クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

五能線全通80周年キネン乗り継ぎ Vol.2 (その1)

2016-08-29 18:00:18 | 北東北地区

 五能線は、7月30日に全通80周年を迎え、その看板列車である「リゾートしらかみ」の橅編成は7月16日にハイブリッド気動車に変わりました。ちょうど「青森県・函館ディスティネーションキャンペーン」に当たり、今年は五能線を訪問されるお客さんが多いようです。
 「18きっぷ」期間中に当たっており、私はこれを見逃すわけにはいかなかったので、80周年を迎えた7月30日に五能線駅巡りを実行しました。どうぞご覧ください。



自転車で新津駅に行き、6時16分発の羽越線823D(キハ110-203+キハ110-224)で出発。村上まではとにかく爆睡。



村上を出ると、車窓には穏やかな日本海が。黒松で一杯やりながら



9時31分に酒田駅1番線に到着。2番線に停車中の541M(701系N6編成)に乗り継ぎます。



酒田下車時に声をかけたのが縁で、541Mの道中では中国人留学生と話が弾みます。卒業旅行で日本中を巡っているそうで、青森に出た後大館に泊まり、仙台から東京に帰るのだとか。



秋田駅にて奥羽線1657M(701系N22編成)に乗り継いで。勿論、彼女と一緒に。



北金岡駅で数分停車。果たして交換した「リゾートしらかみ2号」は「くまげら編成」でした。



東能代で彼女と別れ、私は五能線223D(キハ40 533+キハ40 530)に乗り継いで昼食タイム。541Mで向かいに座っていた女性は沢目に帰るところだとか。



13時31分に八森駅に到着。一見する限り、片面ホーム1面のみです。



しかし、海側に目をやると、行き止まりの線路にPC枕木がそう、八森駅は交換設備が撤去されて棒線化されているのです。



で、ホームの上には木造の待合所が。始めはこれを駅舎だと思っていました。



荷物置き場となった待合室。10人分座れるようになっています。



八森駅の名物である木造の跨線橋を下っていきます。



行き着いた先は本駅舎です。「八峰町商工会」との合築のログハウス駅舎です。標高は10.1m。



では、駅舎の中へ。無人化されて窓口は閉鎖されています。右手のショーケースには名産がささやかに紹介されてました。尚、左手にはトイレ。



時刻表を。上り6本、下り7本です。滞在時間は31分。



短い時間ながら周辺散策。駅前はまるで時間が止まったかのような集落に。2分ほど歩くと八森郵便局が。



海岸の方に進むと、八峰町文化交流施設 ファガス、八峰町文化ホール、八峰町ハタハタの町診療所が集中してました



そして、5分ほど歩くと雄島が。今回の五能線駅巡りでの最大の収穫でした。8月15日には花火が打ち上がるそうです。


つづく


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山田線全駅下車への道・後編(その7)

2016-08-28 08:39:09 | 北東北地区

すっかり日が傾き、上米内駅19時20分発の644D(キハ110-137+キハ110-136)で山田線全駅下車達成の地へ。



19時31分に大志田駅に到着。片面ホーム1面のみの構内でした。



それでは駅舎撮影。昭和58年12月22日築の待合所でした。2006年9月に浅岸駅に降り立っているので、この駅に降り立って山田線全駅下車達成



時刻表を。最末期はこの644Dが下りの始発(唯一!)、上りは朝と夜だけでした。



宮古方には盛岡保線技術センター休憩所があり、スイッチバックの遺構が残されていました。ということで駅舎の中へ。木製のベンチが1つだけ設えられてました。駅ノートに書き込みしつつ、南部美人で打ち上げ。尚、盛岡方には汲み取り式トイレが設けられています。


ホームに上がるとさほど暑くはなく、渓流の水の音がマイナスイオンと相俟って誠に気持ちよかったです。20時9分発の645D(キハ110-130+キハ110-128)で盛岡へ。



20時33分に盛岡駅に到着。40分発の東北本線1554Mは、さんさ踊りを見に来た人などで混雑し矢巾でやっと座れた次第。私は「クハ700-1036+クモハ701-1036」の編成に乗りましたが、仙台から応援の701系F2-26編成に従えられてました。



