クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

キハ110系尽くしの旅(その2)

2008-04-26 09:35:16 | 羽越本線

羽前前波から161Dにて9分、陸羽西線唯一の交換可能駅・古口に到着です。



古口駅は戸沢村の中心駅で、開業当時からの木造駅舎です。窓口の営業時間は6:00~15:00で、入り口寄りにはギャラリーがあります。


古口での滞在時間は69分。とりあえず、船着場にあたる和風の建物を訪問しましたが、今回は川下りの計画がないので、写真展を見て、ラ・フランスジュースを2本購入して終わりにしました。その後、打ち上げ用の最上川を購入し、駅舎内で歯磨きしました。


 自動放送に驚きながらも、14時36分発の163Dに乗車し狩川へ。



大正2年11月築の木造駅舎が今尚現役で喜ばしいです。委託駅となっており、私が下車したときにちょうど営業を終了しました。


 もともと交換可能駅でしたが、棒線化されて久しいです。



狩川での滞在時間は80分。風車の見える方向に向けてひたすら歩き続けます。旧立川町はとにかく風車が多いです。陸羽西線の運行上のネックとなる強風地帯なのでしょう。


 
30分くらい歩いて風車の根元までやってきました。㈱たちかわ風力発電研究所は全然違うところにあります。


 狩川散策の締めくくりに見龍寺に寄り道


無人になった木造駅舎で少し休息した後、16時13分発の162Dに乗車して隣駅に下車すれば、陸羽西線全駅下車達成です。



陸羽西線の最後の訪問駅となった清川駅は、升形駅と同様、平成12年3月18日築の簡易駅舎の無人駅で、交換設備が撤去されています。


待合室で打ち上げといきたいところですが、待合室はタバコ臭く、滞在時間は30分なので周辺を散策して終わりにしました。たまたま流れてきた自動放送を録音し、16時47分発の165Dで酒田方面に抜けました。長距離客を中心にほどほどの乗車率だったので、「つばさ」から乗り継いだ女性の所にお邪魔させてもらいました。



調査の都合上、砂越乗り継ぎを選択します。木造駅舎はあの時と何ら変わってません。ちょうど窓口の営業時間が終了したところです。


 跨線橋は真新しいものに変わっていました。


17時30分発の832Dに乗り継げば、あとは新津に帰還するのみです。鶴岡を出てから、最上川でささやかな打ち上げ。


おわり
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キハ110系尽くしの旅(その1)

2008-04-20 20:20:01 | 羽越本線


これから、2008年3月20日の陸羽西線駅巡り旅行について記します。陸羽西線全駅下車達成の帰りに砂越駅を再訪してますので、「羽越本線」のカテゴリーで投稿させていただきます。


おおさか東線全駅下車からわずか5日、「青春18」を使って北へ出かけました。出発は新津6時15分発の羽越本線823Dで。キハ110系2両編成で、今回の旅で使った列車は、色こそ違えども全てこれ。今回は海側のボックスを独占。村上で高校生の乗降を終えた後、月桂冠の上撰カップで早速一杯やります。余目で下車し、陸羽西線154Dに乗り継ぎました。



最初の下車駅は高屋。のような木造駅舎がありますが、片面ホームのみの無人駅です。右端の跨線橋は最上川スキー場につながっていましたが、同スキー場は既に営業をやめており、雪で閉鎖されています。



高屋駅から歩いて数分で仙人堂への船着場があり、電話すれば船が来てくれますが、持ち時間が44分しかないため、残念ながらまたの機会に持越しです。


火の気のない待合室で少し休んだ後、10時17分発の156Dで新庄方面へ。高屋で乗ったのは私1人。



次の下車駅は升形。平成12年3月18日築の無人駅です。もともとは交換設備がありましたが、駅舎側の線を除雪車の出入庫用にしたため棒線駅と化しています。


11時9分発の159Dで一気に庄内平野へ戻ります。ボックスが空いていたので、昨夜ウオロクで購入したアップルパイで昼食です。(普段は買わないので旅行だけの贅沢)



