前回の記事で反映出来なかったですが、2024年春の北陸新幹線敦賀延伸に伴い、現在の北陸本線の大聖寺〜敦賀間の運行を担うことになる第3セクターの会社名が「ハピラインふくい鉄道」になることがわかりました。福井県在住の60代男性の案が採用されたそうです。となると、越美北線の扱いや如何に?!
さて、本題に。15時28分発の1337M(E129系A8編成)に乗車し、塚山駅を出発。
15時41分に前川駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
では、駅舎の中へ。10人分のベンチが並んでいます。長岡方には乗車駅証明書発行機が。
下りホームの駅舎撮影。昭和54年3月30日築の、トタンつくりの待合所です。
時刻表を。1時間に0~2本ずつです。上りは4本、下りは5本を除いてワンマンです。
50分の滞在時間で周辺散策。駅前には県道499号が通じており、徒歩5分くらいの所に前川小が。
駅前のバス停。小千谷、免許センター方面がおよそ1時間おきに出ています。
前川小交差点を右に曲がって。向かいにはハングルースが。
1つ長岡寄りの踏切を渡ると新興住宅地に。ちょうど前川小の下校時間にぶち当たりました。
上りの駅舎に出ました。昭和51年12月築のコンクリ駅舎です。トイレは直江津方に。
一旦駅舎の中へ。5人分座れるベンチと乗車駅証明書発行機が備え付けられています。
「免許センター」を目指して周辺散策。適当にそぞろ歩きしていると、なぜか上前島町集落センターに出ました
で、その向かいにある建物には、木喰上人彫刻佛像が保管されてました残念ながら非公開なので、中はレポート出来ず。
下りホームに戻ってしばらくすると、「柳都Shu*kura」が上越妙高に向けて走り去っていきました
16時31分発の1339M(E129系A18編成)で長岡駅へ。乗り継ぎ時間を利用してIgottier Nagaokaに立ち寄ってみると、米百俵フェスの紹介が奥にはMaxの部品。
17時2分発の455M(E129系B21編成)で新津に帰還します。進行方向右側の女子学生の向かいに陣取りました。
「2021年夏の「青春18」最後の1回」は以上です。今回は、「柳都Shu*kura」に乗りつつ、信越本線の駅を巡って長谷川邸と寶徳山稲荷大社を観光する、誠に収穫の多い乗り継ぎ旅となりました。「えちごツーデーパスSP」でも十分巡れる範囲でしたが、デルタ株が猛威を振るっていたためやむを得ずでした。
今回の最大の収穫である「Shu*kura」ですが、2号車のイベントスペースではジャズの演奏が延々と流れていました。コロナ禍ということで「3密」を避けるため、狭い車内でのジャズの生演奏がご法度になっているからでしょう。でも、車内での振る舞い酒があったのは意外でした。流石は日本酒を飲ませる列車だけあります。
話が変わりますが、横浜市交通局は昨日、ブルーラインの新型車両である4000形を、5月2日にデビューさせると発表しました。2023年度までに8編成投入するとされ、老朽化した3000A形を淘汰するとしています。
東北新幹線の郡山~福島間が4月2日に、仙台~一ノ関間が4月4日にそれぞれ運転を再開することになりました。次は、「羽後本荘駅橋上駅舎化キネン乗り継ぎ」をお伝えします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
参考サイト さいきの駅舎訪問
前回の記事で反映出来なかったですが、JR北海道と小樽市、余市町は一昨日、函館本線の小樽~余市間のあり方について協議が行われました。その結果、小樽市と余市町が共にバス転換を受け入れ、小樽~長万部間が北海道新幹線札幌延伸を機に廃線になることが昨日正式に決まりました。国の支援が得られない中で函館本線の「山線」の存続は矢張り厳しかったでしょう。北海道新幹線札幌延伸後は、マッサンの舞台に鉄道が通ることはありません。
さて、本題に。長谷川邸に入館し玄関の間に通されると、襖絵が何故かるろうに剣心
二の間と上段の間。
上段の間から望む庭園。苔むして風流です。
長谷川邸の柱には、釘隠しに縣魚が。
現役当時のトイレ。現在は使用できません。
湯殿。
仏壇。