22時18分に一ノ関駅に到着。「はやぶさ・こまち96号」(E5系U26編成+E6系Z12編成)は所定のダイヤでやってきました。



23時1分に仙台駅に到着。余裕で新潟行きのWeライナーに乗り継げました。車号は先回と同じ「新潟200か786」。5時17分頃に新潟駅に到着し、信越線422M(115系L13編成)で新津に帰還しました。


 「山田線全駅下車への道」は以上です。岩手県北自動車に4回もお世話になりながら盛岡~宮古間の全駅をクリアしました。交換設備が撤去された又はその可能性がある駅が現役のものだけでも7駅に上り、盛岡~宮古間が完全に「106急行」に軍配が上がっているのを印象付けられました。ここで登場した浅岸、大志田の両駅は、昨年11月30日を以って事実上廃止されました。盛岡~宮古間の全線運転再開は来年秋になることから、利用者は一層「106急行」にシフトされるでしょう。
 尚、ここで登場した信越線422M、461M(現467M)ですが、現在はE129系B編成に置き換わっています。
 今日は、米坂線全通80周年号が運転されています。次は、「五能線全通80周年キネン乗り継ぎ Vol.2」をお伝えします。





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山田線全駅下車への道・後編(その6)

2016-08-25 17:58:00 | 北東北地区

山田線駅巡りの前にニュースをお伝えします。JR九州は昨日、「DENCHA」の運転開始を来る10月19日にすると発表しました。当面は火曜日を除いて1日4往復ということですが、筑豊本線(若松~折尾)は架線式蓄電池電車が走る路線として2例目になります。


では、本題に。花原市駅を出て39分でグループホームに到着。その向かいが蟇目駅です。



それでは駅舎撮影。平成11年3月築の三角屋根の駅舎です。右手の小さな建物はトイレ。



では駅舎の中へ。木製のベンチが1つだけ設えられています。勿論無人で何もありません。



時刻表を。宮古方面が6本、盛岡方面が7本です。どうしても、朝と夕方に集中するんだよね。



そうこうするうちに1人のおじさんがやってきて、少し話し込みました。申し遅れましたが、蟇目駅は交換設備が廃されて棒線化されています。



彼と共に、16時7分発の643D(キハ110-136+キハ110-137)に乗車して盛岡方面へ。館山から来て日帰りで宮古まで往復したという眼鏡女性と相席に。



17時54分に上米内駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。両ホームは構内踏切で結ばれています。



ホームから出る前に山田線ならではのアイテムを。国鉄仕様の駅名標です



それでは駅舎撮影。大正13年築の木造駅舎です。窓口営業時間は6:45~13:50ですが、それ以外の時間帯は駅舎内に入ることが出来ません!尚、トイレは宮古方に。



で、駅舎から宮古方に視点を移すと、ささやかな保線基地が。



駅前には宮沢賢治の歌碑が。高洞山が詠われていますが、駅裏にある山のことですね。



それでは周辺散策。県道36号に突き当たると米内浄水場が。桜の名所として知られており時期ともなれば公開されますが、この時期は固く施錠されていました。



もう少し進みます。わんこそばの食べられる盛岡市内から列車で十数分とは思えないくらい純日本的な風景が広がっていました。県道36号は歩道がなくて交通量が多いので、これ以上の散策はやめにしました。



駅に戻って時刻表を。所定ですと、宮古方面は4本、盛岡方面は8本(土休日運休を含む)です。こんな駅に限って滞在時間が86分なので、駅前のベンチで玄米ブランで夕食にしたり旅行記を書いたり。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問


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山田線全駅下車への道・後編(その5)

