湯沢から17分の乗車で県境の駅・院内に到着しました。
院内銀山異人館と併設する委託駅です。この駅止まりの列車も存在し、構内は2面3線です。昭和63年2月に旧駅舎が焼失し、平成元年3月に現在の駅舎になりました。
たった42分の滞在にもかかわらず、院内銀山異人館を観光します。最初の20分間はビデオをみて展示ゾーンに上がりましたが、如何せん慌しい観光となりましたが、とても勉強になりました。院内銀山は1606年に発見され、以降佐竹藩の直営となりました。いくばくかの盛衰を経た後、1833年から10年間は、年間産出量が1000貫を超えて「天下の盛り山」とよばれました。明治4年に官営となり、ドイツ人技師などを招聘して近代化が推し進められました。しかし、銀貨の崩落や鉱脈の掘り尽くし等によって次第に衰退し、1954年には完全閉山となりました。
15時10分発の2447M(701系N38編成)で三関に下りました。
昭和5年6月の開業時からの木造駅舎を保っています。委託駅です。ホームは2面ありますが、交換設備が廃止され、駅舎とは反対側のレールは剥がされています。1997年のお盆に、特急こまくさ号に乗車した後、奥羽線の新庄以北に初めて踏み入れた際、この駅で交換待ちを経験したことを覚えています。山形新幹線新庄延伸後に本数が減り、行き違い設備が廃止されたものと思われます。因みに、「三関」の由来は、「関口」「上関」「下関」の3つの「関」の総称です。
三関に降り立ってたったの18分で、15時40分発の444M(701系N26編成)で本日最後の下車駅・横堀へ。
昭和34年7月築のコンクリート駅舎で、委託駅(営業時間は6:40~19:20)です。構内は2面3線です。秋の宮温泉の玄関口で、かつては特急こまくさの停車駅でした。
横堀駅は、旧雄勝町の中心駅で、駅前にはちょっとした商店街が形成されています。師走の日の入りは早く、16時19分発の2446M(701系N37編成)に乗車する頃には、外はすっかり暗くなりました。
17時11分に新庄に到着し、急行食堂で地獄ラーメンで夕食です。 地獄ラーメンは予想以上に辛く、口の中がになりました。18時23分発の陸羽西線167D(キハ110-239+キハ110-244)に乗車して、5時間半かけて新津に帰ります。余目で羽越本線230D(キハ110-224+キハ110-215+キハ110-223)に乗り継ぎました。
4ヶ月前と同様に、鶴岡に途中下車しました。駅前に出てみると、周囲は居酒屋ばかりで、マリカに通ずる道はスケートボードの音が響くばかりで、シャッターが既に下りていました。店名を表す看板がそのままで、何か変なものを感じ、「いなほ9号」の下車客の1人に声をかけました。マリカが7月末をもって完全閉店したというのがオチでした。湯沢に続き、鶴岡でも駅前の衰退ぶりを見てしまい、地方都市の駅前の沈滞化を強く認識させられました。
20時15分発の832D(キハ47 189+キハ47 1518+キハ40 586)で新潟県に入り、村上にて952M(115系N25編成+N13編成)に乗り継いで新潟に出ましたが、新発田あたりからは忘年会帰りの雰囲気に。新潟からの2556M(115系N21編成)は、あの時以上に激パし、酔客多数でした。こんな時こそ「ムーンライトえちご」に乗りたかった…。ま、いいか。
おわり
参考サイト 秋田各駅停車の旅
朝5時10分に起床。朝食をとった後、暗い夜道を自転車で新津駅へ。「青春18」に最初の日付印を入れ、6時15分発の823D(キハ110-215+キハ110-223)に乗車して羽越線を北上します。「いなほ」運用を眺めるため、定番の海側ではなく山側に陣取りました。村上以北の海岸や庄内平野には雪は無かったです。
極めて順調に進み、定刻9時13分に余目に到着。9時21分発の陸羽西線154D(キハ110-240+キハ110-238)に乗り継ぎました。最上川に面する場所は取れませんでしたが、いずれ訪問する予定の駅を眺めながら進みます。
