クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

はやぶさ乗り納めの旅(その3)

2009-02-26 22:10:30 | 九州地区


三角駅の向かいには三角港があり、 も発着します。海の向は戸馳島で、ドックがあるようです。さすがは港町です。


 
折り返す前にこの駅名標を。ラットも飾られている事で、如何にも港町の駅だということをアピールしているようです。



14時55分発の8538Dは天草グルメ快速「おこしき」号。赤瀬を通過すると有明海の絶景が広がり、観光案内も入ります。



15時9分に網田駅に到着。交換可能駅で、対面式ホームを有します。



三角線で唯一、木造駅舎がそのまま現存している駅です。委託駅員も配置されており、駅スタンプもあります。近くには桜の木があり、3月下旬頃はきっと絵になるでしょう。


網田駅は御輿木海岸へのアクセス駅ですが、なにせ21分しか取れないのでR57をぶらついて終わりなのが残念なところ。



時間が近づいたので、この木造駅舎を下りホームから俯瞰します。山の麓の駅のようです。15時30分発の537D(キハ40 8126+キハ31 13)に乗車して再び三角方面へ。


 15時42分に波多浦駅に到着。



踏切を渡り、駅舎の全貌が撮れる位置にきました。片面ホームのみの無人駅で、駅舎はありません。この三角線全駅下車行にて最後に訪問した、券売機のある駅でした。


波多浦駅前は旧三角町の一部で、いかにも港町の風情を漂わせていました。18分後の折り返し列車(540D)に乗車し、うっしーさんのサイトに掲載されている駅を目指します。



16時8分に赤瀬駅に到着。片面ホームのみの無人駅です。私と一緒におばさまも下車していきました。


 
ホームの先端は山道に繋がっています。


 
急坂を下りて海を目指しました。ここからのオーシャンビューは絶景です。


つづく

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はやぶさ乗り納めの旅(その2)

2009-02-24 22:16:50 | 九州地区

 このカテゴリーでは、鹿児島本線(九州新幹線を含む)、日豊本線(吉都線、日南線を含む可能性あり)を除く九州内各線の駅巡りについて取り上げます。新潟から九州へは遠いので、どこまでいけるか見当付きません。


ここまでの模様はこちら


 昼食を終えると、緑川までの普通乗車券を購入し、三角線533D(キハ40 8126+キハ31 13)に乗車します。車内は高校生多し。改築のため木造駅舎が半分化され仮駅舎となった宇土駅を出ると、鹿児島本線と別れ右手に折れていきます。



12時53分に緑川駅に到着。片面ホームのみの無人駅です。



今乗った列車を見送った後、調査のため再びホームに上がります。すると、待合ベンチには木造駅舎の上に掲げられていそうな駅名板が時刻表と並んでいました。この駅もかつては駅舎があったのか?



最後に歩道橋の上から駅全体を鳥瞰。天草方面への幹線道路であるR57に沿って立地しており、列車が来れば絵になります。(もう少し待てば上り列車が来ましたが)


緑川駅の近くには、ミニ鳥居をくぐる行事で有名な栗嶋
神社がありますが、道路を渡れば住吉駅に向かってひたすらR57を歩きます。周辺は田園地帯ですが、国道沿いには工場、住宅、飲食店が並んでいます。



緑川駅から40分ほどで住吉駅に到着。交換可能駅で対面式ホームを有しますが、駅舎は無く待合所のみです。(自動券売機あり)



構内踏切を渡り、南口に出ます。少し分かりにくいかと思いますが、平成13年まで存在した木造駅舎の跡が残っています。なぜ、駅舎を無くして吹きさらしの待合所にしたのだろうか?



