浜松駅のホームで鰻弁当を食べ、12時30分発の5947Mへ。5分ほどの乗車で高塚に降り立ちました。
2面3線で、大正2年築の駅舎が残る駅です。訪問時は、ちょうど子供会の祭りが行われていました。
1本後の12時54分発の949Mは、115系S6編成で、私が最後に出会ったJR東海の115系でした。
平成16年4月から10月にかけて開催された、浜名湖花博のアクセス駅となり、前年12月に橋上駅舎になりました。2面3線です。これは南口です。
1本後の951M(311系G8編成)で弁天島に進みます。
浜名湖の中の島・弁天島にあります。広い広い島式ホームの中に駅舎というものが存在します。近くに弁天島温泉がありますが、機会があれば泊まってみたいです。
国道1号を渡れば、このような絶景が。
1本後の953M(311系G6編成)で新居町へ進みます。
新居町へは、高1の夏以来12年ぶりの訪問となりました。あの時に観光し忘れた新居関所跡などを観光します。あの時は浜名湖YHに宿泊し、弟と一緒に新居関所跡より遠くまで歩いたことを今でも覚えています。今となっては懐かしい思い出です。
1時間後の3927M(311系G5編成)で鷲津に進みます。
昭和38年11月改築の2面3線の駅です。線路の北側では浜名湖に出れますが、この駅では上下の入線音を録音したのみです。
1本後の957M(311系G6編成)で県境を越えます。
平成14年2月に橋上駅舎に改築されました。三河杉の庇もあり、二川宿をイメージしたものです。愛知県に入ったということで、入線音ががらりと変わりました。
二川宿を訪問したいという衝動を抑えつつ、15時36分発の959M(311系G10編成)で豊橋に出、5339F(313系Y6編成+Y44編成)に乗り換えて蒲郡に出ます。
高架駅になって初めての訪問です。平成13年夏に初訪問したときとはガラリと変わりました。当時は仮駅舎であちこち工事中でした。平成15年4月に下り線が、平成17年12月に上り線が高架になりました。
入線音を録音した後、16時35分発の5121F(313系Y43編成+Y4編成)に乗車。岡崎で3199F(211系C1編成)に乗り継ぎました。
この日最後の訪問駅は西岡崎でした。昭和63年3月13日の開業の橋上駅舎です。跨線橋は風が吹き抜けるタイプで、バリアフリー設備もありません。入線音がバカでかいです。
日が暮れなずんだ頃、17時10分発の4101Fで西岡崎を発ちました。311系G8編成ということで、名古屋まで乗り通しました。この日は愛知県青年会館YHに宿泊です。鈴鹿GP帰りの客と相部屋となりました。
つづく
参考サイト 「さいきの駅舎訪問」
2006年10月8日の朝になりました。朝食をとり、JR清水駅の裏口へ。逆光なので表口の駅舎の撮影はやめにして、1番線&2番線の入線音を録音し、8時30分発の1861M(115系S8編成+B13編成)に乗車しました。天候はで、風ひとつありません。
清水から5分で草薙に到着。2面3線で、昭和48年築のコンクリート駅舎を持つ駅です。
JR草薙駅の200m南を静岡鉄道が通り、静鉄草薙駅もあります。
8時57分発の741M(113系T110編成+T104編成)に乗車し、東静岡に下車します。1998年10月30日に、総費用80兆円をかけて開業しました。ホームは島式の1面2線のみですが、静岡貨物駅の跡地につくられたということもあって、自由通路がとてつもなく長く、広い広い橋上駅舎です。
9時15分発の429M(113系C16編成+L27編成=静岡切離し)に乗車し、調査のため島田まで進みます。降り立ってみると、コンクリート駅舎はかろうじて営業しておりましたが、仮駅舎は6月29日から建設が始まり、この時は内装工事中であった。
島田駅でも例によって録音しますが、一転して強風に翻弄されました。10時3分発の1863M(113系T105編成)に乗車し、大井川を渡り、さらには茶畑地帯を越えました。
10時16分に菊川に到着です。2面3線で、駅舎側のホームが待避線となっている駅です。