新庄に着く前に、津谷にて途中下車。交換設備が取り払われた島式ホームから離れたところに、大正3年築の木造駅舎がありました。どうやら無人駅のようです。
津谷では45分の滞在です。津谷神社を訪問して旅の安全を祈願しました。上には雪が少しありました。
新庄には10時38分に到着しました。E3系と400系の並びが見れそうだったので狙ってみました。この並びが見れるのも、あと1年ちょっとです。
11時23分発の奥羽本線2441M(701系N19編成)に乗車し、いよいよ奥羽線駅巡りの開始です。これから雪国に入りますが、雪が舞っていたのは雄勝峠だけで、山を降りると雪は全くありません。
12時36分に下湯沢に到着です。昭和31年9月築の、田沢湖線全駅下車の帰りに訪問した上湯沢と同タイプの駅舎ですが、委託駅(営業時間は7:00~16:45)です。交換可能駅で、上下ホームは互い違いです。訪問時は、㈱ジェイアールアトリスの社員が休憩していました。
小雨の降る駅前を少し散策し、13時12分発の440M(701系N2編成)に乗車しました。
13時17分に終点・湯沢に到着です。配線は2面3線です。昭和11年3月築の木造駅舎ですが、近く改築が予定されています。
湯沢では54分の滞在。例によって町歩きしますが、駅前の衰退は相当激しく、潰れたデパートが2軒もありました。大型スーパーがきっと車でしか行けないような所にあるでしょう。日本の地方都市にありがちな現象です。
市民プラザを訪問し、2Fで展示されていた絵灯篭に見入っていました。尚、絵どうろう祭りは8月の上旬に開催されます。
帰りに湯沢の地酒として両関と美酒爛漫を入手し、14時11分発の2442M(701系N36編成)に乗車しました。
つづく
えちごワンデーきっぷで入鋏し、新津6時15分発の823D(キハ110-213+キハ110-206)で出発です。天気はで行楽にはもってこいです。坂町で国鉄色のキハ58(1128D)に乗り換えて米坂線を走破しました。小国で範囲が終わるため、今泉までの往復切符を買って1128Dに乗り続けました。
今泉でも長時間の停車。小さな旅ホリデーパスを買って、米沢まで走破しました。坂町から米沢まで3時間近くかかったので、国道113号の方が早いような気がします。
米沢から「つばさ105号」(400系L4編成)に乗り換え。自由席で行きましたが、禁煙車が一杯だったので、喫煙車に座りました。それでも赤湯で大分空いてきたので、「牛肉どまんなか」で昼食にしました。
山形には11時ちょうどの到着。奥羽線の駅を巡る前に、奥新川駅を訪問します。11時20分発の3840M(719系H42編成+H21編成+H20編成)に乗車して、一旦県境を越えました。
11時58分に奥新川に到着しました。駅前には商店1軒だけで、「秘境駅に行こう!」に取り上げられるレベルの無人駅です。ホームは対面式です。
2時間弱の滞在時間があるので、奥新川ライン沿いにミニハイキングです。 30分くらい歩いたところで清水滝を発見しました。
散策を終えて駅に戻ると、多数の老若男女が集まっていました。どこかで芋煮会でもあったんでしょうか。1番ホームが一杯になる中、13時55分発の3844Mで作並まで行きますが、719系H12編成+H40編成の車内は当然激パです。
14時2分に作並に到着です。温泉街の玄関口としては小ぶりな駅舎です。配線は2面3線で、跨線橋はありません。
19分の滞在で、827M(719系H26編成+H24編成)で山形に引き返します。発メロを録音した後、15時30分発の1441M(701系Z8編成)に乗車し、山形線駅巡りが始まりました。
15時38分に漆山に到着です。2番線が1線スルーの対面式ホームをもっています。無人駅ですが、明治35年築の駅舎が未だに現役です。
16時19分発の1442M(719系Y3編成)に乗車し、1駅戻って南出羽に下車します。
