クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

寝台特急日本海乗り納めの旅(その12)

2012-01-30 23:13:46 | 奥羽本線


奥羽本線1649Mは、10時37分に井川さくら駅に到着。複線間にある、対面式ホーム2面2線の構内です。



ホームを下りました。下りホームにはコンパクトな待合室があります。入口には乗車駅証明書発行機があります。ここは正面口なわけないですよね。



西側に視点を変えて。駅前は新興住宅地となっています。



その駅前公園には「愛」というモニュメント(秋田公立工芸大  1997年6月)があります。甘えたい盛りの子供とお母さんのイメージでしょうか。



正面口に行こうと地下道をくぐります。その壁面には地元の四季の風物詩などが描かれており、見ているだけで楽しかったです。



地下道をくぐった先は、1番ホームの階下。こちらが正駅舎です。委託ながらも駅員が配置されており、乗車券・指定券も販売しています。駅スタンプは勿論、桜の形です。



それでは駅舎撮影。平成7年12月1日の開業以来の、大小2つの円柱からなる駅舎です。右側の駅舎の奥にさっき登場した窓口があり、通路を挟んでトイレがあります。



左側の円柱は、「古城和子の図書コーナー」となっています。広い待合室でもあり、長時間列車を待っていても退屈しないでしょう。この駅舎の建設には地元民の資金で賄われており、寄付金は32,464,065円だったそうです。



では、駅前広場にあるモニュメントを。こちらは、「大地のおくりもの~さくらの和」(牛尾啓三 2004年)です。宇宙人のイメージでしょうか。



駅前にはR7が通り、郊外型店舗などが多く立ち並び賑やかです。向かいにあるローソンで太平山などを購入しました。


そのローソンで購入した竜田揚げを食べて休憩しているうちに、駅には人が集まってきました。11時20分発の1646M(701系N101編成)に乗車しましたが、これから「こまち」で首都圏に出ようとする方々などで大混雑でした。



秋田到着後、新宿さぼてんで三元豚ロースカツ弁当を購入し、12時12分発の羽越本線540M(701系N105編成)に乗り継ぎました。当然ながらロングシートの車内でしたが、岩城みなとを出てから昼食タイム。この写真は南鳥海駅付近ですが、鳥海山を見るとこの旅がもう終わるのだなと呆気なく感じました。



13時55分に酒田駅3番線に到着。この701系N105編成は仙台からの転属車で、「F2-105」の表記もありました。



14時26分発の828D(キハ47 1516+キハ40 502+キハ40 586)に乗車し、新津に帰還します。小波渡~五十川では防風柵設置工事が進められていました。桑川で長時間停車があったので上の写真を撮影しましたが、この日(2011年8月21日)は24時間テレビの放送日で、そのスタッフが集結していました。


 18時29分に新津駅に到着し、この旅は終わりました。秋雨前線の影響で直前まで羽越本線の村上以北が運転見合わせでしたが、「日本海」が所定通りに運転され、奥羽本線の秋田以北の駅巡りが出来ました。気がつくと、奥羽本線全駅下車達成まであと5駅となりました。「青春18」を使った日帰り旅行をもう1回やれば達成できる見込みです。
 ところで、皆様も御存知の通り、寝台特急日本海は3月16日を以って臨時列車化されます。先日発表されたプレリリースによると、寝台特急日本海のGW期間中の運転はたったの4日間で、しかも24系客車B寝台6両だけのみすぼらしい編成となります。下り列車で見ると、大阪発が20時38分ですが、青森着が12時42分でとても使えそうにありません。「日本海」はもう長くないのが明らかなので、この機会に青森まで乗っておいて正解でした。


最後までお読みいただきありがとうございます


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寝台特急日本海乗り納めの旅(その11)

2012-01-28 00:13:06 | 奥羽本線


奥羽本線2629Mは、10時4分に羽後飯塚駅に到着。貨物列車に被られましたが、2面3線の構内を有します。ここから大館方は複線となります。



駅舎に入ろうと跨線橋を渡ります。一見すると、綺麗で明るいです。しかし、ベニヤ板を剥がすと痛々しいそうで、張り紙にもその旨が書かれていました。



改札を抜けて駅舎の中へ。委託ながらも駅員が配置されており、窓口営業時間は7:00~18:00です。それ以外の時間帯は乗車駅証明書発行機での対応となります。待合室が大久保駅ほど広くないですが、12人ほど座れます。



