北陸新幹線開通後、新潟から上越妙高・新井までの「しらゆき」及び「おはよう信越」は、白地に青と茜色の帯のE653系1100番代となりました。「しらゆき」の運転開始を前にして3月2日にロールアウトされましたが、私は勤務の関係で見に行けず、3月28日になってようやく乗車チャンスに恵まれました。
それでは、2015年3月28日の「しらゆき」「おはよう信越」及び「DL村上ひな街道」の模様を見てみましょう。
7時50分頃に新津駅2番線に赴くと、「しらゆき2号」が到着。E653系H201編成でした。
「おはよう信越」に乗車することに。E653系H204編成でした。
1号車に乗車。北陸新幹線との連絡を強く意識したせいか、E7系の普通車と同様の赤地にチェックのデザインの座席となっています。
ドアのデザイン。「E653系いなほ」と同様に「Series E653」と書かれています。
座席の後ろにはチケットホルダーが付いています。新津から新潟まで乗車したのですが、「いなほ」と同様の自動放送及びチャイムが搭載されていました。
新潟に到着した後、しばらくすると9番線に「しらゆき1号」が到着。E653系H202編成でした。折り返して「しらゆき4号」になります。
で、この日は「DL村上ひな街道号」の運転日でした。7時54分に牽引機が新津駅7番にショウアップ。「SLばんえつ物語」用12系客車フル編成です。
今回の牽引機であるDE10 1700を拡大。お雛様のヘッドマークが付いているではあるまいか
新潟駅までエスコートしたのは、JR東日本新潟支社の秘蔵っ子であるDE10 1680でした。
越後線遅れの関係で、「DL村上ひな街道号」は5分遅れの9時24分に村上に向けて発車しました。
後半は「DL村上ひな街道号」のレポートになりましたが、「しらゆき」初乗車記は以上です。本日も見たのですが、現在運用に入っているのはH201編成、H202編成、H204編成のみで、H203編成が休車状態なのが気になります。交検の時期になったらどうするのでしょうね。まさか485系3000番代で代走なんてないでしょうね。
最後に、「しらゆき」の運用ですが、以下のようになっていると思われます。
A401 新潟 3012M 新井 3013M 新潟 3016M 上越妙高 3017M 新潟 3362M 直江津
A402 直江津 3361M 新潟 3020M 新井 回 直江津
A403 直江津 回 新井 3011M 新潟 3014M 上越妙高 3015M 新潟 3018M 上越妙高 3019M 新潟
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東栄駅から529M(213系H10編成)に乗車。乗客は皆、飯田線の旅を悠然と楽しんでいるようでした。私も含めて、伊那谷が大雪に見舞われていたことを知る由ないがごとく。
15時46分に相月駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。昭和30年1月築の、コンクリの待合所です。
では駅舎の中へ。4辺のうち3辺に木製ベンチが設えられています。
駅舎から階段を下ると、真向かいに「相月観光トイレ」が。この滞在では大変重宝しました。
それでは周辺散策。駅前は人家が数軒で、国道152号が通っています。
水窪町に向かってぶらぶら。左手には水窪川の渓谷が。
相月トンネルの入口に到着。飯田線も鉄橋になりトンネルに入ります。ここら辺で引き返します。
駅に戻った所で時刻表を。下り11本、上り9本です。次の上り列車は16時21分発…。
すぐ近くの踏切を渡って団地の入口へ。相月駅の全景が望めるではないですか!周辺は森で誠に雰囲気の良い駅です。
火の気のない待合所に、戻り缶コーヒーをすすっていると、にわかに信じがたいアナウンスが。
「16時21分発の豊橋行きは、現在125分ほど遅れて運転しております。」
そんな馬鹿な!試しにJR東海の運行情報を開いてみると、「大雪の影響で、辰野~伊那松島間が運転を見合わせております」。指定された番号に運行情報を問い合わせるも全くつながらず。
ならばと駅前のバス停を見てみると、西鹿島行きと水窪行きしか出ていません!