長谷川家のはっぴ。長谷川家は、近世初期以降になってこの地に居を構えて、土地開発や治水事業など村の開発を通して、山村地主として地位を固め、代々庄屋を勤めてきた旧家です。
明治末期の長谷川家のポートレート。テニスコートがあり、テニスを楽しんでました。現在のヨネックスと大いに関係あるでしょう。
扇風機。当時にタイムスリップしたかのようです。
再び上段の間へ。
台所へ。これは土釜。
主屋を見終えて新屋敷へ。中には収蔵品がありましたが、撮影禁止。
最後に土蔵を。ここは立ち入り禁止。
駅に戻ります。その途中、昔ばなしとほたるの館に立ち寄ります。
厳重な検温と住所を書くことが求められてDVDの間へ。その向こうにはほたるの展示。
で、奥には三波春夫のスペースが。国民的歌手として、全国のファンを魅了し続けました。
三波春夫は大正12年7月、本屋を営む北詰幸三郎・ミヨの三男として、新潟県三島郡塚山村塚野山に生まれました。子供の頃から歌がうまく、13歳で上京して米屋、製麺所、魚河岸で働く傍ら、16歳で日本浪曲学校に入学、南條文若の芸名で麻布六本木の奇席、新歌舞伎座で初舞台を踏み、一番看板の座長として全国巡業を開始しました。その後、出征、シベリア抑留を経て、昭和27年にゆきと結婚。昭和32年に「チャンチキおけさ」でデビューしてからは、国民的歌手の道を歩みました。昭和61年に紫綬褒章を、平成6年には勲四等旭日小綬章を受章されました。平成13年4月14日に逝去。
ヨネックスの工場に差し掛かると、小国車庫行きバスと一瞬の邂逅
話が変わりますが、広島電鉄は今日、ダイヤ改正を実施しました。
まずは、1号線から。広島港(宇品)の始発が559から618に繰り上がっています。
次に、2号線。広電宮島口方面から広電本社前ゆきを4本増やし、広島駅ゆきを4本減らします。広電本社前1728発広電宮島口ゆきを新設(復活)します。そして、夜間の下りが11分おきから9-10分おきに改められます。
3号線は、ラッシュ時を8分おきから15分おきに改められます。
そして、9号線。平日の2本の直行便(江波〜八丁堀〜白島)を廃止し、9-21時台を8分おきから10分おきに改められます。
つづく
歯磨きを終えると出発の時間となりました。13時48分発の1336M(E129系A25編成)で越後岩塚駅を出発。
13時53分に塚山駅に到着。一見する限り2面3線のようですが、副本線が撤去されています。
跨線橋を渡って駅舎の中へ。無人化されて窓口が閉鎖され、乗車駅証明書発行機になっています。
長岡方には待合スペースが。座席には座布団が敷かれています。尚、エアコンの運転時間は5:30~24:00です。
それでは駅舎撮影。平成18年2月28日築の木造駅舎です。トイレは直江津方に。
時刻表を。1時間に0~2本ずつになっています。上りの4本、下りの5本を除いてワンマン運転です。
待合室に女子高生がいたので、そそくさと周辺散策。駅前は国道404号が通じています。長谷川邸は西方向に。
駅前のバスの時刻表を。小国車庫ゆきのバスが9本(土休日は6本)、「雪ほたる号」が7本(土休日は2本)出ています。
駅を出て5分、ヨネックスの工場を通過。テニスプレーヤーにとってはもうお馴染みですね。
信越本線のガードをくぐって一旦県道550号に入ると、再びヨネックスの工場を通過。
県道550号を外れ、如何にも蛍が舞いそうな里山の道に。
駅を出て20分、長谷川邸に到着。「どこから来たの?」と言われて「新潟市秋葉区から」と言うと、障がい者手帳を見せると無料で入れてくれました。デルタ株が隆盛を極めていたこの時期は、緊急事態宣言地域やまん延防止等重点措置地域からの入館はお断りでした。
長谷川邸は新潟県最古の民家といわれており、主屋は1706年の大火で焼失したものの、1716年に再建されています。
話が変わりますが、京都市営地下鉄烏丸線の新型車両20系は、本日の京都駅1500発の国際会館ゆきでデビューします。竹田方面の1番列車は国際会館1525発です。いよいよ10系が大淘汰に入るでしょう。既に廃車陸送されたものもいるし。
デビューする車両もいれば去りゆく車両もいます。「とれいゆ つばさ」は、明日の「新庄→福島→山形」の旅行商品専用列車で大団円を迎えます。3月31日の旅行商品専用列車は、この前の福島県沖地震で運休になってしまいました。
