クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

2009年上半期の8連いなほ

2009-04-30 22:44:34 | 新潟の鉄道

 ここで、2009年正月休み明けからGWにかけての「8連いなほ」の話をします。これまでは「羽越本線」のカテゴリーに入れましたが、ここでは「高田お花見号」も掲載しているので、「新潟の鉄道」に入れておきます。
 2008年暮れからの「8連いなほ」が1月5日の「いなほ8号」で終了したのは前回説明した通りですが、その後の新潟の485系の8連の期間は次の通りです。
①新潟大学2次試験受験生輸送(2月24~25日と26日~27日)
②「高田お花見号」&4月中旬~下旬の修学旅行輸送から2009年GWの「いなほ7号&8号」

 それでは、2009年上半期の新潟車両センター485系の8連について見てみましょう。



1.2009年2月下旬
  2月24日  新潟駅
 正月明け最初の「8連いなほ」は、新潟大学の2次試験輸送の関係で設定されました。2月24日の2011M~25日の2004M、27日の2009M~28日の2006Mにて運用されました。編成は、2008年の暮れと同様にR21でした。大学のない庄内地区の高校生にとって新潟大学は最も近い総合大学なので、進路指導の先生方も強く薦ているからでしょう。


その後、R21編成はMM’3086ユニットが抜かれて元に戻りました。3月14日のダイヤ改正で運用ががらりと変わり、R21編成は月末から全般検査に入ったようです。



2.高田お花見号
  4月4日 見附駅
今年も「高田お花見号」の季節がやってきました。4月3~5日、10~12日、17~19日に運転され、10~12日に満開を迎えました。このGWの「8連いなほ」の編成が決まる臨時列車でもあり、今回はR22が充当しました。



3.4月中旬~下旬の「8連いなほ」
 4月中旬から下旬にかけては中学校の修学旅行が目白押しで、「高田お花見号」で使用されたR22編成(8B)は、3086ユニットが抜かれることなく、庄内地区の中学生達の修学旅行輸送にあたりました。期間は4月14日~15日と24日~25日で、「いなほ9号」に入った翌日に「いなほ4号」で帰る行路が組まれました。では、24日から25日にかけての模様を見てみましょう。



24日は「いなほ9号」として酒田へ向けて出発しました。写真は豊栄発車時のものですが、TDL帰りの中学生で2両分以上貸し切られており、指定席は満席でした。



翌25日は「いなほ4号」で運用された後、新潟車両センターに入区しました。この日に出発した学校は無かったと思われますが、自由席は所定通り3両(6~8号車)でした。


昨年(2008年)は4月29日の「いなほ7号」~30日の「いなほ8号」にも設定がありましたが、今年はプレリリース通りに5月2日の「いなほ7号」~7日の「いなほ8号」の見込みです。

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2009年春の青春18・最後の1回(その4)

2009-04-27 22:48:56 | 首都圏地区
佐野城跡は、入ってすぐの所に施設があるだけで、あとは東屋と広場です。ぽかぽか陽気も手伝って、散策している人や走り回っている子供達を多数見かけました。桜の満開が近いということもあり、沿道には無数の雪洞が下がっていました。



起伏の激しい地形を10分程度散策し、最北端にやってきました。眼下には佐野の町並みが広がってます。


入口に戻って説明を見ると、衝撃的な事が記されてました。佐野城は、1607年に佐野信吉によって日の目を見ましたが、わずか7年後の1614年に氏が改易させられて廃城になっています。佐野城は、あれだけの恵まれた地形につくられながらも、幕府の都合によってわずか7年で廃城なのだから、人々の記憶にも残らず、誠に勿体無い城だと言えます。


このあたりから旅は強風の影響を受け始め、14時25分発の456M(211系A37編成)も2~3分遅れていました。



14時31分に富田駅に到着。平成11年3月12日竣工の駅舎を有する駅で、窓口営業時間は8:00~11:30、13:25~17:25です。付近には白鴎大足利高校富田キャンパスがあり、学生の利用が多そう。



筑波山神社で両毛線全駅下車達成を誓った後、踏切を越えて周辺散策。すると、東陽院という寺院の入口に大きな黒松を見つけました。本日は彼岸ですが、ここに先祖が眠っているわけではないので、用を足すだけ。