10時30分発の1863M(113系L22編成+L23編成)で掛川、愛野の両駅をスルーしました。
10時44分に袋井に到着です。3面4線の駅です。北側にしか駅舎が無いため、撮影に難儀しました。近々橋上駅舎になる模様です。
11時3分発の747M(211系SS3編成)にて磐田に進みます。袋井から1駅ですが、駅間が8km近くもあり、7分かかりました。
ジュビロ磐田のホームタウンに一時滞在です。2000年築の橋上駅舎です。ヤマハスタジアムまでは徒歩で45分ほどかかります。
折角なのでジュビロ君を。
磐田11時25分発の749M(211系SS7編成)にて3分、豊田町に下車します。1991年12月の開業で、2面2線です。徒歩5分に豊田町香りの博物館がありますが、10分後の5751M(113系C1編成)で天竜川へ。
浜松まであと1駅です。正午近くなり、駅舎の撮影に苦労しました。ホームは2面4線で、駅舎側にホームはありません。
天竜川12時ちょうど発の1865M(113系LL104編成)で浜松に進み、売店で売られていた鰻弁当を食べました。もちろん浜名湖産で、中国産に比べると味が淡白で、美味いです。
そして、浜松12時30分発の5947M(113系C1編成)で高塚に進みました。これは、私が最後に乗ったJR東海の113系でした。もっと本腰入れて撮影すべきでした。
つづく
参考文献 「旅」2003年5月号
西焼津10時41分発の749Mに乗車しました。次は六合を訪問しますが、途中の藤枝駅は改築中ではあるものの、だいぶ形になってきている感じでした。
昭和61年4月26日開業。対面式ホームの橋上駅舎で、バリアフリー設備はありません。10分しか滞在せず、狭軌最高速度記念碑を見つけられませんでした。
10時59分発の751M(113系C1編成)にて金谷に向かいます。途中の島田駅は、2001年に訪問したときと同様、コンクリートの平屋の駅舎が残ってるように見えました。
昭和53年4月改築の、典型的なコンクリート駅舎です。周辺は丘陵でアップダウンが多いです。この日の東海道線駅巡りは金谷で終了です。
金谷で打ち切った目的は、大井川鉄道の乗りつぶしです。折角なので、SL列車で旅します。11時30分頃、ELに引かれて入線しましたが、ホームが短く、SL列車は撮影できず。乗った客車はスハフ42で、一昔前の列車旅を味わいます。終点・千頭までELとのプシュプル運転でした。
沿線は大茶畑地帯です。これで日本のお茶の殆どが賄えるなと感じました。また、年代物の駅舎も多く、いつかは大井川鉄道全駅下車を果たしたいなと思いました。
13時12分に千頭に到着し、やっとSLの撮影を果たしました。
SLを降りた後、井川線の列車に乗り換えます。スハフ42と比べると、かわいい客車という印象を受けました。
井川線は、大井川本線とはまるっきり異なります。相変わらず茶畑が多いですが、R=55などの急曲線が多く、ゆっくりと走ります。又寸峡温泉の最寄り駅である奥泉では大量の下車がありました。
アプトいちしろ~長島ダム間は、専用の機関車に押され、アプト式の急坂の鉄路を上ります。これは、1990年の長島ダム建設によるものなのです。アプトいちしろ駅では、多くの者がカメラを構えていました。
その後も、長島ダム建設により新線に切り替えられた区間を旅し、奥大井湖上では多数の客が上り列車を待っていました。接阻峡温泉でもかなりの下車があり、車内は寂しくなりました。尾盛駅は誰が利用するでしょうか。
井川ダムを眺め、15時8分に終点・井川に到着しました。
15時35分のバスで一気に新静岡に抜けちゃいます。このバスには女車掌が乗務していました たったの1850円で静岡駅に直行なので、大井川鉄道で金谷まで戻るよりずっと便利です。にもかかわらず、乗客は多くなく、町場に入るまで動きはありませんでした。尚、全ルートが静岡市域に入るため、改めて静岡市の広さを実感させられました。
新静岡駅到着後、5階の中華料理屋で夕食。その後、おやつ用にかもめの卵を買い、静岡鉄道を完乗し、清水港近くのホテルときわに投宿しました。
つづく
参考サイト 「さいきの駅舎訪問」
