これより、寝台特急日本海絡みの乗り継ぎ旅にまいりましょう。
それに先立ちまして、寝台特急日本海の概要を紹介します。寝台特急日本海は、大阪と青森を結ぶ夜行列車で、現行のダイヤでは下りは大阪を17時47分に発車し、青森には8時45分に到着します。上りは青森を19時31分に発車し、大阪には10時27分に到着します。EF81が牽引する24系客車の編成で、電源車1両+開放式A寝台1両+開放式B寝台7両(繁忙期は11両)です。昭和43年10月にデビューしましたが、大口利用客は修学旅行生のみで、2往復から1往復になった現在でも乗車率が5割と芳しくなく(2011年12月16日 毎日新聞)、来年(2012年)3月17日を以って「きたぐに」とともに臨時列車化されることが決まりました。私的には、24系客車の淘汰だと思うのですが。
実行したのは、2011年8月20~21日。新津夏祭りの日でしたが、実行したのには理由がありました。7月24日には日出谷駅訪問した後に30日に「青春18」の使い始めにする予定でしたが、新潟・福島豪雨の影響で8月6日に延期となりました(関連記事はこちら)。その後は、14日に2回目を使ったのみで(年が明けたらお伝えします)、残り3週間で3回も残っていました。8月27日、9月10日も予定が埋まっており、やむを得ずこの日に実行に至りました。
前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。
2011年8月19日。前線の影響で羽越本線の村上から先で運転見合わせが続いており、果たして日本海が運転されるかどうか不安でした。念のために新津駅の駅員氏に訊いた所、運転しているとのこと。お神輿かつぎしながら羽越線の情報にアクセスすると、19時35分頃に運転再開したとのこと。
家に戻って一連の雑用を済ませ、1時5分頃に出発。新津駅に着くと、直江津にて運転士席の無線機を修繕したため、20分ほど遅れているとのこと。4番線でひたすら待つが、普段寝ている時間なので、とにかく眠い!
やがて、「あけぼの」が発車し、当の4001レは1時50分頃に到着。指定の寝台に入ると、「きたぐに」とは違い、自分でベッドメイキングしなければならなかった!23分遅れの1時56分に発車。検札を終えると、速攻で就寝。この日は「EF81 107+カニ24 511+オロネ24 4+オハネフ25 117+オハネ24 4+オハネ25 220+オハネフ24 8+オハネ25 215+オハネ24 20+オハネフ24 21」といった編成で、8割くらいの入りでした。
朝が来て寝台車の様子を。補助椅子に座って外を眺めるのは、寝台車ならではの最高の贅沢です。日本人は、この贅沢をいつまで味わえるのだろうか。
19分遅れの9時4分に青森駅3番線に到着。先頭部に行くと、既にカマが切り離されていました。HMがいいですね。
切り離された後のカニ24 511。ブルートレインは今や風前の灯です。
大阪方に行くと、EF81 107に代わってDE10 1536が取り付けられていました。これから青森運転所に引揚げます。
「日本海」の撮影をおえて改札に向かいます。佇まいは3年前とは何ら変わっておりません。ただ、「祝 光星学院高校 決勝進出」という幟が出ていましたが。新津から青森まで寝不足で過ごすだけで16270円というのは、ちょっと高すぎました。
駅弁を購入し、駅舎撮影。国鉄後期型の平屋の駅舎で、県庁所在地の駅にしては小振りです。東北新幹線全通を期に、「和」をイメージしてリニューアルされました。近くに、A-Factoryという土産物屋が出来ていました。機会があれば行ってみたいんですけど。
「日本海」遅れの関係で奥羽本線644Mには間に合わず、特急「スーパー白鳥20号」(789系HE104編成+785系NE303編成)で新青森に向かいました。
東日本大震災を筆頭に災害続きで、人々が「絆」を再認識した2011年が終わろうとしています。来年もまた「クハ481-103の駅巡り旅のページ」を宜しくお願いします。
つづく
