三河槇原駅から乗った飯田線528Mは、10時2分に湯谷温泉駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
階段を下りて駅舎撮影。大正2年の開業当時からの渋い木造駅舎です。廃旅館ということで、2Fの窓にはベニヤ板が付けられています。
では駅舎の中へ。委託駅ながら窓口があり、営業時間は8:25~17:50。但し、土日祭日のみの営業です。
駅舎には広めの待合室があり、新しめのゴザとテーブルが備え付けられています。壁には若山牧水の『鳳来寺紀行』を抜粋したものが2枚、自身の歌集『黒松』からの抜粋が1枚貼られています。
駅舎の豊橋寄りにある新しめの建物はトイレです。吹きさらしながらベンチが備え付けられています。
それでは周辺散策。でもその前に、歓迎塔を入れて廃旅館の駅舎を撮ってみました。
3分ほど歩くと湯谷集会所に到着。そこには源泉1号泉の碑が。
湯谷温泉駅から徒歩圏内には趣のある温泉旅館が林立しています。ポストバブル期にて何軒も廃業していますが。1泊2食付きで15,000前後が相場のようです(今週末で検索したところ)。
400mくらい歩くと、宇連川を渡ります。水がきれいですね。正面の三角の山は宇連山か。
橋を渡ると、日帰り温泉・ゆーゆーありいなに到着。営業時間は10:00~21:00です。
左岸で引き返し、駅に戻ります。一つ岩の向こうには温泉ホテル。
駅に戻りました。では時刻表を。下り14本、上り15本で、うち特急が2往復です。どうしても朝の上りと夜の下りが集中するんだよな。
列車を待っている間、温泉帰りの年配の女性3人組に出会い、お菓子まで貰っちゃいました。自由席特急券を購入し、10時54分発の「ワイドビュー伊那路1号」(373系F12編成)に乗車し、リクライニングシートで宇連川の渓谷を堪能しました。特急券は630円と決して安くないです。
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このカテゴリーは今まで「高山本線」としましたが、飯田線や身延線の記事を載せるべく「中部縦貫線」としました。ひょっとしたら、樽見鉄道や長良川鉄道をも載せるかもしれません。
前回はこちら
東海道本線5300Fは、7時56分に豊橋駅に到着。飯田線3511M(右の213系H8編成)に乗り継ぎました。
三河槇原駅に着くまでの間、飯田線の概要を紹介します。飯田線は、豊橋からほぼ豊川、宇連川、天竜川に沿って中部山岳地帯を縦貫し、そして伊那谷に沿って辰野に至る地方交通線です。豊橋~豊川は複線で、小坂井の手前の信号所まで名鉄の線路を借用するのはユニークです。豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道の4私鉄を前身とするため全長195.7kmながら駅数が92もあり、いわゆる「秘境駅銀座」とよばれる一帯も存在します。373系による「ワイドビュー伊那路」が豊橋~飯田を2往復するほかは普通列車が主体で、中には5時間半~6時間半くらいかけて全線を走破するものもあり、「乗り鉄」にとってはたまらない路線です。普通列車については、数年前までは119系の天下でしたが2012年春に全て引退しています。「みすず」の一部に115系が入る他は、313系(3両のB編成、2両のR編成)及び213系(2両のH編成)が中心となっています。このような魅力を持つ路線ですが、利用客はJR東海発足当時と比べて約6割にまで減少して駅の無人化やワンマン列車化がつとに進み、相次ぐ大精算遅れが問題となっています。
9時37分に三河槇原駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線+保線用側線の構内です。
構内踏切を渡って駅舎撮影。平成15年2月築の、コンクリの簡易駅舎です。右手の大きな木造の建物はトイレです。
では駅舎の中へ。ベンチから窓を眺める形状の待合スペースです。勿論無人駅で、券売機の類すらありません。旅客が入れるのは駅舎の左半分だけで、右半分は信号機器スペースと思われます。
それでは周辺散策。駅前には茶畑があり、温暖な奥三河らしい長閑な風景です。奥にある面白い形状の山は鳳来寺山と思われます。
坂を上がって主要道に突き当たると一面の森林に。愛知県民の森まで徒歩15分です。滞在時間が22分しかないので、ここら辺で折り返します。
最後に時刻表をご覧ください。下り12本、上り13本ですが、どうしても朝に集中しており、日中には2時間半くらい空くこともあります。