東陽院から少し奥に行くと、昔ながらの酒蔵を見つけました。中村酒造といいますが、酒造店は閉まってました。



散策から戻ると、455Mが遅れて到着。申し遅れましたが、富田駅の構内は2面2線です。以前は2面3線でした。


入線音を録音し、15時5分発の458M(115系T1039編成)にて足利駅へ。この列車も2分程度遅れてました。



15時15分に足利駅に到着。もともと2面3線でしたが、中線(副本線)が撤去されて2番線は柵で仕切られています。



改札を抜けて駅舎に出ました。昭和8年築の、セセッションの影響も見られるファザードをもつ駅舎です。橋上駅舎化の計画が持ち上がっており、この気持ちの良い駅舎を見るのは今のうちです。



北口の駅舎前にはEF60 123が保存されています。特定の休日には公開されるそうですが、如何せん保存状態が悪すぎ。復活運転を考えているならば、まめにメンテナンスしなければ駄目です。


駅前にはセルフさぬきうどんのチェーン店がありますが、滞在時間が35分しかないため、ここは我慢して市街地をぶらぶら。また、駅から400mのところに足利学校がありますが、水戸線の駅も巡ってしまったために観光する時間がないのが痛いところです。



折角なので、南口も訪問します。このように簡単な入口ですが、駅前に白鴎大足利高校があります。尚、南口にも窓口がありますが、営業時間は7:25~18:30です。


高校生が集まる中、15時50分発の460M(211系A25編成)に乗車し、両毛線全駅下車達成を目指します。尚、学生時代に下車したことのある山前、小俣、桐生の3駅はパスします。


つづく


参考文献  杉原行恭 『駅舎再発見』
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2009年春の青春18・最後の1回(その3)

2009-04-25 11:21:36 | 首都圏地区


駅舎から大平山方面へ少し散策。駅裏は、山の麓に葡萄園が2つもある長閑な光景です。尚、案内板にもあった太平山は、この山(中山)の一山向こうです。本日は天気が目まぐるしく変わる1日で、後半はで旅行日和です。



449Mが出発した後、あのブラジル人集団が居なくなったので、やっと駅調査開始。駅舎は高台にあり、平成10年改築の小さな駅舎です。無人駅で、窓口はシャッターが下りています。隣接するは、明治27年築と古いタイプです。


栃木駅で449Mと交換した、12時45分発の452M(115系T1091編成)に乗車して、大平下を後にしました。



12時50分に岩舟駅に到着。交換可能駅で、2面3線の構内を有します。



跨線橋を渡り、駅舎に出ました。財産票は「昭和11年12月」ですが、平成18年3月にリニューアルされた上にコンパクト化されています。また、窓口が閉鎖されて無人駅となっています。尚、礎石には岩舟石が使用されているようです。


私はこれまで何度か両毛線を利用してますが、岩舟駅は周辺に面白い山々が聳えており、前々から下車したかった駅の1つです。39分という短い滞在ですが、その山を求めて散策してみましょう。ジャンパーが邪魔なくらいぽかぽか陽気になりました。



道の途中には、日本一小さい岩舟石の資料館があります。尚、この日は岩舟神社彼岸大祭の日で、ここの管理人も交通整理員になっていました。



兜山公園に入り、あの山々が良く見える一帯へ。1番左の山は岩船山といい、山頂には高勝寺という日本三大地蔵尊のある山寺があります。今回は脇から見ましたが、駅正面からの参道を通っても45分かかるそうなので、参拝はまたの機会ということで。尚、この日のでの参拝客には、1台500円徴収されています。


駅に戻ると、「上越線 渋川~沼田間が強風のため運転見合わせ」との情報が。帰りは新幹線を使おうかな…。少し休んだ後、13時29分発の454M(115系T1145編成)にて佐野駅を目指します。



13時36分に佐野駅に到着。東武佐野線との接続駅で、JRは島式ホームの1面2線です。このあたりから強風の影響が出始め、本来は岩舟駅で交換するはずの451M(左の107系)との並びが実現しました。



佐野駅も再訪問です。初訪問は、大学の入学式直前だった1998年4月ですが、当時は木造駅舎が健在で、ちょうど祭りと重なって神輿が休んでいました。あれから11年の歳月が経ち、平成15年4月には橋上駅舎化されたということで、今回のプランに組み入れた次第です。



駅前のセブンイレブンで飲料などを購入した後、あの自由通路を再び通過しました。JRの改札・窓口~東武の改札・窓口を経て北口に出た後、佐野城跡に入ります。


つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問

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2009年春の青春18・最後の1回(その2)