憔悴していると更に悪い情報が。
「現在、大雪の影響により飯田~辰野間が運転を見合わせております。16時21分発の豊橋行きは大幅に遅れています。「伊那路4号」は12分ほど遅れて運転しております。尚、16時52分発の天竜峡行きは定刻で運転しております。」
もう腹は決まった。飯田線全駅下車達成を諦め、16時52分発の531M(213系H12編成)で一旦水窪に出ることに。
17時2分に水窪駅に到着。何とも交換せずにこの531Mは天竜峡方面に向かっていきました。これに乗り続けることは、当日中に名古屋に戻れなくなることを意味します。
531Mとは大嵐駅で交換だったようで、救いの列車となる「ワイドビュー伊那路4号」(373系F10編成)は15分ほど遅れてやってきました。3号車の自由席に陣取って真野鶴でヤケ酒していると、車掌氏がやって来て律儀に1150円を徴収していきました。後ろに座っていたご夫婦は飯田市からセントレアに赴き海外旅行に行くところだとか。大雪で中央自動車道が通行止めになり止む無くこれに乗車したとか。この後も、中部天竜、湯谷温泉…と当てにならない普電代わりに利用する客が次々と乗り込んで大混雑に。
豊橋駅場内信号などで抑止され、26分遅れの18時57分に豊橋駅に到着。豊来軒でみそラーメンを食した後、19時32分発の5357F(313系Y106編成)で名古屋駅へ。
余った時間で東海道線の列車を9本撮影した後(関連記事はこちら)、22時40分発の高速バス(名古屋200か23-90)で新潟に戻ります。東海北陸自動車道経由になりましたが、殆ど雪の影響はなくほぼ定刻に新潟駅前に到着し、6時5分発の信越本線422M(115系L3編成)で新津に帰還しました。えてして「第10回」もやることに。
「飯田線全駅下車への道・第9回」は以上です。伊那谷の大雪によって佐久間、城西が残ってしまいました。もし次週だったなら太平洋側が上越新幹線が止まるほどの大雪に見舞われ、飯田線も本長篠~辰野が運転見合わせで、今回より少ない駅数しか巡れなかったでしょう。「プロフィール」に記している通り、私は飯田線全駅下車を達成しました。「身延線全駅下車への道」がまだ2回も残っているので、「第10回」は6月頃にお伝えする予定です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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小和田駅から10分遅れでやってきた544Mに乗車して豊橋方面へ。
その544Mは「飯田線のエース」(313系B152編成)で転換クロスシートでしたが、御覧の通り長距離客で一杯。飯田近くから乗車して豊橋まで乗り越すことになった女性も居たし。それには深い理由があったのです。
3分遅れの14時37分に東栄駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線+引き込み線1本の構内です。
構内踏切の向こうには鬼の面の駅舎が平成3年築だそうです。
駅舎の辰野方にある小さな建物はトイレ。平成2年2月築です。
では駅舎の中へ。といっても電話ボックスと「観光等総合案内所」への扉があるだけで、基本的に無人駅で何もありません。
それでは駅舎撮影。駅前側には何も描かれておりません!「ふるさと交流文化会館」といい、平成4年1月にオープンしました。
駅前の観光案内板はちょっとした名物です。なぜかっていうと、山門風だからです。で、駅前は古い住宅地です。
時刻表を。上り13本、下り12本です。次の下り列車は15時9分発…。
折角なので、この「ふるさと交流文化会館」の中にある「ちゃちゃカフェ」へ。木の温もりを感じるつくりです。
眼鏡をかけたおばちゃんが切り盛りしてました。見取り図を描きながらコーヒーをいただいてきました。私が駅巡りをしていると分かると、これから訪問する予定の佐久間駅の写真を見せてくれました。お菓子が付いて200円は良心的でした。
後ろ髪を引かれるようにホームへ。15時9分発の527Mは7分遅れでやってきました。
つづく
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池場駅から519Mに乗車。大原トンネルで山を越え、日本トップクラスの秘境駅へ。
13時19分に小和田駅に到着。対面式ホーム2面2線だったのですが、交換設備が撤去されて棒線化されています。
