クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

平城遷都1300年記念乗り継ぎ(その4)

2010-08-31 23:45:15 | 関西線

12時39分に島ヶ原駅に到着。交換可能駅で対面式ホームの2面2線の構内で、日中は1時間おきにこの並びが見られます(特定週土曜を除く)。木津方に引込線があり、かつては貨物を扱っていたと思われます。



駅舎に入ります。委託ながらも駅員が配置され、窓口営業時間は7:00~15:00です。隣のブースでは島ヶ原特産のきゅうりがアピールされています。



それでは駅舎撮影。大正10年12月築の木造駅舎です。庇で囲まれており、明治風のつくりです。この左手に水洗トイレがあります。さらに左手には特産物販売所があり、きゅうりや醤油などが販売されています。


島ヶ原での滞在時間は1時間。例によって周辺散策。駅前には地産地消の飲食店があったので、ここで昼食にしてもよかったかな。



幹線道路を横切って6分ほど集落を下ると、島ヶ原宿の旧本陣に出ました。現在では静かな集落ですが、この地が大和街道の宿場町だったことは大きな発見でした。



一旦駅に戻り、今度は東へ。踏切の近くからは田園地帯が広がっていました。



島ヶ原を後にする前に2番乗り場の待合所を。とある古典作品の絵巻が描かれていました。13時39分発の245D(キハ120 306+キハ120 304)に乗車し、三重県から京都府に入ります。



13時44分に月ヶ瀬口駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。



ホーム先頭から階段を下り、駅舎に入ります。待合ベンチと一緒に窓口がありますが、営業時間は平日の7:00~15:00のみです。



それでは駅舎撮影。昭和40年12月築の、ブロック積みの駅舎です。トイレはホームの近くにあります。



月ヶ瀬口での滞在時間は1時間。例によって周辺散策します。駅前にある頌徳碑を見て集落を下ります。



駅を出て10分、木津川(伊賀川)を渡ります。その後、左に曲がってしばらくすると、木津川の渓谷が左手に広がってきました。


渓谷を見ると、一転して急な上り坂となります。「不法投棄禁止」の看板が引っ切り無しに立っています。駅入口から高山ダムまでは3.8kmですが、適当な所で折り返しました。この日は猛暑日に違いなく、ハイキングはきついです。



10分前に駅に戻りましたが、窓口前が制圧されていたので早めに待合所に行き、持参のトウモロコシを食べて列車を待ちます。月ヶ瀬口は付近に梅林があり、花の季節を中心にハイキング客の利用が多いので、待合所には楽しそうな絵が描かれています。そういえば、月ヶ瀬口駅のホームは谷間にあるのですね。


14時44分発の247D(キハ120 301+キハ120 8)で月ヶ瀬口を後にします。車内は大分混んできました。


つづく
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平城遷都1300年記念乗り継ぎ(その3)

2010-08-29 22:10:43 | 関西線
佐那具での滞在時間は18分。駅調査を終えると、残り時間は10分。



とりあえず駅前だけでも。周辺は住宅地で、正面には小さな定食屋があります。1時間あれば、散策したのに。


缶コーヒーを飲み、10時54分発の234D(キハ120 16+キハ120 302)で1駅戻ります。



10時59分に新堂駅に到着。交換可能駅で島式ホーム1面2線ですが、駅舎側のレールが剥がされていることから、以前は2面3線で退避を行なっていたに違いありません。



跨線橋を渡って正駅舎のある北口に出ました。開業当時からの木造駅舎が現役です。中はどうなっているでしょうか。



窓口が閉鎖されて、僅かなベンチがあるのみです。この駅舎は事実上通路と化しています。



新堂駅の機能はここに集約されているのです。委託駅員も配置されており、窓口営業時間は6:00~17:00です。



北口から4分ほど歩き、列車から見えた神明宮にお参り。ここで関西本線全駅下車達成を誓ってきました。



残り時間は僅かですが、南口に行ってきました。ここは駅舎が無く跨線橋の入口だけですが、別棟に水洗トイレがあります。オークワが近いので、滞在時間が1時間あったなら間違いなく買い物してました。


ホームに上がると、名阪国道の向こうに森精機の工場が見えます。三重県伊賀地方は工業団地が多いですね。11時18分発の241D(キハ120 301+キハ120 8)で木津方面に進みます。