申し訳程度しかベンチが無い駅で過ごすこと21分、13時59分発の535D(キハ200-101+キハ200-1101)に乗車して終点・三角駅まで走破しました。車内は高校生多し。



14時25分に三角駅に到着。片面ホームに側線1本あるだけの終着駅です。



改札をくぐると、待合室は書道展の会場と化していました。それにしても、この待合室、可也の人数を収容できますね。



いよいよ駅舎の撮影です。開業当時からと思われる木造駅舎が現役ですが、展望台によって隠されています。(しかも、この展望台は閉鎖されています)左半分は観光案内所。尚、窓口営業時間は5:45~22:40です。



今回は30分あるので、港に出てみます。そこには天草諸島の絶景が広がっていました。よくぞとんでもなく遠い所まで旅してきたものです。


つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問

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はやぶさ乗り納めの旅(その1)

2009-02-21 00:11:22 | 鹿児島本線

御殿場線全駅下車から2週間も経っていませんが、1月30日夜から2月1日にかけて熊本方面に行ってみました。全駅訪問達成した路線は三角線と篠栗線です。


出発は、23時10分発の急行きたぐに号(583系B2編成)で。今回は、訪問駅数の割に旅費がかさんでいるので座席車を選択。ボックスが空いていないので、仕事帰りの女性の所にお邪魔させてもらいました。長岡で彼女が下車してボックス独占を果たしたので、越乃白雁を投入して『崖の上のポニョ』を聴きつつ。しかし、リクライニング出来ない座席が災いし、それほど寝られずにそのまま関西へ。彦根を出たところで早くも朝食タイム。



湖西線での風規制ですったもんだし、4分遅れの6時20分に京都着。ここで車両点検があったので、京都乗り継ぎを選択して正解でした。



12番乗り場の入線音&発車ベルを録音し、6時59分発の「のぞみ57号」で一気に九州へ。N700系N6編成で、車内テロップにて暗いニュースに紛れてN700系のことを盛んに宣伝していました。低気圧の影響が懸念されましたが、沿線はで輸送障害は皆無でした。



定刻9時40分に博多到着。目的の列車の入線まで時間があるので、在来線ホームでしばらく撮り鉄。すると、国鉄色415系が普通列車門司港ゆき(450M)に運用されたのででした。その後、白ソニックなどにも食指を立てました。



10時8分頃、この旅最大の目的である、寝台特急はやぶさ号が博多駅7番乗り場に入線しました廃止まで2ヶ月を切っているので、ヒルネを志す者や  で納める者が少なからず居ます。最終日(3月14日)はどうなることやら。



博多でかなり降りたので、5号車(オハネ15 1)の空きボックスに収まってヒルネを堪能します。熊本までの1時間37分は、みかんを食べたり車内放送を録音したりして過ごしました。尚、鳥栖でも何人も記念乗車があり、私の向かいにも乗ってきました。



終着放送の録音に成功し、定刻11時49分に熊本駅3番乗り場に到着。狭いホームに多くの者がひしめき合い、何人かやり過ごした後に  を果たした次第です。



6号車では、のような遊びも見られました。ブルトレの歴史を感じさせる一幕ですが、今度のダイヤ改正で東海道ブルトレは絶滅しちゃうのね。



今度はベストポジションである、跨線橋と815系の切れ目から編成全体を。気付いた時には「同業者」が4,5人陣取っていて、しばらくしてから  した次第です。ED76 69+14系客車6連という、往年とは比べ物にならないみすぼらしい姿ですが、現代における寝台特急の置かれている立場といえるでしょう。最終日にはどのような姿になるでしょう。この場所も陣取りすら困難になることは目に見えてますが。


熊本までの片道切符と立席特急券の持ち帰りに成功し、併設のラーメン屋で馬筋ラーメンにて昼食タイムです。次からは長い蛇足(駅巡り)です。


続きはこちら

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遂に御殿場線全駅下車達成!

