震災関連の記事をもう1つお伝えします。
先回は磐越西線の運転再開についてでしたが、今回は信越線、越後線、白新線、羽越本線の間引き運休や臨時いなほです。
福島第1原発の放射能漏れにより電力需給が逼迫したため、東北電力が計画停電に踏み切るとされた3月15日から間引き運休が実施され、現在では決まった5往復ずつが計画運休されています。東京電力の電力供給量が回復する見通しが立たない為、この傾向は長期にわたるとみられます。
まずは白新線から。東新潟駅の掲示から。白新線の間引き運休は、「631M~634M」、「635M~638M」、「659M~660M」、「667M~666M」、「671M~672M」の5往復です。新潟~豊栄の5往復を切った形で、昼前の2往復と夕刻の3往復となっています。
次は信越線。上の掲示では10時25分発の2528Mが、下の掲示では15時45分発の2548Mが運休とされています。信越線の間引き運休は、「2528M~2529M」のほかに「2532M~2533M」、「2548M~2551M」、「2550M~2549M」、「2554M~2555M」の5往復です。いずれも新潟~新津の区間列車で、日中と夕方と夜にばらけています。
続いて越後線。10時発の1524Mが運休とされています。越後線では「1524M~1527M」、「1528M~1531M」、「1546M~1549M」、「1548M~1553M」、「1552M~1557M」の5往復が間引き運休となっています。日中時間帯が2往復、夕通勤・通学時間帯が3往復が対象となっており、学生などの帰宅の足を直撃する形となっています。尚、「1546M~1549M」、「1548M~1553M」は「2550M~2549M」と一連の運用となっています。
羽越本線の新津発では、10時45分発の125Dと、21時7分発の135Dが運休となっています。そのため、12時12分発の127Dは、キハ110・E120系列の3両編成となっています。
おまけとして、3月26日の白新線629Mを紹介します。115系N31編成。本来は9時14分発ですが、強風のために626Mが大幅に遅れ、運休のはずの631Mのスジでの運行となりました。
次に、臨時に運転された「いなほ81号」についてお伝えします。グリーン車を除き全て自由席でした。
3月26日。485系T14編成が充当されました。9時40分発の1630Mが行った直後です。
3月27日。485系R22編成が充当されました。ホームページでしかPRされておらず利用客が極少なかったので、この日限りで臨時いなほの設定が終了しました。
新潟地区の鉄道事情は以上です。ほくほく線、飯山線でも間引き運休が見られ、米坂線では1日4往復のみの運行です。また、「笹川流れマラソン号」、「DLばんえつ物語号」、「D51ばんえつ物語号」(4月24日まで)、「やまがた花回廊号」、「リゾートビュー越後妻有号」(4月分)、「分水おいらん号」の設定が取り止めとなっています。一方、首都圏においては、八高線、水戸線など全面運休の路線が発生し、久留里線など大幅な運休もあるので、新潟に住む私達はまだいい方です。
ここで、震災関連の記事をお伝えします。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震。死者がとうとう1万人を越えてしまいました。最終的な犠牲者は27000人以上になるとみられています。また、福島第1原発からの放射能漏れにより、周辺住民の大規模避難、福島県産の農産物の出荷規制など、我々の生活にも大きく影響を与えています。
そんな中、3月26日に磐越西線の津川~郡山間で運転を開始し、新潟と郡山が鉄道で結ばれたことになります。石油輸送の貨物列車も多数運行されるそうで、被災地への石油供給のルートがまた1つ出来ました。
それでは、3月26日、27日の磐越西線などの模様を見てみましょう。
3月26日の磐越西線226D。「キハ110-201+キハ110-204」の2両編成です。ディーゼル燃料節約のため、通常3両のところ1両減車です。
1番線の表示。「9:05会津若松」としっかり出ています。電気節約のため、10:00発の白新線631Mは間引き運休。
続いて、3月27日の快速あがの号会津若松行き。「キハ110-215+キハ110-213」の2両編成です。こちらも、通常3両のところ1両減車です。