小和田駅が豪雪の駅だとは思いもしませんでした。折角なので雪をかぎ分けて進んでいくと、「愛知県・静岡県・長野県」の三県境界標がありました
駅舎に向かう道すがら、ホームからちらりと天竜川が見えました。こんな断崖絶壁に駅を設けた三信鉄道に拍手です。
それでは駅舎撮影。昭和8年12月築の木造駅舎が健在です。トイレはありません。
ファサードの部分を拡大。純粋無垢な木造駅舎そのものといった佇まいです。
では駅舎の中へ。窓口や荷物扱所の跡がしっかりと残っています。つい数年前までは有人駅で、その当時の営業時間まで掲出されていたとはただただ驚きです。
待合スペースも木造の長椅子です。当然ながら駅ノートがあり、机まで用意されています。窓もまた雰囲気を感じさせます。
駅舎内のアイテムもろもろ。小和田駅は皇太子妃雅子様の旧姓の駅だったということで、実際に結婚式を挙げられたカップルが居たり、「花嫁号」が走ったりと一時期人生の門出のスポットとして賑わったことがあります。勿論、今はもとの静かな秘境駅に戻っていますが。
では時刻表を。下り8本、上り9本です。小和田駅での滞在時間は21分だけど、しょうがないか。
短い時間ながら周辺散策。推定で50cmは積もったであろう雪の坂道を下ります。下りた先には何やら東屋が。
その東屋には「愛」と書かれたベンチがありました!この日は無人でしたが、気候のいい時期は実際に座って記念写真に収めるカップルも居ることでしょう。実際、JR四国にはこの手のスポットが設けられている駅が何駅かあるし。
もう少し下ると、人家らしきものが数軒ありました!実際に人が住んでいるかどうかは不明です。
そろそろ出発の時間が近づいて駅ノートに記帳すると何やらアナウンスが。
「13時40分発の豊橋行きは10分ほど遅れて運転しております。」
今回は儲けました。追加された滞在時間で駅ノートを見返していたり…。勿論、喜んでばかりはいられませんが。
最後のもう1つアイテムを。旧国鉄時代の駅名板です。小和田駅は誠に見所の多い秘境駅でした。
つづく
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前回は「これがポストくびき野だ!」をお伝えしました。飯田線駅巡りに戻りましょう。
その3はこちら
11時11分に浦川駅に到着。時間に少し余裕があるので周辺散策。浦川地区は「鮎と歌舞伎の里」です。
3分ほど歩くと吊り橋に出ました。これを渡った先にある中洲の島は浦川キャンプ場。
そろそろ出発の時間となりました。11時46分発の534M(213系H5編成)に乗車して豊橋方面へ。
11時59分に池場駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。何だか雪が多くなってきました。
それでは駅舎撮影。昭和19年12月築の吹きさらしの待合所です。
その待合所の中へ。木製のベンチが1基だけです。勿論何もありません。
時刻表を。下り12本、上り11本です。池場での滞在時間は28分…。
それでは周辺散策。池場駅のトイレは階段を上がった所にありました。吹きさらしで且つ汲み取り式です。
駅舎の飯田方には小さな木造の建物が。「いけば清流丸太生産加工クラブ」です。
飯田方に3分ほど歩くと新城市と東栄町の境界に。その手前には「コーヒーショップ四季」。路面は御覧のように轍が!突然の雪で運転に難儀されたドライバーが多かったのではないでしょうか。
12時27分発の519M(313系R108編成)に乗車して飯田方面へ。
空きボックスのあった1両目に乗車。中央西線で使い古されたとおぼしきセミクロスシートです。御覧のように家族連れなどで騒がしかったですが、彼らは次の東栄で下車して一気に静かになりました。
日没時間を考慮した結果、城西駅を飯田線全駅下車達成の地に決定。で、その城西駅を出ると「渡らずの鉄橋」を渡ります。
つづく
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「くびき野」廃止後、新潟発の快速列車は485系の「糸魚川快速」1往復と115系の「新井快速」2往復走っています。いずれも亀田、矢代田、三条、来迎寺、犀潟などが停車駅に加えられており、明らかに利用出来る層が広がったと実感できます。「北越」と「しらゆき」の時間帯がずれていることで、上りの快速は15時22分発、17時35分発、17時58分新潟発と設定されています。下りの快速は、10時33分、11時27分、20時42分新潟着と設定されています。