つづく
前回の記事で反映出来なかったですが、新潟市の中原市長は一昨日、新潟駅の在来線ホームが6月5日より完全高架化すると発表しました。6月3日深夜より工事が始まり、翌4日は白新線の新潟〜東新潟間、信越本線の新潟〜越後石山間がそれぞれ運休になり、新潟〜東新潟間及び新潟〜亀田間がそれぞれバス代行になります。この日は「いなほ」が全て運休して豊栄〜酒田・秋田の臨時快速列車になり、「しらゆき」は新津発着になります。これに伴い、現在の仮万代口、在来線東改札、東のみどりの窓口及び8、9番線が廃止となります。
さて、本題に。長岡駅から12時6分発の1334M(E129系A8編成)に乗車し、12時22分に越後岩塚駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
跨線橋を渡って駅舎の中へ。無人化されて窓口が閉鎖され、乗車駅証明書発行機になっています。尚、ベンチは6人分。
それでは駅舎撮影。平成12年12月28日築の木造駅舎です。トイレは長岡方に。
時刻表を。上下それぞれ0~2本ずつです。上りの4本、下りの5本を除いてワンマンです。
86分の滞在時間で周辺散策。駅前は閑静な住宅街。うだるように暑い夏の昼下がり。
出発するとすぐに関藤武市郎の顕彰碑が。
寶徳山稲荷大社を目指します。中島踏切の入口には昭和ものふく館が。「七転び八起き」ですって
中島踏切を渡って15分ほどで寶徳山稲荷大社一之宮に到着。
更にスロープを上がると内宮へ。ここは夏季参拝停止だった〜
ふと右手を見ると、寶徳山稲荷大社を寶徳山稲荷大社たらしめる景観が。尚、御祭神は天照白菊宝徳大神です。
本宮の方に歩を進めます。これでもかという数の鳥居が尚、11/2、3に神幸祭が執り行われます。
左に折れて鳥居をくぐると本宮に到着。入るなり、検温と消毒を求められました。参拝後、休憩スペースで見取り図を描きました。
もと来た道を戻ります。駐車場の脇には旧本宮跡が。駅に戻ると、持参のパンで昼食タイム。
話が変わりますが、アルピコ交通では明日、20100形がデビューを迎えます。処女列車は新島々1327発の松本ゆきです。東武日光線などの20400型といい、元日比谷線直通車両だった東武20000系は、今やローカル私鉄の顔になりつつありますね。
そしてもう1つ。長崎電気軌道は今日、新型車両6000形(6001)を間もなくデビューさせます。この6000形はアルナ車両の製造で、低床車の単車としては世界初のロングシート車となっています。車椅子スペースが2箇所設けられているのが特徴的です。尚、2022年度は、6000形が2両増備される予定です。
つづく
16日深夜の地震で被害を受けた東北新幹線ですが、今日から那須塩原〜郡山間及び一ノ関〜盛岡間で運転を再開しています。「なすの」が東京〜郡山間、「やまびこ」が一ノ関〜盛岡間、「はやて」が盛岡〜新青森間、「はやぶさ」が新青森〜新函館北斗間の運転となります。これに伴い、東北本線の臨時快速列車も、仙台〜一ノ関間及び郡山〜仙台間の運転に変わっています。東福島〜藤田間で橋脚に損傷が見つかった影響で東北本線の福島〜藤田間が運転を見合わせていましたが、昼頃に運転を再開しています。尚、東北新幹線は、郡山〜福島間が4月2日頃に、仙台〜一ノ関間が4月4日頃に運転再開となり、4月20日頃に全線で運転再開となる予定だといいます。
さて、本題に。10時29分発の「柳都Shu*kura」で潟町駅を出発。この駅から乗車したのは私1人。うのんちゃんのお見送りもなし。
今回乗車したのは勿論3号車に。乗車率は大体5~6割ほど。
本来であれば、2号車ではジャズの生演奏が行われますが、コロナ禍ということで、スピーカーからジャズの調べが流れるだけ。こんなにも広々としているフリースペースは初めてです。
で、カウンターでは物販が行われており、5種の酒が販売されてました。
折角なので、新潟しゅぽっぽ純米吟醸を注文し、日本海を肴に味わってきました。
10時45分に青海川駅に到着。1330M(E129系A32編成)と並びました
1330Mが出発した後、編成美を見せてくれます。いい気分になったお客さんが三々五々と外に出ていきます。
1号車の旅行商品専用車両では、弁当を広げている客の姿も。