磐越西線のレポートは以上です。東北地方太平洋沖地震が発生した時、キハ110の3連×2本、キハ40・47系の2連×1本が閉じ込められました。全線復旧によってこれらが新津に戻ることが出来、磐越西線は概ね平常通りの運転に戻りました。しかし、ディーゼル燃料の不足が懸念されるため、当分の間は3両編成の列車が2両編成で運転されます。
あと、新潟18時18分発の2240Dが4両編成に戻るといいですね。
それでは周辺散策。横田駅前は閑静な住宅地ですが、JAバンクもあります。この近辺の自販機で100円サイダーを購入しました。
そろそろ出発の時間となりました。申し遅れましたが、横田駅は交換可能駅で、対面式ホーム2面2線+側線1本の構内です。先に入ってきた930Dと交換した929D(キハ38 1001+キハ37 1003)に乗車しました。
10時33分に馬来田駅に到着。交換設備が撤去されて棒線駅となっており、向かいに廃ホームが残っています。上総亀山方に引込線あり。
それでは駅舎撮影。大正元年12月開業当時からの木造駅舎が健在です。
駅前にある歌碑。「馬来田の 嶺ろに隠り 居かくだにも 国の遠かば 汝が目欲りせむ」。右隣には、平成22年3月改築のトイレ。
駅舎内部の様子。待合室はある程度の広さをもち、乗車駅証明書発行機と窓口があります。この駅舎ボランティアにより運営されている駅で、窓口営業時間は8:15~11:10、13:10~18:30(水、日、祭日休み)です。この駅の職員は無給なので、運営できる人が中々見つからないのが悩みです。年金が年々削減され定年を延長して働く高齢者が少なくないこのご時勢では、ボランティアによる運営は難しいですね。いっそのこと、NPOによる運営にしてもいいのではないかと。
それでは周辺散策。駅を出て3分ほど歩くと、諏訪神社に到着。ここで久留里線全駅下車達成を誓ってきました。
一旦駅に戻り、「いっせんぼく」に向けて歩きます。ルートになっている武田川沿いに歩きますが、桜並木となっていますね。3月下旬~4月上旬には格好の花見スポットでしょう。
幹線道路に出ると、「うまくたの路の駅」に到着。「ハンの木」の一角の無料休憩所ですが、お花が一杯です。
この休憩所前には、木製の面白いキャラクターが2点。
この「うまくたの路の駅」にも歌碑があります。「旅衣 八重着重ねて 寝のれども なお肌寒し 妹にしあらねば」。
「いっせんぼく」まで2.5kmありますが、時間なので駅に戻ります。沿道には水仙の花が咲いていました。今年の2月が3月に比べて温暖だったといえますが、矢張り房総半島は暖かいですね。
駅に戻ると、何時の間にか人が集まってきました。11時6分発の932D(キハ37 1002+キハ38 3)に乗車し、木更津の1つ手前の駅へ。折角なので、キハ37形に乗車して走行音を録音しました。
つづく
2011年2月6日(日)の朝となりました。7時10分に起床。朝食はバイキング形式で、60種類もあります(広告による)。歯磨きし、7時55分頃にチェックアウト。今日の千葉県はです。
木更津駅8時15分発の、久留里線925D(キハ38 1002+キハ30 100)で出発。
8時48分に下郡駅に到着。片面ホーム1面のみの無人駅です。木更津方のホームの先端がすなわち出口です。
ホームから見る風景。すぐそばを幹線道路が通っている他は、一面の田畑が広がっています。
その田んぼの縁に立って駅舎撮影。左側のトイレと右側の待合室とも、平成21年1月に建てられています。右側の待合室には乗車駅証明書発行機がありますが、ヨド物置をそのまま利用しており何せ雨漏りがひどいです。
下郡駅前は住宅が並んでいますが、ちょうど木更津市と君津市との境界上に位置します。踏切を渡った所にセブンイレブンがあり、カフェオレを購入しました。そこには、うまくた農産物販売所もあります。
少し休憩した後、9時17分発の928D(キハ37 1003+キハ38 1001)で2駅戻ります。
9時27分に東横田駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。平成19年2月築の、昨今のJR東日本千葉支社のトレンドとなりつつある無人駅です。乗車駅証明書発行機があります。ちょうど、おばあさんが掃除していました。
踏切を挟んだ向かいには、コンビニ跡を利用した選挙事務所があります。用を済ませた後、横田駅を目指して出発。
