2009年12月19日(土)の朝となりました。6:45に起床。7:00の朝食オープンと共に、おにぎり5個の朝食。歯磨きも済ませ、何とか7:25までにチェックアウトを果たしました。
「青春18」に日付印を入れ、7時32分発の950D(キハ47 1039+キハ47 191)で出発。佐古を出ると吉野川の滔々たる流れを渡り、その先には今回の目的の9駅が。
7時43分に勝瑞駅に到着。交換可能駅で、2面2線の構内を有します。
ホームを下りて通路を渡って駅舎に出ました。昭和32年4月築のの細長い駅舎です。藍住町の中心駅で、大半の「うずしお」が停車します。窓口営業時間は6:50~18:50です(但し、直営駅ではなく委託駅です)。
滞在時間は54分あるので、案内板に誘われるがままに勝瑞城跡に行ってきます。住宅街の中の道を暫く通り、大きな道路に出てすぐに到着。駅からは500mくらい。室町時代には阿波国守護・細川氏、のちに三好氏が本拠としましたが、1582年に廃城となっています。見性寺の境内の一部ですが、三好氏の菩提寺で江戸中期にこちらに移設されています。
こちらは城跡の濠。勝瑞城は四国でも珍しい平城でした。ここで腹が持ちこたえられなくなったので、急ぎ足で駅に戻ります。
駅で少し休んだ後、「北高ロード」をそぞろ歩き。スナックが並んでいますが、右側は徳島北高のグラウンド。
出発する前に駅名標を。勝瑞駅の番号は「T03」。8時37分発の4324D(1232)で次なる駅を目指します。
8時54分に板野駅に到着。この駅で折り返す列車も多く、2面3線+保線用側線1本の構内です。
駅名標です。
跨線橋を渡り、駅舎に出ました。横長の木造駅舎です。駅員が居て切符を販売していますが、みどりの窓口が2009年11月に閉鎖されて指定席特急券の発券が煩雑になりました。尚、窓口営業時間は、7:00~12:00と13:00~15:20です。
22分の滞在ですが、駅前を散策。古くからの市街地で道路が狭いですが、札所が比較的集中する地区で旅館が何軒かあります。尚、駅裏にスーパーがありますが、開店前ということで…。
9時16分発の4328D(1245)に乗車し、讃岐山脈を越えました。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
15時58分に丹生駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線です。かつては貨物用側線があったようです。それにしても、ホームが狭いこと。
跨線橋を渡り駅舎に入る前に、駅名標と町並みを。駅裏は長閑な風景です。尚、駅番号は「T13」。
駅舎に出ました。昭和3年9月27日築の木造駅舎ですが、近年になって鉄骨のファザードが付けられました。
駅舎内部の様子。かつては有人駅でしたが、後に無人化されて窓口は塞がれました。その跡には券売機が設けられています。関口知宏氏のポスターが掲げられていますが、果たして効果のほどは…。
滞在時間を31分確保したので、周辺を回ってきます。駅前は閑静な住宅地ですが、県道に出たとたんに賑やかになります。ローソンで金陵カップを購入して戻ります。
だいぶ日が落ちてきましたが、16時29分発の358D(1515+1511)で1駅引き返します。このあたりは、高徳線で海を望める数少ない区間の1つです。
16時33分に鶴羽駅(T14)に到着。交換可能駅でホームは対面式です。つくづく思うのですが、高徳線の小駅のホームは全て狭いです。
「うずしお」の通過を待って外に出ました。鶴羽駅はR11に沿って立地している駅。施設といえば券売機とベンチのみで、駅舎は存在しません。
ここで再び発車時刻表。土休日運休を合わせて、1日に上下それぞれ31本ずつ停車します。
