クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

因美線全駅下車の旅(その17)

2012-05-31 00:07:16 | 陰陽連絡線

那岐駅から681Dに乗車し、物見峠を越えました。因美線を楽しんだ「同業者」で一杯でした。



16時54分に美作河井駅に到着。島式ホームですが交換可能駅ではありません!



駅舎との間に構内踏切(の跡)がありますが、2本の線路は錆び付いています。美作河井駅は、急行砂丘が走りし頃はタブレット交換が行なわれていました!



それでは駅舎の中へ。今は無人化されて券売機などの類もないですが、とにかく木造で、窓口も残っています入口にある写真が郷愁を誘います。



それでは駅舎撮影。昭和6年9月30日開業以来の素晴しい木造駅舎です。背景の山々とよくマッチしています。トイレも同時期の築です。この駅に降り立って因美線全駅下車達成



では、正面を御覧下さい。端正な形のファサードです。脇には鉄道70年記念碑が建っていますが、昭和17年10月4日築です。



駅前は山に囲まれていますが、知和までの一帯は矢筈(やはず)城跡です。



それでは周辺散策。駅前は桜並木となっています。地方道に当たるまで下り坂が続きますが、途中、柿が沢山なっていました。



暫く歩くと、加茂川を渡ります。しかしながら、滞在時間が30分ないので、この辺で駅に戻ります。



出発前に今一度、駅構内の風景を。津山方には転車台がありますが、平成19年4月に発掘されて2年後には近代産業遺産に登録されています。そこに行くには線路を渡るか、道なき道を行かなければなりません。


美作河井駅は、因美線で最高所(標高335m)にあります。旅ノートに記帳し、17時20分発の684D(キハ120 337)に乗車して智頭に戻ります。ボックスに落ち着くと、用瀬のCoopで購入した諏訪娘で打ち上げ。



智頭からは片道乗車券に復帰し、18時発の752D(HOT3508)に乗車して夜の智頭急行を走破。車内は沿線の保育園児の絵画が飾られ、ローカル色満載でした。


その後、山陽本線314M(223系V23編成)に乗り継いではりま勝原駅に降り立って、ジョイフルに入ってカットステーキ定食で夕食。マックスバリューで朝食を買い、3度目の歯磨きをした後、21時26分発の3320M(223系V61編成+W6編成)で大阪へ。



大阪からは23時27分発の急行きたぐに号で新津に帰ります。583系B6編成で、自由席車は可也の混雑でした。



帰りはパン下中段を取りました。腰を伸ばせるほど広く、朝食を取れるほど快適でした


 以上で、因美線駅巡りは終了です。因美線は、素晴しい木造駅舎が多く残され、木造駅舎ファンには垂涎の的だったのは大きな発見でした。また、バラエティーに富んだ車両が走り、眺めていて誠に楽しい路線でした。
 因美線は、智頭を境に運行形態が大きく異なり、誠にダイヤにクセのある路線です。「18きっぷ」で巡ることは難しく、片道乗車券だからこそ威力を発揮できました。今思えば、因美線全駅下車達成出来たのは「きたぐに」のお陰です。


最後までお読みいただきありがとうございます


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因美線全駅下車の旅(その16)

2012-05-28 22:40:22 | 陰陽連絡線

15時20分に土師駅に到着。那岐駅まで駅間徒歩します。



歩き始めて10分ほどで河野神社に到着。因美線全駅下車達成を誓ってきましたが、御神酒を下さってお守りまで頂いちゃいました



河野神社から国道53号に下りると、圃場整備記念碑がありました。旅すると結構見かけるものですが、今ある日本の農地や都市は先人達の開墾の歴史でもあるのですね。



簡易郵便局の交差点で集落道に入ると、吉田亀蔵碑がありました。日本軍で功績を挙げた人の慰霊碑は案外多いものです。



古い家々を通ると、いよいよ那岐駅が近付いてきました。付近の山々は野原古墳があります。



この橋を渡れば那岐駅です。16時15分に到着し、土師駅から50分でした。



それでは駅舎撮影。昭和7年7月1日築の木造駅舎が健在です。診療所が併設されていますが、第2、第4火曜のみの営業です(祭日は休業)。右隣には、昭和7年の開業当時の汲み取り式トイレがあります。背景の山が秀逸です。