2016-08-23 17:54:02 | 北東北地区

山田線641Dで千徳駅を出発。茂市止まりということで、席はよりどりみどり。



15時ちょうどに花原市駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



それでは駅舎撮影。開業当時からと思われる、コンクリート製の吹きさらしの待合所です。トイレはありません。



一旦駅舎の中へ。左右にFRP製のベンチが4つずつ並んでいます。勿論無人で何もありません。



時刻表を。下り6本で上り7本です。次の上り列車は63分後…。



ということで、蟇目駅まで駅間徒歩を敢行します。東側には合掌堂がありますが、ルートは国道106号をひたすら西へ。



出発してすぐに花原市バス停が。「106急行」の停留所ということで、ほぼ1時間ヘッド。



最初の踏切を通過。山の方に進んでいくと、曹洞宗の寺院である華厳院が。



集落が切れると、牛伏バス停を通過。ローカルバスしか止まらないバス停で、1日5本です。ここを境に歩道がなくなり、駅間徒歩はまさに命がけに。



再び集落が現れ、荻荘踏切を渡って国道106号を辞します。しばらくして飛沢川を渡りましたが、水無川でした。



蟇目の集落に入ると、向日葵が可憐に咲き誇ってました



もうすぐ蟇目駅。でもその前に、蟇目駅前バス停を。このあたりのローカルバスは、下りが和井内行きで上りが宮古駅前行きです。


つづく


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山田線全駅下車への道・後編(その4)

2016-08-22 17:55:16 | 北東北地区

13時8分に宮古駅に到着。撮影終了後、千徳駅まで駅間徒歩。



駅前通をひたすら西へ。出発するとすぐに宮古郵便局。



しばらくすると、岩手県北自動車のローカルバスに出会いました



三陸鉄道のガードの近くには岩手県北自動車の営業所が。



道半ばに差し掛かると、「海宝」とか「漢方和牛料理 亀蔵家」が。何だか食欲をそそられますね。



歩道がなくなってくると、「106急行」とすれ違いました



ジョイスの所に差し掛かると、山田線を跨ぎます。しばらく待っていると、盛岡行きの「北三陸リアス号」が通過していきましたこちらは、三陸鉄道車3連です。



山田線を越えれば薬王堂に。千徳駅はすぐそこです。



宮古駅を出て51分で千徳駅に到着。開業当時からと思われる木造駅舎でしたが、訪問の数ヵ月後に改築のため解体されてしまいました



右手には汲み取り式トイレが。これも改築によって廃止されたのでしょう。



では駅舎の中へ。無人化されて久しく、窓口が閉鎖されていました。木製のベンチとFRP製のベンチが設えられていました。炎天下の中歩いてきたので、さすがに着替えました。



時刻表を。所定ですと上り7本、下り6本です。どうしても朝と夕方に集中します。



そろそろ出発の時間となりホームへ。申し遅れましたが、千徳駅は片面ホーム1面のみの構内です。14時55分発の641D(キハ110-129)で茂市方面へ。


話が変わりますが、本日、台風9号は関東地方を直撃し、西武多摩湖線では営業中の列車が土砂に乗り上げるなど大きな被害を発生させました。このたび被災されました皆様には心からお見舞い申し上げます。


つづく


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山田線全駅下車への道・後編(その3)

2016-08-20 18:03:02 | 北東北地区

前回はN4編成追悼記事をお伝えしました。山田線駅巡りに戻りましょう。


その2はこちら



川井バス停から閉伊川を渡って陸中川井駅に到着。開業当時からと思われる大きな木造駅舎が健在です。トイレは盛岡方に。



駅舎の向かいには川井地域バスが止まってました!1日5本くらいですが。



では駅舎の中へ。委託ながらも窓口が生きており、荷物扱所の跡も残されています。



時刻表を。所定では「リアス」の全列車が停車し、上下それぞれ6本ずつです。交換シーンが1回もありません。



駅ノートに書きこみしてホームへ。線路が2本ありますが、交換設備が撤去されて棒線化されているのです!