11時31分に伊賀上野駅に到着。伊賀鉄道の終着駅で、2面4線の構内を有します。駅裏はINAXの工場。



折角なので、切り欠きホームに停車中の伊賀鉄道の電車と絡めて、241Dの後追いを撮影。近鉄伊賀線だった時代に1度だけ乗ったことがあります。



改札を抜けて駅舎の中へ。大きな待合室があり、窓口営業時間は5:30~22:00です。



4年前にも撮影しましたが、今回も改めて駅舎撮影。開業以来と思われる、どっしりとした木造駅舎です。トイレは改札内にあります。


滞在時間を1時間確保しているので、昼食場所を探しに周辺散策。駅前道路をしばらく南下すると、候補が幾つか見つかりました。マルジュに入ります。日替わり定食を頼みましたが、アイスコーヒーがお替りできて大満足でした。



昼食を終えると服部川の上に。向こうには伊賀鉄道の鉄橋。橋を渡れば伊賀上野市街地ですが、残り時間が少ないのでここで引き返します。なにせ超暑いし。


12時31分発の243D(キハ120 305+キハ120 11)に乗車し、次なる駅に進みます。


つづく
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平城遷都1300年記念乗り継ぎ(その2)

2010-08-26 00:00:22 | 関西線
関西本線226Dは、8時49分に関駅1番乗り場に到着。



駅舎に入ります。観光案内所が併設されており、窓口営業時間は7:00~16:00です。案内所に向かって手前にはふるさと会館があり、喫茶店が併設されています。



歩道橋に上がって駅舎撮影。白壁でまとめられた旅籠風の大きな駅舎です。トイレは右側の一角。右隣には道の駅がありますが。


関では83分確保しているので、古い町並みを歩きます。国道1号を横断して5分ほどで到着。


 最初に延命寺を訪問。



寺参りを終えた後、宿場町の町並みを西に進みます。関宿は、東海道五十三次の47番目の宿場町で、参勤交代や伊勢参りの人々で賑わいました。東海道唯一の重伝建地区として残されており、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようです。


 
そして、関まちなみ資料館に入ります。入館料は300円。これ自体、江戸末期に建てられた町屋建築です。



中には町屋で使われていた道具類(写真)が展示されており、奥の間には明治時代の自転車(純鉄製!)が保存されていました。2Fに上がると、関の町並みの移り変わりが紹介されていました。



関まちなみ資料館を見終えても、町並みは続きます。関宿は、東西追分の間約1.8km、25haに及び、江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町家200軒余りが残されているそうです。



百六里庭に入ります。2Fに上がれば、関の町並みを一望。それにしても、この日の三重県は凄く暑かったです。



そして、関宿旅籠玉屋歴史資料館に入ります。まちなみ資料館と共通だったので追加料金無しで観光できました。「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」といわれがあるくらい重要な宿屋だったそうです。




   


玉屋歴史資料館は、江戸時代の貴重な旅籠建築を修復し、旅籠で使われていた道具類、浮世絵・掛け軸などの美術品類、旅に関する歴史資料などが展示され、江戸時代の旅籠の姿が再現されています。まるで江戸時代の旅を追体験しているかのようです。



折角なので、奥にある土蔵にも足を記します。主に浮世絵などが展示されていました。これを見ると、そろそろ時間です。



最後に百五銀行へ。町屋風建築ですが、勿論、市中の銀行と同様の機能が備わっています。


10時2分発の239D(キハ120 303+キハ120 15)で関を後にします。「かすが」が廃止された現在、中在家信号場は用途廃止していました。柘植については、草津線全駅下車の際に訪問しているのでパスです。



10時36分に佐那具駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。



駅舎に入ります。委託ながらも駅員が配置されており、窓口営業時間は6:10~17:20です。また、窓口には垂涎モノの硬券が何枚も展示されていました。待合室は15人くらい休めるスペースがあります。



それでは駅舎撮影。大正3年8月築の木造駅舎が現役です。トイレは右手の建物です。


佐那具での滞在時間はごく僅かです。


つづく
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平城遷都1300年記念乗り継ぎ(その1)