それでは駅舎撮影。昭和2年11月築の木造駅舎が健在です。トイレは別棟で、昭和58年6月の築です。



折角なので周辺散策。でも、その前に駅站開設頌功碑を紹介します。昭和2年11月の開業時からのものなので、随分と年季が入っています。



いよいよ歩き出します。駅前は、私が子供の頃にタイムスリップしたような家並みで、右手には農業倉庫のようなものがあります。



南方に歩くと、農業倉庫が林立しています。いずれも三角屋根ですが、年季が入っているのもあれば新しいのもあります。規模からして、あきたこまちの集積地なのでしょう。



幹線道路に出ると、駅東方150mに太平山酒造があります。正式な社名は㈱小玉醸造ですが。土産にはしましたが、自分でも飲みたくなってきました。今度秋田に行ったら買いたいな。



駅に戻って、出発の時間となりました。でもその前に、跨線橋の上から駅裏の様子を眺めます。サルスベリの向こうには黄緑色の水田地帯が広がっていました。ここは八郎潟干拓地で、その向こうは八郎潟です。が真冬にずれ込んでスミマセン。


10時34分発の1649M(701系N19編成)に乗車し、この旅最後の下車駅へ向かいました。この1649Mは、同区間の数少ないワンマン列車です。


つづく


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寝台特急日本海乗り納めの旅(その10)

2012-01-25 00:10:25 | 奥羽本線

二ツ井駅から8時34分発の3640M(701系N11編成)に乗車して秋田方面に戻ります。



9時22分に大久保駅に到着。交換可能駅で、2面2線の構内です。



それでは駅舎撮影。昔ながらの木造駅舎のつくりですが、昭和11年1月の築です



ファサードの部分を拡大します。門構えが丸みを帯びています。木造駅舎らしい壁面です。丸ポストであれば最高なんですが、世の中そうは上手くいかないものです。



駅舎に入ります。委託ながらも駅員が配置されており、窓口営業時間は7:00~18:00です。それ以外の時間帯は、乗車駅証明書発行機での対応となります。手前側に待合スペースとトイレがありますが、内部は大変広いです。荷物扱所も残り、昔ながらのつくりです。天井もいいですね。尚、駅スタンプには八郎まつりが描かれています。



それでは周辺散策。駅向かいには蕎麦屋があります。駅前は閑静な住宅地ですが、少し歩くと幹線道路に突き当たり、商店街に出ました。



駅を出て3分、潟上市役所昭和庁舎に着きました。旧昭和町役場といったところですが、少しだけ秋田杉のイメージですね。大久保駅は役場に近く利便性の高い駅です。旧昭和町の由来と町章がありましたが、平成の大合併って所詮そんなもの。



一旦駅に戻り北方に行くと、農業倉庫を利用したリサイクルショップがありました。これまでは現役の農業倉庫を多く見ましたが、このような再利用法は初めて見ました。



南方に行くと、広い駅前公園があり噴水もありました。奥羽本線の大久保駅は誠に見所が多い駅です。踏切を渡ると、そこはメディカルタウンとなっていました。



そろそろ出発の時間となりました。跨線橋を渡って2番線に出ると、西側に使われておらずに断ち切られた線路がありました。この大久保駅は、もと2面3線だったのですね。また、駅舎を通らずに入れる西口があったのも大きな発見でした。


10時1分発の2629M(701系N27編成)に乗車し、大館方面に戻りました。


つづく


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寝台特急日本海乗り納めの旅(その9)

2012-01-22 19:00:15 | 奥羽本線

2011年8月21日(日)の朝となりました。この日は、二ツ井駅と秋田付近の数駅を巡ります。
5:55に起床。速攻で身支度を終え、6:12頃にチェックアウト。お握りの朝食にありつけず。6時24分発の奥羽本線1637M(701系N101編成)で出発。席につくと、持参のグラノーラで朝食。歯磨きを終えると、やがて眠気に襲われました



7時38分に二ツ井駅に到着。この駅で折り返したり退避したりする列車は無いですが、2面3線の構内です。



駅舎に入ろうと跨線橋をくぐります。天井にも明かりが取られ、開放的なつくりです。それよりも、木造というのがいいですね。



改札を抜けて駅舎の中へ。委託駅ながら「みどりの窓口」があり、営業時間は6:40~17:35です。それ以外の時間帯は、券売機や乗車駅証明書発行機で対応です。



それでは駅舎撮影。昭和13年8月築の木造駅舎です。トイレは大館方にあります。尚、背景の山々は高丘山です。



それでは周辺散策。まるで数十年前に戻ったかのような町並みが広がっていました。「二ツ井」は「きみまちの里」とPRされています。



幹線道路に出ると、銀行や郊外型店舗などが多数ある賑やかな一帯となりました。地方の町における中心部は、役場などに近い幹線道路沿いなのですね。



1つ秋田寄りの踏切を渡り、とあるカーブでロケハン。すると、寝台特急あけぼの号が入ってきました定時運転で何よりでした。牽引機はEF81 139。背景の山も相俟って、素晴しい絵作りが出来ました。早起きした甲斐がありました。