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11時50分に猪苗代駅に到着。
それでは、駅前の様子を。ロータリーの道路側には、野口英世の三体像があります。中央は野口英世ですが、左側が母堂・シカ、右側が小学校時代の恩師・小林栄です。「忍耐」が彫り込まれています。1990年9月25日に、ライオンズクラブによって建立されています。野口英世は、猪苗代が生んだ医学者ですけど、その経歴についてはもはや説明する必要ないですね。
その右側には「朋」というアート。町並みを背景に建っています。
折角なので、磐梯山を目指して周辺散策。商店街から1本外れて開けた場所に行くと、猪苗代スキー場を望む磐梯山が姿を現しました。
その商店街の様子。駅の利用者以外は人通りは無く、まるでゴーストタウンでした。団子を買ってもよかったかな。
12時25分に駅舎に戻ると、列車が遅れているようで待合室は人で一杯。7分遅れの12時26分発の1227M(719系H10編成+H11編成)に乗車。車内で昼食タイム。13時4分に会津若松駅に到着。
歯磨きを終えると、ひたすらSLXmasトレインを待ち続けます。すると、赤べこが直立しました。SL到着後、おもてなしをしたものと思われます。
待機位置の横ではクリスマスコンサート。様々なクリスマス曲が演奏され、凍えながら待つ撮影者の心を癒してくれました。
待つこと25分、13分遅れの13時44分にC57 180に牽かれた「SLばんえつ物語」編成が2番線に到着しました
例のSL列車が到着してすぐに485系「あいづ」編成が入線し、C57 180と国鉄色485系の並びが実現撮影可能な場所は既に戦場です。
改札に向かう人の流れに逆行し、HMを撮影。オコジョサンタですか。それ相応の装飾も付いていますし。
PCで実況中継する強者も。
13時50分頃、C57 180は転車台に引揚げていきました。新潟駅付近線路切り替え工事の関係で、2011年のC57 180列車の運行はこの日(12月17日)が最後でした。来年も楽しみにしています。
空き時間を利用してリオンドールに行き、名倉山カップを購入しました。その帰りに駅前の飲食店を通り掛りましたが、ドムドムは既に撤退しており、代わりにラーメン屋が開業しようとしていました。
14時33分発の磐越西線231D(キハ47 521+キハ47 1521)に乗車して新津に帰ります。会津地方はでした。
鹿瀬~津川間の麒麟山と阿賀野川。これを撮影した直後に不吉な衝撃音がし、間もなく抑止されました。枯れ枝を踏んだ、すなわち倒木ということで。
現場検証を終え、16時25分にやっと動き出しました。踏切の安全確認も行なった関係で、津川駅を発車したのは16時34分。新津駅には23分遅れの17時33分に到着。このまま231Dは新津終着となりました。
今回は、会津地方応援企画ということで、「青春18」で猪苗代に行ってきました。3322Dの車内から見た沿線の撮影スポットにはカメラの砲列が形成されており、C57 180の注目度の高さが窺えました。皆さん、もっと会津に行きましょう。
次は、2011年8月20~21日の乗り継ぎ旅行の模様をお伝えします。
SLXmasトレイン追っかけ乗り継ぎ おわり
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ここで、最近の乗り継ぎ旅を1編おつたえします。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。翌日の発生した福島第1原発の事故により、日本人は放射能と向き合わざるを得なくなりました。福島県は浜通りだけでなく、原発事故と関係のない会津地方も風評被害が深刻です。そんな福島県民を元気付けるべく、2011年12月17日に「青春18」を利用して会津地方に行ってきました。
凍てつく道を自転車で新津駅へ。「快速あがの」の出発が8時38分でしたが、8時頃に到着。これには目的がありました。
「北越2号」を見て、4,5番線に行くと、SLXmasトレインの回送が停まっていました。HMも素晴しい!