それでは、2015年3月15日から1週間分の「糸魚川快速」と「新井快速」を見てみましょう。
2015年3月15日。糸魚川からの快速列車は、羽生田付近の踏切安全確認の影響で9分遅れで新津駅にやってきました。上りの「北越」の大トリを務めた485系R22編成でした。
5号車に乗車。私は奇跡的に座ることが出来ましたが、座席は全て埋まっておりデッキは立ち客多数。リネンはありませんでした。
新潟駅でしばらく待ち、3373Mが3番線に到着。115系N27編成でした。
2015年3月16日。この日の8622Mは485系R28編成でした。
車内の様子。3号車に乗車したのですが、リネンが掛っています。
新津駅でしばらく待ち3374Mを。115系N30編成でした。
2015年3月17日。この日も8362MはR28編成でした。
この日の車内の様子。2号車に乗車したのですが、この日を境にリネンが無くなりました。
新津駅でしばし待ち、3374Mを。115系N19編成でした。
2015年3月18日。この日も「糸魚川快速」はR28編成でした。
例によって新津駅にて「新井快速」(3374M)を。115系N11編成でした。
2015年3月19日。この日も「糸魚川快速」は、金太郎飴のようにR28編成でした。
新津駅にて3374Mを。115系N16編成でした。だんだん定着しつつありますね。
2015年3月20日。この日は「新井快速」(3372M)に乗車します。115系N13編成でした。少し剥げており、2次新潟色が出てきています。
「モハ114-1080」に乗車。発車直前の車内ですが、席はほとんど埋まって立ち客も多くいます。
デビューから1週間の「糸魚川快速」「新井快速」は以上です。私は「糸魚川快速」に乗ることが多いですが、日を追うごとに乗車率が上がっている気がします。だんだん定着しつつあるのではないですか。JR東日本新潟支社のスタッフが深々とお礼したり、たまにチャイムを鳴らしてくれたりと中々面白いです。一方、「新井快速」はどんなN編成が入るかは入線してみないと分からず、今日は湘南色のN23編成が充当されました。新津駅で毎日3374Mを見ているのですが、新津発車時にも殆どの座席が埋まっています。新学期が始まったら要注意です。
ところで、「糸魚川快速」のR28はいつまで続くのでしょうか。
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前回はK1編成追悼記事をお伝えしました。飯田線駅巡りに戻りましょう。
その2はこちら
出馬駅を出て18分で上市場駅に到着。平成21年12月築の待合所で、片面ホーム1面のみの構内です。
一旦駅舎の中へ。4人分座れるベンチがあるだけで何もありません。
誰も居ない駅でしばらく休憩。56KPが印象的でした。
時刻表を。下り12本、上り12本です。次の上り列車は11時49分発、下り列車は12時37分発…。
ということで、もう1駅間歩きます。しばらくは上市場の集落を。
8分ほど歩いて集落を抜けかかったところ、上市場公民館の前を通過。
集落を抜けると、再び大千瀬川に沿って進みます。川面は深い緑です。
雪の大千瀬川を上流に向けて。雪はあらゆる音を消すといいますが、物凄く静かです。
20分以上経った頃か、浦川の集落に入りました。住民は突然の雪かきに追われていました。で、なぜか電灯の上には歌舞伎のキャラクターが。
とある個人商店で喜久水カップを購入して浦川駅に到着。駅舎撮影の前にトイレに立ち寄りますが、その「佐久間町清流トイレ」は湘南電車のイメージそのもの。
スッキリしたところで駅舎撮影。昭和9年12月築の、トタンを使用した木造駅舎です。右半分は新城保線詰所。
ファサードの部分を拡大。駅名板から天井からとにかく木造です。
では駅舎の中へ。どこまで木造のつくりですが、無人化されて何も無くなっています。
時刻表を。上り13本、下り12本です。次の上り列車は11時46分発…。2駅歩いても余裕がありました。
一旦ホーム上へ。浦川駅は交換可能駅で、島式ホーム1面2線+側線1本の構内です。ふと音がしたなと思ったら、「ワイドビュー伊那路1号」(373系F10編成)の通過でした
次は、「これがポストくびき野だ!」をお伝えします。
続きはこちら