席に戻ります。柏崎駅を出ると、玉風味の振る舞い酒が。越の誉と並べて。
いい気分になったところで、ポストカードをもらいました。振る舞い酒も越の誉も飲み干すなんて、私って呑み過ぎ
。
11時33分に長岡駅3番線に到着。「柳都Shu*kura」はこのまま新潟まで行きますが、私はここで下車します。
話が変わりますが、JR東日本は今日、「はくたか」のグランクラスにおける飲料・軽食のサービスを9月30日を最後に全て取りやめる発表しました。これに伴い、10月1日以降乗車分の「はくたか」のグランクラスの料金が3000~4000円程度値下げとなります。
そしてもう1つ。JR北海道は今日、「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」を3月25日より販売を再開し、利用期間を6月30日まで延長すると発表しました。しかし、日本国内では「BA.2」の影が迫ってきており、私はまた発売中止にならないかと危惧しています。
つづく
前回の記事で反映出来なかったですが、JR西日本岡山支社は17日、新観光列車「SAKU美SAKU楽」について重大発表を行いました。6月中旬まで改装工事を行い、7月1日に営業運転を開始します。金、土、日曜には臨時列車として、月曜には定期列車に併結して走るということです。扱いは、快速列車の普通車指定席となります。
さて、本題に。9時28分に土底浜駅に到着。㈱信越丸大食品の前の道路は車通りが激しく、散策に危険を伴いました。県道77号になっており、大潟PASICへのアプローチにもなっているのです。
で、国道8号を少し柿崎方向に進めると、クスリのアオキがありました。クスリのアオキは、新潟県内で飛ぶ鳥を落とす勢いで出店しており、ドラッグストアでありながら食品関係に力を入れています。
下りホームの方に戻ると、駐輪場の脇に平成23年築のトイレがありました。
下りホームの駅舎撮影。昭和32年1月築の待合所です。尚、標高は8.2m。
中に入って見取り図を描きます。乗車駅証明書発行機と長椅子が設えられています。
9時57分発の1329M(E129系A8編成)で長岡方面へ。
10時ちょうどに潟町駅に到着。一見する限り2面3線のようですが、副本線が撤去されています。
それでは駅舎撮影。昭和29年12月築の木造駅舎で、うのんちゃんの基づくカラーリングになっていることは変わりないですが…。
無人化されて久しく、自動券売機も廃止されて乗車駅証明書発行機になっているのですあの頃の待合所はそのままですが。
「柳都Shu*kura」の時間まで周辺散策。駅前の花壇はルピナスが見頃。
陸橋近くの「とまと」はもう閉店してました
話が変わりますが、この前の地震で脱線した「やまびこ223号」の車両の撤去作業が本日より始まりました。自走にするかスイッチャーで牽引するのかこれから詰めるところです。
これとリンクするかのように、昨日から那須塩原〜仙台でE653系U102編成による臨時快速列車が運転を開始しました。特に、下りの第一便は、仙台駅で盛岡ゆきの臨時快速列車に8分で接続するということで、東北新幹線の代替手段としての役割は十分に果たしているといえよう。しかし、特急料金なしでE653系に乗れるということで、鉄オタの巣窟になってしまっているのが問題になっています。22日以降も設定があるのか。
つづく
一昨日の23時36分頃、東北地方太平洋沖でM7.3、最大震度6強の地震が発生しました。その際、福島~白石蔵王間にて「やまびこ223号」の17両中16両が脱線しました。怪我人はいなかったものの、約4時間後の17日3時40分頃に事故現場から仙台駅に向けて救済バスが出ました。東北新幹線では、高架橋のコンクリートの落下及び電柱折損、軌道変位などの被害が出ており、復旧には相当の日数を要するでしょう。全線復旧はGW前になるのかな。
その2はこちら
さて、本題に。上下浜駅を出て10分ほどで、マリンホテル・ハマナスに到着。第3セクターによる運営であり、日帰り入浴もあるそうです。いつの日か入りに行きたいものです。
そのハマナスから少し歩を進めると、大海原に出ました。
駅の方に戻ります。その途中、神明宮に立ち寄って。
一対の狛犬に出迎えられて本殿へ。旅の安全を祈願してきました。
