時期は前後しますが、これより2011年6月4日~5日の乗り継ぎ旅行の模様をお伝えします。今回巡った路線は湖西線です。
ここで、湖西線の概要を説明します。湖西線は、山科と近江塩津を結ぶ営業キロ74.1km、駅数19の高規格路線です。国鉄が北陸本線の輸送力向上を急いだことから、昭和6年に開通した江若鉄道を昭和44年10月末に廃線に追い込んで、1からつくり直して昭和49年7月20日に開業した全線高架路線です。全体的に琵琶湖の西岸を辿る路線で、下り列車の場合、進行方向右側には絶景が広がります。「サンダーバード」「日本海」といった特急列車や関西と北海道・新潟を結ぶ貨物列車が行き交い、さらには、兵庫県と敦賀を結ぶ新快速列車のルートにもなっており、名実共に関西と北陸の連絡路線となっています。しかし、比良山系から強風が吹きつけることが少なくなく、時折米原回りになるなど輸送上のネックとなります。681・683系や24系が特急列車として運用されることをはじめ、新快速では223・225系、普通では緑色の113系、117系、221系、223系とバラエティーに富んでいます。
前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。
2011年6月3日(金)。この日も出勤でした。自転車で新津駅まで行き、23時13分発の急行きたぐに号(583系B06編成)で旅立ちました。早朝に下車するので、2号車の自由席に乗車。途中から入れ替わり立ち代り乗車し、ボックス独占出来ず。富山から向かいに座った女性は、これからイギリスに行くところだとか。羨ましい限りです。
4時43分に敦賀駅に到着。すがすがしい朝です。降りた客は私の他には見当たらず、本当に静かです。
早い朝食を終え、5時27分発の湖西線4838M(521系E4編成)に乗り継ぎました。鳩原ループでは殆ど寝てました。
5時50分に永原駅に到着。京都からの普通列車が折り返す駅で、2面4線の構内を有します。
構内を別の角度から。ホーム下を大浦川が流れており、半橋上駅となっています。
地下道をくぐって駅舎の中へ。左手は窓口、右手は倉庫です。手前にある大黒柱のようなものは、実は「EARTH VIBRATION~ふれあい~」(近藤イオリ 2000.2.10)というアートです。「丸子船」の帆船の帆が風を受けて琵琶湖を行き来していた様と、秋には黄金色になる稲穂の「穂」が風になびく様を合わせてイメージしています。
それでは駅舎撮影。平成12年1月改築の、北欧風のログハウス駅舎「コミュニティーハウス Koti」です。トイレは手前側にあります。
永原駅には資料室も併設されてスタンプもありますが、さすがにこの時間は施錠されていました。レンタサイクルも営業しており、貸出時間は8:30~10:40、12:00~16:30です。
歯磨きを終えて周辺散策。大浦川を渡ると、長浜市役所西浅井支所(悠久の郷)と西浅井公民館(右手の体育館風の建物)があります。それにしても、ここが長浜市であるのは実感が湧きません。滋賀県の市町村合併は、新潟県以上にドラスティックです。
駅前を見ると、もう時間になりました。6時24分発の3889M(223系V31編成)に乗車し、次なる駅に向かいました。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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新潟地区の駅舎の話題をもう1つ。どこだと思いますか?上越線の小出駅です。
小出駅は、JR東日本随一のローカル線・只見線の始発駅で、魚沼市の中心にあたる上越線のジャンクションです。地形上の理由から上越新幹線の停車駅からはずされて現在は寂れてしまった感がありますが、奥只見の玄関口としてバスに乗り換えるお客さんも少なくないです。昭和33年12月築の、古レールを利用した、国鉄後期型の平屋の駅舎でした。築53年が経ち老朽化には勝てず、このたび改築の運びとなりました。2011年8月26日に新駅舎が開業し、同28日にセレモニーを開始したので、この時期に取り上げることになりました。
訪問日は2011年9月17日。黒井駅訪問の前段として訪問しました。