新潟までエスコートしたのはEF81 151。朝日を浴びて、絶妙な色合いです。
「きたぐに」が15分遅れた関係で、当のSLXmasトレイン回送は8時34分に発車しました遥か前方にはEast-D。
磐越西線3222Dの出発の時間が近付いたので、速攻で1番線へ。当の快速あがのは、「キハ110-206+キハ110-203+キハE120-6」の3両編成。遅れ1721Mの接続をとった関係で、6分遅れの8時45分に発車。相席の女性が五泉で下車したので、山都までボックス独占。
10時42分に会津若松駅に到着すると、赤べことクリスマスツリーがお出迎え。
稲川酒造の本醸造・辛口地酒蔵を購入すると、磐梯熱海~中山宿で風規制があり、郡山からの1225Mが11時10分頃に到着するというアナウンスが。3234Mが遅れるのは確実です。
当の1225Mは11時12分に、719系H13編成+H14編成+H17編成の6両で会津若松駅1番線に到着。それでも、H17編成を切り離し、折り返しの3234Mは11分遅れの11時21分に発車しました。ヘルメットの「がんばろう!東北」が印象的でした。
11時50分に猪苗代駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
ホームには3本のレールが展示されていました。ローカル線用は1mあたり40kg、幹線用は1mあたり50kg、新幹線用は1mあたり60kgで、同じJRでも随分違うものです。
改札を抜けて駅舎内部へ。「みどりの窓口」があり、営業時間は6:20~20:30(休み6回)です。待合スペースにKIOSKがありますが、訪問時は休憩中でした。会津若松駅で地酒を買っておいてよかった。
駅舎撮影の前に駅前の様子。磐梯観光の玄関口ということで土産物屋がありますが、客の姿はありません。
それでは駅舎撮影。開業時からと思われる木造駅舎が健在ですが、ファサードが丸太造りにリニューアルされていました。
駅舎全体を。細長くて全体像が掴めませんが、右側の飛び出している建物がトイレです。
外は震えるほど寒いですが、周辺を歩きましょう。
つづく
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先日は失礼しました。中央本線駅巡りに戻りましょう。
前回はこちら
中央本線1508Tは、16時5分に武蔵境駅に到着。JR線は対面式ホーム2面2線の構内です。
改札を抜けました。自動改札がSuica専用を含めて9台あります。工事中で何が何だか訳が分からないですが、改札内にトイレとKIOSKがあります。
北口(東側)に向かって歩くと「みどりの窓口」があり、営業時間は7:00~21:00です。
北口(東側)に出ました。昭和36年4月に橋上駅化された時からと思われる駅舎です。西側にクレーンが稼動しており、訪問は時期尚早過ぎました。
駅前道路を西側に進むと、「すきっぷ通り」があります。商店や飲食店が多数並んでおり、地方の商店街よりは活気があります。
北口(西側)に出ました。高架になっていますが、完全にです。高架下には入口側から「あじさい」、Beck's coffee、NEW DAYS、QBhouseがあります。尚、こちらには公衆トイレもあります。
駅前には「ふれあい花壇」があり、ちょうどルピナスが見頃でした。駅前はマンションが続いています。
複雑な駅舎内を再び通り、南口に出ました。殆ど仮駅舎で、NEW DAYSとともにリトルマーメイドがあります。たまたまセールだったので、夕食用にパンを買えばよかったな。
西武側の駅舎は、平成20年3月29日に使用開始された新しい駅舎です。ファサードが緑に覆われており、何だか癒されました。しかし、街路樹が正面にあり、上手く表現出来ません。尚、この駅ビルにある商店街は「Emio」といいます。
西武線乗り場の様子。多摩川線の始発駅なので、1面2線の構内です。JR線の乗り場ではないので要注意
駅前ロータリーの向かいにはイトーヨーカドーが聳え立っています。都会と地方では街づくりのコンセプトが根本的に異なります。尚、西側にはKFC。
武蔵境駅は南口から入っても訳の分からない駅でした。本当に要再訪です。16時47分発の1680T(E233系T42編成)に乗車し、帰路に就きました。新宿駅で夕食用のパンを購入し、17時25分発の3670E(E231系S32編成+K28編成)に乗車して一路高崎へ。グリーン車に乗車し、池袋で座れると夕食タイム。
高崎に降り立ってみると、。運転見合わせが心配されましたが、上越線749M(115系T1032編成)に乗り継ぎました。水上到着後、1753Mで越後湯沢へ。虜になっていた115系はN14編成でした。六日町方面が不通なので、越後湯沢駅は人気なし。
この日は母が同級会で家に帰っても誰も居ないので、このまま代行バスには乗らず、「とき347号」(200系K43編成)で長岡に急行し、信越本線461M(115系N4編成)に乗り継いで帰りました。新津に帰還したのは22時50分。
今回の駅巡りによって、気付かぬうちに中央本線全駅下車達成へのマジックが2となりました。今回は「ムーンライトえちご」が使えなかったので、7300円も余計に掛かってしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
参考サイト さいきの駅舎訪問