あっという間に出発の時間となりました。12時33分発の3636D(キハ110-137+キハ110-136)で宮古へ。神戸から来たという女性と相席に。いわて花巻空港から盛岡駅までバスで行ったとか。



13時8分に宮古駅1番線に到着。JRは2面3線の構内ですが、現在2、3番の島は使われているとは思えません。



改札を抜けて駅舎の中へ。待合スペースの盛岡方に「みどりの窓口」があり、営業時間は4:45~19:30です。入り口には駅スタンプがあり、表題は「うみねこがほほえむ浄土ヶ浜の駅」です。尚、旅行センターの営業時間は10:00~17:30です。



待合スペースの東側にはKIOSKが。その隣には駅そば屋が。



それでは駅舎撮影。昭和9年11月の開業時からの木造駅舎ですが、東日本大震災後に黒茶系にリニューアルされました。



左手には「宮古市総合観光案内所」が。そのトイレは宮古駅のトイレも兼ねています。



で、駅舎の右手にはC58 238の記念碑と山田線全通記念碑。山田線は大正9年11月に全通しました。



そして、その右手には三陸鉄道の宮古駅。東日本大震災後にオレンジ系にリニューアルされました。



駅舎から道路を挟んだ向かいにはロータリーがあり、その入り口には「うみねこと乙女」のモニュメント。西側にはキャトルが。


可也見所の多い宮古駅でしたが、しばしの滞在の後、千徳駅まで駅間徒歩することに。


つづく


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ついに「上越線の象徴」が絶滅

2016-08-19 14:23:26 | 新潟の鉄道

 お盆休みが明けきらない8月16日に、新潟車両センターの通称「解体線」にN4編成+N11編成+N26編成が据え付けられ、翌17日にN4編成より廃車解体作業が開始されました。N4編成は、既に廃車解体されたN6編成、N8編成、N14編成と共に霜取りパンタ付きの115系であり、上越線の「常連」でもありました。N4編成の廃車は霜取りパンの付いた115系が新潟から絶滅したことを意味し、上越線の水上以北がE129系王国になったことを象徴する出来事です。尚、一緒に廃車となるN11編成、N26編成は国鉄仕様のボックスシートが搭載されていました。
 タイアップといってもなんですが、2015年3月分の新潟の115系電車を御覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。



張子は、2015年3月1日の信越線430M。L10編成+N15編成でした。



2つ目は、同日の白新線1632M。N27編成+N6編成でした。



3つ目は、2015年3月2日の越後線164M。長野色だったN36編成がS8編成を従えてました。



4つ目は、2015年3月4日の越後線1544M。N28編成+L9編成でした。



5つ目は、2015年3月5日の越後線1544M。当時要検から上がったばかりのN31編成がL4編成を従えてました。



6つ目は、同日の越後線164M。長野色だったN33編成がS6編成を従えてました。



7つ目は、2015年3月7日の新津駅での信越線427M。 N19編成+N29編成でした。



8つ目は、同日の信越線432M。長野色だったN36編成がN27編成を従えてました。



9つ目は、同日の越後線129M。L2編成+N5編成でした。



8番線にて信越線1721Mを。冒頭に話題に上ったN8編成でした。



9番線にて信越線1323Mを。N9編成+S11編成でした。



2015年3月13日。信越線1721Mは、冒頭に話題に上ったN14編成でした。



羽越線931Mは、運用変更でN10編成でした。



越後線140MはN34編成でした。



越後線162MはN5編成+N14編成でした。



越後線1544MはN16編成+L8編成でした。



2015年3月28日。信越線432MはS8編成+N38編成でした。



最後に、同日の白新線1630Mを。N21編成+N19編成でした。


 2015年3月分の115系電車のコレクションになりましたが、N4編成追悼記事は以上です。長野色、N19編成、N31編成…とUPしていると懐かしさすら込み上げてきます。現在、越後線129M、信越線432M、羽越線931MはE129系に変わっています。
 現在の新潟の115系の陣容をざっと見てみますと、N2、N3、N5、N7、N9、N10、N12、N13、N15、N16、N17、N18、N21、N22、N23、N24、N27、N28、N29、N30、N32、N33、N34、N35、N36、N37、N38、N39、N40に絞られています。そのうちN15は運用を離脱したと言われています。
 信越線の列車からはS5編成が留置されているのが見えます。S編成は7月9日の運用改正で全て運用を離脱しています。N26編成の次に廃車解体されるのはS編成でしょうか、それとも…。運用中のE129系の陣容がB18編成にまで拡大し、J-TREC新津事業所ではB20編成が通電試験を行っているといった状況です。近いうちに、現存するN編成のいずれかが廃車解体されるのだろうか。
 そろそろ山田線駅巡りに戻りましょう。