16時46分発の357D(1513+1505+1501)に乗車し、引田駅に向かいます。既に日が落ちる時間帯で、車内はそれなりに混雑。しかも、乗客の大半は高校生。
17時1分に引田駅2番乗り場に終着。御覧のように、2面3線+側線1本の構内を有する駅です。357Dとなった編成は、お客さんを下ろすと、切り離し作業に入りました。
乗り継ぎ時間がしばらくあるので、駅前に出てみました。試しに「1/10sec F6.7」で撮影しましたが、何とかモノになりました。「カフェ カンパーニュ」が併設している木造駅舎です。看板を見ると、引田には古い町並みが存在し観光名所もあるので、何とかして明日また行こう。
17時31分発の4363Dは「1513」の単行。始めは余裕で走行音を録音できましたが、板東あたりからは大混雑に。
18時28分に徳島駅に到着。今夜は東横イン徳島駅前に宿泊。チェックイン後、徳島ラーメンの夕食。今回は「なかむら」に入りました。つくづく思うのですが、徳島ラーメンは豚骨スープにバラ肉と煮卵が基本なのですね。
つづく
駅に戻ると、狭い待合室は藤井学園寒川高生らで埋め尽くされてました。彼らと共に、14時42分発の4344D(1501)で高松方面へ。
14時46分に造田駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム+側線1本の構内です。1,2番乗り場は屋根の無い跨線橋で結ばれています。
駅名標です。「T17」といえば「くびき野」を連想してしまうのは私だけでしょうか。
リニューアルこそされていますが、大正14年11月29日築の駅舎が健在です。トイレもまた然り。駅前に児童館があります。
駅舎内部の様子。子供達による手製のクリスマスツリーが季節感を出しています。窓口営業時間は、7:00~11:50(土休日休み)です。
滞在時間は15分ですが、ちょうど小学生の下校時間にぶち当たっているので散策するわけにいきません。15時1分発の349D(1244+1253)で徳島方面に折り返します。この列車は平日のみの運転で、木曜夜に新津を発った最大の理由の1つです。
15時10分に讃岐津田駅に到着。交換可能駅で、構内は2面3線です。
駅名標です。「神前」にしかナンバリングがありません。
駅前に出ました。リニューアルこそされていますが、大正14年12月19日築の駅舎です。委託ながらも窓口がありますが、営業時間は平日の7:10~11:15、11:15~12:00だけです。
滞在時間を40分確保したので、早速「津田の松原」に行ってきます。まず神社に行けばよかったのですが、海岸を目指して入り込み宿舎(民家?)の敷地に入りこんでしまい、番犬に追っかけられるハプニングも。
松林脇の車道を数分歩いて願い橋を渡り、琴林公園に到着。松林の向こうには青い空と青い海が広がっており、四国を旅してよかったなと感じました。新潟は大雪だったそうですが。それはともかく、この砂浜は「日本の渚100選」に選ばれており、夏になると大勢の海水浴客で賑わうそうです。
琴林公園から駅に戻る途中、ロケット弾の形の忠霊塔に立ち寄りました。太平洋戦争の末期に津田の町を大空襲が襲って多数の死者が出て、その霊を慰めているそうです。
駅に戻ると、上下のホームには多数の高校生。讃岐津田駅は高校を抱える駅の1つで予め予想してはいましたが、かなりやばい雰囲気です。15時50分発の353D(1230+1231)に乗車し、次なる下車駅を目指します。
つづく
彼の仕業ダイヤが終わるのと同時に、13時11分発の4343D(1255)にて徳島方面へ向かいます。車内は高校生が多数。
13時19分にオレンジタウン駅に到着。
駅舎を跨線橋の上から見ています。新興住宅地ですが、魚のイラストが可愛いですね。ひょっとして、クエですか??