駅に戻ると、一人の小学生がやってきました。彼女と共に、9時59分発の528M(213系H9編成)に乗車しました。
つづく
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2012年夏の小海線の旅のUPが終わっていませんが、鉄道の日に行った飯田線駅巡りの模様をお伝えします。
皆様、飯田線と聞くと何を連想しますか。旧型国電の博物館?秘境駅?JR東海で最も風光明媚な路線?駅数がやたら多い路線?いろいろ出てくるでしょう。
私が飯田線を乗り通したのは実に17年前の春のことでした。しかし、駅巡りを始めるまでは一度も乗っていません。確かに、秘境駅が日本一多く、区間によっては列車本数が少なくなり、乗り継ぎプランが組みにくいです。これも理由の1つですが、むしろ東海道本線の新駅の開業を待っていたというのが大きかったりします。
前置きが長くなりましたが、2012年鉄道の日の乗り継ぎ旅にまいりましょう。
2012年10月13日(土)。新津車両製作所公開の日でした(関連記事はこちら)。一旦家に帰って身支度をし、21時33分に家を出ましたが、何とか新津駅21時47分発の信越本線459M(115系N17編成)に間に合いました。新潟駅で少し時間をつぶした後、22時45分発の高速バスで一夜を過ごします。最前列の席を指定されました。途中、大積PA、恵那峡SAで休憩。
定刻よりも10分早い、5時50分に名鉄バスターミナルに到着。
名古屋駅では列車表示の不具合がありましたが、青空フリーパスを買い、6時5分発の東海道本線3106F(313系Y112編成)に乗車。飯田線の概要については次の記事に譲るとして、前段として2012年3月17日に開業した新駅を目指します。
6時54分に相見駅に到着。下り列車のみ退避できる構造で、2面3線の構内です。
それでは駅舎の中へ。3台の自動改札の右手にみどりの窓口があり、営業時間は7:00~19:00です。改札をくぐって右手にトイレがあります。
さて、東口に出ました。朝の光があたって素晴らしい色が出ています。エレベーターが中央にあり、大きな橋上駅舎という印象です。
駅前の様子。手前にある稜線のようになっている24の柱は、幸田町の24の行政区を表しています。奥にある池とトイレは、筆柿とホタルをイメージしています。ロータリーの向こうにはMAG。
で、トイレで最初の歯磨き。水場を挟んで噴水が上がっていますが、青池をイメージしています。
さて、西口に出ました。東口とは異なってエレベーターが名古屋方にあり、総ガラス張りの印象です。階下にトイレがあります。
駅前の様子。開発はまだまだという印象です。ロータリー中央にある3つの岩は、幸田町にある3つの駅(幸田、三ヶ根、相見)、3つの指標(緑、住、文化)を示しています。時代が時代だけに、東西の駅前広場の総称は「絆」-KIZUNA-です。
相見駅は、駅前を見るだけでも胸いっぱいになる駅でした。7時30分発の3108F(311系G12編成)に乗車。蒲郡にて特別快速5300F(313系Y110編成)に乗り継いで豊橋へ。
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連日の更新になりますが、再び新潟の115系電車の話題をお伝えします。
2013年3月16日のダイヤ改正で長野地区で211系の運転が始まり、115系の一部はしなの鉄道に譲渡されたりしています。そんな中、新潟車両センターに転属した115系電車がいます。それは、踏切事故で大破したE127系V3編成の代替車としてやってきたのですが、車両センターの中でずっと整備しており本線には姿を見せませんでした。しかし、本日、越後線129Mに入っていました。「N33編成」として。
さて、その「N33編成」の模様をご覧ください。撮影は新潟駅です。
「いなほ4号」と撮ろうとホームに上がると、長野色の115系電車が止まっていました!清掃しているので、ラインに入ってるとわかります。越後線129Mで4番線に到着したもので、L9編成の次位になっていました。33番目の3両編成ということで、「N33」とネーミングされました。
その115系N33編成を拡大。白山方から見ると、「クモハ115-1083+モハ114-1089+クハ115-1230」の編成です。長野時代は「N27」編成を名乗っていました。検査表記を見る限り、昨年8月に全般検査から出場したことがわかります。表記は「長ナノ」のままです。