ここからは、2006年10月7日~9日の大井川鉄道訪問記を紹介します。「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」を使い、東海道線の駅めぐりが主体となっています。
旅のはじめは、新津0時6分発の快速ムーンライトえちご新宿行き(485系K1編成)で。発車後、菊水一番しぼりを1本空けると、長岡手前からもう記憶が無いです。
5時10分に新宿に到着。3分乗り継ぎに成功し、中央線404T(201系T30編成)で東京へ。当時、E233系の営業運転はまだでした。
東京到着後、グリーン券を買い、5時46分発の東海道線323M(E231系K19編成)に乗り込みます。海の見える2階席に座ったにもかかわらず、朝食を終えると強烈な睡魔に襲われ、終点・沼津まで寝ていました。
沼津で741M(113系T116編成+T110編成)に乗り継ぎ、興津下車を果たします。この駅始発の列車もあり、配線は2面3線です。
興津9時3分発の429Mで西へ進みます。113系C5編成+L24編成でしたが、静岡で後ろ4両が切り離され、前3両に乗り移ります。車内はかなりの混雑です。
静岡から1駅目の安倍川に足を記します。閑静な住宅街の中にある3階建ての駅舎で、1階にはトイレがあり、2階は駐輪場に続いております。窓口は3階にあり、対面式ホームに一気に下る構造です。
駐輪場の屋上は庭園で、このような銅像もあります。
安倍川に降り立って13分、9時41分発の745M(113系L22編成)で用宗へ。
昭和11年改築の駅舎で、JRになってからこのようにリニューアルされたものと思われます。この駅終着の列車が無いにもかかわらず2面3線です。歩いて5分ほどで用宗海岸海水浴場に出ますが、日程に余裕が無いので駅観察のみにとどめ、14分後の1863M(113系L30編成+L26編成)で焼津に行きました。
焼津市の中心駅で、駅構内にいくつかテナントが入居しています。手前に「黒潮温泉」という足湯スペースがあります。この駅も15分のみの滞在で、431M(115系S6編成)で後にしました。
西焼津に下車します。対面式ホームの橋上駅舎です。車学が近いということもあって、若者の乗降が多いです。
10時41分発の749M(211系SS6編成)で六合に向かいます。
つづく
片浜から乗った434Mは、11時36分に沼津駅に到着。駅前の洋食屋・ライオンでチキンステーキの昼食にする。
三島駅よりも大きく、駅ビルだったりする。
入線音&発車合図を録音した後、12時36分発の1442M(113系C7編成)で丹那トンネルを越える。早く並んだのでボックス席の進行方向右側を確保できた。熱海到着後、3758M(211系N53編成+N21編成)に乗り換えたのであった。
湯河原駅に降り立った時、外は極めて蒸し暑かった。この後の夕立の前兆なのか。それはさておいて、湯河原は、熱海ほどではないが著名な温泉保養地で、駅前もそのような雰囲気がある。西村京太郎記念館の最寄り駅であるが、時間が無いのでまたの機会ということで。
湯河原滞在を15分で済ませ、854Mにて真鶴に降り立つ。降りてみると如何にも南国の雰囲気がする。ホーム側の屋根に巨大鶴が舞う木造駅舎をもつ。発メロは、上下とも「水の冠」で、駅員扱いである。
14時2分発の858M(E231系S19編成+K26編成)で根府川へ。下車してすぐに発メロを録音していく。お盆の関係で乗降客が多く、上りの「水の冠」も、下りの「Gota del Vient」もフルコーラスが鳴った。
大正13年築の木造駅舎で、無人駅である。関東の駅100選に選定されておる。ホームは2面3線。
折角なので、真鶴道路を渡って海岸まで下りていく。断崖絶壁が迫る海岸である。その頃、急に気温が下がり、空は黒い雲に包まれた。まもなく大荒れになるのだろうか。
急ぎ気味に根府川駅に戻り、14時50分発の864M(E231系S16編成+K21編成)に乗車する。早川に降り立った途端、大粒の雨が降ってきた。改札で運転情報を見てみると、「山手線、京浜東北線で運転見合わせ」との情報が流れる。果たして当日中に新津に帰れるのか。