2009-04-21 22:40:51 | 首都圏地区

水戸線740Mは定刻10時3分、小山駅16番線に到着。空いた時間を利用して、10番線と12番線の入線音&発メロを録音していきます。茨城県から戻ると、天気はからに変化し、気温がぐっと上がってきました。


その後、昼食を購入し、10時44分発の両毛線446M(211系A25編成)に乗車して、いよいよ本題に入ります。その直前、583系「はつかり」が通過。チェック甘すぎ~。



10時50分に思川駅に到着。交換可能駅で、島式ホームの1面2線です。JAの脇に側線があることから、かつて農作物の積み出しが行なわれていたのかもしれません。



屋根の無い跨線橋を渡り、駅舎に出ました。平成12年3月築の面白い形をした簡易駅舎で、無人駅(自動券売機あり)です。トイレは敷地内にあり。



ある程度経ったところで周辺散策。古くからの集落を抜けると、長閑な田園地帯が広がっています。両毛線の線路は何処へ??


腹が減ったので小山駅で買ったお握りを2個食べ、11時35分発の3448M(107系R17編成+R18編成)にて栃木駅へ進みます。座席がほぼ埋まってたので、速度計を眺めて過ごします。



11時41分に栃木駅に到着。東武鉄道との連絡駅で、JR線は島式ホームの1面2線、東武日光線は2面3線です。


栃木駅については、1998年12月に途中下車したことがありますが、当時は木造駅舎が健在で、巴波川の町並みは工事中でした。JR線は平成15年4月4日に高架化されており、今回の再訪問に至りました。さて、階段を下ると、小山方に立ち食い蕎麦屋があり、前橋方に進んで改札を抜けると、切符売り場(窓口)があって自由通路に出る構造になっています。



まずは表口にあたる北口に出ました。新津駅と同様、三角屋根の入口を有します。駅前には予備校とロッテリアがあり、小山で昼食を買いさえしなければそこでお昼にしたのに。尚、入口の上の絵画は、「蔵の町と巴波川」という表題です。


ある程度調査を終えると南口へ向かいます。左手を見ると、JRの窓口・改札、ニューデイズ、東武の窓口・改札の順に並んでいます。一方、右手には、南側に「千年の宴」という居酒屋があるに過ぎません。



東武側の入口である南口に出ました。JRよりも一足早い、平成12年5月に高架化されています。北口と同様にロータリーが形成され、駅前にはセブンイレブンがあります。尚、入口上の絵画の表題は「太平山の四季」です。


お昼の残りを食べ、12時18分発の450M(115系T1144編成)にて大平下駅に進みます。行程の都合上、蔵の町観光が出来ないのが残念なところ。



12時23分に大平下駅に到着。もともと2面3線の駅でしたが、本線以外は撤去されて棒線駅と化しています。


 
小山方にある跨線橋。交換設備が撤去された今では役目を終えており、人の背丈を越える柵がしてあります。このまま朽ち果てるのでしょうか、それとも、近いうちに撤去されるでしょうか。


駅舎内は、12:32発の449Mに乗ろうとするブラジル人で溢れかえっているので、先に周辺散策。駅前は下水道工事中。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問

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2009年春の青春18・最後の1回(その1)

2009-04-18 22:19:36 | 首都圏地区
九州旅行から帰って5日しか経っていませんが、両毛線全駅下車達成を目指して北関東に出かけました。ダイヤ改正後初の長距離乗り継ぎとなります。



出発は、2009年3月19日新潟発の快速「ムーンライトえちご」(485系K2編成)で。臨時列車に格下げされて初めての利用です。八海山を投入しますが、隣で女の子達がずっと喋っており、ほとんど眠れずに池袋まで過ごしました。尚、ダイヤ改正後は、越後湯沢が新たな運転停車駅に加わっています。


定刻5時1分に池袋駅に到着。トイレ休憩を挟み、5時13分発の埼京線543K(205系27編成)で赤羽駅に引き返し、東北本線523M(E231系U66編成+U518編成)に乗り継いで、グリーン車にて優雅に朝食タイム。