駅舎前のミニ庭園には、那岐駅開業50周年記念碑が建てられていました。植え込みがよく手入れされていて秀逸です。



駅舎内部の様子。典型的な木造駅舎のつくりですが、無人駅で窓口がなければ券売機の類もありません。ただ、入口側に本棚が置かれており、利用者なら誰でも読めます。



続いて時刻表も。当駅始発があり、下り7本、上り9本となっていますが、上下とも4時間~5時間の空白時間帯があります。



長い階段を上がりホームに出ると、国鉄時代からの駅名標がありました



では、構内を御覧下さい。交換可能駅で対面式ホーム2面2線の構内ですが、上下互い違いになっており、両ホームは地下道で結ばれています。



そろそろ出発の時間となりました。16時35分発の681D(キハ120 355)に乗車し、因美線最後の未踏破駅に向かいます。


つづく


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因美線全駅下車の旅(その15)

2012-05-26 00:17:51 | 陰陽連絡線

13時9分に用瀬駅に到着。



踏切を渡ってCoopの近くに出ると、国道53号を横断。その後、ひいな橋を渡ると流しびなの館です。



ひいな橋から見る千代川。きれいな川です。確かに雛人形を流せそうです。



流しひなの館に到着。京都の金閣寺をモチーフにした大型木造建築です。入館料は300円ですが、私は障害者手帳を持っていたので無料で入れました。館内は撮影禁止なのでお伝えできないのが残念ですが、様々な時代の雛人形とその造り方や雛あらしの模様などが展示されていて興味深かったです。



観光を終え、駅前の山々を眺めました。左側の尖った山は三角山で、頂上に神社があります。左手には影石城跡があります。ここがあの鳥取砂丘と同じ鳥取市だというのは何だか変な感じです。


Coopで諏訪娘などを買い、駅に戻ってアイスを食べながら休憩。その後、14時41分発の657D(キハ47 165+キハ47 1025)に乗車して智頭へ。



14時54分に智頭駅3番乗り場に到着。しばらくすると、スーパーいなば7号が2番乗り場に入ってきました。



その5分後、キハ120 355が680Dとして2番乗り場に到着。その折り返しとなる、15時13分発の2693Dに乗車。那岐止まりでしたが、私の他にもう1人乗っておりほっとしました。



15時20分に土師駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



それでは駅舎撮影。平成13年2月築の、ヨド物置風の駅舎(?!)です。



待合所内部を御覧下さい。吹きさらしですが、4人掛けのベンチが対面して配置されています。無人駅で、券売機などの類もありません。特急が走ると走らないとで扱いが随分違うものです。



では、駅裏の様子を。広い田畑の向こうには豊かな山林が広がっています。



土師駅は駅前が随分広く、記念樹もあります。そう、現在の物置風の駅舎が建つ前は木造駅舎が建っていたのです。ダイヤの都合上、ここを右折して那岐駅まで駅間徒歩します



しばらくすると、土師川を渡ります。国道53号に出れば、あとは目的地まで南下するのみ。


つづく


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因美線全駅下車の旅(その14)

2012-05-23 23:45:06 | 陰陽連絡線

鷹狩駅から635Dに乗車。



12時40分に因幡社駅に到着。対面式ホームに見えますが、交換設備が撤去されて棒線駅となっており、使われなくなった2番乗り場は自然に還ろうとしています。



それでは駅舎撮影。大正12年6月5日築の木造駅舎が健在です。右隣には開業当時からのトイレが残っています。左側にミニ庭園がありますが、草ぼうぼうです。



駅舎内部へ。床屋併設の駅です。休憩中で施錠されていますが、左側は床屋です。その床屋のオーナーが乗車券販売も行なっており、営業時間は8:30~17:30(月曜休み)です。乗車駅証明書発行機も備え付けられています。鳥取環境大近くのローソンで購入したお握りで昼食タイム。



残り時間で駅前の様子を。因幡社駅は、駅前広場が結構広いです。周辺は住宅地が続いていますが、谷間に国道53号が通る狭い一帯です。借景の洗足山が効果的です。


13時4分発の636D(HOT3503+HOT3502)に乗車して1駅返します。



13時9分に用瀬駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。



構内踏切で止められたので撮り鉄します。間もなくやって来た「スーパーはくと8号」は、あまり写真には現れない貫通型先頭車でやってきました 両開きのポイントだったこともあり、迫力ある走行風景が出来上がりました



駅舎入口にある雛人形。旧用瀬町は「流しひなの里」です。流し雛は旧暦3月3日に行なわれ、男女一対の紙雛を桟俵に載せ、菱餅と桃の小枝を添えて、災厄を託して千代川に流すものだそうです。