いよいよ駅舎撮影。平成10年3月13日築(開業)のコンクリート駅舎です。手前は駐車場(P&R)で、主な顧客はニュータウン周辺の住民と思われます。
駅舎内部の様子。季節柄、窓ガラスにはイルミネーションの電球が多数で、夜には光のページェント(?!)が展開されます。ところで、中には20人以上が座れるようにベンチが設けられてますが、設備といえば券売機とトイレだけ、つまり無人駅です。
構内を見たところ。交換可能駅で、狭い島式ホームの1面2線です。寒波が来ているとはいえ、溜池の奥の山には紅葉が残っています。
駅の調査を終え、周辺散策。陸橋を下りて長行池(幸田池)に向かいます。遍路道(86番札所→87番札所)に当たっており、時折お遍路さんとすれ違いました。この日の香川県はの予報で、雪がちらついてきました。88番札所(大窪寺)は雪が積もっているかな。
14時7分発の345D(1511+1515)に乗車して、次なる下車駅に向かいました。
14時20分に神前駅に到着。ホームは片面1面のみです。
駅名標です。ホームが狭いですが。
駅舎に出ました。昭和36年1月30日築の、コンパクトな木造の駅舎です。無人駅ですが、券売機も無かったような気がします。
駅から1歩出ると、まるで私が子供の頃にタイムスリップしたような住宅地。大川町と寒川町の境界線だった所で、今ではいずれもさぬき市の一部です。尚、ここから1.4kmの所に春日温泉があります。
つづく
四国旅行の途中で恐れ入りますが、1月18日にJR東日本から衝撃的なプレリリースが入ってきました。それは、「土日きっぷ」を今年度(2009年度)一杯で廃止し、新たに「ウィークエンドパス」にするというものです。
2010年度初頭から発売される「ウィークエンドパス」とは何か。それは、週末に使える8500円(大人)のフリーパスで、範囲は現在の「土日きっぷ」と同じです。
さて、このきっぷの最大のポイントは何か。効力は乗車券部分のみであり、特急券(新幹線を含む)は別に購入する必要が生じることです。今年度に発売された「ツーデーパス」や「ふるさと行き乗車券」の概念を「土日きっぷ」に適用したものだと考えられます。
例えば、新潟から東京まで「とき」で往復して山手線などを乗り降り場合を見てみよう(通常期の場合)。
①ウィークエンドパス 8500円
②新潟~東京の新幹線指定席特急券 4810円×2=9620円
往復とも指定席を利用すると18,120円です。「土日きっぷ」の場合に比べた場合、缶コーヒー1本分高くなるに過ぎません。
しかし、新潟から新幹線で東京に出て、更に「さざなみ」に乗り換えて南房総を観光した場合を考えてみよう(通常期の場合)。
①ウィークエンドパス 8500円
②新潟~東京の新幹線指定席特急券 4810円×2=9620円
③東京~館山の指定席特急券 1810円×2=3620円
先の料金に加えて東京からの往復の特急料金がかかるので、「土日きっぷ」のケースよりも3740円も余計にかかってしまいます。
つまり、「土日きっぷ」とは異なり、特急列車類を乗り継ぐのは望ましくなくなるということです。この「改革」からは、特急料金を確実に徴収し、2009年の減収分を挽回しようJR東日本の狙いが見え見えです。世界同時不況や「1000円高速」等による売り上げの落ち込みが背景にあると思いますが。
一体、この「改革」からは何が生じるか。私は、週末における新幹線利用客の一層の減少を危惧しています。せめて、「ムーンライトえちご」を毎週末に運転してくれれば十分利用価値がありますが、彼らにその考えがあるとは到底思えません。鉄道旅行が益々遠くなりにけりです。
本日(2010年5月27日)、JR東日本からリリースがありましたので追加させてください。2009年度まで発売された「3連休パス」は、「スリーデーパス」に生まれ変わります。3連休や飛び石連休に3日間使えるフリーパスです。発売額は13,000円でフリー範囲が少しだけ広がりますが、矢張り特急券は別買いになってしまいます。これが現在のJR東日本の方針だと言ってしまえばそれだけですが。(2010年5月27日追記)
お昼を終えて5分ばかり歩くと、もう八栗口駅に到着。時刻は12時10分。近くにセルフうどん店があったので、ちょっぴり悔しい気分です。