2010-08-23 22:08:38 | 関西線
 引き続きまして、平城遷都1300年記念乗り継ぎをお伝えします。
 今年(2010年)は、奈良に都を移して1300年にあたる年です。平城宮跡では一部が復元され、1月1日~12月31日まで「平城遷都1300年祭」が実施されます。4月から6月まではディスティネーションキャンペーンも実施され、臨時特急「まほろば」も運転されました。しかし、諸事情により6月には福知山線駅巡りを実施しました。それでも奈良に行きたいという気持ちが抑えられず、真夏のこの時期の実行に至りました。
 前置きはこれくらいにして、2010年7月30日(金)夜~8月1日(日)の関西本線駅巡りの模様をお伝えします。


慌しく準備を済ませ、自転車を高速でこいで、何とか新津21時47分発の信越本線459M(115系L7編成)に間に合いました。新潟駅で少し運用調査し、22時45分発の高速バスで一夜を明かします。「新潟200か325」に乗りましたが、この日は大盛況のようで続行便も出ていました。


あまり眠れぬまま、5時52分に名鉄バスセンターに到着。青春18に日付印を入れ、「しなの」待ちの方々も待つ名古屋駅10、11番線で朝食。6時33分発の関西本線4305M(313系B311編成+B314編成)に乗車。


 また来ました、四日市の工業地帯。



7時46分に亀山駅1番線に到着。紀勢本線の起点駅でもあり、3面5線の構内を有します。2,3番線、4,5番線の島ではエレベーター工事が行なわれています(11月末まで)。



駅舎の中へ。自動改札が2台設けられており、みどりの窓口は終日営業です。右手にはKIOSKがあります。



それでは駅舎撮影。多少リメイクされてますが、大正2年12月築の木造駅舎が健在です。トイレは右手の建物に。



ロータリーは立派です。駅前には大きな食堂があります。亀山神社の門前町ということで大きな鳥居が立っています。


歯磨きを済ませ、8時3分発の235D(キハ120 302+キハ120 16)に乗車して非電化区間へ。亀山駅を発つと、左手に車両区が見えてきました。



8時16分に加太駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。



駅舎に入ります。無人化されており、窓口が閉鎖されています。しかも、券売機もありません。それにしても、中々レトロな待合室です。



それでは駅舎撮影。昭和11年3月築の木造駅舎が健在です。高台に位置しており駅前が狭いので、このような角度でしかモノになりません。尚、トイレは左手の建物です。


坂を下って周辺散策。駅前にある狭い道路は、何と国道25号。といっても交通量はごく少なく、殆どの車は無料の高規格道路である名阪国道に流れているようです。



踏切を渡ります。線路の向こうには日本の原風景が広がっていました。加太駅は鹿伏菟城跡がすぐ近くにあるそうですが、進んでも進んでも入口は見つかりません。


8時42分発の226D(キハ120 304+キハ120 309)で1駅戻ります。



8時49分に関駅に到着。交換可能駅で千鳥状の対面式ホーム2面2線を有し、亀山方に保線用車庫がある構内です。


それでは、関観光にまいります。


つづく
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水郡線全駅下車への道・第3回(後編)

2010-08-21 00:24:30 | 南東北地区
里白石駅から磐城石川駅まで駅間徒歩を敢行します。



集落を抜けて里白石小学校の入口に出れば、ひたすらR118を北上します。



里白石駅を出て27分くらい経過した頃、棚倉町から石川町に入ります。この流れは矢武川です。



出発して1時間後、とある酒屋にてコーラを飲みながら小休止。その後、今出川を渡り、猫啼温泉に入ります。日帰り温泉は無いようで、そのまま目的地に進みます。(後で判明したことですが、日帰り入浴はあるにはありますが2300円以上かかるらしい)



水郡線の鉄橋をくぐり、集落を進めば目的地は目と鼻の先。でもその前に、再び今出川を渡り、片倉温泉を望みます。奥まったところには母畑温泉があり、石川町はいわば「いで湯の郷」です。


里白石駅を出て80分、磐城石川駅に到着。駅間徒歩の自己最長記録を更新しましたが、酷く疲れたという感じではありませんでした。到着すると列車がいたのですが…。



それでは駅舎撮影。典型的な国鉄後期様式の細長い駅舎です。トイレは右側の一角です。



時間は早いですが中に入ります。みどりの窓口があり、営業時間は6:45~19:05(休み4回)です。「おしらせくん」には来ないはずの列車が表示されているし。駅前の商店で買ったアイスを食べてクールダウン。