11時45分に南野に到着。片面ホームと大きな待合室のみの無人駅です。駅前にちょっとした集落があるほかは、大庄内の稲作地帯です。この区間が運行上のネックになったりします。


 待合室内の落書き


 駅前の道路は狭く、Uターンは絶対無理です。


12時7分発の158Dにて最上川を上りますが、車内は部活の中高生が多く、若干華やかな雰囲気です。



12時38分に羽前前波に到着です。高台に位置する駅で、昭和41年1月築の待合室と片面ホームのみの無人駅です。


 
前波集落です。新庄市内ということで雪が多いです。ちなみに、ドコモは圏外です。


 羽前前波には40分滞在し、13時18分発の161Dにて2駅戻ります。


つづく

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2008年3月15日ダイヤ改正 新潟版

2008-04-16 22:25:20 | 新潟の鉄道

ここでは、駅巡りから離れて、新潟地区の列車運用の話をします。

 おおさか東線の開業、「銀河」や「なは」「あかつき」の廃止などがあった2008年3月15日のダイヤ改正。新潟地区では、そう大きな変化がなかったですが、上越新幹線の編成変更(1347CがE4系から200系に変更され、353Cが200系からE4系に変更される)や在来線でのダイヤ修正がありました。この中から、夕刻の磐越西線の車両運用や時刻の変更について取り上げます。混雑の激しい2238Dが3両から4両に増強された一方、2236Dが4両から3両に減車され、2235Dも5両から3両に減車されました。


<改正前>
 2007.9.1撮影
新津15時54分発の2235Dです。これは津川始発ですが、亀田で大量の学生を乗せるため、キハ40系・47系・(48系)の5両でした。16時17分に新潟に到着した後、白山方の引込線で、2238Dになる3両編成と2240Dの後ろの編成となる2両編成に分かれました。


 2008.2.17撮影
新潟16時22分発の2236Dの馬下行きです。米坂線で運用されてきたキハ52+キハ40・47の2連(キハ58+28)+キハ40・47の2連で、新津から回送されて16時ちょうどに新潟駅1番線に入線しました。平日の乗客は、学生が中心だったと思われます。馬下到着後、すぐに2239D(新津18時発)で新潟へ折り返し、その後、2244D(新潟20時42分発の馬下行き)~2247Dと運用されました。


 2008.2.11撮影
新潟17時36分発の2238D馬下行きです。前述の通りキハ40・47の3連ですが、「定時」に終わった社会人や、専門学校生&大学生の帰宅時間帯にあたり、高校生もかなりいるので、17時25分頃に入線すると仁義なき席取り戦争が繰り広げられました。出発直線の車内は、山手線並みとはいかないものの、相当な混雑ぶりを呈していました。馬下到着後、すぐに2241Dで新津に折り返し(20時1分着)、20時26分発の837Dで鼠ヶ関まで足を延ばして一日の運用を終えました。


<改正後>
 2008.4.5撮影
16時ちょうどに新潟駅4番線に到着した回送列車。これまで通り新津からの送り込みですが、キハ52系(もしくはキハ58系)・40系・47系の6連となっています。改正前と違うところは、このまま白山方の引込線に入り、2238Dになる4連と2240Dの後編成になる2連に分かれます。


 2008.4.5撮影
16時17分に新潟駅6番線に到着した2235Dです。キハ40・47系の3両編成に減車されており、折り返して16時22分発の2236Dとなります。その折り返しの2239Dは新津終着となり、451Mに接続となります。


 2008.4.5撮影
新潟17時38分発の2238Dです。編成は、キハ40系・47系の3連からキハ40系・47系・52系(58系)の4連に増強され、混雑もいくぶん緩和されています。入線時間の方も早まり、17時25分から17時12分(1554Mの到着と同時)に変更されています。