ほどなくして上り列車がやってきました。交換可能駅で対面式ホームの構内ですが、無人駅で駅舎は存在しません。
列車が行った後、一旦外に出ました。「ようこそ源平古戦場へ」の文字とイラストが踊っていることから、近くにゆかりの遺跡があるに違いありません。
駅の時刻表です。土休日運休を含め、上下それぞれ1日35本ずつ停車します。
調査を終えた前後に、近くの高松北高から女子高生がやってきました。彼女と共に寒風の吹き抜ける中待ち、12時29分発の4339D(1501)に乗車しました。
12時35分に志度駅(T19)に到着。特急列車に抜かれる普通列車も存在し、2面3線の構内を有します。
志度駅はさぬき市の代表駅で、平成10年3月に橋上駅舎化されています。窓口営業時間は、7:00~18:40(休み2回)です。
まずは南口に出ました。橋上駅舎化に伴い新設されており、ロータリーも整備されています。駅前は住宅地。
続いて北口に出ました。ここだけはバリアフリー設備があります。旧駅舎があった所で、階下に観光案内所が、左手にワーププラザがあります。近くに琴電の志度駅があり、86番札所・志度寺まで700mです。
ついでに、北口階下の海女の玉取り日記のモニュメント。
プランの制約上、15分滞在しただけで、12時50分発の4336D(キハ40 2148)で1駅折り返します。
12時55分に讃岐牟礼駅に到着。ホーム片面1面のみです。鉄道整備会社の仕業ダイヤに当たってしまいました。
駅名標。両隣にナンバリングがありません。ところで、「礼」のはねの部分にマスコットは何だろう?
例によって駅外観。古高松南駅と同じつくりで、設備は券売機のみです(但し、ジュースの自販機あり)。
R11を挟んだ蓮向かいには、琴電の八栗新道駅。そちらの方が利用が多そうです。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
2009年12月17日は新潟地方が大雪で、列車のダイヤが相当乱れていました。「日本海」、「あけぼの」などが運休の中、「きたぐに」が動くということで予定通り旅立ちました。当該列車の583系B4編成は、23時15分頃に新津駅1番線に入線。6分遅れで発車し、今回もB寝台の上段に入りました。
一旦目が覚めて時計を見ると2時20分。ほどなくして駅に到着し、駅名を見ると何と「直江津」!強風の影響で柏崎~柿崎で徐行運転したため、90分遅れでの運転とのアナウンス。その後、遅れはやや回復するものの、米原からは通勤・通学時間帯に差し掛かり、京都まで各駅停車の731Mを先行させてノロノロ運転に。狭い寝台で朝食をとりながら打開策を探ります。
山科駅場内信号で「サンダーバード2号」を先行させるなどして10分近く止められ、京都駅には107分遅れの8時3分に到着。新大阪まで付き合ったら高徳線全駅訪問が果たせなくなる可能性が大きいと判断し、ここであえなく「棄権」。ホームには通勤客がズラリ。
急いで自由席特急券を買い足し、8時11分発の「のぞみ1号」(N700系Z31編成)に乗り継ぎます。関西地方はで、定刻9時12分に岡山駅に到着。
岡山駅から「青春18」使用開始。9時32分発の「快速マリンライナー17号」(5000系M3編成+223系P6編成)で四国へ渡ります。車両が新しくなってからは初めてです。
およそ7年ぶりの瀬戸大橋からの風景。撮影に悪戦苦闘しながらも瀬戸内海の風景を堪能してきました。
10時25分に高松駅に到着。更に、44分発の4335D(キハ40 2109)に乗り継いで、ようやく高徳線駅巡り開始。尚、この単行のキハ40は、5時間近くかけて牟岐までロングランするそうです。
11時6分に古高松南駅に到着。
駅名標です。今回の旅でも極力紹介していきます。ちなみに、「T」は「高徳線」を、「22」は「徳島から22駅目」を意味します。
駅全体像。片面ホーム1面と待合所のみの無人駅ですが、券売機はあります。周囲はアパートなどの住宅地ですが、五剣山が借景です。
国道側から見たところ。
昼食場所を探す関係上、隣駅まで駅間徒歩。歩道のある大きな道路(R11)をトレースしますが、出るとすぐに屋島に圧倒されました。屋島といえば、1999年2月に屋島ケーブルに乗って登ったことがありますが、現在は廃止されており徒歩か車(バスを含む)で登るしかありません。