大雨の中、大正10年築の木造駅舎の撮影を決行する。付近には大きな蒲鉾工場があるが、このような天気ではとても散策なぞ出来ない。ちなみに、島式ホームの脇には折り返し線がある。
早川駅は、ホームが長い割には屋根がかかっている面積が小さい。外は大粒の雨が降り続いており、時折が鳴る。 スピーカーの近くで上下線の入線音&発メロを1組ずつ録音していく。この条件下でも東海道線が正常に動いていることに疑問を抱きつつも、僅かなベストポジションで上下の入線音&発メロを1組ずつ録音していく私がいたのであった。
かくいう私も、15時17分発の3762M(E231系S12編成+K10編成)で早川を後にしたのである。小田原に向かう途中、「湘南新宿ライン 高崎線直通」と表示したK39編成が待機していたのを見ると、とりあえずは高崎に抜けられるなと確信した。
15時20分に小田原駅に到着し、とりあえず改札を出て駅舎撮影。戻ってくると、矢張りというべきか、「大雨のため真鶴~早川間で運転見合わせ」とのアナウンスが流れてきた。早めに抜けておいて良かったなと思った。
16時丁度発の特別快速3670Eで一気に高崎まで抜ける。予定通り2Fのグリーン車に乗車。熱海方面からの列車が次々と抑止を食らっている中、この列車は定時に小田原を発車した。しかし、東海道線が尋常でない状況だけに、正規の停車駅のほかに大磯、辻堂にも停車。普通車を覗いてみると激パ状態。湘南新宿ラインに入り、大崎を出ると、恵比寿、渋谷、新宿、池袋…と停車していき、運転再開の目処が立ってない山手線の代替手段の役割を果たしており、池袋発車時で24分遅延。上尾を出たところで、小田原駅で買っておいた鯵の押し寿司で夕食にする。
その後、驚異的な回復運転のおかげで、高崎到着時には15分の遅延にとどまり、19時15分発の749M(115系T1032編成)に乗り継ぐことができた。上越線は定時運転で、水上で1751M(115系N2編成)に乗り継げ、定刻22時59分に長岡に到着した。
長岡で23時1分発の信越本線465M(E127系V3編成+V4編成)に乗れば、そのまま新津に帰れるはずだった。しかし、そう問屋は卸してくれなかったのだ。
「直江津方面からの接続をとって発車する為、発車が23時30分頃になります。」
酔客が入り乱れる中、信越本線1357Mは23時28分に到着した。しかし、新潟地区の大雨の影響でダイヤは大きく乱れ、465Mが長岡を発車したのは23時42分。新津に帰着したのは、翌13日の0時36分であった。「ムーンライトえちご」で新津を発ってから実に24時間30分を要したことになる。これまでの最長日帰りは、2004年7月25日発に記録した24時間23分なので、今回の旅行は、それを7分上回ったことになる。
おわり
東海道本線は、東京から静岡、名古屋、京都、大阪を経由して神戸まで結ぶ路線と、大垣から美濃赤坂への支線からなる。優等列車のほとんどが新幹線に移行したとはいえ、貨物列車が多数走っており、日本の物流の大動脈といえる。駅数は、京浜東北線の列車や横須賀線の列車しか止まらない駅を含めて161もあるが、美濃赤坂支線を除いて運転頻度が高く、非常に駅巡り易い路線である。
これまで東海道本線には何度も訪問し、その度に駅訪問を果たしているが、本ブログで取り上げるのは、東海道線駅巡りを中心とする旅行である。最初に取り上げるのは、2006年8月12日の日帰り旅行である。
出発は快速ムーンライトえちごの新宿行き(K1編成)で。車内は当然満席。長岡からは記憶がありません。「春の歌」が鳴り、5時10分に新宿に到着。
新宿での3分乗り換えに成功し、中央線404Tで東京へ。201系T13編成であった。この頃は、201系が普通に走っていたものだった。
東京で東海道本線323M(E231系K15編成)に乗り換える。あえて普通席で行ったが、海側のボックスシートの窓側を確保できた。朝食後、断続的に睡眠を補うことに。