ロケハン終了後、奥に進みます。山の麓の水田地帯となっていました。収穫までもう少し。踏切を渡ると、長閑な風景が広がります。


件のローソンで小岩井コーヒーを購入し、駅に戻ります。「二ツ井」という地名は、明治9年に「比井野村」と「薄井村」が合併したことに由来します。



出発する前に1番線にあるアイテムを。跨線橋の真下にレンガ造りの危険品庫がありました。財産票は「明治34年8月」で、何と開業直前の遺産です。奥羽本線の主要駅には古き良き時代の鉄道アイテムが見られますね。


つづく


参考サイト   秋田各駅停車の旅


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寝台特急日本海乗り納めの旅(その8)

2012-01-20 00:03:22 | 奥羽本線

先日は失礼しました。奥羽本線駅巡りに戻りましょう。


前回はこちら



17時14分に鶴形駅に到着。駅舎を撮り終えて周辺散策。駅前は小学校があり、古い住宅地となっています。蔵風の建物もあり、どことなくノスタルジーを感じます。



閑静な住宅地ですが、とある路地にて旧羽州街道が通じています。



短い散策を終え、駅に戻りました。地元有志による花壇があり、無人駅だけど愛されている駅なんだなと感じました。


鶴形駅の駅裏には海蔵寺がありますが、今回は散策する時間はなし。17時41分発の677M(701系N5編成)に乗車し、この日最後の下車駅へ。



18時ちょうどに前山駅に到着。2面2線の構内です。これより大館方は、複線から単線に変わります。



それでは駅舎撮影。平成21年7月築の簡易駅舎です。ホームと同レベルに建てられているため、地面から階段を上る形です。トイレはありません。



駅舎内部の様子。無人駅で券売機の類もないですが、ベンチには座布団が敷いてあり、あったかい駅です。傘があるのもGOOD。



それでは周辺散策。駅前広場はただ広いですが、ガスタンクがあるだけです。嘗ては木造駅舎が建っていたに違いありません。直進すればR7に突き当たりますけど、周辺は人家がさほどありません。



踏切を渡った後に堤防を上がり、米代川を眺めます。水の流れをしばらく眺めていると、雄大に気持ちになってきました。



下流側を眺めると、跳ね橋を発見しました。夏の長い一日が終わろうとしています。真冬にしていますが。


駅に戻るとさすがに暗くなり始め、撮影条件が厳しくなってきました。18時35分発の1672M(701系N8編成)に乗車し、秋田に向かいました。これほどまで効率的に奥羽本線の駅巡りが出来たのは夏季だからこそです。



当然ながらロングシートの車内ですが、青森駅で購入した帆立釜めしで夕食にしました。久しぶりに帆立を10個食べました


2分遅れの20時6分に秋田駅に到着。土産物を買い、秋田駅東口の東横インに一泊しました。近くにミスドがあったので、夜食はドーナツ。


つづく


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急行きたぐに(2012.1.14~15)

2012-01-18 00:11:39 | 新潟の鉄道

 奥羽本線駅巡りの途中ですが、ここで急行きたぐに号の最新事情をお伝えします。
 皆様もご存知の通り、急行きたぐに号は、今年3月17日を以って臨時列車化されます。私自身も何時乗り納めになるか分かりません。折角なので、1月14日、15日と連続で「きたぐに」に乗ってきました。乗車区間は、もちろん下りの新津~新潟の快速区間でした。



まずは、1月14日の「きたぐに」から。入線時や車内の写真がないことから、「いなほ1号」との並びから紹介します。両者とも半分雪にまみれています。「いなほ1号」は485系R21編成ですが、昨夏からHMが紙貼りです。



「いなほ1号」が発車し、編成美が姿を現しました。この日の編成は、583系B4編成でした。辛うじて編成番号が見えるくらい、スカートに薄っすらと雪が付着していました。この日も撮影者が多かったものの、詰めが甘かったのか、回送風景は撮り忘れました。



続いて、1月15日の急行きたぐに号。この日は新津到着時からしっかりと撮影しました。583系B5編成で、HMにしっかりと雪が付着していました。



新潟到着後、「いなほ1号」と並びました。この日の「いなほ1号」は、485系R23編成でした。



件のB5編成が姿を現しました。編成番号が見えなくなるくらい、スカートが白くなっていました。臨時列車化まであと2ヶ月ということもあり、6番線だけでなく5番線にも多数の「同業者」。