再び五剣山を望みます。道中は各種店舗があり賑やかです。このあたりの「餃子の王将」での昼食を画策しましたが、グランドオープン前ということで近くの中華料理屋でランチにします。
つづく
15時ちょうどに岡谷駅0番線に到着。構内は、この切り欠きホームを含めて2面4線です。2009年12月現在、エレベーターの設置工事が行なわており、これが完了すると跨線橋で結ばれるようになります。
改札を抜けて駅舎に出ました。昭和27年11月築のコンクリートの細長い駅舎。スタンプの絵柄には岡谷太鼓が描かれています。窓口営業時間は6:00~21:00です。駅前に「LaLa」という複合店舗があります。
待合室前の「岡谷の物産」を写してみました。「神渡」「高天」といった清酒、信州味噌、精密機器などが展示されています。尚、待合室の中にはKIOSKが入っています。
徒歩4分の所に旧林家旧宅。繊維産業で名を上げた家だそうです。この日はあいにく休館日で、門は閉ざされていました。そもそも、30分の滞在時間で観光しようというのが間違いですが。
15時30分発の1534M(115系N3編成)に乗車し、本日最後の下車駅を目指します。
15時35分に下諏訪駅に到着。構内は2面3線で、下り列車の退避が可能です。
改札を出る前に、1番線にある御柱祭のレプリカを。今年(2010年)は御柱祭の開催年に当たり、4月1日~6月15日まで開催されます。
改札を出る前に一駅一名物・一茶句碑を。「甲斐信濃 乙鳥のしらぬ 里もなし」。
改札を抜けて駅舎に出ました。平成10年3月改築の、資料館併設の和風駅舎です。KIOSKもあり、窓口営業時間は5:45~20:10です。
滞在時間を46分確保したので、諏訪神社下社秋宮に行ってきました。本殿は工事中でしたが、拝殿には立派な注連縄。
下諏訪を後にする前に諏訪湖の夕景を。本日の駅巡りをこれで打ち切って新潟に帰るかと思うと、何とも呆気ない気分です。
併設の資料館を見ることなく、16時21分発の439M(115系N32編成)に乗車して長野まで走破しました。
松本では37分の小休止。その間、「北アルプスいろどり号」がやって来ました。この列車は長野へ先行するものの、全車グリーン車指定席で「青春18」では利用できず。
そうこうしているうちに中央本線441Mが到着し、439Mは長野に向けて発車しました。資料館を見てくればよかったのに。。「彩」は怪我の功名というものか。長野駅で夕食をとったのち、「妙高9号」(183系N102編成)~信越本線1357M(115系N6編成)の乗り継ぎに成功しました。
長岡で465M(115系L10編成)に乗り継いで終わりでしたが、折からの忘年会シーズンに当たり駅員に抱えられて乗車する泥酔する輩も。彼の搬出のため見附で6分ほど停車し、新津駅に帰還したのは日付が変わって0時2分でした。
2009年冬の「青春18」解禁乗り継ぎ おわり
参考サイト さいきの駅舎訪問
踏切を渡って狭い路地を5分ほど歩けば、そこは有名な「ほたるの名所」でした。入場料は300円となってますが、シーズンオフということで受付は無人でタダで入れました。尤も、12月はホタルのシーズンではないし。
入ったからには園内を周回してきます。見事なまでに整備された公園で、水路が幾重も張り巡らされています。6月下旬の「ほたる祭り」の夜ともなれば、ゲンジホタルの光で幻想的な光景が形成されます。歩き続けたので、水路の一角のベンチでコーヒーブレイク。
「ほたるの里」に寄り添う天竜川。諏訪湖から流れ出たばかりで、どこかの2級河川という感じで、東海道線で見る川幅はちょっと想像出来ません。
戻るとちょうど時間になったので改札をくぐります。「みすず」の313系(右)が入線し、飯田線の新旧車両の並びが実現しました。13時43分発の1427M(119系R3編成)に乗車し、辰野駅を後にしました。
13時50分に川岸駅に到着。交換可能駅で、島式ホームの1面2線です。
跨線橋を渡り駅舎に出ました。昭和13年3月築の木造駅舎が健在ですが、無人化されて窓口が閉鎖されています。その代わり、近距離の乗車券は券売機で購入できるようになっています。
丸ポストを拡大してみました。「シルキーポスト」の標識は、丸型ポスト100周年を記念して平成14年6月に立てられました。
ついでに開通記念碑を。なぜ「D51 498」??