最初の下車駅は函南。MLえちご車内で日付印を押してもらえなかったので、改札で日付印を入れてもらうことに。新幹線集落を探したが、21分の下車時間では見つけられず。
函南に降りて21分、8時13分発の529M(113系C4編成+L26編成)で蒲原へ向かう。
明治23年開業の駅で、2面3線ある。この駅舎は昭和42年築。駅前には国道1号線が通る。
蒲原駅に降り立って24分しかたたないうちに、9時17分発の5426M(113系L21編成+L29編成)で東京方面に折り返していったのであった。
蒲原から東へ1駅、新蒲原に降り立つ。1968年に設置されており、2面2線の駅である。旧蒲原町(2006年3月に静岡市清水区に編入)の中心駅となっている。付近にマックスバリュがあり、そこでジュースやアイスなどを調達した。
10時1分発の428M(113系T13編成)は、学生グループが多く乗車しており大混雑となった。
新蒲原から3分で富士川に到着。名の通り、富士川の近く(西岸)にある駅である。
10時20分発の430M(113系L31編成)で富士川を越え、東田子の浦まで乗車する。
2面3線の駅。入り口の壁面に書かれている通り、この駅からは富士山がばっちり見れるらしいが、この日は曇りがちの日で、富士山は見えなかった。尚、この駅には待合室は無い。
東田子の浦から432M(211系SS6編成+G2編成)で4分、原に降り立った。近くに酒蔵があり、駅舎もそれに準じた木造駅舎となっている。この駅も2面3線。
原11時16分発の1438M(113系C7編成)で片浜へ。沼津市郊外の住宅地にある駅。1987年開業で、2面2線の橋上駅舎である。
片浜に降り立って13分しかたたないうちに、11時33分発の434M(211系G8編成+G4編成)で沼津に向かったのである。
つづく
参考文献 「旅」 2003年5月号
東北を抜けて関東に入ると、天気はに変わり、13時30分に大宮に降り立つと、たちまち熱気が体を包みました。後でわかったことですが、さいたま市の気温は33~34℃に達しており、涼しい宮城県から来た私にとっては相当暑く感じました。
20分ほど待って、「あさま573号」(N12編成)で軽井沢へ寄り道します。2号車の自由席に乗車し、窓側の彼女も軽井沢に行く途中で、ショッピングするとのこと。
14時32分に軽井沢に到着。軽井沢駅はかなりの人出です。かくいう私も、JR東日本発足20周年謝恩新幹線スタンプラリーを行っており、この駅のスタンプを押して6エリア達成しました。 軽井沢は標高が900m以上あり、先ほどの大宮と比べて涼しいです。
プチ軽井沢観光の筆頭に選んだのは、旧軽井沢駅舎記念館です。入館料は200円で、中には貴賓室や鉄道関連資料が展示されています。
係員に門を開けてもらい、外に出ます。中には、機関車が2種類展示されていました。
長野新幹線開業まで横軽専用の牽引機であったEF63形です。現役を退いて10年も経つと、ここまで傷みが激しくなってくるものです。
アプト式機関車である、10000形機関車です。
一通り見た後、旧軽井沢の手前まで散策します。通りには飲食店や店が多数並んでいましたが、がっつり遊べるほど軍資金はありません。それでも、ボヘミアンガラス美術館には入りました。
帰りに矢ケ崎公園に立ち寄りました。日によっては浅間山を望むことができます。
発車メロディー&入線音を1組録音した後、「あさま538号」(N21編成)で安中榛名に下ります。
安中榛名駅は、山の中腹にある新幹線単独駅です。一見すると、とある在来線の有人駅と思えるくらい小さい駅で、店といえば釜めし屋くらいしかありません。軽井沢から最大30‰の碓氷峠を12分も下ってくると、いくぶん暑く感じます。
滞在時間が1時間余りあるので、付近を散策してみます。周辺は住宅地開発(びゅうヴェルジェ安中榛名)が進められており、5年後、10年後にはどうなっているのでしょうか。向こうに見える山は妙義山です。
そうこうしているうちに、すっかり日が沈みました。下りあさまの入線音&発車メロディー一式を録音し、駅前のデイリーで買ったオムライスを食べた後、18時9分発の「あさま594号」(N3編成)で高崎へ下ります。軽井沢始発ですが、車内は老若男女でほぼ満席でした。