本日のおまけ。新津車両センターで落成したE233系112編成。試運転を終えて新津駅にやってきました。埼京線・川越線用のE233系7000番台は12編成まで揃い、1月当たり2編成のペースで増備していることになります。
115系N33編成のレポートは以上です。この先せいぜい数年の間ですが、JR東日本新潟支社に新たなダークホースが出来たことになります。運用はある程度パターン化されていますが、見かけられたらラッキーですね。JR東日本の115系電車も終盤を迎えているので、これからは国鉄型電車から目を離せません。
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先日、E653系を利用した庄内方面へのびゅう商品が発売開始しました。定期運転開始の2週間前で、巷で「フルーツ牛乳」と呼ばれているE653系1000番台のお披露目といえます。羽越本線は新しい時代に入ります。
さて、これから公開するのは、2012年3月分の特急いなほ号です。3月16日にダイヤ改正が行われ、運用も組み合わされる列車も変化しました。ダイヤ改正の前後の光景をお楽しみください。特記以外は新潟駅での撮影です。
2013年3月3日の「いなほ3号」。R27編成でした。信越本線2530M(E127系V9編成)と並べてみました。尚、この2530Mは、ダイヤ改正で9番線からの発車となりました。
「いなほ3号」が発車した直後に3番線に到着した「いなほ6号」。要検から出てきたばかりのR26編成でした。Tc481-3034のヘッドマークはありましたが、このThsc481-3026のヘッドマークは黒一色です。
2013年3月10日の「いなほ3号」。T11編成でした。置き換えの話があり、多くの者が撮影に興じていました。
2013年3月13日の「いなほ9号」。R26編成ですが、ヘッドマークのある6号車側から「北越5号」(T14編成)と並べてみました。
2013年3月18日の「いなほ9号」。R27編成でした。1番線に入ってきた「北越5号」(T11編成)と並べてみましたが、既に「回送」を出していました。
2013年3月20日の「いなほ4号」。ヘッドマークが既に真っ黒なR28編成でした。このダイヤ改正で羽越線927Mが9番線からの発車となったので、新潟駅で「いなほ4号」を撮影する場合、平常運転の場合はこの形式写真しか撮れません。
同日の「いなほ3号」。T11編成でした。このダイヤ改正で信越本線2527Mが1番線に到着するようになったので、10時55分に115系との並びが撮れるようになりました。
「いなほ3号」が到着した直後の「いなほ6号」。R26編成でした。4番線工事のため特別に5番線に到着し、そのまま「いなほ5号」となりました。今思えば、これは5番線最後の光景の1つとなりました。
2013年3月24日の「いなほ7号」。T12編成でした。
2013年3月31日の「いなほ3号」。R23編成でした。雨の大形駅で撮影。
その直前に撮影した「いなほ6号」。T11編成でした。田起こし前なので、田んぼが真黒です。
11時41分頃に新潟駅4番線に入線したT15編成。ヘッドマークが既に「いなほ」になっていて、このまま入れ換えて「いなほ5号」となりました。
3月分の485系いなほ号は以上です。最後の、ダイヤ改正前と現在の485系新潟車の基本運用(「くびき野」を除く)を掲載します。
2013.3.15まで
A601 新潟 3362M 直江津
A602 直江津 3361M 新潟 2003M 酒田 2012M 新潟 2011M 酒田
A603 酒田 2006M 新潟 2005M 秋田 2014M 新潟 2013M 酒田
A604 酒田 2002M 新潟 2001M 秋田 2010M 新潟 2009M 酒田
A605 酒田 2004M 新潟 2007M 秋田
A606 秋田 2008M 新潟 1060M 金沢
A607 金沢 1053M 新潟 1058M 金沢
A608 金沢 1051M 新潟 1056M 金沢 1059M 新潟
A609 新潟 1052M 金沢 1055M 新潟 3947M 村上 3950M 新潟
A610 新潟 1054M 金沢 1057M 新潟
2013.3.16~2013.9.27
A601 新潟 3362M 直江津
A602 直江津 3361M 新潟 2003M 酒田 2012M 新潟 2011M 酒田
A603 酒田 2004M 新潟 2005M 秋田 2014M 新潟 2013M 酒田
A604 酒田 2002M 新潟 2001M 秋田 2010M 新潟 2009M 酒田