2009-02-18 19:26:04 | 東海道本線等

改札をくぐり駅舎に出れば、御殿場線全駅下車達成です



昭和21年1月築の白を基調とした駅舎です。良く分かりませんが、多分木造だと思われます。窓口営業時間は7:10~19:15(休憩7回)です。駅前広場が幹線道路のカーブに面します。



沼津東高の生徒が駅から自転車通するということで、横には専用駐輪場が設けられています。


大岡での滞在時間は29分。駅前道路を御殿場方に歩いていくと、大きな天理教大教会が見えました。そこで折り返し、セブンで購入した缶コーヒーで余韻に浸りました。



時間が近づいてきたので改札をくぐります。列車に乗る前に、昭和63年11月築のトイレの脇の池を  しておきます。木が映って最高の絵になります。


15時24分発の2543G(313系V11編成)で沼津に出た後、東海道本線234M(313系T1編成)を挟み、三島から「ひかり374号」(300系J57編成)にて東京まで抜け道します。指定席に座るなり、白隠正宗にて打ち上げしました。



16時40分に東京駅に到着。折角なので、700系の並びを  し、18番線の発メロを していきます。旧のぞみチャイムですが、1コーラスだけ鳴りました。


16時57分発の京浜東北線1628B(E233系126編成)で上野に出た後、17時29分発の高崎線937M(E231系U516編成)に乗車。入線して整備を終えるなりボックス席を速攻で確保しましたが、同時に悪い知らせが入ってきました。桶川~北本間で人身事故が発生し、高崎線が運転見合わせとのこと。とにもかくにも、937Mは上野駅を定刻に発車しました。


浦和を発ってから運転再開見込みとの知らせが入り、17時55分に大宮駅に到着。しかし、発車時刻が18時20分頃とアナウンスされ、新幹線無しでは当日中に新津に帰れないと判断したので、大宮でさっさと高崎線を諦めました。駅構内の  で3000円おろし、18時18分発の「Maxたにがわ421号」(E4系P7編成+P13編成)にて高崎まで更なる抜け道。結局、この旅での追加出費はビジネスホテル1泊分以上にも膨れ上がってしまいました。



18時53分に高崎駅に到着。これを見て、定石通りの19時28分発の上越線749M(115系T1039編成)にて一路水上へ。センター試験1日目ということもあり、後閑まで高校生がわんさか乗っていました。


定刻20時30分に水上に終着。狭い階段を上り下りし、2番線の止まっていた20時34分発の1753M(115系N22編成)で長岡へ赴けば、当日中に新津に帰れる筈でした。しかし、車掌と水上駅の助役がやってきて、「本日は高崎線内で人身事故が発生したため、この後の列車の接続をとって発車します。そのため、水上の発車が21時18分頃となり、長岡には10分延着の見込みです。尚、新潟方面への接続は確保されます。」と告げられました。大宮から高崎までの新幹線利用は何だったんだ。。


21時16分頃に115系6連の751Mが1番線に到着し、我が1753Mは44分遅れの21時18分にようやく発車しました。今回は右側を確保したので、土合の下りホームが1千スルーの1面に、土樽駅の構内が純粋複線対面式ホームに変わっていたことがわかりました。


越後湯沢での停車時間を30秒程度に詰め、更には驚異的な爆走振り(?)の甲斐もあって、長岡到着は何と定時(22時59分) 隣の番線に止まっていた23時1分発の信越線465M(E127系V7編成+V2編成)に乗車し、23時55分に新津に帰還しました。最初から最後まで高崎線の動向に翻弄され、酷く疲れた日帰り旅行でした。


おわり

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御殿場線全駅下車達成への道(その5)

2009-02-15 10:57:11 | 東海道本線等
裾野での滞在時間は29分。例によって駅前散策。古くからの商店街を抜けて裾野市役所のあたりまで往復するといい時間になったので、東口の調査はしそびれました。 13時36分発の2639G(313系V10編成)は、先ほどの岩波駅での大精算の関係で4分遅れで運転していました。