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中央本線駅巡りの途中ですが、12月16日に衝撃的なプレリリースが出たので書かせてもらいます。
こんどの3月17日のダイヤ改正において、「日本海」に続いて「きたぐに」までもが臨時列車化されるということです。その代わり、新潟着の「きたぐに」のスジには、全車指定席の「おはよう信越」(直江津~新潟)が走ります。京都の583系も10両編成3編成のみに絞られたので、矢張りだなと思うと同時に寂しい気持ちになります。
そもそも、急行きたぐにはどんな列車なのか。急行きたぐに号は、新潟と大阪を北陸本線経由で結ぶ急行列車です。上りは新潟を22時58分に出発し、大阪には6時49分に到着します。下りは大阪を23時27分に出発し、新津から快速列車となって新潟には8時29分に到着します。10両編成の場合、自由席は1~4号車、3段式B寝台は5、8~10号車、グリーン車は6号車、A寝台は7号車とバラエティーに富んだ編成です。昭和43年10月から走り始め、昭和57年11月に一旦ブルトレ化されましたが、昭和60年3月より現行の583系となっています。
なぜ、「日本海」に続いて「きたぐに」までも臨時列車化されるのか。最近の乗車率が28%(毎日新聞 2011年12月16日)と低迷しているのも大きな要因ですが、むしろ京都の583系がそろそろ耐用年数に達するのが最大の要因だと思います。今時、5250円払ってまで天井の高さが68㎝しかない上段の寝台に乗る者はそういないでしょう。新潟の若年層の多くは、関西に移動する場合、「きたぐに」の自由席よりも若干安い「おけさ号」を利用します。JR東日本とJR西日本の会社間業務の煩雑さもさることながら、「きたぐに」廃止の影響が軽微だと判断したのでしょう。新潟駅や鳥原バス停、三条燕IC近くに暮らす人にとっては便利なもの、それ以外の沿線に暮らす者にとっては関西が遠くなってしまいました。
最後の、最近の「きたぐに」の動向を御覧下さい。
2011年11月3日。「きたぐに」は新潟に到着した後、485系R28編成の「いなほ1号」と並びました。
「いなほ1号」が発車した後、当日充当された583系B04編成が姿を現しました。8時45分頃に回送されました。
2011年11月13日。新津駅にて。当日は583系B06編成が充当されました。この駅から自由席に乗車される用務客が多いですね。急行券を入手して自由席に乗る客は少ないですね。
新潟到着後、485系R27編成の「いなほ1号」と並びました。この時期から撮影される「同業者」が多いです。
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武蔵小金井駅から15時34分発の1476T(E233系T17編成)に乗車。
15時36分に東小金井駅に到着。2面3線の構内で、退避を行なうこともあります。
コンコースに下りて改札を出ました。6台の自動改札の左側に「みどりの窓口」があり、営業時間は7:00~21:00です。その手前にはKIOSKがあります。尚、トイレは改札内にあります。
それでは北口に出ました。メタリックな外観の高架駅が出来上がりました。改札以外に扉はありません。自由通路上にパン屋があります。
東京方を望む。ホーム上の上屋は出来上がっています。工事が完全には終わっておらず、重機などがまだ残されています。
駅前の様子。武蔵小金井駅よりはいくぶん静かで、この道路を直進すると東京電機大です。付近にサンクスがありますが、余りにも暑いので100円ローソンでジンジャエールなどを購入しました。
自由通路を通り、南口に出ました。ふくらみがある他は北口と同様の外観です。こちらもです。駅前からは可愛いバスが発着します。尚、八王子方には「はなの舞」があります。
駅前には日本歯科大第1グラウンド。これから盆踊り大会で、立ち入り禁止となっていました。20時20分から花火打ち上げとか。この旅行は2011年8月6日に行ないましたが、季節感を感じることが出来ました。
駅から東方徒歩3分の所に太陽寺、東小金井駅開設記念館があります。しかしながら、当日中にもう1駅巡る必要があるため、訪問できないのが残念なところ。
南口から西方の道路へ。駅前に信用金庫やモスバーガーがありますが、この近辺に東京農業大があります。
駅前に休めるスペースがないので、早めに改札をくぐり、ホーム上で見取り図を。描いているうちに汗が際限なく滴り落ちてきました。東小金井駅周辺は学生の街で、利用者にはどこと無く若人が多かったような気がします。16時3分発の1508T(E233系T30編成)に乗車し、この日最後の訪問駅へ。
話が変わりますが、昨日、福島第1原発にて冷温停止が達成されたとの発表がありました。しかしながら、これは放射能漏れの問題が1つの分岐点を迎えたということだけで、福島県内の放射能漏れが未だに続いているなど問題が山積みです。原発に対する目が日に日に厳しくなっており、日本の電力事情も逼迫しています。東日本大震災はまだまだ尾を引きそうです。一日でも早く「フクシマ問題」が収束し、常磐線沿線(広野~原ノ町)の住民が帰れるといいですね。
続きはこちら
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中央本線438Mは、四方津で退避した特急列車が遅れた関係で、4分遅れの14時24分に高尾駅2番線に到着。2011年8月6日当時には節電ダイヤが取られていたにも拘わらず、6分の待ち合わせで1418T(E233系T26編成)に乗り継ぎ、更に豊田にて1420T(E233系T10編成)に乗り継ぎました。