高崎で「Maxとき339号」(E4系P82編成)に乗り換えて、上越国境を越えました。隣席から通路を挟んで1列に並んだ数人のファミリーは、八景島などを観光した帰りだとか。暑い中ご苦労様です。
長岡で13分ほど遅れていた「北越7号」(485系T11編成)に乗り換えて、新津に帰りました。
今回は、青森地区の東北線駅巡りがメインでしたが、軽井沢観光もあって、内容の濃い旅行でした。次回の東北線駅巡りはいつになるんでしょうか。できれば来年には東北線全駅下車を果たしたいです。
完
8時31分発の422M(701系F2-26編成+F2-104編成+F2-105編成)で南仙台に南下します。
3分で南仙台に到着。仙台市南部にあり、周辺はアパートが多いです。ホームは2面3線あり、NEW DAYSもあります。入線音は東北線標準タイプですが、接近表示機で告示された後、「(ピンポン)まもなく、〇番線に上り(下り)列車が参ります」と放送されます。
9時2分発の576M(719系H16編成+H34編成)で名取に進みます。
南仙台から3分ほどで仙台空港鉄道との分岐駅・名取に到着します。が、今回は仙台空港には行かず、ある列車で仙台に折り返します。東口の駅舎は、2003年に改築されています。
東西自由通路・ウィングロードを通り、西口に出てみます。2階にはコミュニティープラザがあります。サッポロビールの工場が近くにあり、近くの庭園では蓮の花が咲いていました。
9時55分発の237Mで仙台に戻ります。455系S19編成+S20編成で、私にとっての東北455系乗り納めとなりました。仙台到着後、「こがね」との並びが実現しました。
10時40分発の「Maxやまびこ110号」に乗車し、白石蔵王を訪問します。E4系P3編成で、窓枠は黒ずんでました。
白石蔵王では1時間の滞在です。駅構内にある温麺の館では、温麺の製法だけでなく、こけしコンクールの歴代入賞作品なども展示されていました。そのついでに、実際に温麺を頂いてきます。素麺を食べているような感覚です。ついでに、みどりの窓口に行き、高崎からの339Cの指定券をアタックしましたが、何とOKで、しかも2階窓側を指定されました。
11時56分発の「Maxやまびこ112号」(E4系P1編成)にて一気に大宮に抜けます。余裕で通路側の席に座れましたが、郡山で席が全て埋まりました。
つづく
参考サイト 「さいきの駅舎訪問」
2007年9月16日の朝になりました。東横インおなじみの朝食サービスが始まるころに御握りを5個食べ、一連の身支度を終えてチェックアウトします。外は曇りですが、予報では雨と言っていたので、サンクスで傘を買い、青森駅に出ます。
「つがる4号」にも乗れる時間ですけど、8時2分発の568Mに乗車します。701系4連でしたが、発車時間が近づくにつれて高校生で埋まってきました。私は青森市を出ましたが、彼らは矢田前などで下車していきました。
この日の最初の下車は西平内。対面式ホームの無人駅です。障害者福祉センターなつどまりは1.7kmのところにあります。
西平内では雨が降っていました。20分の下車時間の後、8時48分発の567Mで再び青森市へ。701系2連で東青森まで立っていきます。
9時11分に東青森に到着。JR東日本の駅としては無人駅で、ホームから階段を上って自由通路に出ます。左側の建物はJR貨物の駅であり、貨物ターミナルがあります。それでも、以前と比べて縮小されていて、その縮小分に大型ショッピングセンター・ユニバースがあります。ここでは67分あるので、付近にあるぽっぽの湯で朝風呂しました。
朝風呂のあと、10時18分発の570M(701系2連)で矢田前へ。
対面式ホームのみの無人駅。学生のためにあるような駅で、北口からは青森東高校が近く、南口からは青森県立盲学校が近いです。付近にはアパートが多数あります。
矢田前を13分で後にし、569Mで1駅だけ下り、小柳に下車します。