13時44分に長泉なめり駅に到着。駅自体は無人ですが、橋上駅舎のようなものが平成14年9月7日竣工の「米納津自由通路」です。長泉町の納米里集落にあることがこの新駅の駅名の由来となっています。尚、右側には「防犯立寄所」という待合室があります。また、 は1Fにあり、そこで歯磨きしました。


この日はセンター試験の1日目であり当駅周辺に試験会場があることから、案内板も掲示され、臨時の切符販売所も設けられました。尚、駅は幹線道路に面し、駅前ロータリーには(確か)2階建てのクリニックも併設されています。反対側に行きましたが、完全逆光なので撮影を見合わせました。



後続列車の入線の少し前にホームに入ります。申し遅れましたが、長泉なめり駅は新駅なので、ホームは1面のみです。14時9分発の2637G(313系V6編成)にて下土狩駅に移動しました。



14時12分に下土狩駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面+側線2本の構内を有します。



跨線橋を渡り駅舎に出ます。何回かリニューアルされてはいるものの、明治21年10月築の駅舎が現役です。窓口営業時間は7:10~19:15です。地図を良く見ると、三島駅まで一気に歩いて行けそうですが…。


下土狩での滞在時間は39分。近くて面白そうなので、鮎壺の滝公園を訪問します。



幹線道路を横断し住宅地を抜けると、突如として大自然の造形が出現します。これが「鮎壺の滝」です。鮎壺の滝は、約1万年前に噴出した三島溶岩流と愛鷹ローム層の境目に出来た滝であり、幅約90m、高さ約10mです。黄瀬川を遡上してきた鮎が滝壺で足止めされてたまっていることが「鮎壺」の地名の由来です。



視点を変えて吊橋の近くから。小高い丘に隠れてはいますが、遥か向こうに富士の高峰が見えます。地元の住民にとっては最高の息抜きスポットであり、の天気も手伝って、散策している人に何人も出会いました。



再び視点を変えて西側から。裏では高層マンションが建設中です。立地条件としては最高だと思いますが、果たしてどの位入居するのでしょうか。周囲の団地との激しいギャップが逆に面白かった鮎壺の滝散策でした。


散策を終え、商店街経由で駅に戻ると丁度いい時間となりました。14時51分発の2639M(313系N7編成)にて御殿場線最後の未訪問駅へ。



14時55分に大岡駅に到着。片面ホーム1面のみの構内で、駅舎へは沼津方の通路を通っていきます。


つづく
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御殿場線全駅下車達成への道(その4)

2009-02-12 21:03:35 | 東海道本線等

御殿場駅を後にする前に、箱根乙女口を訪問します。周辺は閑静な住宅街ですが、富士山が良く見えます。


入線音の録音に失敗しましたが、11時59分発の当駅始発の2633G(313系V6編成)にて南御殿場駅へ移動します。



12時3分に南御殿場駅に到着。片面ホームと待合室のみの無人駅です。 は駅前ロータリーにあります。



ここも家並みから富士山が良く見えるので、再び富士山を追い求めます。駅から徒歩数分の団地の駐車場でモノにしました。



早めに駅に戻ったので、駅前の国道を御殿場方向に歩きます。すると、牧歌的な風景の中に富士山が聳え立つ光景に出会いました。



散策しているうちに、南御殿場駅のホームにどんどん人が集まってきました。12時25分発の2537M(211系GG2編成+313系W4編成)に乗車して沼津方向に進みます。先週下車した富士岡駅はパスします。



12時36分に岩波駅に到着。交換可能駅で島式ホーム1面の構内です。私が下車した後にSuica入場による大精算があった関係で、2537Mは4分ほど停車しました。



岩波駅は平成元年6月築の橋上駅舎となっており、螺旋階段を上ったところに改札と  があります。窓口営業時間は7:10~19:45(休憩9回)です。



折角なので、岩波風穴を訪問します。昭和52年に裾野市天然記念物に指定されたようで、富士山麓独特の地形を実感します。中には蝙蝠などが生息していますが、25分のみの滞在では無理そうなので中には入りません。ちなみに、この風穴は住宅街のど真ん中にあり、 での訪問は不可能です。