滞在時間が1時間あるので伊那街道を散策。天竜川を渡り脇道に入ります。すると「沢」バス停があり、沢の石造群の始まりです。そこには馬頭観音が3つも。
集落道をしばらく行けば、再び石造群。奥には、かなり劣化してはいますが、握手像の道祖神。
更に進んでもう1つ。握手像の道祖神もあります。道祖神といえば安曇野市穂高地区が有名ですが、伊那街道も負けてはいません。
おまけは観蛍橋から見た天竜川。川幅はさほど広くありませんが水深はありそうです。
入線音を録音し、14時55分発の1431M(119系R6編成)に乗車して次なる下車駅を目指します。
つづく
それでは中に入ります。まずは時刻表から。上り13本、下り12本ですが、本数の多い時間帯と閑散とした時間帯が入り混じっています。「ワ」は「ミニエコー」を示しています。また、駅舎内には公衆電話が備え付けられ、ある程度の人数が座れるようにベンチが設置されています。
滞在時間は33分ですが、とりあえず周辺散策。駅のそばの川は桜並木が形成されており、時期になれば絶景になるでしょう。右岸の道路をしばらく進めば、突然開けてきました。
11時6分発の159Mに乗車して信濃川島駅を後にしました。車両はもちろん「ミニエコー」。
11時11分に小野駅に到着。かつてのメインルートの名残というか、構内は2面3線です(但し、3番線は使われておりません)。
改札を抜けて駅舎に出ました。昭和39年5月築の木造駅舎で、委託ながらも駅員が居ます。窓口営業時間は7:00~15:30です。
滞在時間が1時間以上あるので、駅前の食堂に入りローメンにて昼食。
歩いて5分ほどで小野宿に到着。烏脅しと懸魚が特徴の本棟造りの建物が3軒ほど残されている宿場町です。これは旧小野家住宅(問屋跡)で、年に数回の一般開放日のみ見学可能です。
これは小野光賢資料館。この日はあいにく閉ざされており、中はわかりません。
入口になりますが、造り酒屋・小野酒造店。「夜明け前」という清酒が販売されていますが、買いたいのは山々ですが、荷物はリュック1つで一升瓶を搭載できないので見合わせました。
帰りに曹洞宗・祭林禅寺に立ち寄って。山門前からは小野酒造の酒蔵がはっきりと。
12時30分発の158Mに乗車して辰野駅へ。折角なので、「ミニエコー」の走行音を録音してきました。
12時39分に辰野駅に到着。飯田線554Mが目立ってしまいましたが、2面3線の横に留置線を6本有する広い構内です。
改札を抜けて駅舎の中へ。昭和58年6月改築の立派な鉄筋コンクリート駅舎で、鉄道整備会社の詰所も併設されていると思われます。窓口営業時間は5:50~19:40です。併設のKIOSKで御渡カップを買いました。
辰野駅での滞在時間は1時間。看板に誘われるままに「松尾峡」へ歩きました。
つづく