新津駅から乗車した1730Mは、湘南色の115系L6編成 9時4分に小出駅に到着。上越線は2面3線ですが、離れたところに只見線のホームが。
跨線橋をくぐり、改札を抜けました。みどりの窓口があり、営業時間は7:00~17:50(休み4回)です。
改札を抜けて左側の部屋は待合室。24人座れます。ロータリー側がガラス張りで明るくなりました。木目を生かしたつくりで、奥只見の自然を表したステッカーガ所々に貼られています。上部にある輪っかは何だろう。ただ、遺憾なことに、利用可能時間が7:00~17:50となっています。夜間の待ち合わせは大変です。
それでは駅舎撮影。旧駅舎の流れをくんだ、長方形の平屋の駅舎です。面積は200㎡と、旧駅舎に比べ小振りとなっています。(旧駅舎は413㎡。)
凝った形状の駅名板。旧小出町出身の俳優・渡辺謙さんによる揮亳です。
新駅舎の左側では、仮駅舎が解体を待っていました。
一方、新駅舎の右側ではトイレが解体を待っていました。新駅舎のトイレは改札内にしかないから不便です。
駅前の様子。ロータリーの真ん中に花壇があります。周辺は旅館などがありますが、中心部から離れており静かです。付近の酒屋にて、地酒・緑川を購入しちゃいました。
小出駅には保線区があり、駅舎とは別に職員詰所があります。数字だけを見る限り、全く無駄のない駅舎に変わったなという印象を受けます。駅蕎麦屋はとうの昔に無くなってしまいましたが、KIOSKまで削られて利用客には使い勝手が悪くなってしまいました。商店といえば酒屋くらいしかないので、利用客は事前に買い物を済ませておくことをおすすめします。
そのことを胸に、9時44分発の1731M(115系S2編成)で後にしました。
次は、湖西線の駅巡りの模様をお伝えします。
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次は、SL村上屏風まつり号の旅をお伝えします。折角なので、信越本線・黒井駅を訪問した翌日の2011年9月18日に乗車しました。
信越本線1323Mで新潟に出ると、C57 180がお出迎え。HMは無いですが、門鉄デフを装備していました この前の初秋体験号の時は普通デフでしたが。
7号車のサボ。絵入りのレトロなつくり。ラミネート加工で撮りにくかったです。
私が乗った6号車のサボ。半分剥がれかかっていました。
SL村上屏風まつり号は、「ばんえつ物語」と同様に7両編成でしたが、4号車が展望車、5号車が指定席というだけで、あとは自由席でした。9月になって急に決まったので、ゆったりとアイスを食べながら過ごしました。それでも、あることをするために、坂町駅にて929Mに乗り継ぎました。
平林駅で下車し、撮影位置に行くと、すぐに「きらきらうえつ」が通過しました 先ほどのSLよりはずっと速いですね。
しばらくすると、ついさっき乗車した「SL村上屏風まつり号」がゆっくりと通過しました
メインの撮影を終え、食料を調達にデイリーへ。駅前の田んぼでは、ちょうど稲刈りが行なわれていました。いい米が出来るといいですね。
それでは駅舎を紹介します。平林駅は、平成10年1月27日築(財産標による)の簡易駅舎で無人駅です。トイレは村上方にあります。
内部の様子。7人くらい座れる待合室で、ゴミ箱が備え付けられています。券売機があり、近距離乗車券を買い求めることが出来ます。
その後、ホーム先端に行き、934Mをロケハン。115系L8編成+N19編成の7連でした。先ほど乗った929Mの折り返しということで。村上屏風まつり限定の特別運用のようです。
しばらくすると、「いなほ3号」(485系T13編成)が颯爽と通過していきました。この駅は複線から単線に変わる所ですが、1番線は1線スルーです。
その後、510カモレが通過しましたが、撮影せず。931M(115系L10編成)で村上に出て、村上屏風まつりを見てきました。
挨拶して町屋に入ると、奥にある屏風を見せてくれました。これは九重園の屏風だと思いますが、中国の故事を描いた屏風を保存した家が多いです。
味匠の屏風。近くで鮭を加工しており、独特の匂いがします。
2時間余り町屋を巡り歩き、吉川酒造の屏風で締め括りました。2つの奥間のうちの左側ですが、水墨画にまじって字だけの屏風もいくつか見られました。