待合所のブースの一角には、純米酒・きららの初恋などが展示されています。



着替えを終えてもなお時間が余ったので、当町通から番町通をぶらぶらしてきます。帰りにとある酒屋で笹の川を購入しちゃいました。



改札が始まったので構内に入ります。申し遅れましたが、磐城石川駅は交換可能駅で、2面3線+側線2本の構内です。向こうの島に行く場合、地下道をくぐります。貴重な上り列車である14時33分発の328D(キハE130-3+キハE130-1+キハE130-2)に乗車しました。



14時44分に磐城浅川駅に到着。交換可能駅で対面式ホーム2面2線の構内を有し、両者は跨線橋で結ばれています。



駅舎入口から駅前を望みます。国鉄様式の駅名板が残っています。駅前通は商店街が続いています。



駅舎に入ります。委託ながらも駅員が配置され、窓口が現役で且つ荷物扱所も残っています。



それでは駅舎撮影。開業当時からと思われる、いい感じの木造駅舎が現役です。訪問駅数は少なかったですが、最後に素晴しいものが見れてよかったです。尚、トイレは別棟。



磐城浅川での滞在時間は40分。商店街に出て駅前散策。R118に出ると、このような田園風景が広がってきました。



誠に名残惜しいですが、15時24分発の333D(キハE130-4)で帰路に就きます。郡山にて磐越西線1231M(719系H14編成)に乗り継いで。


17時56分に会津若松駅に到着。降り立つと駅は人でごった返し、只見線用キハ40系の臨時列車が出ていました。塩川で花火大会が開催されたからです。ぶっかけうどんを食べ、235D(キハ110-211+キハ110-223+キハ110-201)に乗り継げば、予想通り大混雑。でも、私はこのまま終点まで乗り通し、20時54分に新津に帰還しました。次回はもう少し多く行かなきゃ。


水郡線全駅下車への道・第3回   おわり
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水郡線全駅下車への道・第3回(前編)

2010-08-17 23:10:57 | 南東北地区

これより、2010年7月25日(日)の水郡線駅巡りの模様をお伝えします。夏の「青春18」の1回目ですが、プランミスによりやや不本意な乗り継ぎ旅となりました。



新津0時6分発の「快速ムーンライトえちご」で出発。24日夜に新潟のハードオフエコスタジアムでプロ野球のオールスターがあり、この日は満員御礼でした。尚、この日の8720Mは183系31編成でしたが、運用を終えた翌日からは天理臨などで奈良に顔を出していました。


「鉄道唱歌」が鳴り、定刻5時10分に新宿駅7番線に到着。山手線551G(E231系503編成)~埼京線551K(205系3編成)~東北本線525M(E231系U57編成+U517編成)~同1533M(211系A31編成+A24編成)と、ひたすら乗り継ぎます。



黒磯にて2129M(E721系P18編成+P24編成)に乗り継ぎ、ようやく今回の旅の入口へ。9時1分に新白河駅2番線に到着。



新白河で乗り継いだのは、9時15分発のJRバス(いわき22か531)。この路線といえば、昭和19年12月に廃止された白棚線。今尚現役だったなら「青春18」で乗れ、なおかつ駅巡りの対象にしてたでしょう。


 
途中でJRバス専用道路を走ります。路面状態は決して良くありませんでしたが、私にとって初めての刺激的な体験となりました。


殆どの乗客は磐城棚倉駅までで下車しましたが、私はある観光スポットに行くために棚倉郵便局前まで乗りました。



棚倉郵便局前バス停から歩いて2分、棚倉城址(亀ヶ城公園)に到着。入口には大ケヤキが聳え立っています。


ちょうど小学校の修学旅行と一緒になりました。ですが、折角なので一周します。











棚倉城は、丹波五郎左エ門長重が2代将軍・徳川秀忠の命により寛永2年(1604年)築城した平城です。以来、250年余にわたり城主14代と栄えましたが、慶応4年(1868年)6月に戊辰戦争の戦火で落城しました。現在は、外濠は桜の木で埋め尽くされており、いわば桜の名所となっています。また、3箇所の噴水が訪れる者を楽しませてくれます。