A605 酒田 2006M 新潟 2007M 秋田
A606 秋田 2008M 新潟 1060M 金沢
A607 金沢 1053M 新潟 1058M 金沢
A608 金沢 1051M 新潟 1056M 金沢 1059M 新潟
A609 新潟 1052M 金沢 1055M 新潟 3947M 村上 3950M 新潟
A610 新潟 1054M 金沢 1057M 新潟
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先日購入した『DJ鉄道ダイヤ情報』には、来年から新潟地区にデビューするE129系の概要が載っていました。そのE129系は、160両全てが新津車両製作所で製造されることが決定しています。これに伴って置き換えられるのは、現在主力として走っている115系電車です。
新潟地区の115系電車は、昭和53年頃にモハ70系を置き換えて新製投入されたグループが大半ですが、中には昭和39年製のクハ車や昭和44年製のモハ車が使用された編成も存在します。E233系の投入が進むうち、新潟地区はいつの間にか最古参の電車が集う地区になってしまい、近年は「新津車両製作所の脇を古い電車が走っている」と揶揄されてきました。北陸新幹線開業とともに新潟の鉄道界は大きく変わります。
さて、115系電車を使用した羽越本線の列車達を見てみましょう。列車が列車だけにL編成が中心ですが。特記以外は新潟駅での撮影です。
2013年7月14日の1928M。N32編成+N24編成で、後追いで撮影。早通駅で撮影。
同日の1937M。L13編成です。新崎駅で撮影。
2013年7月16日の939M。L9編成です。東新潟駅で撮影しましたが、本来の停止位置を10mくらい過ぎていました。
2013年7月20日の931M。先頭車を除いて丸窓が特徴のL3編成です。
2013年7月22日の939M。両先頭車が2000番台で両モハ車が0番台のL5編成です。東新潟駅で撮影。
2013年7月24日の939M。再びL3編成です。東新潟駅で撮影。
2013年7月28日の931M。新潟で最も古い車両であるL1編成です。最も早く置き換えられるとみられます。
2013年7月31日の939M。L14編成です。東新潟駅で撮影。
2013年8月4日の933M。S8編成+N10編成です。
2013年8月5日の939M。L7編成です。東新潟駅で撮影。
2013年8月7日の931M。L11編成です。夏らしい天気で、車体に光がまわっています。
同日の933M。前2両はS9編成ですが、後3両は湘南色のN2編成です。
同日の1937M。L12編成です。前回の要検が平成23年末なので、少し色あせています。
2013年8月8日の939M。後ろ1両を除いて丸窓のL4編成です。東新潟駅で撮影。
2013年8月10日。豊栄駅で「いなほ」狩りのついでに撮影した1932Mです。N14編成+S5編成です。
羽越線の115系電車はひとまずこれまでです。私は毎日115系電車に乗っていますが、猛暑にもかかわらず一部車両で冷房故障で窓を開けざるを得ないのは日常茶飯事です。L1とかS13、S14、S15あたりは要検を受けて大分年月が経っているので、E129系がデビューすると先陣を切って淘汰されるのではないでしょうか。
次は、485系「いなほ号」のコレクションを大放出します。
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早くも出発の時間となりました。17時3分発の141D(キハE200-3+キハE200-1)に乗車し、馬流駅を出発。
ボックスを独占すると、風林火山で早い夕食。牛肉焼きから栗おこわまで山梨の名産がたっぷり入り、1260円の価値ある駅弁でした。
17時59分に小諸駅5番線に到着。速攻でしなの鉄道の切符を買って駅舎撮影。長野新幹線開業前の18年前に訪問したことがありますが、駅舎は当時と変わらず2階のレストランも健在でした。ただ、マークは変わっていましたが。尚、トイレは、改札内の軽井沢方にあります。
では、駅舎の中へ。右側の窓口のようなものは、しなの鉄道の定期券販売所です。左手に待合室があります。
JRのみどりの窓口はというと、駅舎の長野方にあります。営業時間は10:00~12:30、13:40~18:00。
駅舎の右手には、懐古園につながる自由通路があります。その右手に公衆トイレがありました。
では、駅前の様子を。ロータリーの中心に「希望」というモニュメントがあります。