14時45分頃に村上駅に戻ると、コンシェルジュによる村上茶と塩飴のおもてなし。間もなくSL村上屏風まつり号(帰路)が入線。EF81 151がエスコート。
935M到着までの8分間、編成美が見られました。
14時58分頃に935Mが入線し、115系L10編成と並びました。SLで帰ると遅くなるため、その折り返しとなった940Mと135Dを乗り継いで新津に帰りました。SLを体験でき、町屋も屏風もじっくり堪能し、充実した1日でした。
C57 180は、明日から2日間は「SLご当地グルメ号」、10月1~2日は「信越線全通125周年号」、8~9日は「SL秋風体験号」として走ります。是非、ご利用されてはいかがでしょうか。デフレーターにも注目です。それにしても、磐越西線の馬下~津川はいつ復旧するのかな。1日でも早く、「SLばんえつ物語」が帰ってきてほしいですね。
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信越本線・黒井駅の最新状況をお伝えします。
前回の記事では、自由通路が建設され始めて旧駅舎の一部が変わったことをお伝えしました。2月に再訪した時点でも自由通路は基礎すら完成せず、5月に通りかかった時点でやっと階段の一部が完成した状態でした。2011年9月17日に、新装された小出駅を訪問したその足で再訪してみると、自由通路が9月4日より供用開始となっていたことがわかりました。よって、この日にUPします。
訪問パターンはこれまでと同様、1334Mで降り立ち、1335Mの到着までにレポートするというものでした。
降り立つと、旧駅舎はシートに覆われ、旧通路は骨組みだけとなっていました。
旧跨線橋は9月4日をもって閉鎖され、照明が取り外されていました。
新跨線橋は50mほど直江津寄りに行ったところにありました。窓が多数とられ、節電モードでも随分明るい印象です。手すりは、最近流行の波形です。
階段を上がりきると、切符入れ、時刻表、券売機があります。駅員の立つスペースがなく、無人駅です。
南口に出ました。特に名称は無く、「自由通路(南口)」となっています。バリアフリー設備が無く、足の不自由な人は大変です。
駅前の様子。まだまだ空き地が多く造成中ですが、犀潟方にはアパートがあります。
ところで、新待合室は、新跨線橋と旧跨線橋との間にあります。旧待合室は残っていますが。
自由通路を渡りきり、旧駅舎のあった北口に出ました。バリケードに覆われて、スッキリとは撮影出来ません。階段下に仮設トイレがあります。ちゃんとしたトイレが新設されることを信じましょう。
旧駅舎の様子。形は残っているものの、勿論、工事関係者以外立ち入り禁止です。工事期間が3月末までとなっているので、解体はこれからでしょう。
駅前の様子。周辺は住宅地ですが、向こうには信越化学の工場があります。
以上で黒井駅の改築レポートは終了です。結論を言うと、奥羽本線の羽前千歳駅と同じ形態の橋上駅舎となりました。バリアフリー設備が一切無いのが残念なところです。この駅の利用者のほとんどが高校生で、高年齢者の利用はたかが知れていると考えたからでしょうね。せめて、信越本線の宮内駅のようにスロープを設けて欲しかったです。
次は、SL村上屏風まつり号についてお伝えします。
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新潟駅の話題をお伝えします。
現在、新潟~白山の連続立体化工事が進められていますが、いよいよ新潟駅高架化工事が始まります。10月30日の始発~14時まで、信越本線の新潟~越後石山間、白新線の新潟~東新潟間、越後線の新潟~白山間(12時~14時)を運転見合わせにし、線路切り替えが行なわれます。当日は、新潟~亀田、新潟~東新潟でバス代行が行なわれます。また、「いなほ」は1,2,3,4,5,6,8号が全区間運休となり、「北越」は1~4号が長岡発着となります。現在の白新下り線の線路の横に仮の線路を設け、現在の線路のうち2本を使用停止して高架化するというものです。これらの線路は新潟駅を出発する列車が使用します。東跨線橋にも手をつけなければならないので、大工事になること必至です。
それでは、仮線路設置工事の模様を御覧下さい。2011年9月10日にSL初秋体験号の車中から撮影しました。
#1