亀ヶ城公園から磐城棚倉駅に行く途中、秋葉神社でお参りします。



11時前に磐城棚倉駅に到着。典型的な国鉄後期様式の細長い駅舎です。トイレは右端。



11時になって中に居た小学生がほぼ掃けたので、内部をレポートします。みどりの窓口と本格的なおしらせくんがあり、窓口営業時間は7:10~18:40(休み4回)です。棚倉町の中心駅ということで、中には棚倉の名産品が展示されています。


城跡前のCoco!で購入した弁当でお昼にします。ところで、駅であの臨時列車(8325D、8326D)の運転日を確認したところ、この日は運転日から外れているのではあるまいか!これは完全なプランミスです。中豊と近津はまたの機会にしよう。しょうがない。



では、気を取り直して改札口をくぐり、跨線橋を渡ります。申し遅れましたが、磐城棚倉駅は交換可能駅で、島式ホームの1面2線に側線1本を有する構内です。貴重な列車である11時25分発の329D(キハE132-9+キハE131-9)に乗車しました。



11時36分に里白石駅に到着。片面ホーム1面のみの構内で、手前に100KPがあります。駅裏は水田地帯。



それでは駅舎撮影。平成10年3月築の簡易駅舎で無人駅です。この駅前の光景は絵になります。トイレは離れたところにあります。


次の列車まで大分時間が空くので、磐城石川駅を目指して歩きます。


つづく

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福知山線全駅下車の旅(その12)~三田駅、宝塚駅~

2010-08-13 23:50:45 | 陰陽連絡線

福知山線2764Mは、15時59分に三田駅3番乗り場に到着。2面2線の構内ですが、複線間が広く空いていることから、もともと中線があったに違いありません。


三田駅には2度目の訪問となります。初訪問は2005年の冬でしたが、神戸電鉄の乗り潰しの際の訪問で正駅舎を見抜けなかったということで、今回の再訪と相成りました。尚、三田は川本幸民生誕の地です。



それでは改札口を抜けます。自動改札の右側にみどりの窓口、左側にKIOSKがあります。



北口に出て駅舎撮影。昭和62年3月竣工の洋館風の橋上駅舎です。微妙に三角屋根となっています。



駅前の様子。ここには写っていませんが、コナミスポーツクラブが左手にあります。交差点の向こうはアパートが多く、割と静かです。



改札前を再び通って南口に出ると、一気に賑やかになります。手前にNKビルがあり、VIEDE FRANCEなど各種店舗が入居しています。ペデストリアンデッキを介して、阪急系の複合店舗であるキッピーモール。



ペデストリアンデッキから階段を下ると、神戸電鉄の三田駅です。駅舎は完全に隠れています。



オアシスから見下ろせば、駅前商店街が延々と続いています。キッピーモールが聳え立っているのにやっていけるのか?



16時29分発の丹波路快速2766M(223系MA18編成)に乗車し、福知山線最後の下車駅へ。さすがに座れませんでしたが、もう道場駅近くの太福寺などが懐かしいです。この日は普通乗車券で巡りましたが、合計すると3000円近くに。「18きっぷ」は偉大です。



16時42分に宝塚駅3番乗り場に到着。JR東西線直通の快速電車が折り返すなど、2面3線の構内を有します。



改札を抜けると、右手にはみどりの窓口、左手にはKIOSK。通路の向かいはEKI MARCHE。今年(2010年)3月8日に開業した、お洒落な商業施設となっています。この駅に降り立って福知山線全駅下車達成


 左手(北方向)に進むとユニベール宝塚です。



ペデストリアンデッキを通って駅前に出ました。今年(2010年)2月20日に供用開始した橋上駅舎で、大正から昭和初期をイメージしているのだそうです。スタンプの表題になっている宝塚歌劇場が建てられた時代のイメージです。



JR宝塚駅の向かいには阪急宝塚駅。宝塚歌劇場を模したつくりだといえます。



駅前のモニュメント。ミュージカルで流れる音楽のイメージのようです。入口には車輪の装飾があるし。


福知山線脱線事故により宝塚~尼崎が55日にわたって運休となった際、福知山方面からのJRの利用客が大挙してペデストリアンデッキを渡り代替輸送の阪急宝塚線に乗り換えました。かくいう私も阪急宝塚線に乗り継ぎ、17時28分発の急行電車とモノレールを乗り継いで伊丹空港に向かいました。移動に要した費用は420円。バスで移動したほうが断然安かったのですが。