新潟地区の在来線で目立った変化は以上です。2240Dは、キハ40系・47系の4連で変化はありません。次は、陸羽西線全駅下車記について取り上げます。

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青海川駅&荒浜駅訪問記  Vol.2

2008-04-13 18:35:58 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

中越沖地震により駅舎が損壊し、仮駅舎での営業を強いられていた、青海川駅と荒浜駅の新駅舎が3月25日に完成したので(財産票による)、4月12日に「えちごツーデーきっぷ」を使って訪問しました。


出発は新津8時8分発の特急北越2号(485系R23編成)で。先行の426Mが運休となったので、長岡までは特急券不要で乗れました。



長岡で1332M(115系N17編成)に乗り継ぎ、青海川を訪問しました。㈱第一建設工業の手で建設され、3月23日に使用開始となりました。待合室には駅が2冊もあり、新駅舎完成の記事が貼り付けられていました。


 
側面から見た駅舎です。柏崎方から待合室、トイレ、機械室(?)の順に並んでいます。


 
笠島方では法面工事が行なわれており、信越線はその区間だけ「徐行45」です。中越沖地震で大崩落した箇所です。


青海川での滞在時間は1時間。駅舎調査をしつつ、周辺の桜を見て歩きます。「日本一海が近い駅」とのキャッチフレーズをもち、TBSドラマ「高校教師」の舞台となっていたことから、車で乗り付けて記念撮影をしていく連中もおりました。



475系の調査のため、青海川11時15分発の1334M(115系S1編成)に乗車し、一旦直江津まで足を伸ばしました。



の475系A23編成を撮影する直前、快速高田お花見号がやってきました。485系R21編成+3086ユニットの8連ですが、3両ある自由席は立客が発生するほどの盛況でした。


直江津には2時間半も滞在し、14時29分発の1339M(115系N32編成)で再び海岸線を辿り柏崎へ。高田お花見帰りのおばさまと相席になりました。沿線は桜が満開でした。



柏崎で159M(115系N31編成)に乗り継ぎ、荒浜にやってきました。先ほどの青海川と同じく、㈱第一建設工業の施工で建設されました。通路を挟んで左側(吉田方)が待合室で、右側(柏崎方)が水洗トイレです。



荒浜で1時間くらい滞在し、16時38分発の146M(115系S2編成)で東柏崎を再訪しました。駅舎は昭和28年11月築です。



駅構内は一見して対面式ホームを有し、出発・場内信号及び遠方信号機も残っているように見えますが、向かい側のホーム(常盤高校側)は使用されておらず、事実上棒線駅と化しています。


 羽森神社を訪問します。被災地にも春がやってきました。


常盤高校の生徒と一緒に165M(115系S2編成)に乗車して越後線を走破して新潟を経由し、240Dで新津に帰りました。

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2008年春の青春18・最後の1回(その2)

2008-04-08 22:45:27 | 信州地区


ヤナバスキー場前駅での滞在時間は30分。近くに仁科三湖の1つ・青木湖があるので、滞在時間の大半を使って佇んでいました。道路から湖面まではかなりの高さがあります。清冽な水を湛えた湖は、やはりいいですね。



駅周辺には道祖神が何体も見られます。信州を旅したなと実感できた瞬間でした。


14時17分発の1329Mにて1駅北上します。大糸線の普通列車の中では異例の115系(N22編成)で車掌が乗務しており、3両目の後ろ半分は荷物車でした。推定標高825mのヤナバスキー場前を出ると、南神城まで6分かけて一山分下っていきます。



JR東日本最西端の駅・南神城に到着です。片面ホームと待合室のみの無人駅です。この駅の標高は769mです。


駅舎を調査した後、隣の神城まで駅間徒歩です。R148に出ればあとは神城駅入り口まで道なりです。途中の温度計を見ると、何と2℃を指していました。道理で寒いなと思ったら。途中のセブンイレブンで白馬錦を購入しながらも、40分で神城駅に到着しました。到着地の標高が746.2mなので、この駅間徒歩だけでも23m弱下ったことになります。