15時1分に武蔵小金井駅に到着。当駅発着列車もあり、2面3線の構内です。
コンコースに下りて改札を出ました。自動改札の左側には案内所と「みどりの窓口」があり、営業時間は7:00~21:00です。尚、改札内にはトイレとKIOSKがあります。
まずは南口に出ました。下り線の高架化完成と共に完成したと思われる駅舎らしい姿で、美しいアーチ状のファサードです。
ロータリーから西方に目を移して。下層にAQUAWELL MALLやマックなど多数の商業施設が入居し、その上層がマンションとなっているビルがあります。山梨県からいきなり大都会の様相を呈し、軽くカルチャーショックを受けました。尚、その西方にはイトーヨーカドーがあります。
駅舎とロータリーを挟んで向かいには、小金井市民交流センターがあります。各種住民サービスが提供されているのは勿論、VIE DE FRANCEも入居しています。こちらから免許センター行きのバスも出ているのは特筆すべきです。
とあるベンチで見取り図を描いていると、とにかく汗びっしょり。たまらず、公衆トイレに入って着替えました。2010年の夏は秋口まで猛暑が続きましたが、2011年夏もそれに負けじと猛暑でした。
道路に出て、南口から北口に移ります。賑やかで、マンションの多い一帯です。付近に松屋があり、朝食や夜食に困りませんが。
北口に出ました。完全にです。この時期の訪問は時期尚早だったかな。完成すれば、南口と同様の外観になると思います。待機タクシーがロータリーの真ん中に整然と並んでいます。デパート側からは路線バスが発着します。寸断された歩道橋が印象的でした。
駅前の様子。手前の百貨店は西友で、三菱住友銀行、EMSなどが入居しています。それに隣接する百貨店は長崎屋で、ベスト電器が入居しています。武蔵小金井駅周辺の百貨店は独占的競争です。
中央本線の三鷹~国分寺間は、平成19年7月1日に下り線が高架となり、上り線も高架になったのは平成21年12月6日です。武蔵小金井駅は、平成21年1月25日に南口の改札が移転されました。高架化工事が完全に終わったら、国立駅と合わせて要再訪です。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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11時51分に春日居町駅に到着。
南口に出て、今回の旅のメインの1つである「かすがい足湯」に入ります。5分ほど浸かりましたが、気持ちのいいお湯でした。あの時のリベンジを果たしました。尚、営業時間は10:00~18:00(冬季は17:00)です。
足湯を終えて周辺を歩きます。駅前ロータリーには、「一番星、見つけた」というモニュメントがあります。2004年につくられたそうです。
駅を少し離れると、果樹園の向こうに富士山型の山が聳え立っています。でも、近くにはコメリがあるし。
果樹園の一部を拡大。桃がたわわとなっています。収穫までもう少し。山梨をまた1つ実感しました。
足湯の掲示板を見ると、2週間後の笛吹夏祭り(8月21日)が盛んにPRされていました。あ、言い忘れましたが、春日居町駅は北口にトイレがあります。12時27分発の548M(115系C11編成)で後にしました。
12時47分に甲斐大和駅に到着。付近には景徳院があり、ホーム上に常夜燈があります。
跨線橋の上から構内の様子を。2面3線の構内で、我が548Mも特急列車の退避をしました。
跨線橋を上がり駅舎の中へ。簡易Suica改札の脇に乗車券販売所があり、営業時間は8:00~17:00です。トイレは改札の中にあります。
それでは駅舎撮影。昭和41年11月改築の三角屋根の駅舎ですが、平成14年にリニューアルされています。
陸橋を渡ると、武田家最後の武将である武田勝頼の銅像がありました。平成14年3月に建立されています。武田家最期の地となった天目山が北東にあることから。
それでは周辺散策。国道に出ると、甲州市役所大和庁舎と大和ふるさと会館がありました。付近のセブンイレブンで昼食を購入。
13時16分発の438M(115系C7編成)に乗車し、ようやく昼食タイムです。四方津で特急列車を退避しました。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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中央本線531Mは、10時46分に穴山駅に到着。島式ホーム1面2線の構内で、ホームは広いです。
跨線橋を上って回廊を通り、駅舎の中へ。内部は狭いですが、駅員が配置されており乗車券を販売しています。乗車駅証明書発行機もあります。事前の情報では無人駅だったので、不意を突かれました。
それでは駅舎撮影。平成12年に改築された、ロッジ風の木造駅舎です。左手にトイレがあります。昭和46年までスイッチバックがあった名残なのか、駅敷地が広く、P&Rも最大級です。
それでは周辺散策。駅前道路から交差点に出ました。徒歩2分の所に能見城跡がありますが、入口がどこか分かりません。
周辺にある畑から。向こうには、南アルプスの急峻な山々を望みます。正面の山は甲斐駒ヶ岳かな?