駅の周辺には土産物屋が何軒かありますが、長野新幹線開通で著しく寂れてしまい、わずかに日本海庄やの明かりがあるだけ。ただ、祭りがあるようで、どこからかピーヒャラピーヒャラ聞こえました。
大急ぎで調査を終え、18時20分発の6673Mで長野に向かい、「妙高5号」以下の3列車で新津に帰る予定でした。しかし、時間になっても動く気配すらない。すると、
「西上田~坂城間で雨量が規制値に達しましたので、運転を見合わせています。」
次の小海線の列車と長野新幹線を乗り継いでも本日中に新津に帰れないので、速攻で家に連絡を入れました。長野、上田の東横インに当たるがいずれも満室。乗客の中には、併設の駅そばで夕食を取る人も。運転再開を信じて待つうち、軽井沢からの777Mが到着し、我々は本来のS7編成からS6編成に乗せ換えられました。
願いが通じたのかゲリラ豪雨が収まり、1時間9分遅れの19時29分にやっと小諸駅を発車。上田、西上田にて一旦抑止され、終点・長野には21時1分に到着。接続しないと思ってた信越本線361M(115系N12編成)が接続を取ってくれました。相席させてもらった女のコによると、長野市は何て事なかったそうだ。22時10分に北新井駅に到着し、迎えの車で新津に帰りました。
以上で、「小海線全駅下車への道 第2回」は終了です。今回は、高所の駅を巡ってきましたが、ゲリラ豪雨を予感してか暑かったような感じでした。JR最高所も押さえられたのが最高の収穫でした。小海線全駅下車達成したのは2012年9月1日でした。
次は、新潟の115系電車の話題をお伝えします。
小海線全駅下車への道 第2回 おわり
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小海線231Dは、16時23分に高岩駅に到着。片面ホーム1面のみの構内で、ホームは狭いです。
それでは駅舎撮影。平成8年12月築の、可愛らしい駅舎です。標高は812.9m。
では駅舎の中へ。一列に木造ベンチが設えられており、ゴミ箱も備え付けられています。勿論無人駅で、券売機すらありません。
次に、時刻表を。下り16本、上り17本で、上下10本ずつがワンマンです。
駅裏は水田地帯となっており、山が迫ります。
それでは周辺散策。高岩駅へのアプローチ道路は、住宅に囲まれた細い路地です。
道路に出て小諸方に歩くと、面白い石のアイテムのある家に出会いました。
近くでは水車が現役。
高岩駅は、駅の内外とも花いっぱいの駅でした。山には不気味なほど黒い雲が掛かっていました。急に涼しくなったと感じましたが、湿度は相変わらず高かったです。
16時45分発の136D(キハE200-3+キハE200-1)に乗車して1駅小淵沢方面へ。
16時48分に馬流駅に到着。片面ホーム1面のみの構内で、ホームは狭いです。
それでは駅舎撮影。細長いですが、小海線標準型の無人駅です。標高は841.5m。
では駅舎の中へ。細長い空間にベンチが並んでいます。計6脚だったかな。券売機の類もないですが、ゴミ箱が備え付けられています。
駅裏の様子。畑がありますが、山が迫っています。何かありそうですね。
それでは周辺散策。駅へのアプローチルートはこの狭い路地です。
踏切を渡ると、鬱蒼した森に諏訪神社がありました。
その隣には秩父事件戦死者の墓がありました。秩父事件は、1884年10月31日から11月9日にかけて、埼玉県秩父郡の農民が新政府軍に対して起こした武装蜂起事件です。自由党員らが中心となって、増税や借金苦にあえぐ秩父地方の農民とともに「困民党」が結成され、10月31日に蜂起し、最終的には11月9日にこの地で警察部隊や高崎鎮台兵に鎮圧されました。
滞在時間が22分しか取れないので、これ以上散策できないのが残念なところ。
つづく
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本日、ついに高知県の「江川崎」で最高気温41℃を記録してしまいました。20世紀に人類がフロンガスを垂れ流したツケが今ここに出ているのであって、地球温暖化はいよいよ本番を迎えました。これからの気候変動のことを考えると末恐ろしくなってきます。で、このブログでは私の日本各地の鉄道旅行記や鉄道事情について書かれていますが、今回は避暑地の旅をお送りしています。
前回はこちら
松原湖駅を出て急坂を上がると、可愛い建物のある交差点に出ました。松原湖へは車で10分です。また、北八ヶ岳松原湖温泉・八峰の湯へは4.2km離れています。