小山駅到着後、水戸線727M(415系K537編成)に乗り継ぎ、まずは水戸線の2駅を再訪します。



7時29分に下館駅到着。2003年5月に初訪問を果たしてますが、洋館駅舎がまだまだ現役でほっとしました。



構内の様子。真岡鉄道、関東鉄道との分岐駅で、JR線は2面3線、関東鉄道は1面2線(島式ホーム)、真岡鉄道は切り欠けホーム1面のみです。左手は関東鉄道の駅舎です。

このあたりでからになり、7時58分発の2731M(415系K529編成)にて笠間駅を再訪します。



8時29分に笠間駅到着。あの時にはバリケードが張られていましたが、大正2年築の木造駅舎は、改築されておらず見事なまでに化粧直しされており、ほっとした次第です。



改札も様変わり。自動改札機が設置された上、次列車表示もあり、ガラス張りの待合室も設けられています。


 トイレもまた然り。



この大改装においては、改札内外問わず多数のアートが設けられています。これは、1番線に置かれていた作品です。「焼物とアートの町」を強くアピールしていると思えます。しかし、雨が激しく降っており、今回も陶芸の森には行けずじまいでした。



1番線の小山方には次駅を表現したアート。裏は「SHISHIDO」だったっけ。



申し遅れましたが、笠間駅は当駅折り返しはありませんが、2面3線の構内を有しています。3番線に渡り、9時8分発の740M(415系K537編成)に乗車し、の笠間を後にしました。


つづく
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2009年春の青春18解禁乗り継ぎ(その3)

2009-04-15 22:00:10 | 信州地区

イヅツワインカップをちょうど空けたところで、周辺散策開始。神のお告げのままに踏切を渡って西側へ。



適当に進むままに大町南小学校へ。道祖神キターーーーーー!これは、米俵の上に乗った恵比寿神みたいですね。



来た道を戻り、16時13分発の331M(E127系A9編成)に乗車して信濃木崎駅へ。信濃大町駅では9分停車し、これまでの訪問駅で捨てられなかったゴミを処理できました。



16時36分に信濃木崎駅に到着。交換可能駅で対面式ホームを有しており、両者は南小谷方にある構内踏切で結ばれています。



構内調査を終え、駅舎に出ました。平成11年12月改築の簡易駅舎で、駅員も居なければ何もありません。トイレの設備も無く、付近の公衆トイレかコンビニを利用してくれとのことです。


付近には木崎湖温泉がありますが、本日はあと1駅訪問することになっているのでローソンにも行かず、付近をぶらぶらして終わり。日没が近くなり、急に寒くなってきました。


構内踏切を渡り、16時59分発の1344M(E127系A7編成)に乗車して本日最後の訪問駅へ。


 
17時3分に北大町駅に到着。本日の訪問駅は全て無人駅でした。



向かいにある文化会館から見た駅舎(?)。大糸線ではよくあるタイプの棒線駅のパターンです。



折角の機会なので、『トランヴェール 2008年11月号』に載っていた、あの庚申塔(追分)を訪問しました。江戸時代は塩の道の重要な道標であり、左は越後(糸魚川方面)道、右は善光寺(北大町駅方面)道となっており、現在でもこのように2方向に分かれています。



ついでに、日本一の大黒天も訪問。大黒天は花崗岩製で、高さ172cm、幅157cm、厚さ40cmです。一方、台座は安山岩製で、横幅250cm、奥行き170cm、高さ30cmで、全体としては高さ2m強になります。尚、この大黒天は、嘉永5年(1852年)3月に、伊藤徳十・留十によって製作されています。


付近には若一王子神社がありましたが(ていうか気付かず)、17時34分発の1341M(E127系A7編成)で帰路に就きます。白馬でボックスが空いたので、南大町のセブンで購入した弁当で夕食。南小谷で乗り継いだ435D(キハ52 156)では、女の子の向かいながらもボックス席を確保し、久しぶりの缶コーヒーを飲みながら、1時間乗車しました。


19時39分に糸魚川駅着。飲み物は一通り揃っているので、ナルスには行かず海岸までぶらぶら。歩いていると暖かいので、温度計を見たら7℃を指していました。18時頃のヤナバスキー場前は0℃でしたが。



「北越9号」を使うか使うまいか迷いましたが、結局、北陸本線557M(419系D07編成)~信越本線1357M(115系N6編成)~同465M(E127系V1編成+V7編成)と乗り継いで新津に帰還しました。


おわり

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2009年春の青春18解禁乗り継ぎ(その2)