踏切から1ブロック歩くと千葉信用金庫。この交差点を左折して、あとは道なりに。
沿道はずっと畑です。ちょうど、ビニルハウスではレタスの収穫時でした。
道の向こうにコメリや尾張屋が見えてきました。2車線道路を左折して踏切を渡ると、もう横田駅の構内です。東横田駅から30分かからなかったね。
それでは駅舎撮影。大正元年12月開業時からの、曲屋の木造駅舎です。(財産票は「大正14年4月」)今時貴重な存在で、私の記憶する所では、現役なのは横田の他に南豊科だけです。トイレは別棟です。
駅舎内部の様子。壁伝いに待合ベンチがあり、自動券売機と窓口があります。窓口営業時間は6:30~20:00です。
駅前にある近藤彌三郎像。横田地区の農業の発展に力を尽くした人です。
時間があるので、周辺を散策してきます。
つづく
亀山観光ホテルの奥にある足湯に入ります。はじめは私1人だったが、しばらくすると賑わってきました。これまで入った鳴子、上諏訪に比べるとぬるいですが、5分くらい浸かるとポカポカしました。源泉に触れると冷たいので、これでもナットクです。
足湯のテラスから。ダム湖に浮かんだ小島は絵になる風景です。
15時40分過ぎに足湯を出発し、駅に戻ります。亀山湖の長閑な風景を目に焼き付けて。
16時1分発の942D(キハ30 100+キハ38 1002)に乗車し、上総亀山を後にします。
16時13分に平山駅に到着。片面ホーム1面のみの構内ですが、ホームは広いです。
ホームから見た風景。駅裏は長閑な田園地帯です。東方に大倉神社があります。
それでは駅舎撮影。広い待合室のあるオープンな駅舎。中には乗車駅証明書発行機があります。右隣の建物はトイレです。ソテツが大きく存在感を示し、何とも南国風です。
駅前の様子。すぐそばにラーメン屋があり、この駅に降り立って食事した鉄ちゃんも居るでしょう。
滞在時間が15分だけなので、トイレを利用して歯磨きしただけ。16時28分発の939D(キハ38 1001+キハ37 1003)で1駅返します。駅間が2.6kmしかないですが、のんびりと5分かけて。
16時33分に上総松丘駅に到着。もと2面3線でしたが、現在は棒線化されており、ホームも2両分しかありません。
それでは駅舎撮影。平成12年3月にオープンした、木造の「松丘ふれあい館」です。トイレは左側の一角です。
駅舎内部の様子。乗車駅証明書発行機があるだけの無人駅ですが、待合ベンチに木製テーブルが備え付けられています。
駅前の様子。長閑な山間ですが、羽田空港へのアプローチルートに当たっており、引っ切り無しに航空機が横切っていきます。
山間を歩くこと5分、芙蓉商事迎賓館に到着。勿論、無断入場は固く禁じられています。芙蓉といえば、航空機のリース会社を連想するのは私だけでしょうか。
あの待合ベンチで休憩し、17時4分発の944D(キハ37 1003+キハ38 1001)で木更津に戻ります。横田まで一緒に乗ってきた女性と話し込みました。横浜に住んでいるそうで、芙蓉病院に父親の見舞いに行った帰りだとか。
18時4分に木更津駅4番線に到着。折角なので、1、3、4番線の発車メロディーを録音しました。いずれも、ご当地メロである「正性寺の狸」が採用されています。その後、グランパークホテルエクセルにチャックイン。夕食は、旧木更津そごうで購入した弁当といさき寿司。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
東日本大震災で計画停電が実施されている折にUPするのは誠に心苦しいですが、久留里線駅巡りの模様をお伝えします。
俵田駅から久留里線933Dに乗車。ボックス席に座り、終着放送を録音しました。
13時25分に久留里駅1番線に到着。停止位置が木更津方にずれています。
1番線と2,3番線は構内踏切で結ばれています。1番線だけが長くなっています。
駅舎内部へ。駅員が配置されており、券売機と窓口があります。待合ベンチにて昼食タイムにします。
それでは駅舎撮影。開業当初からと思われる木造駅舎が健在ですが、千葉DCに伴って白亜にリニューアルされました。トイレは別棟にあります。
歯磨きを終えた後、周辺散策。駅前から幹線道路に出ると、「久留里商店街」にはいります。久留里城まで1.2kmということで、門構えが城です。
少し歩くと、蔵造りの建物を見つけました。