小諸方に進み、ドライブイン・松原湖に到着。大したものを売っていないので、用を足して2度目の歯磨きして終わり。
駅に戻ると、出発の時間となりました。2分遅れでやってきた、14時53分発の232D(キハ112-110+キハ111-110)に乗車し、JRで4番目に高い駅へ。
2分遅れの15時16分に信濃川上駅に到着。交換可能駅ですが、島式ホームは極めて狭いです。
駅舎へは構内踏切を渡っていきます。信濃川上駅は、1面2線に引き込み線2本の構内です。
それでは駅舎撮影。開業当時からと思われる木造駅舎です。トイレは小淵沢方にあります。標高は1135.3m。
駅内部の様子。石油ストーブに囲まれてベンチが並んでいます。委託ながらも窓口が生きています。荷物扱所の跡は本棚になっています。
それでは周辺散策。駅前は静かな住宅地です。正面には男山が聳え立っています。
3分ほど歩いてJAの前を通過すると畑に出ました。男山には黒い雲が掛かっていました。
1つ下流寄りの橋を渡って千曲川を体感。この山の上が信濃川の源流です。
帰りに馬頭観音像を撮影しました。信州の旅といったら矢張りこれですね。
駅に戻って駅舎を抜けると勤勉の像がありました。二宮金次郎ではあるまいが、教育県である長野県ならではです。
信濃川上駅は、川上村唯一の駅です。ホームに上がると、一人の女性が待っていました。「あさま」に乗り継いで東京へUターンするのだとか。彼女に今回のデジカメのデータを見せ、15時51分発の231D(キハ111-109+キハ112-109)に乗車しました。
つづく
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小海線駅巡りの途中ですが、今夏の「8連いなほ」の話題をお伝えします。
今年もお盆がやってきました。帰省して墓参りされる方も多いのではないでしょうか。そんな中、8月9日の「いなほ7号」から「8連いなほ」が始まりました。対象となった編成は、要検から帰ってきたばかりのR22編成です。「いなほ7号」~「いなほ8号」が今冬にはE653系1000番台に代わるので、ひょっとしたら「8連いなほ」はこの夏が最後かもしれません。
では、「8連いなほ」の模様をご覧ください。取材日は、2013年8月10日(土)でした。
「いなほ8号」は、ポプラの木がアクセントである豊栄駅で撮影しました。定刻12時44分に到着しました。要検から出たてのピカピカのR22編成です。
1番線に入線すると、一瞬だけR21編成の6連である「いなほ5号」と並びました。
「いなほ8号」が出発するとすぐに「いなほ5号」が秋田に向かっていきました。自由席は5,6号車のみなので、通勤電車並みの混雑だったでしょう。
定刻12時57分に新潟駅に到着し、整備のため13時11分頃に新潟車両センターへ回送されました。
整備を終え、「いなほ7号」は15時18分頃に新潟駅2番線に入線。「北越8号」が発車するその時なので、被られないかとヒヤヒヤしながらの撮影でした。
編成写真に移る前に、「モハ484-3086」の検査表記をご覧ください。「22.2.13 AT」のままです。隣の「モハ485-3086」が「22.2.22 AT」のままなので、3086ユニットは今年いっぱいで御用済みになるかもしれません。
では、白山方から編成全体を。指定席は1~5号車で、自由席は6~8号車です。3両ある自由席には長蛇の列が出来ていたので、ものの数分で席が埋まったものと思われます。昨日の大雨の影響で秋田新幹線が終日運休だったのでなおさらです。
次は、新潟方から編成全体を。先頭から、「クロハ481-3004+モハ484-3065+モハ485-3065+モハ484-3086+モハ485-3086+モハ484-3066+モハ485-3066+クハ481-3348」です。
定刻15時33分に秋田に向けて発車しました。信越本線2548Mが既に9番線に入線しているので、先端のごく限られたスペースからの撮影となりました。
「8連いなほ」の模様は以上です。13日の「いなほ7号」と14日の「いなほ8号」は別編成で運転されますが、「8連いなほ」は18日の「いなほ8号」まで続くと思われます。9月28日の「いなほ7号」からE653系1000番台が運転開始ということもあり、「485系いなほ号」はこれまでにないほど注目を集めています。この機会に、「485系いなほ号」を撮影・乗車されたらどうでしょうか。「8連いなほ」が見れる最後のチャンスかもしれませんよ。
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