13時1分発の2635G(313系V12編成)に乗車して裾野駅へ。1区間だけですが、車窓からの富士山の秀麗な姿に感銘を受けました。



13時7分に裾野駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線+側線1本の構内です。



跨線橋を渡り、駅舎に出ます。リニューアルされてはいるものの、明治21年5月築の駅舎が現役です。しかし、橋上駅舎化の計画が進行しており、この木造駅舎も予断を許しません。尚、窓口営業時間は5:45~23:00です。


つづく
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御殿場線全駅下車達成への道(その3)

2009-02-10 22:23:39 | 東海道本線等
9時44分発の2531M(313系W7編成)にて静岡県に入ります。中高年ハイカーが多数下車したものの、ロングシートは可也埋まっていました。



9時50分に駿河小山駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面の横に側線が1本ずつあります。小山町は富士山が良く見える町として知られており、跨線橋からも富士山がよく見えます。



改札を抜けて駅舎に出ました。昭和43年3月築の後期国鉄様式の駅舎で、トイレは地階にあります。「あさぎり」停車駅で、窓口営業時間は7:10~18:45です。



滞在時間は25分しかないですが、1週前に気になっていた駅前神社で御殿場線全駅下車達成を誓います。小山神社といい、富士山の噴火によって出来た溶岩でつくられた獅子がアクセントです。


入線音を録音し、10時15分発の2533M(313系N7編成)にて足柄駅に進みます。



10時20分に足柄駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面を有しています。(尚、写真は後続列車入線の模様となっています)



構内踏切を渡り、駅舎に出ました。昭和22年9月15日の開業当時からと思われる木造駅舎ですが、平成9年に無人化されて窓口も閉鎖されています。



足柄駅前にて。金太郎伝説ゆかりの地と思われ、このような像が建っています。


足柄での滞在時間は50分。駅前から富士山の姿が望めたので、ビューポイントを求めて丘陵を登ります。



東名高速道路の足柄SA周辺がどうやらXポイントのようです。ちょうど雲がかかり始めましたが、5合目から山頂まで十分に望めます。これが日本人の心の故郷か。


Xポイントにしばらく滞在した後、来た道を戻りサンクスで買い物すると、大分いい時間となりました。



11時16分発の2535G(313系W9編成)に乗車して御殿場駅へ。4分くらい経った所で秀逸な富士山を望む区間があります。御殿場の住民が羨ましいです。



11時23分に御殿場駅に到着。当駅折り返し列車も存在し、2面3線+側線1本の構内を有します。入線音が他の駅とタイプが異なり、発車ベルも鳴ります。ここでコンビニ弁当で昼食タイムです。



改札を抜けて北口(富士山口)に出ました。周辺は繁華街で、付近には飲食店が多数あり、おまけに理容チェーン店もあります。コンビニ弁当を買わないで、こっちで食べればよかったな。



駅前通りから新橋公園まで散策しましたが、いつでも富士山が君臨します。この旅のテーマは、ズバリ「富士山」です。


つづく
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御殿場線全駅下車達成への道(その2)

2009-02-08 01:22:45 | 東海道本線等

8時18分に上大井駅に到着。交換可能な対面式ホームを有していますが、上り列車の停止位置から駅舎までは可也歩かされます。



上大井駅は「ひょうたん駅」として知られており、階段を下りると「お帰りなさい」という瓢箪の下をくぐって駅舎の中へ。



昭和23年6月築の木造駅舎です。無人駅で窓口が閉鎖されています。時間帯が時間帯なだけに、駅前のバス停からは結構発着があるようです。



時刻表の前で女子学生がたむろしていたので、周辺散策。すぐに幹線道路に出て北方に歩くと、このような景色が見られます。このあたりの住民は毎日のように富士山が見れて羨ましい限りです。