3分ほど歩くと、藤平酒造に到着。酒屋も併設しており、土産として久留里城を購入しました。福祝という銘柄もあります。
向かいには吉崎酒造。久留里の地下水は、千葉県で唯一、「平成の水100選」選ばれているそうです。1箇所に酒蔵が複数あるのも分かるような気がします。
少し休んだ後、14時23分発の935D(キハ38 1002+キハ30 100)に乗車して終着駅を目指します。つくづく思うのですが、久留里線は私がこれまで旅してきた中で5本の指に入るほどのんびりとしたローカル線です。
14時42分に上総亀山駅に到着。片面ホーム1面のみですが、3本留置できる構内です。夜間には3本とも滞泊していると思われます。
構内踏切を渡り、駅舎に入ります。駅員が配置されており、券売機と窓口があります。待合室は狭いです。
それでは駅舎撮影。純粋無垢な木造駅舎ですが、千葉DCに伴ってリニューアルされたものと思われます。トイレは別棟。
あるスポットを目指して周辺散策。少し歩くと、久留里線の車止め。何とも長閑な終端駅です。
駅を出て10分以内で橋を渡ります。一面の湖面が広がってきました。景色を楽しみながらのボート遊びは何ともいいものです。
少し歩けば、川俣神社に到着。ここで旅の安全を祈願しました。その後、三叉路を左に入ります。
別の橋を渡り5分ほど歩くと、亀山湖のダムサイトを通過。間もなくして、足湯のある亀山観光ホテルに到着。
久留里の皆様へ。地震、大丈夫でしたか?
つづく
ここで、東日本大震災に関するトピックをお伝えします。
このたびの巨大地震では、東北地方太平洋側が大津波により壊滅状態になったのをはじめ、日本列島は史上稀に見る被害を蒙りました。そんな中、福島第1原発にて3基の原子炉のいずれでも水素爆発が起きて、電力需給が逼迫しました。
勿論、鉄道関係も甚大な損害を蒙り、常磐線新地駅構内での惨状は象徴的です。そんな中、本日より、東北新幹線の大宮~那須塩原間で運転を開始しますが、それ以北(山形・秋田を含む)は運転再開の見通しすら立っていません。架線などが損傷しており、復旧は早くてもGWになるかと思われます。
幸い、新潟地区の被害は比較的軽微だったものの、それなりに影響を受けています。不足分の電力を首都圏などに供給するため、本日より東北電力管内である新潟地区でも輪番停電が始まります。
新潟地区の鉄道は、震災当日は終日運転見合わせでしたが、翌12日以降は少しずつ回復しています。ここでは昨日(2011年3月14日)夜現在の新潟地区の鉄道の運転状況をお伝えします。
・上越新幹線
12日の16時4分から運転を開始しました。しかし、14日からの輪番停電の影響により運転本数が7割程度となり、「Maxとき344号」などが運休となっています。
・白新線、羽越本線
翌12日からはほぼ平常通りの運転ですが、「きらきらうえつ」は12、13日は運休しました。「べにばな」は運休。
・信越本線
新潟~長岡は翌12日から平常運転です。長岡~直江津は、津波注意報が解除された13日昼までは運転を見合わせました。
・米坂線
本日より、坂町~小国において、朝夕の2本に限り運転。小国以東は運転再開の見通しが立っておりません。
・磐越西線
新津~津川のみの運転ですが、馬下~津川は本数は僅かです。運休列車も発生していると思われます。津川以東は運転再開の見通しが立っておりません。
・弥彦線、越後線
翌12日から平常運転。
・上越線
13日より運転再開していますが、14日は停電の影響で越後中里~水上で運転見合わせ。
・飯山線
12日3時59分に発生した新潟県中越地方の地震により、路盤崩落が発生した箇所があります。そのため、越後川口~戸狩野沢温泉で運転を見合わせています。全線復旧には早くても半年かかるでしょう。
・只見線
全線で運転見合わせ。
・いなほ
12日は、7号があつみ温泉止まりになるなど、運休または運転形態の変更が多数発生しました。酒田から先は運休。
13日は、酒田折り返しで運転され、8号は全区間運休しました。
14日は平常運転に戻りましたが、間引き運転の上越新幹線の接続をとるため、9号や13号などで遅延が発生しています。
・北越
12日は1~4号が全区間運休しましたが、5号以降は平常運転。
・はくたか
上越新幹線の運転見合わせのため、12日は15号まで全区間運休。
・夜行列車
「きたぐに」が14日から運転を開始した他は、現在も運転見合わせ。