一緒に下車したご老人が出発したので駅舎撮影。大正8年12月20日築の木造駅舎で、シルバー人材センター取次所が併設されています。右隣にある水洗トイレで2度目の歯磨き。



それでは駅舎内部へ。荷物扱所跡や窓口のようなものがありますが、無人化されて券売機に置き換えられています。



駅舎内部をさらに見ます。鳥取方に木製のベンチがあり、天井には因美線開通時の写真や流し雛の風景が飾られていました。



折角なので、流しびなの館に行きましょう。用瀬駅前は国道の裏側で、古い町並みが続いています。近くに大善寺、正覚寺があります。


つづく


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因美線全駅下車の旅(その13)

2012-05-21 22:33:06 | 陰陽連絡線

河原駅から633Dに乗車し、八頭町から鳥取市へ。



11時30分に国英駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



633Dが発車してから駅裏の様子を。道路の向こうに柿園が広がっています。



それでは駅舎撮影。開業当時からの木造駅舎ですが、無人化されて半分化されています。トイレはありません。



駅舎内部を紹介します。ただ広い待合室に、ベンチが申し訳程度設けられています。ホーム入口には乗車駅証明書発行機。玄関にある絵画が彩を添えています。



調査終了後、鷹狩駅まで駅間徒歩。駅前の道路は柿木に囲まれ、長閑な雰囲気になっています。



交差点に当たると、あとは国道53号をひたすら南下。10分ほど歩くと、遠藤元一の碑がありました。


住宅地が切れると、因美線と千代川に囲まれた一帯が続きます。この日(2011年10月9日)はポカポカ陽気で、ふと温度計を見ると27℃を指していました。



国英駅を出て30分、醫王山大安興寺の碑がありました。因美線の開通前は、ここに本堂があったのでしょう。



集落に入ると、大安興寺の現在の本堂がありました。ここでお参り。桜の時期はさぞかし風情あるでしょう。



目的地に近付くと、再び稲の天日干しの風景に出会いました。付近のデイリーで缶コーヒーなどを購入しました。



いよいよ鷹狩駅に到着?!片面ホームと待合所(昭和36年7月28日築)の駅です。国道側に出入り口はないので、1つ智頭寄りの踏切から廻ららざるを得ません。



駅舎の向かいには横谷美賀之助顕彰碑。顕彰碑がホームから見える駅はそうないでしょうか。


鷹狩駅に到着したのは12時20分。残り時間が10分となり、ハラハラさせられました。



わずかな時間で缶コーヒーを飲みつつ休憩。ベンチが4人分あり、その横に乗車駅証明書発行機があります。



そろそろ出発の時間となりました。12時30分発の635D(HOT3502+HOT3503)に乗車して次なる駅に進みます。


つづく


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因美線全駅下車の旅(その12)

2012-05-19 00:06:02 | 陰陽連絡線

10時9分に八頭高校前駅に到着。見取図を描いた後、河原駅に向けて出発



八頭高校への入口を過ぎるとすぐ、因久山焼の窯元を通過。間もなく、右に曲がります。



若桜鉄道の踏切を渡ると、稲の天日干しの風景に出会いました。何だか郷愁を感じます。



因美線の踏切を渡ってすぐ、左折して万代寺橋を渡り、八東川を越えます。



東方向に振り返って見れば、因美線の鉄橋。ここに列車が通れば面白いんだけれどね。



少し歩を進めれば、HOT3500形の単行が通過したのではあるまいか ダイヤをよく読みこんでいませんでした。くやし~。



因美線に沿って歩くと、再び稲の天日干しの風景に出会いました。いい米ができるといいですね~。これは、2011年10月9日の
旅行記です。



河原駅に近付いて民家が連続すると、米の収穫作業に出会いました



光線状態の関係で逆向きの写真となりましたが、簡易郵便局の前を通過すると、もうすぐ河原駅です。八頭高校前駅から48分でした。



それでは駅舎撮影。開業当時からと思われる木造駅舎が健在です。木々が繁って、1/250secでの撮影を強いられました。



駅舎の中に入ります。狭い区画にベンチが一列にあるだけです。無人化されて久しく、窓口が閉鎖されています。



窓口跡は、趣ある格子状の仕切りです。その上部には地元の商店や企業の広告が並んでいます。



駅舎横のトイレは、「国中一区 駅前トイレ」です。水洗トイレで、地元有志によってメンテナンスされています。



間もなくやって来た634Dを利用して構内を撮影。ホーム上に乗車駅証明書発行機があります。島式ホームですが、交換設備が撤去されて棒線駅となっています。


11時25分発の633D(HOT3505)に乗車して次なる駅に進みます。先日は、未完成の状態で公開してしまい、すみませんでした。


つづく


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因美線全駅下車の旅(その11)