国道8号に戻ると、廃GSを見つけました
駅に戻りました。すると、「しらゆき2号」(E653系H202編成)が通過していきました
9時22分発の1328M(E129系A8編成)で直江津方面へ。
9時28分に土底浜駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
間もなくして、3373M(E129系A18編成)が通過していきました
土底浜駅の駅舎は上下別になっています。上りの駅舎は、昭和35年3月築のブロック積みの待合所です。
では、その待合所の中へ。5人分座れるベンチと乗車駅証明書発行機になっています。
時刻表を。上り14本、下り13本になっています。
29分の滞在時間で周辺散策。上りホームの前にある工場に気になって行ってみたところ、㈱信越丸大食品でした
話が変わりますが、秋田方面のお客さんの救済のため、昨日から「いなほ5・10号」が酒田~秋田間延長運転を実施しています。酒田~秋田間の延長部分は臨時快速という扱いになっています。「いなほ10号」は、「いなほ1号」から折り返しのE653系のU編成になっています。
そしてもう1つ。東北新幹線の寸断を受けて、3月20日以降の「とれいゆ つばさ」のラストランイベントは全て中止になってしまいました。E3系R18編成は、復旧後に改めて旅行商品列車が設定されるのか、ひっそりと新利府に廃車回送されるのか要注目です。
つづく
今春のダイヤ改正では、大和路線103系とともに新潟の115系が運用を離脱したのです。3月11日の142Mで運用中のN34編成が岩室駅で加速しないトラブルに見舞われ、その日の3374M(N38編成)が文字通り大団円となりました。翌3月12日にはN35編成×クモヤ143-51の撮影会が行われました。3月26、27日には新潟の115系が全て集結しクモヤ143-51がコラボする撮影会が2部制で実施されます。費用は何と39115円です。
さて、これからお伝えするのは、2021年8月後半の新潟の115系電車です。この時期は「18きっぷ」の時期でしたが、26枚の大所帯になりました。E129系での代走もありますが、どうぞご覧ください。尚、特記以外は新潟駅での撮影です。
2021年8月16日。越後線1539MはN34編成でした。
越後線143Mの回送はN36編成+N37編成でした。
越後線142MはN33編成でした。
2021年8月17日。信越線3481MはN36編成でした。
越後線143MはN37編成+N34編成でした。
越後線1539MはN35編成でした。
2021年8月18日。越後線139MはN38編成でした。
山通踏切に行き、信越線3481Mを。N37編成でした。
新潟駅に戻り、越後線143Mを。N34編成+N35編成でした。
2021年8月20日。信越線3374MはN38編成でした。
越後線156MはN36編成+N37編成でした。
2021年8月23日。越後線143MはN33編成+N34編成でした。朝方の豪雨の影響で大幅に遅れて着線が3番に変更になったので、後追いになりました。
越後線142MはN35編成でした。信越線内の大雨の影響で、1539Mからの折り返しとなりました。
北上踏切に行き、信越線3374Mを。N36編成でした。
2021年8月25日。越後線1539MはN37編成でした。
越後線143Mの回送はN35編成+N40編成でした。
越後線142MはN33編成でした。
2021年8月26日。越後線139MはN34編成でした。3分ほど遅れてました。
信越線3481MはN35編成でした。11分ほど遅れてました。
越後線143MはN40編成+N37編成でした。
2021年8月30日。越後線139Mは、E129系B6編成での代走でした。
信越線3481MはN33編成でした。
越後線143MはN37編成+N35編成でした。
2021年8月31日。越後線139MはN36編成でした。
信越線3481MはN37編成でした。
越後線143Mの回送はN35編成+N34編成でした。
最後に、今春のダイヤ改正を象徴するシーンをご覧ください。
2022年3月13日。越後線139MはE129系A3編成でした。
亀田駅に行き、信越線3481Mを。E129系B25編成でした。