運転状況は刻々と変わります。輪番停電により状況が変わる可能性もございます。最新の情報を確認してご利用下さい。
最後に、一日でも早い復興を願ってやみません。
2011年3月11日14時45分、東北地方太平洋沖でM9.0の大地震が発生し、東北地方や首都圏を中心に未曾有の被害を蒙りました。犠牲者は10000人を越えるともいわれています。このたび被災されました皆様には、心からお見舞い申し上げます。
こんなご時勢には不謹慎かもしれませんが、千葉支社管内の乗り継ぎ旅をもう1編お伝えします。
今回登場する路線は久留里線です。久留里線は、木更津と上総亀山を結ぶ駅数13、全長32.2kmの路線です。もともとは房総半島を横断し安房鴨川と結ぶ予定でしたが、上総亀山で頓挫して今に至っています。今時珍しいキハ30・37・38形気動車が主力車両として運用され、ひそかに人気を集めているローカル線です。
前置きはこれくらいにして、2011年2月5日(土)~6日(日)の乗り継ぎ旅にまいりましょう。
出勤の時と同じように6:15に起床。「ウィークエンドパス」を改札に入れ、7時6分発の信越本線426M(115系L14編成+N29編成)で出発。道中は出来るだけ運用調査しながら。
長岡からは「Maxとき310号」(E1系M2編成)に乗り継いで東京へ。12号車上階の指定席に座りましたが、越後湯沢で全て埋まりました。浦佐や越後湯沢は雪が凄いです。
9時55分に東京駅に到着し、総武快速線1015F(E217系Y1編成+Y129編成)~内房線165M(211系405編成)と乗り継いで木更津へ。浜野~八幡宿で走行音を録音。
木更津到着後、931D(キハ38 1003+キハ38 62)に乗り継ぎ、久留里線駅巡り開始。
12時26分に小櫃駅に到着。交換設備が撤去されて、片面ホーム1面のみの構内となっています。
上総亀山方を望みます。枕木の向こうには、C12 187が保存されています。
それでは駅舎撮影。面白い形の木造駅舎です。両脇にベンチがありますが、乗車駅証明書発行機があるだけの無人駅です。トイレは離れた所にあります。
駅前には、昭和32年4月12日に建立された土地改良碑があります。また、左隣にはJAがあります。
調査終了後、俵田駅に向けてR410を歩きます。集落を抜けた所で934Dと出会いました。先ほどの931Dと同じパターンの配色です。
しばらくすると、御腹川を渡ります。
一山越えて、白山神社に到着。ここで旅の安全を祈願します。この神社って曰く付きなのです。
境内には白山神社古墳があります。全長88m、後円部の高さ10mの前方後円墳です。後円部に比べて前方部が低く、幅も前方に向かってさほど広がっていないので、古墳時代前期の古墳と推定されています。
白山神社古墳から15分ほど歩くと、俵田の道標に到着。ここを左折すれば、間もなく目的地に到着します。
俵田駅の入口。民家の脇から入る形で、一見しただけでは駅とは分かりません。小櫃駅と同様、土地改良記念碑に出迎えられました。
俵田駅は民家を挟んでヨド物置を利用した待合所があり、隣にはトイレがあります。トイレが平成21年1月築なので、待合所もその頃の築と思われます。待合所には乗車駅証明書発行機があります。
申し遅れましたが、俵田駅は片面ホーム1面のみの構内で、国鉄時代の駅名標が残っています。13時21分発の933D(キハ38 3+キハ37 1002)に乗車しました。
つづく
美味しいパスタを食べた後、12時12分発の11Cで西千葉を後にして江戸川を越えました。209系509編成に乗車したので、走行音を2区間録音しました。
12時42分に小岩駅に到着。島式ホームの1面2線+通過線2本の構内ですが、ホームは可也広いです。
コンコースに下りると、トイレとNEW DAYSがあります。正式な改札は錦糸町方にありますが、千葉方にはPOPO専用の改札(写真)があります。
正式な改札を出ると、左手にKIOSK、駅そば屋と並んでいます。一方、自由通路を挟んで左手にはみどりの窓口、右手にはVIEDE FRANCEがあり、POPOに繋がっています。
きっぷうりばの前には、かつての名横綱であった栃錦の像があります。
南口に出ました。高架下を利用して上手くつくられた駅です。付近にオリンピックがあります。
東側にはサンロードが伸びています。付近は飲食店が多く、食事場所には困らない駅です。