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「飯田線全駅下車への道・第9回」の途中ですが、緊急ニュースが入ったのでお伝えします。
本日未明、新潟の485系で国鉄色をまとっていたK1編成が土崎工場に廃車回送されました。青森からの転属車であり、首都圏乗り入れ可能なATS-Pを搭載しており、一時期K2編成とともに「ムーンライトえちご」で双璧を成していました。最後の営業運転は3月12日の「北越9号」で、最終日には混乱を避けるため(?)運用には与されませんでした。検切れを延ばしてまで運転を続けていたとのことで、とうとうこの日が来たかという感じです。
2014年10月18日の「おはよう信越」。K1編成にちょうど朝日が当たり、荻川駅にも数名の撮影者が居りました。惜しむべきは、ライトが串刺しになったこと。
2014年10月27日の「くびき野2号」。K1編成に115系L5編成が一瞬だけ並びました。
それでは、最終日からまだ日は浅いですが、2014年11月分の「北越」を御覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。
2014年11月8日。「北越4号」はR22編成でした。
越後石山駅に移動して「北越1号」を。R21編成で10分遅れで通過しました。
新潟駅に戻って「北越6号」を。R23編成でした。
2014年11月15日。「北越4号」はR21編成でした。
9番線にて「北越1号」を。R22編成でした。そういえば、最終日の「北越10号」だった編成でした。
新津駅にて「北越5号」を。いま話題に上っているK1編成でした。廃車が近いこともあって数人の撮影者が待ち構えてました。
2014年11月16日。「北越2号」はR21編成でした。今ほど外板の状態は酷くなかったです。
「北越4号」はR25編成でした。この位置で「北越4号」を何度撮影したことか。
9番線にて「北越1号」を。R23編成でした。現在は長岡車両センターに疎開留置されています。
2014年11月22日。「北越2号」はR25編成でした。
時間を置いて「北越4号」を。R22編成でした。
古津駅に移動して「北越6号」を。今は亡きT13編成でした。カヌ色最後の晴れ舞台といったところ。
2014年11月23日。「北越2号」はこれまたT13編成でした。
時間を置いて「北越4号」を。2日連続でR22編成でした。
2014年11月24日。亀田駅にて「北越2号」を。R22編成の正面に朝日が当たりました。
新潟駅に移動して「北越4号」を。R27編成でした。現在は石打に疎開留置されています。
2014年11月28日。新津駅にて「北越2号」を。T13編成でした。
2014年11月29日。再び新津駅にて「北越2号」を。R27編成でした。
新潟駅に移動して「北越4号」を。R23編成でした。信越線系統が全体的に遅れており、42分遅れでやってきた1721Mである115系N5編成と並びました。
時間をおいて「北越6号」を。運用則通りのR21編成でした。
最後に、新津駅にて2014年11月30日の「北越7号」を。R21編成でした。
「北越」がメインになってしまいましたが、K1編成追悼記事は以上です。K1編成には「北越」でも「くびき野」でも「ムーンライトえちご」でも何度かお世話になっており、昨年3月29日にはMG故障で「ムーンライトえちご」が新津打ち切りとなり、N13編成で新潟に送られて「Maxとき302号」に載せ替えられたという悪い思い出も残っています。よくぞ本来の検切れから半年以上運用に入っていたなという印象です。この廃車回送で、「懐かしの青森いなほ号」はT18編成で確定ということになります。一つの時代が終わりました。
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そろそろ出発の時間となりました。8時59分発の3511M(213系H9編成)に乗車して新城駅を出発。
2両目が混雑してたので1両目に乗車。とにかく転換クロスシートです。温田の息子の所にに行くというおばちゃんとしばし談笑しながら過ごします。
10時4分に出馬駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。交換設備が撤去されたのかもしれません。
「出馬」は何と読むと思いますか?「いずんま」なのです!