片面ホームのみの無人駅ですが、平成15年に待合室やトイレがある上屋が建てられました。山形県立中央病院や健康の森に隣接しています。
16時33分発の1443M(701系Z4編成+Z7編成+Z2編成)で高擶へ。
日没に差し掛かった16時44分に高擶に到着です。片面ホームと待合室(平成11年築)のみの無人駅で、ホームは狭いです。
高擶駅は、近くに羽陽学園短大があるせいか学生が多く、列車の時間が近づくと狭いホームは一杯になります。外はすっかり暗くなり、急激に寒りました。17時14分発の1444M(701系Z6編成+Z9編成)で高擶を後にすると、444M(719系Y4編成+Y10編成)、快速べにばな2号(キハ47 521+キハ52 123)、信越本線2550M(115系L8編成)と乗り継いで新津に帰りました。
おわり
九産大前から161Mに乗車して5分、千早に降り立ちました。駅員に切符を見せて改札を出た時点で鹿児島線全駅下車達成。
平成15年7月7日に、香椎操車場の跡を利用して、香椎副都心へのアクセス駅として新設されました。高架駅で2面4線+貨物用側線です。階下はスーパーやコンビニなどが揃っています。背後にあるNTTドコモ九州のビルが目立っています。
西口に出てみます。平成16年8月に、西鉄名香野駅が移転し、JR鹿児島本線との接続駅として設けられたものです。
鹿児島線全駅下車達成の余韻に浸りたいところですが、傘が全く役に立たないくらい雨風が激しく、周辺散策をする気は起きず、早々に改札内に「避難」しました。ほどなくやって来た、14時20分発の普通2157M(811系P16編成+813系R236編成)の車内に収まりました。全駅下車は達成しても、駅巡りは続きます。
先行の快速列車の遅延により、2分遅れの14時28分に吉塚に到着です。2001年師走に訪問していますが、2004年11月に高架駅となったので再訪しました。駅前広場は舗装工事中です。
吉塚に降り立つと、すっかり雨風は収まり、となりました。付近のサニーで買い物しました。駅周辺も以前訪問した時とは変わったような気がしました。
駅内に入ると、飲食店やコンビニなどが多数入居し、千早以上に豪華な駅となっています。改札内に入り、甘党屋で買った鯛焼きで軽く打ち上げ。構内は、2面3線(鹿児島線)+島式1面(福北ゆたか線)ですが、車庫から出入りする編成も行き交っていました。15時4分発の快速4349M(813系R216編成+R226編成)で発ちました。
15時6分に博多に到着です。改札を出る前に783系CM4編成を撮影します。九州新幹線全通後には運用を離脱しているかも知れません。
自動改札では出場できず、女性駅員の助けを借りて、鹿児島線駅巡りを終了しました。博多口は、2010年度末の九州新幹線全通に向けて大変身を遂げているところです。井筒屋はもちろん解体済です。
自由通路を通って、筑紫口に出てみました。脇には、「エキサイド博多」という大きなビルがありますが、駅舎撮影後、15時36分発の648C(103系E08編成)でとうとう福岡空港へ。
予約時に座席を指定し、2次元バーコードをも取得しておいたので、搭乗手続きは不要で、いきなり手荷物検査に入れました。ANA323便は、中部国際空港からの便が遅れた関係で、ドアオープンが17時に変更に。17時6分頃にプッシュバックが始まり、5分後には福岡空港を離陸しました。 ジェット気流に乗ってしまえば早いもので、18時25分過ぎには新潟空港に着陸しました。
新潟駅からは、快速くびき野6号(485系T17編成)で。新津駅に帰還したのは、20時10分でした。
以上をもちまして、鹿児島線駅巡りはとりあえず終了です。しかし、博多、久留米、木葉、崇城大学前、宇土、串木野など、何時か再訪せねばならない駅が存在するし、早くとも来年度には、そのタイトル自体を返上ということになりそうです。鹿児島線駅巡りに終わりはありません。
最後までお読み下さいましてありがとうございます。
完?!