新潟の115系電車惜別記事は以上です。8月後半の新潟の115系電車をお出ししましたが、今回展示される全勢力をお出しすることが出来ました。ついこの間まで普通に走っていたことを思うと、未だに信じられません。
さて、新潟の115系電車の「華」であった6連編成は、3月10日の越後線143Mで終了したようです。その日の156Mからは、しっかりE129系に変わったようです。また、11日の3374Mに充当されたN38編成は、新井からの2335Mで直江津に帰った直後に回送で新潟に帰りました。
話が変わりますが、西武鉄道は昨日、旧2000系の8連の唯一の生き残りである2007編成が来月下旬に引退すると発表しました。3月29日からは引退記念のヘッドマークとステッカーが貼りつけられ、4月26日の新所沢→横瀬の片道ツアーで大団円となるといいます。
一昨日のダイヤ改正では、プレス発表されたもの以外にも国鉄形車両がいくつか定期運用を終了しました。奈良の103系が運転終了しただけではなく、新潟の115系も運転終了したのです。そして、E127系の越後線、弥彦線での運用も終了しました。よって、次は新潟の115系についてお伝えします。
さて、本題に。7時34分発の1326M(E129系A23編成)で越後広田駅を出発。海側のボックスの一角に陣取るのがやっとの乗車率で、次の北条からは通路までぎっしりに。彼らの多くは柏崎で下車し、私のボックスは上越妙高までいくという女性と2人きりに。
8時14分に上下浜駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
ホームの一角には百合の花が。
跨線橋を渡って駅舎の中へ。8人分座れるベンチと乗車駅証明書発行機が備え付けられています。
それでは駅舎撮影。昭和54年11月24日築の、緑系の陸屋根の駅舎です。トイレは直江津方に。尚、標高は23.2m。
時刻表を。下り13本(うち8本がワンマン)、上り14本(うち10本がワンマン)です。
68分の滞在時間で周辺散策。駅前には肴菜やがありますが、勿論営業時間前です。
案内にあるハマナスを目指して国道8号を進みます。向かいには上下浜小学校が。
国道8号を辞して海岸の方に5分ほど分け入ると、浄土真宗大谷派の寺院である大瀧山 了蓮寺に到着。
了蓮寺の境内の鐘楼の近くには茅の木が。
で、了蓮寺の向かいには、越後新四国第三番札所である最勝寺が。サルスベリが見頃でした。
海岸へと向かっていくと、所々に「売物件」が。
続きはこちら
今日のダイヤ改正では、JRのみならず多くの私鉄も実施しました。長良川鉄道の「刃物会館前」は「せきてらす前」に変更になります。東急電鉄は、奥沢駅の待避線が運用開始となります。中でも最も改悪となるのは西武鉄道で、料金不要の列車は飯能駅で必ず乗り換えとなります。
さて、これからお伝えするのは、2021年8月27日(金)の「18きっぷ」乗り継ぎ旅です。「柳都shu*kura」を利用したついでに、信越本線の駅をいくつか巡ってきました。往路と復路で撮ることが出来ました。
前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。
自転車で新津駅に行き、5時37分発の信越線420M(E129系A19編成)で出発。
長岡駅にて「18きっぷ」に日付印を入れ、6時39分発の1324M(E129系A18編成)に乗り継ぎます。
7時9分に越後広田駅に到着。一見する限り2面3線のようですが、副本線が撤去されています。
柏崎方に進んで行くと、複線5000kmの碑が
では駅舎の中へ。無人化されて窓口が固く閉ざされています。
壁には6人分座れるベンチがあり、乗車駅証明書発行機が備え付けられています。
それでは駅舎撮影。平成7年3月12日築の、三角屋根の駅舎です。
トイレは長岡方に。
時刻表を。1時間に0~2本ずつです。
25分の滞在時間で周辺散策。駅前ロータリーの庭園には入江法印御霊域の碑と駅開業記念碑が。
駅前は県道114号が通じています。この駅も北条城址ゆかりの地であることは大きな発見でした。金倉山へは3kmほど。
丘の上には広田農村公園があったりします。この道を上っていくようです。
つづく