利き酒をした後は、JAL2251便(JA313J)で新潟に帰還するのみ。今回は14番スポットからの出発。ANAのドリンクサービスが有料化された現在、無料でゆずドリンクが飲めることにありがたく感じた次第です。NEXT21などを眺め、20時1分に新潟空港に着陸。新津駅に帰還したのは21時6分でした。


 今回は福知山線全駅下車に挑みましたが、列車本数がそこそこ多く、週末だけで達成することが出来ました。ワンマン運転の列車も多数ありながら、ごく小さな無人駅にも券売機が付いており、当初思った以上にまともな路線でした。私のプラン、出来過ぎでしょうか。
 次は、夏の「青春18」旅行の模様をアップします。


 最後までお読みいただきありがとうございます。


福知山線全駅下車の旅   おわり


参考サイト   さいきの駅舎訪問
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福知山線全駅下車の旅(その11)~下滝駅、古市駅~

2010-08-11 22:35:42 | 陰陽連絡線
先日は失礼いたしました。それでは福知山線駅巡りに戻りましょう。


丹波大山での滞在時間は20分。駅の調査を終えて駅前の古い住宅地を抜けると幹線道路に出ます。付近には丹波並木道中央公園の出入口があります。しかし、付近のローソンでデカンショカップなどを買っただけで、13時41分発の2543M(223系F8編成)に乗った次第。



13時50分に下滝駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の他に尼崎方に側線をもつ構内です。



それでは駅舎撮影。昭和57年11月築の三角屋根の駅舎で無人駅です。待合室内に券売機があります。駅ノートもあったっけ。トイレは左の一角。



駅前ロータリーには親子の恐竜のモニュメント。2006年8月7日に、東へ約1kmの地点で恐竜の化石が発見されたことに由来しています。尚、この恐竜は「丹波竜」と命名されています。



55分の滞在時間を利用して篠山川沿いに散策します。駅を出て3分、「広田の吊橋」を渡ります。



吊橋の下には篠山川の峡谷が広がっています。エメラルドグリーンの水を湛えています。



その後、「散策コース」の砂利道を東へ進みます。時々、篠山川の渓谷を眺めながら。


20分ほど歩いて牛舎が現れ、旧上久下村営上滝発電所の対岸に到着。しかし、近くに橋がありそうにないので、泣く泣く引き返します。


 
木立から抜けると、突如日本の原風景が広がってきました。ここで少し休憩。



「広田の吊橋」を再び渡り、5分ほどで天満宮大歳社に到着。下滝駅の駅裏にあたります。


14時45分発の2534Mで下滝を後にします。223系MA20編成なので、何とか2席独占。篠山口にて丹波路快速2762M(223系MA19編成)に乗り継いで。



15時7分に古市駅に到着。対面式ホームの2面2線の構内で、両者は跨線橋で結ばれています。



それでは駅舎撮影。白系の簡易駅舎で無人駅ですが、待合室内に券売機があります。トイレは別棟。



折角降り立ったので周辺散策します。駅前には常夜灯があり、幸先良く面白いものを発見しました。



少しだけ西に進めば、赤穂浪士ゆかりの寺・宗玄寺があります。



更に西に進むと「辻の立石」。「左 大坂 有馬、右 はりま道」と書かれています。また、裏面には、「すぐ(直進)京・丹後・但馬道」と書かれています。1817年に建立されたものですが、ここ古市が重要な交差点だったことが窺えます。


江戸ロマンを感じた途中下車でしたが、行程の都合上、30分後の2764M(223系MA09編成)で古市を後にしました。気がついたら、福知山線全駅下車へのマジックが「1」となりました。


つづく
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8連いなほ(2010年8月)

2010-08-09 21:28:18 | 新潟の鉄道
 福知山線駅巡りの途中ですが、ここで「いなほ」関連の話をします。
 今年もお盆がやってきました。山形道などで無料化実験が行なわれて且つ「土日1000円高速」も継続され、高速道路では史上最大級の渋滞が予測されています。そんな中、8月7日から15日まで臨時の「いなほ」が設定されており、同6日の「いなほ7号」から16日の「いなほ8号」まで「8連いなほ」設定されています。
 今回の「8連いなほ」の対象編成はR22編成。7月20日の「1052M~1055M~3947M~3950M」の仕業を終えた後、MM’3086ユニットを加え8連に組まれ、26日の「海中スターマイン号」から入っています。
 それでは、「8連いなほ」の模様を見てみましょう。7号、8号とも7日の撮影です。