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山田線全駅下車への道・後編(その2)

2016-08-17 19:47:20 | 北東北地区

盛岡駅から「北三陸リアス号」に乗車して山田線駅巡りを再開。私にとって最初で最後のKenjiだったりします。



2分遅れの11時26分に川内駅に到着。降りたのは私1人。乗客ゼロ。当駅始発があり、2面3線の構内です。両ホームは構内踏切で結ばれています。



それでは駅舎撮影。昭和8年築の木造駅舎です。トイレは駅舎内に内包され、簡易水洗のタイプです。



では、駅舎の中へ。委託ながら窓口があり、営業時間は5:40~20:40です。左手には荷物扱所の跡が。



窓口の上にはC58 283の記録が。昭和19年3月12日に川内~平津戸間にて雪崩に乗り上げて脱線転覆し、機関士が死亡し、機関助手が重傷を負ったというものです。この模様は後に『大いなる鉄路』にて映画化されました。尚、右手はSL運転最終日の記録です。



時刻表を。所定ですと上りが3本、下りが4本です。当駅始発は朝の2本です。



駅ノートに書き込みして歯磨きし、川内バス停へと出発。駅前は「柾屋商店 あさ開」とありますが、営業している様子はありません。



間もなくして閉伊川を渡ります。「前編」の時とは異なり、流れは穏やかです。



上流側に視点を移して。ギラギラ輝いてました。



川内バス停に到着。すぐそばの「もうもう亭」は「貸店舗」に。11時57分発の「106急行」(岩手200か19-89)で陸中川井へ。



2分遅れの12時13分に川井バス停に到着。川井郵便局の目の前であり、交差点を南に進むと閉伊川を渡ります。



視点を下流側に移して。太公望の姿も見えました。陸中川井駅はすぐそこです。


ここでお知らせです。昨日、新潟車両センターの通称「解体線」に115系N4編成+N11編成+N26編成が据え付けられました。そして今日、N4編成の廃車解体作業が開始された模様です。よって、次はN4編成追悼記事をお伝えします。


続きはこちら


参考サイト   さいきの駅舎訪問


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山田線全駅下車への道・後編(その1)

2016-08-15 21:34:48 | 北東北地区

 お盆休みも半ばを過ぎ、日本列島は猛暑から台風の季節となりました。このお盆休みを利用して遠方に旅行されたり帰省されたりした方も多いのではないでしょうか。
 これからお伝えするのは、2015年8月1日(土)の「山田線全駅下車への道・後編」です。「前編」では雨に見舞われましたが、「後編」は夏本番となりました。この日に実行したのは理由があって、「北三陸リアス号」の運転日に合わせたのです。最後に今春のダイヤ改正で廃止された秘境駅が登場します。どうぞご覧下さい。



2015年7月31日(金)。自転車で新津駅に行き、22時58分発の信越線461M(115系N30編成)で出発。関係個所打ち合わせの影響で8分遅れ。



新潟駅からはWeライナー(宮城200か11-54)で一夜を過ごします。このバスはACアダプタ無し。通常であれば菅生PAで朝の休憩ですが、満車で駐車出来ずに仙台宮城IC横のトイレで開放休憩。



5時15分に仙台駅東口に到着。吉野家で朝食を取って在来線の改札へ。七夕祭りを控えてコンコースはとにかく七夕



6時発の東北線521M(719系H29編成+H22編成)で出発。



7時33分に一ノ関駅に到着。乗り換え時間の間にEH500-78が牽引したカモレに抜かれます。



7時59分発の東北線1529M(クモハ701-1042+クハ700-1042+クモハ701-1008+クハ700-1008)で盛岡へ。



9時27分に盛岡駅に到着。買い出ししてホームに戻ると、6番線にはKenjiがこれが「北三陸リアス号」です。



で、7番線にはジパングが偶然とはいえ、粋な演出です。



3号車の「キハ58 1505」に乗車。ハイデッカーでカラフルな座席が並んでおり、テレビまで付いています。私が席についた時はガラガラでしたが、発車直前に鉄道研究部とおぼしき若人が多数乗車してきて途端に騒がしくなり。