8時43分頃に新潟車両センターに回送されました。センター試験の日だったこの週末は、いずれも定時運転で助かりました。


「きたぐに」の臨時列車まであと2ヶ月となりました。新津からの快速区間の車内には、用務客のみならず、お名残乗車もちらほら出始めています。私も出来る限り、新津~新潟間でもお名残乗車するつもりです。臨時列車になっても、是非とも「きたぐに」に乗りましょう。


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寝台特急日本海乗り納めの旅(その7)

2012-01-16 00:06:17 | 奥羽本線


奥羽本線1664Mは、16時14分に富根駅2番線に到着。上下線でホームがセパレートされていますが、それは中線が撤去されたからだと思われます。



跨線橋を渡って駅舎撮影。平成21年8月築の簡易駅舎です。秋田支社らしく上品といえばそれまでですが。トイレはありません。以前はJAとの合築駅舎でした。



駅舎内部を紹介します。壁伝いにベンチが3脚ずつ並び、地元有志によって座布団が敷かれています。無人駅で券売機などの類もないですが、窓から光が入り、温かいおもてなしです。



続いて時刻表を紹介します。下り10本、上り8本で、下りの2本がワンマンです。1時間しないうちに次の列車が来るかと思えば2時間以上空くこともあり、ややアンバランスなダイヤです。



それでは周辺散策。でもその前に、駅前にある「考える少年像」を紹介します。富根中「青志会」の卒業記念作品ですが、いつの卒業生かといえば何と昭和42年!創意工夫しながら作り上げた人達は、今年還暦を迎えます。これを思うと、保存状態は大変良いと思います。



さて、出発しましょう。駅前は閑静な住宅地です。でも、富根駅の最大のお得意様は、矢張り高校生でしょうね。



しばらく歩くと、愛宕神社に到着。ここで旅の安全を祈願しました。どこからか香ばしい匂いがしてくると思ったら、BBQしていたのですね。



住宅地を抜けると、畑の向こうに米代川の絶景が広がっていました。夏雲もいいですね。



散策を終えて駅に戻ると、木造の曲がり屋の農業倉庫を発見しました


富根駅の駅裏にはaceの工場がありました。スーツケースをもった若い女性4人とともに、17時9分発の1668M(701系N6編成)に乗車しました。



17時14分に鶴形駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。ここから東能代方は単線となります。



跨線橋を渡り、駅舎の中へ。窓側(大館方)は木製の長椅子、窓口跡(東能代方)は普通のベンチが並んでいます。駅員も居なければ、券売機の類もありません。



それでは駅舎撮影。昭和32年9月築の、高床式の木造駅舎です。階下にトイレがあります。


27分しかないですが、周辺を散策します。


続きはこちら


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寝台特急日本海乗り納めの旅(その6)

2012-01-14 00:20:01 | 奥羽本線


奥羽本線1661Mは、14時54分に糠沢駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。


私と一緒に女の子も下車しました。もう少し待てば、E751系つがるが通過したのに~。



それでは駅舎撮影。平成21年7月改築の、綴子大太鼓を模した簡易駅舎です。直径3.9m、幅3.7mあり、「世界一の大太鼓」としてギネス認定されている本物と同じサイズです。エントランス横の撥が心憎い演出です。この旅の最大の目的の1つです。



この駅舎を視点を変えて。工費は1300万円でした。尚、本物の綴子大太鼓は、駅から約6km離れた「道の駅たかのす」内に保存されています。但し、付近には鉄道以外の交通機関はありません!



駅舎内部の様子。卓上テーブルを挟んで木製のベンチが設けられ、ウッディーな室内です。券売機などの類はないですが、ゴミ箱があるのが素晴しいです。喚起が悪く、蒸し暑かったです。



それでは周辺散策。正面口から駅前に出ると、水田地帯が広がっていました。諸事情により、が真冬にずれこんでしまいました



跨線橋を渡り、南側に出ました。上りホームには旧来からの木造の待合室があります。架線柱を挟んで綴子大太鼓型の駅舎と並んでいます。こちらも駅前は水田です。



駅前の道路を直進し、向黒沢大橋を渡ります。眼下には、黄金色とまではいかないが黄緑の絨毯が広がっていました



そして、米代川を体感しました。水量が豊かですね。背景にある山々の配置がいいですね。



下流側に視点を移して。大きな中洲があり、何だか浅そうな川ですね。でも、両はじは深いか。



橋を渡りきったところにある大願成就黎明碑。平成4年に向黒沢大橋が完成したことで、山側と糠沢側の行き来が容易になりました。



糠沢駅に戻る前に向黒沢大橋の欄干を。しっかりと綴子大太鼓を模っていました


駅に戻ると、サウナのような駅舎内で六七のじょっぱりで一杯やりました。ところで、1661Mで一緒に降りた彼女は、向かいの待合室にずっと居ました。うすうす感じていましたが、15時53分発の1664M(701系N26編成)に乗るのも一緒でした。