#2 白新線の第1場内信号
#3 信越線の第1場内信号
#4 中継信号
現在は、いずれも「×」が付けられています。10月30日の14時から使用開始となります。
10月31日からはガラッと風景が変わります。2線単位で高架化が行なわれるので、いつか新潟駅到着列車だけ高架を走る風景が展開されます。尚、新潟駅高架化工事については、11月の早い時期に改めてUPします。
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前回はこちら
くりこま高原駅から28分の乗車で、16時22分に仙台駅に到着。速攻で、16時28分発の仙山線1865M(E721系P34編成+P33編成)に乗り継ぎました。
16時32分に東照宮駅に到着。片面ホームのみの構内で、しかも狭いです。
改札を抜けました。有人駅で自動改札が3台ありますが、窓口がありません。券売機はありますが。
それでは駅舎撮影。階段とエレベーターがあるだけのつくりで、待合室やトイレはありません。
ホームから見た景色。駅構内は東照宮二丁目公園に隣接しています。
連絡通路を通り抜け、踏切近くの大きな道路に出ました。開業医の多い一帯です。
3分ほど歩くと、いよいよ東照宮の入口へ。狛犬がお出迎え。
参道には石灯籠が37基あります。しかし、このたびの東日本大震災の影響で約半数が倒壊しており、両脇にはカラーコーンがしかれていました。
仁王門をくぐって更に石段を上がると本殿に出て、東北新幹線全駅下車達成のお礼参りを果たしました。仙台東照宮に初めて本殿が完成したのは承応3年(1654年)。以来、伊達藩の守護神として祀られてきましたが、昭和10年8月6日の大火で焼失しました。昭和39年1月17日に社殿が再建され、昭和54年6月に現在の姿に改修されました。
帰りも石灯篭を見ながら。言葉がありません…。新幹線は復旧したものの、これらの復旧はまだまだです。
これまで幾度と無く、マスメディアやブログで東日本大震災の記事を見聞きし、私自身も幾つか記事にしてきましたが、実際に爪痕を目の当たりにすると何か異質なものを感じました。たまたまやって来た、16時53分発の仙山線3840M(719系H22編成+H29編成)で仙台に戻りました。
仙台で見た東北本線450M。E721系P41編成+701系4両(F2-508編成+F2-514編成)でした。私はこれまで仙台を何度か訪問していますが、E721系と701系の併結編成を見たのは初めてでちょっぴりドキドキ。
仙台味噌牛タン弁当を購入し、「はやて・こまち172号」(E2系J54編成+E3系R19編成)で東北を後にしました。折角なので、りんごアイスを頂きました。大宮にて「Maxとき343号」(E1系M2編成)に乗り継いで新潟へ。早速、その駅弁で夕食にしましたが、余りの辛さに疲れた体にこたえました。隣に座った女性は、埼玉で教師をやっていて燕三条に帰省するところだとか。
21時6分に新潟に到着し、21時29分発の信越本線2556Mに乗り継いで新津に帰還しました。115系L5編成でしたが、トイレが故障していました。
これで東日本パスの旅は終了です。今回の旅で東北新幹線の全駅を巡り終えましたが、こんど使用開始になるスリーデーパスで実行するとなると1回1回特急券を買わなければならず、1日で14,500円を超えるのは確実です。東日本パスは超破格きっぷでした。あと、仙台駅でE5系も見れて、追加でWeライナーを使った甲斐がありました。
次は、新潟地区の鉄道事情を紹介します。
完
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水沢江刺駅から「やまびこ278号」に乗車。滅多にないチャンスなので、E3系の方に乗車。一ノ関から心なしかスピードが落ちてきました。
14時47分にくりこま高原駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内ですが、屋根が無く開放的です。勿論、安全柵がありますが。
改札を抜けました。自動改札の手前に「みどりの窓口」と「びゅうプラザ」を併設した部屋があり、前者は6:30~21:45、後者は10:00~18:00(土日祭日休み)の営業です。その向かいにはちょっとした土産物屋があります。