長野五輪直前の平成9年12月に改築された合築駅舎です。営業形態は委託駅で、窓口の手前にある登山補導所のおばさまが暇そうにしていました。集計が正しければ、私にとってジャスト1600番目の訪問駅です。


神城駅は交換設備を有しており、ホームは対面式です。15時36分発の1337Mにて簗場に上ります。1332Mの折り返しの115系で、車掌が乗務していました。



15時48分に簗場に到着です。交換設備を有して、対面式ホームがあります。しかし、肝心な駅のほうはというと、平成16年12月に完成したログハウスの無人駅です。



簗場では1時間の滞在。大糸線のサミット(827m)にあたる、火の気のない駅でじっとしてると風邪を引くので、たっぷりと周辺散策します。さて、仁科三湖の1つ・中綱湖にかかる橋を渡りしばらく民宿街を進むと、サンアルピナ鹿島槍スキー場に出ます。一部営業ながらも何とか営業していました。(ただし、ナイター営業は無しで、16:30営業終了)



帰りに中綱湖に立ち寄ります。湖畔でコーヒーを片手に佇みましたが、寒風が吹き抜け長時間は無理でした。あの時に厚手の帽子を忘れたことが悔やまれます。


 
簗場16時48分発の331M(E127系A3編成)で白馬に戻り、夕食タイムです。


土産物を買ったら、あとは新潟まで乗り継ぐのみです。併設の足湯が17時に営業を終了し、キオスクが18時に閉店すると、白馬駅といえども寂しくなります。18時16分発の1341M(E127系A12編成)に乗車し、南小谷で435D(キハ52 125)に乗り継いで、一気に日本海へ出ました。糸魚川からは普通列車乗り継ぎを選択し、20時33分発の557M(419系D01編成)に乗車し、信越本線1357M(115系N4編成)、同465M(E127系V7編成+V11編成)と乗り継ぎました。新津に帰還したのは、23時55分でした。


おわり

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2008年春の青春18・最後の1回(その1)

2008-04-06 21:28:14 | 信州地区
これより2回にわたって、2008年春の青春18・最後の旅についてお伝えします。


2008年3月29日土曜日。上空に寒気が入り、雨がぱらつく天気。平日とほぼ変わらない時間帯の、新津7時4分発の信越本線426M(115系L8編成+N20編成)にて旅立ちます。長岡からは1330M(115系N18編成)に、直江津からは北陸本線544M(419系D05編成)に乗り継ぎました。


 2007年7月8日撮影 (現在はHMなし)
糸魚川からは大糸線。426D(キハ52 125)で山を上ります。車内はかなりの混雑で、福井から来た女性と相席。北小谷~中土間では、走行音を録音しました。



高度を513mにまで上げ、11時43分に南小谷に到着しました。14分の乗り継ぎ時間を利用して、駅舎を撮影します。電化区間と非電化区間との境界駅とあって、構内は2面3線です。この駅の名物は、瓦葺の案内板です。


11時57分発の328M(E127系A3編成)に乗り継ぎ、更に高度を上げていきます。白馬大池~信濃森上間は急勾配が連続し、高度は一気に93mも上がります。



白馬には12時15分に到着です。駅舎を撮影し、ざっと周辺を観察します。駅前にはマックをはじめ食堂がいくつかあり、この日の夕食場所に決定です。尚、構内は2面3線で、発メロもあります。


328Mは白馬に10分停車するので、周辺調査を終えた後にA3編成に舞い戻り、信濃大町方面に進みます。



12時29分に飯森に到着し、ここで10分の下車時間を確保しました。片面ホームと待合室のみの無人駅ですが、どうせ神城で交換ということで328Mは2分ほど停車しました。