2012-05-17 00:09:36 | 陰陽連絡線

8時5分に津ノ井駅に到着。片道乗車券のため、13分のみの滞在で後にしました。



行程を半分過ぎたところから国道29号に入ります。しばらくすると、929Dが通過しました。頭が切れましたがね。



目的地まで1kmを切り、キラキラ輝く水景に出会いました。これは、矢中池です。


鳥取市から八頭町に入り、9時22分に東郡家駅に到着しました。



それでは駅舎撮影。昭和31年10月22日築の待合所です。駅裏は住宅地です。



郡家方にある駅入口に進みます。片面ホーム1面のみの構内です。入口にトイレがあり、上の看板は東方15kmにある姫路公園を案内しています。



駅舎に入って少し休憩します。無人駅ですが、5人分のベンチの横に券売機があります。



そろそろ出発の時間となりました。9時53分発の1333D(WT3004=さくら4号)に乗車し、郡家駅に進みました。



9時56分に郡家駅に到着。若桜鉄道と分岐する駅で、2面3線+側線1本の構内です。



構内踏切を渡って駅舎の中へ。みどりの窓口があり、営業時間は6:35~19:20です。それ以外は乗車駅証明書発行機での対応となっています。尚、手前側(鳥取方)に食堂が併設されています。



それでは駅舎撮影。誠に細長い木造駅舎です。先ほど紹介した「みどりの窓口」などの施設は右半分で、左半分は駅事務室となっています。



右手には公衆トイレがありますが、その手前に「神うさぎ」のモニュメントがあります。因幡の白兎のモニュメントをまた1つ見ました。



駅前ロータリーには古井喜實(ふるいよしみ)氏の像が建っています。戦後に衆議院議員を11期務め、法務大臣も務められた、八頭郡国仲村出身の名士でした。


翌々考えた末に「さくら4号」に復帰し、100円払って若桜鉄道に乗りました。



10時9分に八頭高校前駅に到着。片面ホーム1面のみの無人駅です。



駅裏は八頭高校の校舎。そう、若桜線から若桜鉄道になった後、八頭高校生の通学のために設けられた駅なのです。


長椅子で見取り図を描いた後、河原駅に向けて歩き出しました。


つづく


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因美線全駅下車の旅(その10)

2012-05-14 22:33:08 | 陰陽連絡線

 2011年10月9日(日)の朝となりました。6:50に起床。お握りとサラダなどの朝食をとり、7:40にチェックアウト。この日は因美線の全駅下車を果たす予定です。



ほどなくして鳥取駅に到着。出発する前に駅前のモニュメントを。因幡といえば白兎です。



鳥取駅は高架駅です。9年前に訪問したことがありますが、何時の間にか雁木が設けられていたのですね。



お土産を購入し、片道乗車券で帰ります。往復とも同じ経路なので、JR線は1割引です。



鳥取駅の最大のチャームポイントは、架線のない高架ターミナルです。このタイプの駅は、他には高知駅しかありません。旧首都圏色のキハ47が並ぶさまは壮観です。



8時ちょうど発の因美線631D(HOT3502+HOT3503)で出発。部活の高校生などが多く乗り込んでいました。



8時5分に津ノ井駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。鳥取工高最寄り駅ということで、高校生が多数下車しました。



構内踏切を渡って駅舎の中へ。委託ながらも駅員が配置され、窓口営業時間は7:00~16:35(土曜、祭日は16:00)です。日曜日が休みなので、この日は無人駅となっていました。乗車駅証明書発行機が設けられています。尚、この駅は、平成6年6月10日から委託駅となっています。



続いて時刻表も。若桜鉄道の列車も停車し、下り20本、上り19本と賑やかとなっています。



それでは駅舎撮影。昭和18年12月21日築の、コンパクトな木造駅舎です。右側に水洗トイレがあります。



折角の木造駅舎ですが、片道乗車券のため、隣駅に向けて出発します。津ノ井駅には嘗て貨物を扱っていたと思われる側線があります。鳥取の郊外に位置し、駅裏はアパートが並んでいます。



行程の前半は、風力発電の風車を見ながら進みます。途中、「スーパーいなば」と行き違いました。



行程の5分の2に位置するローソンで、昼食用のお握りなどを調達しました。鳥取環境大への入口にあたります。


つづく


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因美線全駅下車の旅(その9)