自由通路を挟んで北側に向くと、左手は土産物屋、トイレの順に並び、右手は待合室です。その奥には展示ホールがありますが、施錠されていました。
東口に出て駅舎撮影。エントランスが星型になった高架駅です。右手にある「オアシスセンター」は、どうやら展示ホールのことですね。くりこま高原駅に降り立って、東北新幹線全駅下車達成。
駅前にある交流施設・エポカ。伊豆沼まで望める展望台を備えた高さ38mのタワーの奥に、宿泊施設などを備えた5階建ての建物があります。この後買い物の予定があるので、今回は撮影だけ。
再び自由通路を通って西口に出ました。エントランスの他に幾つか角が出ていることに気付きました。通路の左側はP&R、右側はタクシープールです。
ロータリー北方にある長谷川峻(たかし)先生像。当選13回の衆議院議員で、くりこま高原駅設置の立役者でした。新幹線の駅は、政治の力でつくられるケースが往々にしてありますからね。
駅前ロータリーを出発すると、すぐにカリオン公園があります。「民心豊楽」の石碑が建てられた大水車は、「ヨッ、日本一!」といって直径が10mです。直径が10mなのには理由があり、固定式の水車が最も多かった昭和初期には日本国内で約10万台の水車(農業用78,000台、鉱工業用20,000台強)があり、紫波姫町(当時)がそれを代表し象徴するものとして設置したことに由来します。その他には、この大水車の隣にお姉ちゃん「ゴットン」(直径3.5m)、納屋の中にお兄ちゃん「ゴットン」(直径2m)という水車があります。
一旦道路に出れば、長閑な田園風景が広がっていました。この反対側にあるイオンスーパーに入り、しばし買い物タイム。
くりこま高原駅は1990年3月10日開業で、新花巻駅と同様に請願駅でした。駅スタンプの表題は「水車と白鳥と栗駒山の駅」です。15時54分発の「やまびこ280号」(E2系J63編成+E3系R8編成)に乗車。短い時間ですが、件のイオンスーパーで購入した澤の泉伊豆沼白鳥カップで打ち上げ。
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「やまびこ276号」は13時24分に水沢江刺駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
改札を出ました。左側には「みどりの窓口」があり、営業時間は6:10~23:10です。右側は土産物屋・ぐるっと遊です。コンコース内は何もありません。
通路を挟んで盛岡方に向くと、左側は駅蕎麦屋、右側はトイレです。その奥は「南岩手交流プラザ」です。
折角なので、「南岩手交流プラザ」に入ります。入ってすぐ、岩谷堂タンスコーナーがありました。その向かいはレンタカー扱所です。
この他にも岩手の名産品が多数展示されていました。これは、前沢牛と江刺金礼米ですが、向かいには南部鋳物がずらり。
奥の一角には祭りの様子が紹介されていました。水沢江刺駅の駅スタンプの表題は、日高火防祭(ひだかひぶせまつり)と江刺鹿踊(えさしししおどり)です。
「南岩手観光プラザ」を見終えて東口へ。エントランスには、炎立つロケ地記念「鋳物手形」がありました。この大河ドラマの出演者の手形がずらり。
その向かいには、倉稲魂命献上米。水沢江刺駅はアイテムが一杯です。
東口に出て、ようやく駅舎撮影。キューポラを模した洒落た駅舎です。駅前にも土産物屋があります。
それでは駅舎東側を。長閑な田園風景が広がっています。東北新幹線の単独駅ですし。
案内に誘われるままに「キューポラの館」(奥州市伝統産業会館)へ。高架をくぐって2分ほどで到着。入館料は200円。
入口では坂本流大筒がお出迎え。
中では南部鉄器ができるまでが紹介されていました。エントランスでも南部鉄器などが展示されていました。社会化見学の目的で設けられた博物館ですが、もう少し時間をとってもよかったかな。
入口の売店では南部鉄器が販売されていましたが、勿論土産にしませんでした。だいいち、手が出る価格ではないし、大き過ぎるし…。
その後、公園の中にある五十瀬神社を訪問し、東北新幹線全駅下車達成を誓ってきました。
その後、西口に出ました。東口と同じような体裁の、洒落た駅舎です。駅前ロータリーにはジャンボ鉄瓶。ここにも南部鉄瓶がPRされています。