北口に出ました。コンコースは地面より一段と高くなっています。この駅は、先ほどの西千葉よりも利用客がずっと多いです。
駅前にはイトーヨーカドーがあり、南口以上に賑やかです。
上下其々の発車メロディーを録音した後、13時13分発の1247B(E231系21編成)に乗車しました。
13時27分に浅草橋駅に到着。総武・中央緩行線では数少ない、対面式ホーム2面2線の構内です。
東側階段を下りると、左に女子トイレ、右に男子トイレです。改札を出ると正面にみどりの窓口があり、営業時間は6:00~22:00です。内部は全体的に暗いです。
横断歩道を渡って駅舎撮影。東口の駅舎は昭和27年10月築の2階建てで、都営浅草線の入口が右側のブースです。周囲は当然ながら市街地です。
駅舎撮影後、西口に向かって歩きます。左右とも商店街が続いています。この先は繊維問屋街となっています。何時の日か、世界の山ちゃんで飲み食いしたいな。
250mくらい進んで西口に到着。みどりの窓口がありませんが、利用時間は6:00~23:00です。こちらもトイレが男女別になっています。
旅の最後に、吾左衛門橋の上で神田川を眺めます。屋形船が多数係留されており、ビル街の中で風情を感じました。
ローソンで買い物し、13時58分発の19C(209系511編成)で秋葉原に出た後、京浜東北線1309C(E233系164編成)、高崎線3640E(E231系S02編成+K40編成)で帰路に就きます。グリーン車に身を投じると、福俵カップで打ち上げ。
高崎到着後、上越線743M(115系T1037編成)に乗り換え。発車間際に「SLEL碓井号」が入線しましたが、ここは敢えて無視して上越線を走破。水上にて1749M(115系L12編成)に乗り継いで新清水トンネルを抜けると、川端康成の小説そのもの。
越後川口で遅れ飯山線の接続待ちからおかしくなり、知らされたのは矢代田駅構内での人身事故のため信越本線457Mが運休ということ。新幹線利用を覚悟してましたが、長岡では455M(115系N28編成+L7編成)が接続をとってくれていました。実に59分遅れ。
2011年新春乗り継ぎ旅 おわり
参考サイト さいきの駅舎訪問
東金駅から7分ほど歩くと、桜の名所である八鶴湖に到着。対岸には東金高校があります。出初式が終わったかどうか窺い知れませんが、幟が出ていました。
道を挟んで向かいには安国山 景福寺。
一周せずにそのまま駅に戻り、9時53分発の1636M(209系C442編成)で東金駅を後にしました。
9時57分に福俵駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
ホーム先端は、そのまま道路に繋がっていました。これを以って、東金線全駅下車達成。
踏切を渡り、廃業したスーパーの敷地から駅舎(?)撮影。昨今の千葉支社のトレンドの形態をもつ無人駅です。右側のブースはトイレ。左側のブースである待合所の先端に乗車駅証明書発行機があります。
それでは周辺散策。5分ほど歩くとセブンイレブンに到着し、福俵カップを購入。幹線道路沿いで都会的な雰囲気ですが、周辺は田畑が多いです。
Tull's coffeeでブレイクし、10時34分発の1638M(209系C436編成)で出発。折角なのでボックスに入り、女子大生と相席。何年もご無沙汰している間に、千葉支社管内は209系の改造車や211系に席巻されており、すっかり陣容が変わってしまったなと感じました。
11時9分に千葉駅に到着すると、君津行きの167Mに入っていた113系103編成に出会いました。これを逃すと次はないと思うので、しっかり記録していきます。
この後、緩行線の駅を巡ることにし、11時20分発の1155B(E231系39編成)に乗車しました。
11時22分に西千葉駅に到着。島式ホーム1面2線の横に通過線(快速線)が2本通っています。
改札を出て自由通路に出ました。みどりの窓口があり、営業時間は6:00~22:00です。反対側は「ペリエ西千葉」。
まずは南口に出ました。高架下を利用してつくられた駅です。駅前には西友があります。
続いて北口に出ました。こちら側にはNEW DAYSがあります。右手にはテナントが何店舗か入居しています。
北口は既に千葉大学の敷地に接しており、西方に5分ほど歩くと正門に到着しました。今回の旅は、大学巡りの旅でもあります。
駅に戻るとお昼時になったので、アツアツのパスタで昼食にしました。
つづく