 
付近に白馬五竜スキー場があり、周辺はスキー宿が多いです。


12時39分発の327M(E127系A4編成)で来た道を戻ります。7分ほどで信濃森上に到着です。



信濃森上駅の駅舎は、今年1月に竣工した、単通路1本と待合室のみの、寒々しい無人駅です。この駅には交換設備があり、入線放送も存在します。尚、この駅の標高は687mです。



ホームから駅前に抜ける通路には、旧駅舎時代の駅名板や運賃表、時刻表、除雪道具が揃っています。大糸線の信濃大町以北の普通列車は、1往復を除いてワンマン運転(E127系)です。


40分ほどの滞在時間を利用して周辺を散策します。駅前に「NAGANO 1998」という看板がありましたが、長野オリンピック閉幕して10年、周辺は相当寂れていました。待合室で萬寿鏡を投入し、13時27分発の327M(E127系A4編成)に乗車して、この日の旅の最大のポイントである臨時駅を目指します。南下するにつれて高度をぐんぐんと上げ、南神城を出てからは再び急勾配となり、白馬さのさかスキー場が家族連れなどで賑わっているのを目撃しました。



13時47分にヤナバスキー場前に到着です。この駅の営業期間が冬季(12月21日~3月30日)なので、この日に青春18を使って大糸線駅巡りを敢行した最大の理由はコレでした。地下道を通ったところにヤナバスキー場があり、スノボを持った若者が何人か327Mに乗車しました。


つづく
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大糸線紅葉の旅

2008-04-04 22:41:40 | 信州地区

時は進んで、2007年11月4日(土)の乗り継ぎ旅行についてお伝えします。使用したのは、「えちごツーデーきっぷ」と普通乗車券です。

出発は、平日とほとんど変わらない、新津7時4分発の426M(115系L7編成+N29編成)で。天気はで行楽日和です。長岡で1330M(115系N32編成)に乗り継ぎました。



直江津からはえちごツーデーの範囲外。普通乗車券を買い、北陸本線544M(419系D14編成)に乗り継いで糸魚川へ。


 2007年7月8日撮影
糸魚川からは10時43分発の大糸線426D(キハ52 156)で南小谷へ。車内は、相変わらず結構な混雑でしたが、小滝で1人の同業者が下車し、ボックス独占を果たしました。



南小谷到着後、328M(E127系A8編成)に乗り継いで千国に降り立ちました。無人駅です。待合室には老人が1人居座っていました。



千国駅は既に棒線化されており、反対側のホームは廃止され、線路は剥がされました。行き違い設備が廃止されたのは、つい最近だと思われます。(2008年3月29日 328M車内から撮影)


彼が列車に乗るそぶりを見せないので、調査はそこそこにし、隣の白馬大池まで駅間徒歩を敢行します。



千国駅を出てしばらくすると、小さな川を渡ります。その橋は、戦時中に中島武氏の創意により建設された、世界最初の鉄筋コンクリート・ローゼ桁の一群の橋です。平成14年に土木遺産に指定されています。



中間点からは国道148号を歩きます。沿線は紅葉が盛りです。上りの片勾配でしたが、快晴なので歩いていて気持ちよかったです。



12時50分ころに白馬大池駅に到着しました。一応、栂池高原の最寄り駅と銘打っているだけあって、結構大きなコンクリート駅舎ですが、片面ホームのみの無人駅です。この駅の標高は594mです。隣の千国駅の標高が540mなので、3.4kmの駅間徒歩で、実に54mも上ったことになります。



ほくほく線タイプの入線音を録音し、13時5分発の327M(E127系A7編成)にて南小谷に戻り、さらに429D(キハ52 115)に乗り継いで糸魚川まで下りました。