ロータリーの西側には「後藤新平と少年」。後藤新平といえば肥薩線の列車名とトンネルに登場する人物ですが、なぜここで。
1時間の滞在時間はあっという間に過ぎ、14時24分発の「やまびこ278号」(E2系J62編成+E3系R26編成)に乗車して水沢江刺に別れを告げました。余りにも暑かったので、団地の自販機で購入したカルピスウォーターのビッグ缶をあっという間に飲み干しました。
つづく
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先日は失礼しました。東日本パスの旅の続きです。
前回はこちら
「やまびこ274号」は、12時9分に新花巻駅に到着。対面式ホーム2面2線で、退避できません。
改札を抜けました。改札に向かって左側が「みどりの窓口」で、営業時間は6:50~23:20です。その手前には土産物屋が左右に並んでいます(左側が物産館、右側が「ぐるっと遊」)。釜石線の乗り換え客もここを通るのか、いつも混雑しています。
入口に出ると、七夕飾りに囲まれていました。これは2011年7月16日の旅行記です。待合室の東口側には、トイレと蕎麦屋が向かい合っています。
2度目の歯磨きを終え、東口に出ました。銀河鉄道の列車を模したとされていますが、私にはそう見えません。尚、駅前にはP&Rが形成されており、レンタカー扱所もあります。
折角なので、地下道を通って釜石線のホームへ。片面ホーム1面のみの構内で、駅員は居りません。新花巻駅のエスペラント名は「ステラーロ」です。
ホームからの景色。宮沢賢治の「イーハトーヴ」を思わせるような長閑な田園風景が広がっていました。
在来線から戻り、西口に出ました。東口とは左右対称です。こちらには送迎用駐車場があります。
駅舎前にあるモニュメントは「愛の泉」。これも宮沢賢治に関係あるのかな。
駅前広場のはずれには「セロ弾きのゴーシュ」がありました。宮沢賢治の世界です。音は鳴りません!
駅前の様子。わんこそばを食べさせてくれる食堂が併設する土産物屋がありました。
折角なので、待合室兼観光センターへ。花巻踊りの神輿や周辺地域の名産品が展示されていました。東日本大震災の大津波で甚大な被害を蒙った大槌町の特産品には心を痛めました。
最後に、西口にある「新花巻駅設置ものがたり」。新花巻駅は、もともとは設置されない予定でした。そこで、地元住民や政治家が設置運動を起し、当時の岩手県知事の中村氏の英断で県が総費用の3分の1である41億8000万円負担し、花巻市民や同商工会が11億8500万円を寄付し、昭和60年2月の開業にこぎつけました。更に、当時の花巻市長が17億円の投資で周辺整備を行い、全国初の全額地元負担による「おらが駅」となりました。地元有力者の働きかけで設置された新幹線駅って結構多いものです。
ホームに上がると余りの暑さに汗だくに。13時9分発の「やまびこ276号」(E2系J52編成)に乗車しました。
つづく
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ここで、台風12号関連の話題をお伝えします。
「牛歩台風」と揶揄された今年の台風12号。9月3日~4日に紀伊半島を中心に集中豪雨をもたらし、死者37人、行方不明者54人発生させました(2011年9月5日22時5分現在)。三重県、和歌山県、奈良県の被害は、皆様の知るところです。
鉄道関連の被害もまた然りで、紀伊天満~那智間の那智川橋梁が崩落しました。美祢線が9月26日より運転再開されることが決まった矢先のことで誠に残念です。
2011年9月5日現在、紀勢本線は、和歌山市~白浜、亀山~多気のみの運転で、白浜~多気間は終日運転を見合わせています。「くろしお」「オーシャンアロー」は白浜止まり(一部運休)、「南紀」は全て運休です。多気~尾鷲は明日にも運転再開するとみられます。
尾鷲~新宮間の被害状況は分かりませんが、那智川橋梁の復旧には相当な期間を要するでしょう。果たして年末まで間に合うかどうか。運転見合わせ区間が広範囲にのぼりますが、R42が復旧したならばバス代行は是非やってもらいたいものです。せめて、通学時間帯だけでも。紀勢本線が一日でも早く復旧するといいですね。
最後に、この度被災されました皆様には心から御見舞い申し上げます。