まずは「いなほ8号」から。豊栄駅では5号と被るということで、今回は新発田駅での撮影です。定刻12時34分にやってきました。6両編成列に並んでおり、慌てて移動する人が少なからず居ました。


 
同後追い。新潟に向けて発車しました。矢張り8連は立派ですね。




8号が新潟に到着した後、新潟車両センターで折り返し整備を終えて、7号として15時6分過ぎに新潟駅6番線に入線しました。最初から「いなほ」が掲示されたので余裕で撮れました。


 例によって白山方からも。


これからお盆休みという方も多いのではないでしょうか。帰省や観光の足に是非「いなほ」号をご利用下さいませ。
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福知山線全駅下車の旅(その10)~柏原駅、谷川駅、丹波大山駅~

2010-08-07 17:56:06 | 陰陽連絡線
1時間の滞在ですが、できるだけ柏原観光。柏原駅を出ると、すぐにラーメン屋を見つけました。しかし、昼食にはちょっと早いです。



国道を外れ商店街に入ってしばらくすると、瑞光寺の前を通過。近くには織田神社。



しばらく歩くと観光案内所。その向かいに架かる橋は「木の根橋」。樹齢1000年とも言われる高さ21m、幹回り8mの大ケヤキの根が、幅6mの奥村川を跨いで形成された自然の橋です。柏原の町のシンボルだそうですが、面白い発見でした。



その大ケヤキの木に寄り添う建物は、丹波市役所柏原支所。昭和10年に建てられたモダンな建築物です。江戸の町並みと近世以降の建築物が組み合わされてるのが柏原の町の特徴です。



もう少し冒険して柏原藩陣屋跡に行ってみると、リニューアル工事の真っ最中でした。



県立柏原高校に向かうと、旧氷上郡町村組合立高等小学校に到着。明治18年築の洋風建築で、学校教育の歴史を伝える上で重要な資料です。



最後に、柏原八幡神社にてお参りしてきました。万寿元年(1024年)、京都石清水八幡宮の別宮として創建された神社で、桧皮葺屋根の本殿・拝殿は国の天然記念物に指定されています。社殿前に鎮座する一対の狛犬は、石工・丹波佐吉の作。



奥には艶やかな朱色の三重塔。三重ないし五重塔が併設された寺は何箇所か訪問したことがありますが、神社は記憶に無いです。


お参りを終えるともう時間切れ。観光案内所と柏原駅のKIOSKの其々で購入した丹波黒豆のお土産を伴って、11時57分発の2530M(223系F3編成)に乗車。



12時5分に谷川駅1番乗り場に到着。2面3線の構内を有し、加古川線の列車は福知山方の切り欠きホームから発着します。



改札をくぐって駅舎の中へ。特急列車の大半が通過しますが、みどりの窓口が併設しており、営業時間は7:05~16:55です。



それでは駅舎撮影。瓦屋根の美しい木造駅舎です。左手の建物がトイレです。ここ山南は「漢方の里」で、右側の建物の観光案内所では漢方薬が販売されています。


いったん待合室に入り、のど自慢を見ながら玄米ブランで昼食タイム。



歯磨きを終えて時間が余ったので、周辺を散策。駅前の住宅地を抜け出すと、丹波らしい山々の麓に青々とした水田が広がっていました。



そして、篠山川にかかる橋の上へ。上流側に砂防ダムが設置されています。


時間が近付くと、どこからか路線バスが到着し、谷川駅には人が集まっていました。13時5分発の2532M(223系F8編成)にて丹波大山へ。



13時21分に丹波大山駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。



駅裏は水田地帯です。川の向こうには舞鶴自動車道が通じています。



跨線橋を渡って駅舎に出ました。横長の簡易な駅舎で無人駅です。左側の一角にトイレがあり、入口には券売機もあります。


滞在時間は20分ですが、とりあえず周辺を歩きます。


つづく
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