小柳駅は、矢田前駅と同様に対面式ホームのみの(跨線橋なし)無人駅で、住宅地の中の駅です。こちら側(北口)から大きな通りに出るまではアパートが立ち並んでいます。一方、南口は新興住宅地で、少し歩けば田んぼです。この記事の表紙の写真は、ここで撮影されたものです。
小柳で34分下車した後、2590M(701系秋アキN3編成)に終点・浅虫温泉まで乗り、ここで昼食にしました。
2面3線あり、特急停車駅(一部通過)で、駅前に足湯があります。駅前の歩道は道の駅につながっています。温泉街なので、付近にはホテルや旅館が多数あります。
12時19分発の572M(701系2連)にギリギリで間に合い、清水川まで出ます。降りてみると、平成おくのほそ道を歩く会の老人たちが集合していました。
開業当時からのものと思われる、大きな木造駅舎ですが、無人駅となり、事務室部分は閉鎖されています。対面式ホームの駅です。狩場沢と同様、駅から漁港が近いです。
13時4分発の571M(701系2連)で三たび青森市に入り、野内駅を訪問します。
駅舎というものは無く(以前はあったかも知れませんが)、この入り口からダイレクトで島式ホームに至ります。線路の向こうには石油精製工場があります。時間は早いですが、この日最後の訪問駅でした。
48分の滞在の後、女子高生2人とともに14時11分発の574M(701系2連)に乗車し、一路八戸を目指します。つるこまんじゅうを買った後、「はやて24号」(E2系J8編成)で一気に仙台まで南下し、更に1438M(E721系P8編成+P26編成)で雨上がりの長町に出ました。
そこから今宵の宿・道中庵YHを目指します。6年前の記憶を頼りに歩きますが、再開発により道が変わっており、太子堂駅まで駅間徒歩した格好となり、更にペアレントに聞いてやっとたどり着きました。
つづく
陸奥市川から5駅間乗車し、上北町に到着です。
陸奥市川から乗った571Mは、上北町で「スーパー白鳥7号」に抜かれるために中線に入りました。
小川原湖への玄関口で、周辺には温泉がいくつかあり、玉勝温泉は歩いてすぐのところにあります。しかし、36分で折り返しなので、寄る暇が無いのが残念なところ。
13時7分発の571Mにて1駅上り、小川原に足を記します。
対面式ホームの無人駅。道路の向かいに姉戸川温泉がありますが、滞在時間が30分弱しかないため、付近の散策だけです。事前リサーチ不足でした。
13時40分発の573Mにて3駅進みますが、乙供でかなりの下車がありました。すると、駅前ではよさこいのようなものがやっていました。
私のほうはというと、東北本線一の秘境駅・千曳に下車しました。ご覧の通り、対面式ホームのみの無人駅で、森に囲まれています。もちろん駅ありです。51分間の滞在時間を利用して森林浴を楽しんだりします。
駅に戻って雰囲気を味わっている間に年配の女性が2人やってきて、私と一緒に574Mに乗車し、彼女らと一緒に乙供で下車しました。
乙供では「日の本中央たいまつ祭」がやっていました。15時30分頃からはイベントが連続して行われ、ハイライトは恐らく夜になってからでしょうが、見入ってしまうと狩場沢下車どころか、今日中に青森に着けなくなる恐れがあるので早々に引き上げます。
575M到着の少し前に駅に戻ります。木造モルタル駅舎で、ホームは2面2線で中線は事実上使用されていません。
乙供16時4分発の575Mに乗車して17分、狩場沢に到着しました。平成11年に建てられた待合室のみの無人駅で、ホームは2面2線です(中線は事実上使用されていません)。この旅で初めて海端の駅に下車しました。防風林の向こうに住宅地があります。
狩場沢から576Mにて5分、野辺地に足を記します。大湊線との分岐駅で、ホームは3面5線あり、駅舎側のホームからは大湊線の列車が発車します。
ながいもっくるを買った後、17時37分発の「スーパー白鳥21号」(789系HE-302編成+HE-204編成)で一路青森へ。8連で運転されていたにもかかわらず、自由席は驚くほど空いていました。18時4分に青森に降り立つと、外は暗くなっていました。
この日は、東横イン青森駅正面口で1泊しました。
つづく