平成3年9月26日に開業した駅で、ホームは対面式です。1つの跨線橋に改札、窓口、トイレ、自由通路が集約されており、駅舎は存在しません。完全に福岡のベットタウンで、周辺は集合住宅が多いです。少し歩けば、千鳥ヶ池公園があります。
折角なので、上下線の入線音を録音していきます。福岡地区標準タイプでしたが、列車時間までお知らせします。それなりの収穫があったところで、11時26分発の153M(813系R232編成)で古賀に進みました。
11時29分に古賀に到着です。平成元年改築の橋上駅舎で、待合室の中にトイレがある面白い駅です。構内は2面4線で、側線が数本あります。
古賀駅周辺は、古賀市の中心部ということでそれなりに栄えており、近くにスーパーもあります。しかし、お昼にはまだ早いということもあり、駅舎内のコミュニティーセンターで写真展を見て、11時56分発の2149M(813系R230編成)に乗車し、いよいよ福岡市突入です。
12時ちょうどに筑前新宮に到着です。再びが本降りになってしまいました。国道沿いに出て、とあるラーメン屋で玄海味噌ラーメンを食します。さすがに福岡らしく、「替え玉はありませんので、あらかじめ大盛、特盛でご注文ください」と表記してありました。
食事を終えて、駅に戻ります。平成15年3月改築の、いわば駅ビルといっていいくらいの橋上駅舎です。1Fにはampm、薬局、歯医者が、2Fにはヘアサロンや整体院が入居しています。2F以上は「コミセンわじろ」になっています。窓口、改札は2Fにあります。構内は2面4線で、緩急接続も行なわれます。
自由通路を抜けると、福岡工業大学やその付属高校に抜けました。自動改札が2方向あり、駅前に若者の姿が多いのはこのためでしょう。尚、筑前新宮駅は、来るダイヤ改正(2008年3月15日)に「福工大前駅」に変更されます。
12時59分発の2153M(811系P110編成+813系R230編成)で九産大前に進みました。13時3分に到着しましたが、「新津二日市」の片道乗車券は、自動改札を通れなくなりました。博多までずっとです。いよいよ鹿児島線全駅下車達成まであと1駅です。
九州産業大学が総工費の半分を出して、平成元年に開業させた駅です。国道沿いにあるため、コンパクトな橋上駅舎となっており、対面式ホームをもつ駅です。下りホームには、平日の日中帯のみ開かれる改札口が存在します。尚、今年(2008年)1月からは、大学口でバリアフリー工事が行なわれています。
鹿児島線の踏切を渡り、さらに香椎線の踏切を渡ると、九州産業大学があります。ちょうど入試が行なわれている時間帯で、人はまばらでした。
あまりにもが激しいので周辺散策を早々に切り上げ、上下線の入線音を録音していきます。その後、13時40分発の161M(813系R234編成+R211編成)に乗車しました。2004年師走に下車した香椎をスルーして、千早を目指しました。
つづく
黒崎8時16分発の快速3387M(811系P107編成+813系R222編成)で出発です。この時は晴れていたんですが…。
8時32分に赤間に到着です。昭和57年改築の橋上駅舎で、下にスナックが入っています。
赤間駅は、宗像市の代表駅ではないものの事実上の中心駅で、特急停車駅となっており、構内は2面4線です。駅前にはステーションホテルも存在します。(初めから分かっていれば予約したのに…)
南口は、バリアフリー工事の関連で平成16年に改築され、全面ガラス張りになっています。周辺には商業施設が多いようで、実質的な表口です。
8時57分発の1185M(813系R216編成+R226編成)で東郷に進みました。
昭和54年改築の橋上駅舎です。福岡近郊では唯一、中線が取り払われた2面2線の駅です。
手持ちのMDの容量がやばくなったので、コンビニを探しに自由通路を渡っていき、日の里口に出ます。周辺は閑静な住宅街で、大きな団地もあるようです。やっとのことでデイリーを見つけましたが、MDは売っておらず、代わりに缶コーヒーを買って戻りました。
9時39分発の1389M(813系R1002編成+R1102編成)で東郷を後にしました。わずか3分の乗車で東福間に到着です。昭和53年10月2日に開業した、対面式ホームの橋上駅です。
の入り口は、改札と同じ高さにある南口です。駅前は若木台団地につながっており、周辺は新しい住宅が多いです。
新興住宅地という土地柄、長時間の散策は慎むべきということで、自由通路を渡って表口に出てみました。南口とは標高が違い、段丘崖に鹿児島線が通じているかのようです。駅舎自体の改築はないですが、バリアフリー設備は後年設けられており、エレベーターマークが異様に目立っています。大きな道路を渡ると東福間団地が広がっています。