それでは駅舎撮影。平成10年4月築の待合所です。トイレはありません。
ホームからは「せせらぎ荘」の看板のある小屋が。そのせせらぎ荘へは東方徒歩10分です。
一旦待合所の中へ。木製のベンチが1列だけです。勿論無人駅で何もありません。
時刻表を。下り11本、上り12本です。次の上り列車は11時51分発、下り列車に至っては12時35分発…。
ということで、まずは上市場駅まで駅間徒歩。スロープを下りての出発でしたが、よもやの雪中行軍に。
一旦豊橋方面に行き、最寄りの踏切まで。茶畑には雪が。茶摘みの季節は終わってますよね?
第二下場踏切を渡ると、ひたすら線路沿いのアップダウンのある集落道を進みます。
一気に坂を下って大千瀬川を渡ると飯田線の鉄橋が!列車が通ると面白そうですけど、電線が邪魔か。
上流方面に視点を移すと、山裾に清流荘が。如何にも鮎釣り出来そうなネーミングですね。
もうすぐ上市場駅。でもその前に、村社にて飯田線全駅下車達成を誓ってきました。
勘だけでアプローチルートを見付け、この集落道を進んで上市場駅に到着。出馬駅を出て18分でした。
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今年の冬は、新潟県の中越地方や北海道地方などで豪雪に見舞われました。中でも、津南町での380m越えの豪雪や羅臼町での連日の交通障害をテレビなどで御覧になった方も多かったのではないでしょうか。で、これからお伝えするのは、その「雪」にまつわる乗り継ぎ旅です。
この「飯田線全駅下車への道・第9回」を実行したのは2014年2月7日(金)~9日(日)。名古屋行きの高速バスのチケットをやっとの思いで入手し、飯田線全駅下車達成をと意気込んだ乗り継ぎ旅でしたが、まさかの南岸低気圧にぶち当たってしまいました。
それでは、出発しましょう。
2014年2月7日(金)。母に新津駅まで送ってもらい、21時47分発の信越線459Mで出発。充当されたのは湘南色の115系N2編成。寝ている女の子と相席に。居酒屋バイトに行くところだとか。好事魔多しとよくいいますが…。
新潟駅で少し待ち、22時45分発の高速バス(新潟200か324)で名鉄バスセンターへ。中央自動車道に入って目覚めると、圧雪でノロノロ運転に。それでも、恵那峡SAでの休憩時分は何とか確保出来ました。
10分しか遅れずに名鉄バスセンターに到着。「青空フリーパス」を買い、名古屋駅6時28分発の東海道線5700F(313系J2編成)に乗車。外を見ると、不気味なまでに雪景色が。矢作川で水墨画が見れるということは何か違和感を感じます。
7時36分に豊橋駅に到着。7時49分発の飯田線509M(213系H7編成)に乗り継ぎました。
8時26分に新城駅3番線に到着。この509Mは当駅終着で、2面3線の構内を有します。
跨線橋を渡って駅舎の中へ。「みどりの窓口」があり、営業時間は7:00~18:30(11:25~11:35、12:10~13:10休み)です。その横には飯田線では数少ない自動券売機が。
飯田方から豊橋方に視点を移して。片隅に古いブラウン管テレビが置かれてました!
それでは駅舎撮影。昭和15年12月築の、典型的な戦時型駅舎です。トイレは豊橋方にありますが、改札外からは利用出来ません。
新城市内は雨になっていました。気温は5℃で、湿度は64%でした。
それでは周辺散策。駅前は古い商店街です。桜淵公園へは1.1km。
幹線道路に出ました。まちかど資料館がありますが、ここら辺で引き返します。
最後に、駅舎の屋根上の長篠戦図を。新城駅は歴史ロマンをも感じさせる、見所の多い駅でした。
つづく
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