10時5分に盛岡駅を発車。懐かしい走行音を奏でながら北上川を渡ります



10時38分に浅岸駅を通過。その直後に急停車。間もなくしてアナウンスがあり、







「ニホンジカが飛び出した」






幸いにも轢死されずに済み、6、7分ほどで運転再開。






3分の遅れで区界駅を発車すると、東北福興弁当で早い昼食。東北6県の名物が入っており、1150円と値が張りながらも素晴らしい駅弁でした


つづく


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山田線全駅下車への道・前編(その7)

2016-08-13 22:18:47 | 北東北地区

本日発信の河北新報ニュースによると、今年4~5月期の三陸鉄道北リアス線の定期外客(団体客を除く)は、前年同月比で約2割の減少となりました。利用客は約21,000人と約6,000人の減となっています。いわゆる鉄道ファンの利用が減ったということで、山田線の不通がもろに影響しています。シニア客はバス利用を敬遠するのでしょうね。山田線の不通区間(上米内~川内)の復旧が来年秋になることから、それまでの間、三鉄は「106急行」乗り継ぎでお得なきっぷなどに活路を見出すのでしょう。



さて、本題に。山田線642Dは18時2分に箱石駅に到着。一見する限り片面ホーム1面のみの構内ですが、配線をよく見ると交換設備が撤去されて棒線化されているのです!



それでは駅舎撮影。平成15年3月14日築の高床式の木造駅舎です。トイレはありません。駅前広場がただっ広いので、嘗ては大きな木造駅舎があったに違いありません。



では「控室」となる駅舎の中へ。木製のベンチとFRP製の4人分のベンチが設えられています。勿論、券売機などの類はありません。



時刻表を。上り5本、下り4本です。滞在時間は63分。



日が沈む前に周辺散策。駅前には小さな個人商店があり、集落となっています。女子中学生がやってきて商店の中に入っていきました。



3分ほ東に進むと箱石郵便局に出て閉伊川を渡ります。山の中の滔々たる速い流れを見ると、何だか鶯巣駅を思い出します。



上流側に視点を移して。赤い橋は国道106号です。


日が沈みかけてきたので、駅に戻って玄米ブランで夕食。駅ノートに書き込みするなどして時間をつぶし、19時5分発の645Dで帰路に就きます。「キハ110-134」の単行で結構乗ってたので、英語の本を読んでいた眼鏡女性と相席に。



20時33分に盛岡駅に到着。速攻で40分発の東北線1554M(クハ700-1015+クモハ701-1015+クハ700-1014+クモハ701-1014)に乗り継いで一ノ関へ。


22時18分に一ノ関駅に到着すると、「はやぶさ96号」が30分遅れとのアナウンス。秋田新幹線が大雨で乱れていたのです!果たして当のE5系U12編成がやってきたのは33分遅れの23時2分で、しかも併結相手の「こまち96号」は運休。車内でくつろいで試しに付属のACアダプタでスマホを充電してみれば、何とタップ出来たではないか!



23時34分に仙台駅に到着。大急ぎで仙台駅東口のバス乗り場に行き、23時40分発のWeライナー(新潟200か786)への乗車を果たして新潟へ。途中の新鶴PAでの大休止ではどうしても目が覚めてしまう。新潟からは信越線422M(115系L9編成)で新津に帰還しました。


 「山田線全駅下車への道・前編」は以上です。この回では8駅巡りましたが、そのうち「過疎地帯」の駅が5駅含まれており、岩手県北自動車に1650円増収に協力した形となりました。区界高原までも宮古市に含まれており、平成の大合併で宮古市が巨大になったと実感させられました。
 今回の行き帰りには115系N33編成、L9編成が登場しましたが、N33編成はキムワイプ色になり、L9編成は廃車されました。
 「前編」があれば「後編」があるのではないかという声も聞かれますが、その「後編」は翌週の8月1日に実施しました。引き続き「後編」をご覧下さい。


最後までお読みいただきありがとうございます


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