上下線の入線音を録音し、10時13分発の1189M(811系P104編成+P10編成)で福間に向かいました。
福津市の代表駅で、大きな木造駅舎を有します。鹿児島線開業当時からの駅で、この駅を発着する列車も存在することから、3面5線の構内となっています。この日巡った駅のうち、唯一の地上駅舎でした。
の木造駅舎に入居しているampmにて何とかMDの入手を果たしました。最近は、信越線の車内でもipodを使用している者が多くなり、MDウォークマンは一気に少数派になってしまい、MDの入手が難しくなったなと感じます。それにしても、鹿児島線沿線は、ampmが多いですね。
10時49分発の2143M(813系R233編成+R215編成)にて福間を発ち、いよいよ古賀市に入りました。
つづく
昭和36年10月開業の駅で、対面式ホームを有します。この駅舎は開業時からのものですが、後年、開かずの踏切対策として南側にも駅舎が設けられています。水巻町は、日本の稲作の発祥の地だそうです。
水巻では27分の滞在。北九州市のベットタウンということで相変わらず住宅が多いですが、北九州市内とは異なり水田も畑もあって、どことなく長閑な感じがしました。
ホームに上がると、梅の花が咲いていました。やはり九州は暖かいですね。15時45分発の173M(813系R218編成+R9編成)に乗車し、遠賀川を渡りました。
15時48分に遠賀川に到着です。構内は2面3線で、かつて室木線が分岐していたことから3番線が副本線となっています。昭和22年築の木造駅舎を有する駅で、橋上駅や高架駅ばかり巡ってきた私にとっては、一息つける駅でした。また、鯛焼き屋さんが併設する駅で、それ目当ての客も出入りします。
33分後の4357M(811系P101編成)にて海老津に向かいました。
昭和63年改築の地上駅舎です。配線は2面3線です。丘陵地に位置する駅ですが、岡垣町の中心駅ということで、バスに乗り換えていく客が多いです。トランドールも併設されています。
海老津では30分の滞在。駅前のショーケースでは、改築前の海老津駅舎やC59などの写真などが飾られていて、とても興味深かったです。16時56分発の2349M(811系P17編成+813系R208編成)にて城山トンネルを抜けました。
17時1分に教育大前に到着。昭和63年開業で、対面式ホームを有する掘割式の橋上駅舎です。福岡教育大までは300mです。
教育大前に下車すると、が本降りになってしまいました。福岡教育大には入らず、赤間宿跡をそぞろ歩きしますが、傘を差さずにはいられません。周辺は当然ながら、新潟大学周辺と同じような雰囲気が漂います。
デイリーで缶コーヒーや宗像の地酒・楢の露を購入したので、赤間には行かず、360円を支払って、17時44分発の174M(811系P11編成+P105編成)で黒崎に戻りました。この日は、西鉄イン黒崎駅前に一泊です。
つづく
12時11分に枝光に到着です。ホームは対面式。複々線化の際、博多方に300m移転し、昭和41年9月改築された、古いタイプの高架下の駅で、バリアフリー設備はありません。通路を抜けると駐車場になっています。
枝光では40分の滞在時間を取っているので、スペースワールド方面にそぞろ歩き。すると、レギュラーがリッター140円のスタンドを発見しました。私の地元で最も安い所で144円(プリカ使用時)なので、これにはびっくりしました。
12時40分頃にホームに上がりましたが、時間が経つにつれて高校生が増えてきました。結構やばい感じです。12時51分発の4641Mは817系V1103編成のみで、車内は当然激パです。
2分ほどの乗車でスペースワールドに降り立ちます。構内は島式ホームが2面あり、上下其々退避できます。
外から見たスペースワールド駅。周辺は、スペースワールドの他、大きな商業施設などがいくつかあります。
下車時間を利用して、東田第一高炉跡を訪問します。日清戦争の賠償金を活用して官営八幡製鉄所がつくられ、1901年に東田第一高炉の火入れ式が行なわれたことにより、わが国の産業の歴史が始まりました。この高炉は延べ10回もの改修を重ね、昭和37年に超高圧高炉となりましたが、昭和47年に早くもその役目を終えています。尚、この光景は、博多方面の列車に乗車した際、スペースワールドを出てすぐに左側の車窓に見えます。
34分の下車時間のみでの観光は少し厳しかったが、4347M(811系P11編成+P13編成)で八幡に進みました。