2012-05-11 21:34:51 | 陰陽連絡線

高野駅から684Dに乗車。結構混雑しており、おばさんの前に座らせてもらいました。



17時14分に知和駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。相席になったおばさんも下車しました。駅裏は杉林です。



いきなり知和駅最大のアイテムを紹介します。それは、素晴しい木製の改札です。背を縮めれば、駅前を一望できます。



それでは駅舎撮影。昭和6年9月30日築の、素晴しい木造駅舎です。木製のサッシも感動です。「2011 レトロ駅舎スタンプラリー」に載ってなかったのが惜しいです。別棟に水洗トイレがあります。



駅舎内部も紹介します。無人化されて久しいですが、残ったアイテムも感動モノで、木製の荷物扱い所や窓口の跡が健在です



それでは周辺散策。駅前の道路は舗装されています。付近はちょっとした住宅地となっています。正面の山肌には㈱坂本工業 加茂工場があり、電気が赤々と点いていました。



日が沈む前に、駅前の風景をどんどん撮影します。智頭方を望むと、山肌が削られた山がありますね。



すると、コスモスとモミの木の風景に出会いました。いよいよ撮影条件が厳しくなったので、駅に戻ります。


駅に戻って電気がつくと、持参の大洋盛で乾杯。そして、相生駅で買ったパンなどで夕食。その後は旅ノートを読んだり書き込みしたりして時間を潰します。



折角なので、知和駅の時刻表を紹介します。上りが5本、下りが6本です。なぜ上りと下りでは本数が異なるかというと、2往復の快速のうち下り1本が停車するからです。


18時43分発の686D(キハ120 334)で智頭に出た後、19時31分発の特急スーパーはくと11号(HOT7011+HOT7034+HOT7041+HOT7052+HOT7004)で鳥取へ。自由席に乗車しましたが、2席ゲット出来ました。



19時59分に鳥取駅に到着。これにて往路の片道乗車券は使用終了。壮絶な旅の記念が出来上がりました


この夜は東横インで一泊。この日は山陽本線内の4駅を巡った後、因美線の岡山県側の駅を巡りました。鳥取県側は明日にします。


つづく


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因美線全駅下車の旅(その8)

2012-05-08 23:08:38 | 陰陽連絡線

三浦駅から歩くこと55分、美作加茂駅に到着。



それでは駅前の様子を。民家が立ち並び、石垣の上に柿木がありました。



しばらく休んでいると、どこからか可愛いバスがやってきました。コミュニティーバスですが、路線バス代替でこのタイプのバスが入るケースが実に多いです。



ホームに上がると、津山方に木造のランプ小屋を発見しました。ランプ小屋といえば煉瓦造りが普通ですが、木造トタン造りは初めて見ました。



そうこするうちに、津山からの1682Dが2番乗り場に到着しました。申し遅れましたが、美作加茂駅は対面式ホーム2面2線+側線1本の構内です。



構内踏切を渡って2番乗り場に行くと、黄金色の大地が広がっていました。その向こうにはコメリがあります。駅裏に郊外型店舗が建っているケースが実に多いですね。


15時53分発の1679D(キハ120 338)に乗車して津山方面へ。美作加茂始発ですが、私の他にもう1人乗っておりほっとしました。



16時12分に高野駅に到着。一見すると対面式ホーム2面2線に見えますが、交換設備が撤去されて棒線化されています。



鳥取方に行くと、構内踏切の跡が残っていました。2本の線路が朽ちるままに残っていることから、高野駅は嘗ては2面3線の構内だったことがわかります。ところで、駅裏は典型的な日本の風景です。



それでは駅舎撮影。昭和3年3月30日築の、細長い木造駅舎です。トイレは右手にあり、昭和29年11月15日築です。



中の様子もお見せします。待合室は広めで、壁伝いに木製のベンチが設えられています。無人化されて窓口などが閉鎖されて久しく、券売機などの類もありません。しかし、利用者などが入れるのはこの一角だけで、残り5分の3の区画は立ち入れなくなっています。



それでは周辺散策。駅前は広く、津山近郊の古い住宅地が広がっています。



国道53号を横断し、加茂川を体感します。随分大きな中洲です。



渡った先はまとまった住宅地になっており、柿もたわわになっていました。これは、2011年10月8日の旅行記です。諸事情により、UPが春までずれこみましてスミマセン。


駅舎に戻ると、どこからか迎えの中年女性がやってきました。16時50分発の684D(キハ120 335)に乗車し、この日最後の下車駅に向かいます。


つづく


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