糸魚川で小休止を挟んだ後、北陸本線547M(419系D09編成)と「快速くびき野5号」(485系T15編成)で新津に帰りました。

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北陸線全駅下車達成の先にあるものとは

2008-04-01 22:29:28 | 信州地区
時間軸を戻して、2005年4月1日金曜日の乗り継ぎ旅行について記します。かなり昔の旅行なので、編成などのデータがほとんど残っていませんが、記憶の及ぶ範囲でアップします。


3月27日まで愛知万博旅行を実行し、北陸線の駅を8駅めぐり、北陸線全駅下車のマジックは2になりました。少し物足りなさを感じながら中4日を過ごし、エイプリルフールに全駅下車達成を目指して「青春18」の最後の1回を使いました。天気はでした。出発は、始発列車の信越本線420Mで。長岡で1324Mに、直江津538Mで順調に乗り継いでいきました。



8時42分に浦本に到着しました。無人駅となっていましたが、昭和25年築の木造駅舎が残る駅です。(訪問時に撮影した写真は逆行で使い物にならないので、後日の正午に撮影したもので代用)駅舎から一段高いところに対面式ホームがあり、上下それぞれの接近表示機から「アニーローリー」が流れます


538Mが糸魚川にて折り返した419系(531M)で一駅戻りました。



浦本から4分ほどで能生に降り立ち、北陸線全駅下車達成しました 構内は2面4線で、上下其々に待避線があります。旧能生町の中心駅ということで、「北越」が停車していた時期もありました。 


能生に1時間ほど滞在した後、544Mで糸魚川に向かい、大糸線426Dに乗り継ぎました。北陸方面から信州へと抜ける「青春18」のルートに当たり、車内は結構混雑していました。



長野県まで抜け、南小谷の1つ手前の中土に下車。当時は線路は3本ありましたが、列車の交換は行なわれなかったと記憶しています。駅前はかなり狭いです。


南小谷で折り返してきた427Dにて新潟県に戻りました。この車内も長距離客が多く、金沢へ向かう途中の彼女と相席になりました。



30分弱で小滝に下車。昭和10年築の木造駅舎を有する無人駅ですが、付近に人家は無く、うっしーさんのサイトに載るレベルの秘境駅です。当時は交換設備のようなものがありましたが、事実上棒線駅です。


427Dと根知で交換した428Dに乗車して、再び長野県に入りました。



大糸線3つ目の下車駅は北小谷。この駅も交換設備が撤去されたものと思われます。通過線がありましたが、臨時列車がなくなった現在は取り払われています。風吹大池、風吹岳の下車駅です。


北小谷駅から川を渡ると、道の駅・おたりがあります。ここで少し休憩し、429Dで再び県境を越え、姫川まで乗車しました。



姫川は大糸線で最も新しい駅(昭和61年11月開業)で、待合室と片面ホームのみの無人駅です。向かいに姫川病院がありましたが、2007年6月末に閉院された模様です。

姫川から頸城大野までは約2kmの駅間徒歩です。ぽかぽか陽気で気持ちよかったです。



昭和9年の開業当時からの木造駅舎(無人駅)が私を待っていました。この駅も棒線駅です。



頸城大野から430Dに乗車して平岩に足を記しました。昭和38年築のコンクリート駅舎を有しますが無人化されています。構内は当時、1面3線だったと記憶していますが、現在は交換は行なわれずに棒線化されています。糸魚川の奥座敷・姫川温泉への下車駅です。また、蓮華温泉の最寄り駅でもあり、シーズンともなればシャトルバスがアクセスしており、登山者風の人も多数乗降します。



平岩から431Dに乗車して今回最後の下車駅・根知へ。昭和9年11月の開業当時の木造駅舎が残る無人駅です。対面式ホームを有し、糸魚川~南小谷間で唯一の交換可能駅となっています。付近にフォッサマグナパークがあります。


日が暮れなずんだ頃に平岩始発の433Dに乗車して大糸線の旅を終え、糸魚川からストレートに乗り継いで新津に帰りました。新津に着いたのは22時前でした。


おわり


参考サイト   さいきの駅舎訪問
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