木正成が、この宿駅で長子の正行に遺訓を残して河内に引き返されたことが太平記に記されています。このため、桜井駅は「父子訣別の所」とされています。

西口に出てみました。現在のところは田んぼや畑が多くて長閑な雰囲気ですが、数年後には何らかの変化があるかもしれません。
日暮れが近くなり、再び改札をくぐります。島本駅のホームは内側線のみの島式1面です。入線メロディーに小林亜星作曲の「人間みな兄弟~夜が来る」が使われるということで、上下線の入線音を録音

録音が終了し、17時56分発の813Tにて撤収しました。翌16日は、伊丹から日航機で新潟に帰っただけなので割愛します。おおさか東線が新大阪まで開通したら、是非やりたいです。
おおさか東線全駅下車 おわり