それでは、左手に曲がります。駅から徒歩4分に能穴焼窯元があります。
穴山郵便局に隣接して栗原信近の銅像がありました。山梨銀行を興した後、甲州産葡萄のボルドー式蒸留法を導入し、ワイン産業の発展に力を尽くしました。いわば、甲州ワインの父です。
穴山駅は何かと発見が多く、面白い駅でした。11時18分発の436M(115系N21編成)に乗車して甲府に戻りました。いい感じで埋まっていたので、眼鏡女性と相席させてもらいました。名古屋から来た「18きっぱー」だそうです。8月上旬は「18きっぱー」が最も「活発」な時期なのではないでしょうか。甲府到着後、速攻で546M(115系C2編成)に乗り継ぎました。
11時51分に春日居町駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
ホームを下りて北口に出ました。入口に切符売場がありますが、その他に簡易Suica改札があるだけの無人駅です。
駅前はどこまでも桃園が続いています。3月下旬にこの区間を旅したことがありますが、一面の桃の花がとても印象に残っています。
踏切を渡り、南口に出ました。こちらは、入口に乗車駅証明書発行機と簡易Suica改札があります。北口と同様に駅舎はありません。
折角なので、足湯に入りましょう。営業時間は確認済みです。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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塩山駅から中央本線527Mに乗車。甲府にて433M(115系N13編成)に乗車。ここで「青春18」で旅している若い女性に出会いました。週末を利用してぐるっと回ってくるところだとか。同時に、今回の旅のプランを彼女に公開しました。
10時5分に新府駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。上下ホーム入口にそれぞれ乗車駅証明書発行機があるだけの無人駅です。
階段を下りて西口に出ました。入口に駅名標があるだけで駅舎はありません。踊り場に観光案内板があります。
折角なので、高架をくぐって東口も訪問します。その途中、夫婦の道祖神を見つけました。信州以外も侮れませんね。
東口に出ました。入口に駅名標があり駅舎がないのは西口と同じですが、こちらはホームまで一気に上がる構造です。
再び西口に出て、新府城跡を目指します。駅前は閑静な住宅地が広がっています。
住宅地を抜けると、桃園が広がっていました。3月~4月上旬頃はきっと絶景でしょう。山梨を代表する風景です。
韮崎方面を望む。眼下にも桃園が広がっていました。いわば桃源郷です。
林を抜けて道路を渡ると新府城跡の案内がありました。鳥居をくぐって藤武神社へ。
心臓破りの急坂を上り、藤武神社に到着。上りきった頃にはもう汗だくに。旅の安全を祈願してきました。
それに隣接して、石祠・武田勝頼公霊社があります。武田家14代将軍でしたが、天正10年(1582年)に信勝とともに天目山で自害し、武田家は滅亡しました。地元民がこれを偲んで、元禄の頃(1684年)に、勝頼神社すなわち藤武神社を建立しました。
その周辺は、すなわち新府城跡になっていました。武田勝頼により織田・徳川軍の侵攻に備えて築城されましたが、織田軍の侵攻により間もなく捨てられました。
新府城跡で出会った合宿のグループのアドバイスに従い、迂回路である乙女坂を下って集落に戻りました。駅に戻るともうTIME UP。10時42分発の531M(115系C11編成)に乗車し、次なる駅へ向かいました。
つづく
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