13時30分に八幡に到着。構内は2面4線です。部分開業とはいえ、昨年(2006年)11月にこの駅ビルが完成しているので、訪問した甲斐がありました。店舗と駅の機能は1階のみで、2階以上はパーク&ライドです。
13時55分発の4645H(817系V1104編成)で陣原に進みました。
東折尾貨物駅の跡地を利用して、平成12年11月21日に開業した橋上駅舎です。構内は3面5線で、1、2番線は筑豊線の列車、4、5番線は鹿児島線の列車が使用し、3番線は通常使用されません。
行く前から懸念していましたが、遂にが降り出しました。陣原では37分あるので、少し散策します。駅南には各種商業施設があります。一方、自由通路を北側に抜ければ北九州工業地帯の一角になっており、北九州市皇后崎浄化センター(撮影不能)もあります。
14時39分発の169M(813系R227編成+R223編成)に乗車し折尾へ。折尾駅1番線に降り立つと、待合室に折尾駅の写真が飾られていたので、しばし見とれてから改札を出ました。
2001年師走に訪問したことがありますが、大正6年築の駅舎が今も残っていて感激しました。JR九州5位の乗降者数を誇る駅です。駅弁立ち売りの姿も見えて、鉄道全盛期を偲ばせる光景でした。平成31年に筑豊線(短絡線)が高架化して直結する計画となっていますが、その時まで残っていて欲しいです。
折尾では33分の滞在。折角なので、筑豊線の短絡線上に位置する鷹見口まで行ってみますが、既にバリケードが築かれ撮影不能でした。
15時15分発の4353M(811系P16編成)に乗車すると、ようやく北九州市から脱出しました。
つづく
博多までの往路には、新津発二日市ゆきの乗車券と、新津から京都までの急行券、のぞみ59号の指定券を使用しました。福岡市内にしなかったのは、福岡市内の駅に複数足を記したからです。
新津23時10分発の急行きたぐに号(583系B05編成)で旅立ちます。今回は、費用節約の観点から自由席にしました。空きボックスが無かったので、長岡まで帰るOLの所にお邪魔しました。遅くまでお仕事お疲れ様です。
長岡で私のボックスに直江津まで帰る別のOLが座ってきました。しかし、柏崎駅付近での信号トラブルの影響がまだ続いていて、急行きたぐに号も抑止を食らいました。結局、長岡駅を発車したのは、19分遅れの0時12分でした。
リクライニング出来ないシートで余り眠れなかったせいか、京都でスムーズに降りることが出来ました。余裕のあるダイヤだったのか、京都着は定刻6時16分でした。
京都からは「のぞみ59号」(700系B3編成)に乗り継いで、一気に小倉まで飛びました。小倉到着は9時24分でした。
小倉到着後、200円の片道乗車券を買い、9時38分発の1182M(813系R9編成+R213編成)にて門司まで1駅戻りました。
門司駅は、2004年3月に右の橋上駅舎が使用開始され、2005年9月に「フレスタ門司」という複合商業施設が左半分に増設されました。尚、構内は、3面6線あります。
自由通路を通って北口に出てみました。
門司にはレンガ造りの建物が多く残っており、駅から歩いて数分の所に麦酒煉瓦館があります。残念なことに、旅の特性上、じっくり観光する時間は無く、10時13分発の153M(813系R233編成)で西小倉へ向かいました。
西小倉駅には初代駅舎時代の2001年師走に訪問したことがありますが、2003年3月に橋上駅舎に改築されてからは初の訪問です。小倉城(オリジナル)をモチーフにしたものだそうです。3面5線の構内で、日豊線が1~3番線を、鹿児島線が4、5番線を使用しています。駅前にはJR九州北部地域本社やJR貨物九州支社などが入居しているビルがあります。
10時42分発の4633H(817系V1102編成)で九州工大前に進みました。
昭和45年に開業した、九州で最初の橋上駅舎で、バリアフリーはありません。島式1面のホームの傍らを貨物線が並行しています。自由通路の北に行くと高速道路を跨ぎ、工業地帯に出ます。当然ながら、駅の南側はアパートが多いです。
11時4分発の155M(813系R224編成+811系P9編成)で戸畑に進みました。
平成11年に博多寄りに120m移転して改築された、船をモチーフにしている高架駅です。ホームは島式1面です。旧駅舎のあったところは多目的ホールになり、駅前には大型商業施設が開業し、賑やかになりました。
駅前のSATYの中の天狗で博多ラーメンを食べ、12時9分発の159M(813系R303編成+R204編成)で枝光に進みました。
つづく