つづく


参考文献   西崎さいき 『珍駅巡礼 日本全国の「ヘンな駅」をゆく!!』


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寝台特急日本海乗り納めの旅(その5)

2012-01-11 00:11:18 | 奥羽本線


奥羽本線654Mは、14時22分に鷹ノ巣駅に到着。普通列車の退避はないですが、2面3線の構内を有します。



改札をくぐる前に1番線にあるモニュメントを。スタンプの表題になっている世界一の大太鼓を模したそうですが、肝心な大太鼓は「道の駅たかのす」にあり、隣駅の駅舎はこれと大いに関係があります。



改札を抜けて駅舎の中へ。改札とは別に「みどりの窓口」がありますが、「Kaeruくん」に置き換えられています。運用時間は6:30~21:40です。



ついでに待合室内部も。広々としており、テーブルも付いています。この待合室は評価できます。



それでは駅舎撮影。昭和39年6月築の、典型的な国鉄後期様式の細長い駅舎です。トイレは青森方にあります。



駅前の様子。アーケードが続いていますが、典型的なシャッター通りです。



周辺散策はせず、秋田内陸縦貫鉄道の駅舎も見ます。こちらは「鷹巣駅」で、ログハウスのつくりです。こちらにも、青森方にトイレがあります。



その向かいには作曲家・後藤惣一郎の音楽碑。「から松」が楽譜、歌詞が両方とも書かれています。歌おうと思えば歌えますね。



折角なので、とある植え込みでしばし待ち、秋田内陸縦貫鉄道の気動車を撮影。AN8804が鷹巣駅に到着し、EF510と並びました



AN8800形を取り終えると、もう出発の時間となりました。でもその前に、青森方にある危険品庫を。ここにも古き良きアイテムを発見しました。


14時50分発の1661M(701系N6編成)に乗車し、西崎さいき氏の著書で大きくピックアップされている駅へ。


つづく


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寝台特急日本海乗り納めの旅(その4)

2012-01-08 00:13:38 | 奥羽本線


奥羽本線1653Mは、12時54分に下川沿駅に到着。交換可能駅で、2面2線の構内です。



それでは駅舎撮影。平成18年7月築の簡易駅舎で、ホームより少し高台にあります。トイレは別棟です。駅前ロータリーが不相応に広いことから、以前は木造駅舎が建っていたに違いありません。



駅舎内部も公開します。通路を挟んでベンチがあり、自動券売機もありますが、駅員は居りません。下り11本、上り9本と不均等なダイヤです。


新青森駅で購入したちらし寿司などで昼食。その際、史上初めて午前中に行なわれた、2011年の夏の甲子園の決勝戦の結果を見ましたが、日大三高が11-0で青森山田高に勝って優勝しました。その後、水洗トイレを利用して2度目の歯磨き。



それでは周辺散策。でもその前に、駅前にある「小林多喜二生誕の地」の碑を。大正時代にプロレタリア文学に傾倒した人で、著名なものに『蟹工船』が挙げられますが、ここ大館の出身だったのは大きな発見でした。尚、この碑は、昭和32年に佐藤栄治氏によって建立され、昭和62年2月20日に現在の場所に移設されています。



早口駅方面へ歩き出しました。駅前には小学校があり、中学校も隣接しています。



閑静な住宅地の通りを歩くこと10分、畑と杉林の絵になる風景に出会いました。向日葵が季節感を出しています。ひょっとしたら、早口駅まで駅間徒歩が成立しそうですが、このあたりで引き返しました。


駅に戻ると大館鳳鳴高校始発のバスが到着し、女子高生が何人か下車して一気に華やぎました。



再び歩き出し、今度は大館駅方面へ。すると、デイサービスセンターに出会いました。森の向こうには電波塔があります。



個人商店の前を通過すると、踏切を渡りました。とあるカーパークからは展望が開け、段丘の下にはR7が通じていました。駅前よりそちらの方が賑やかだったりします。


13時50分頃に駅に戻ると、何時の間にか駅舎は高校生に占拠され、私の居場所は無くなりました。信号機器室の脇で休憩し、14時9分発の654M(701系N2編成+N17編成)に乗車しました。下川沿駅に券売機があったのには理由があったのですね。


つづく


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