戻っても女子学生達が引揚げる兆候がないので、「いってらっしゃい」の瓢箪を見て早めに構内に入ります。真冬なのでレプリカだけですが、夏季には数多くの瓢箪が実っているでしょう。



構内踏切に向かう途中、美しい梅の花が乗客達を楽しませてくれました。地球温暖化によって、この近辺は春の訪れが早くなったような気がします。しばらく休憩した後、8時49分発の2529G(313系V12編成)にて沼津方面へ。中高年の方々で込み合ってましたが、私は老夫婦の一角にお邪魔させてもらいます。



9時8分に多くの中高年ハイカー達と共に谷峨駅で下車。交換可能駅で対面式ホームを有しており、上下線は踏切で結ばれています。


 平成12年2月改築の三角屋根の駅舎の無人駅です。



50周年記念で建立された碑文。『鉄道唱歌』の一節と見て間違いないです。


しばらくすると駅前広場ではミーティングが行なわれ、東海道線の廃線跡などを撮影しに行くと思われるグループと、大野山ハイキングコースを辿りつつユーシン渓谷とか中山温泉を訪問するグループの二手に分かれました。



私の方はというと、後者のグループの後について周辺散策します。駅を出るとすぐ、山の麓を東名高速道路と国道246号という高規格道路が併走する景色に出会います。ここで  している連中も居ました。(私もそうだが) しかし、この日だけで御殿場線全駅下車を完遂する予定なので、しばし佇んだ後に駅に戻ります。



山北町を訪問した思い出に  しておきます。2008年11月16日の東京女子マラソンで優勝した尾崎好美が山北中出身ということで、谷峨、山北、東山北の各駅で、少なくとも1枚は誇らしげに掲げられていました。


つづく
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御殿場線全駅下車達成への道(その1)

2009-02-05 19:19:57 | 東海道本線等
2009年1月17日土曜日。この日も交検がありましたが、会社から休みが許可されたので、富士岡、山北、東山北、下曽我の4駅以外の御殿場線の全駅の下車に挑みました。



出発は、快速ムーンライトえちごの新宿行きで。越後線が折からの強風でダイヤが乱れ、それを受けていた信越線2556Mの接続をとった関係で、14分遅れの0時20分に新津駅を発車しました。485系K1編成で、席はほぼ埋まっており、私の隣にも誰かが座っていました。下曽我のデイリーで購入した曽我原を投入しますが、今回はあまり寝れませんでした。


長岡からは定時運転となるものの、神保原付近で走りがおかしくなり、とうとう本庄駅に停車。20分ほど抑止を食らった後そろそろと走っていくと、岡部駅付近の踏切で自動車事故があり  が止まっていました。その後、持参のパンで早い朝食タイム。


新宿終着時には遅延を9分まで戻し、予定通りに5時31分発の小田急線の急行列車に乗れました。しかし、海老名で線路内立ち入りがあった関係で何度も場内停止を喰らい、またしてもハラハラさせられました。



新松田駅には4分遅れの6時53分に到着。跨線橋から見た壮麗な富士山は、ここに来るまで蓄積された鬱憤を一気に晴らしてくれました。



ここで小田急線の旅は終わり、駅舎に出ました。駅前は決して広いとはいえませんが、バスや車の往来が多く賑やかで、立ち食い蕎麦屋もあります。駅前のスーパーでミネラルウォーターなどを買いました。



MLえちごの車内では叶わなかったので、ここで日付印を入れてもらい一旦改札をくぐります。小田急線からの乗り継ぎ客が多く利用しますが、正面口としてはちょっと簡素すぎるかな。



駅名板が目立ってしまいましたが、一応、駅構内の様子です。2面3線の構内です。1番線が「あさぎり」用、2,3番線の島式ホームが普通列車用で、脇には使われていない側線が何本か並んでいます。



小田急口の遥か向こうの跨線橋を渡り、正駅舎に出ました。大正14年10月築の木造駅舎で、ひかりストアーが併設されています。こちらの駅裏には酒蔵があります。


トイレで歯磨きなどをした後、7時40分発の2528M(313系N7編成)に乗車し、まずは国府津方面へ。



7時44分に相模金子駅に到着。片面ホーム1面のみの無人駅です。駅前広場(公園)へはスロープを下る構造になっています。



31分の滞在時間を利用し、富士山を求めて周辺散策。住宅地を通過し、墓場の裏からの富士山は見事の一言です。



8時をまわり、狭いホームに乗客が集まってきました。彼らに申し訳ないと思いつつ、下り列車と絡めて撮影。これと松田駅で交換した2530M(313系V12編成)に乗車し、上大井駅を目指します。


つづく
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2009年新春乗り継ぎ旅(その4)

2009-02-02 20:09:13 | 東海道本線等


例の陸橋に到着してしばらくすると、2両編成の313系が通過していきました。桜が咲けばきっと絶景でしょう。



ついでに後追いも。少しタイミングが遅かったけど。実はこの陸橋、御殿場線で最も有名な  ポイントだったりします。


山北駅は、今年(2009年)2月に120周年を迎え、山北町では町おこしの一環として幾つかのイベントを実施するそうです。14時44分発の2544M(E231系S27編成)に乗車し、丹那トンネル開通まで鉄道の町として大賑わいした山北の町を後にしました。



とはいえ、4分間乗車しただけで東山北に途中下車。片面ホームとトイレのみの駅ですが、通学時間帯は山北高校の生徒で賑わうようです。駅裏では国道バイパスの工事が進められており、出入口などが変更されたりしています。


滞在時間は21分だけですが、例によって周辺散策。駅から西の方角に歩いたせいか、周辺は住宅ばかりで高校には辿り着けず。(1週間後に2529Mに乗車したところ、東山北到着直前に見えました。)



「鉄道唱歌」の時報と共に駅に戻ると、「あさぎり5号」(小田急車)が通過していきました これと山北で交換してきた、15時9分発の2546G(313系V9編成)にて下曽我を目指します。2536Gに続いて母娘の向かいに座りました。



15時24分に下曽我に到着。交換可能な島式ホーム1面+側線2本(セメント工場用)の構内を有します。



地下道をくぐり駅舎に出ました。大正11年5月築の白壁造りの木造駅舎で、左側が駅事務室、右側が待合室になっています。窓口営業時間は、7:10~19:15(休憩5回)です。



35分の滞在時間を利用して周辺散策。歩いて数分すると大きな梅林が広がり、このあたりでは梅を使用した特産品がつくられています。尚、駅裏からは小田原球場が徒歩圏内です。



入線音の録音に成功し、15時59分発の2548M(313系N6編成)にて国府津に出て、16時13分発の湘南新宿ライン直通の3670E(E231系K40編成)に乗り継いで一気に高崎へ。下曽我駅の窓口でグリーン券を購入したので、改札を出ることなく、円滑にグリーン車に乗れました。辻堂駅北口は工事が本格化していました。


高崎線沿線の変貌振りに驚きつつも、定刻19時7分に高崎に到着。駅弁を購入し、19時28分発の上越線749M(115系T1036編成)に乗り継ぎました。ところが、蓮田駅構内の人身事故のあおりを受け、新前橋で先行するはずの「ウィークエンドあかぎ1号」の接続をとった関係で、終点・水上には13分遅れの20時43分に到着しました。



2番線で待ち合わせていた、20時34分発の1753M(115系N23編成)に乗車し、ハローキティーだるま弁当で夕食タイム。1年間御無沙汰している間に土合、土樽のホームは、其々大きく様変わりしていました。


越後湯沢での停車時間が長く設定されているため、終点・長岡には定刻22時59分に到着。信越本線465M(E127系V1編成+V9編成)に乗り継ぎ、新津には23時55分に帰還しました。


2009年新春乗り継ぎ旅  おわり

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