2009-04-12 20:01:15 | 信州地区
付近のデイリーで購入したイヅツワインを片手に駅を読みつつ感傷に浸っていると、時間はあっという間に過ぎていきます。その中で、『「おねてぃー」が放送された時に中学生だった私は、今や大学3年生』という書き込みが最も印象的でした。2002年といえば、日韓共催サッカーW杯の年。その頃の私は、大学院進学すら頭に無かった時期で、学士課程に浸り続けていました。そして、2009年4月12日現在の私は、学生生活を終えてからもう4年目です。時の流れは本当に速いものです。



申し遅れましたが、海ノ口駅は片面ホーム1面のみの構内(棒線駅)です。



ホームから眺める木崎湖は正に絶景。これに見とれて間もなく、13時55分発の330M(E127系A8編成)で大町市最南端の駅へ移動しました。


 
14時19分に安曇沓掛駅に到着。下車したのは私1人だったような。



信濃大町以南はこれからですが、大糸線でよくあるタイプの片面ホーム1面のみの無人駅です。西側(入口側)は住宅地ですが、東側は工業団地となっており、ダスキンやオリンパスの工場があります。



滞在時間を利用してR147を北側へ。陸橋からは雪を頂いた白馬連峰の山々を望めて、ここに大糸線の電車が走れば絵になりますが…。


32分の滞在の後、14時51分発の4235M(E127系A2編成+A1編成)に乗車して南大町駅へ。



14時58分に南大町駅に到着。カーブ上に片面ホームが設けられているので、常に足元注意喚起放送が流れます。


 ログハウスの待合所。勿論、無人駅です。



R147を渡ると、そこは昭和電工の広大な工場です。大糸線側の敷地の一部も昭和電工の私有地だったっけ。踏切を渡って西側のアパートは社宅??


駅前のセブンイレブンで今日の夕食を購入し、15時30分発の4236M(E127系A12編成)にて1駅南下します。



15時34分に信濃常盤駅に到着。平成17年12月築の和風の簡易駅舎です。無人駅ですが、乗車証明書発行機があります。餓鬼岳へのアクセス駅とされていますが、登り口まで可也離れています。



交換可能駅で対面式ホームを有し、両者は構内踏切で結ばれています。西側に保線用側線があります。


つづく
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2009年春の青春18解禁乗り継ぎ(その1)

2009-04-09 19:17:22 | 信州地区
時は前後しますが、2009年3月7日(土)の乗り継ぎ旅行の模様をお伝えします。

出勤の日と同様の6:15に起床。新潟地方は。朝食をとり、自転車で新津駅へ。「青春18」に日付印を入れ、いつものように見ている、7時4分発の信越線426M(115系L10編成+N27編成)に乗車しました。見附あたりで騒がしくなったのは確かですが、終点・長岡まで殆ど寝てました。長岡で1330M(115系N15編成)に乗り継ぎましたが、柏崎まで。福浦八景の海は、波がやや高め。



直江津到着後、北陸本線544M(419系D08編成)に乗り継いで糸魚川へ。



糸魚川到着後、大糸線426D(キハ52 156)に乗り継いで南小谷へ。419系D08編成の撮影を済ませるとボックスはふさがっており、ロングシートに座って走行音を堪能。発車時には長距離客で可也埋まってました。矢張りというべきか、小滝で乗下車する「同業者」あり。

姫川を遡上していくと、天気はからへ変化し、散策日和に。「鉄道運行情報」のサイトを見ると、秋田地方は大荒れで羽越本線が強風で大幅な遅延が生じているとのことなので、今回は大糸線を選択して正解でした。


11時48分に南小谷駅2番線に到着。3番線に停車していた、11時57分発の328M(E127系A9編成)にお乗り換え。ボックスは確保できなかったが、昼食タイムにします。



12時56分に稲尾駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



列車が去り、駅舎撮影開始。入口の階段を上ってすぐ待合室。木崎湖のそばにあり、ナイスビューの駅です。R148は路肩がなく、車は乗り付け出来ません。



冬季通行止を乗り越えて、反対側から。木製の駅名板が印象的です。それにしても、通行止の理由は「積雪」ですが、2009年冬は例年になく少雪の年で、訪問時には雪は無し。(通行止解除は役所の仕事ですからね。)



それほど駅間が開いてないとのことで、海ノ口駅まで歩きます。終始、木崎湖が友達で、これまでに最も気分の良い部類の駅間徒歩になりました。


やがて、道沿いには飲食店などが多くなり、海ノ口駅に到着しました。稲尾駅から歩いて23分でした。着いた時には、で訪問したと思われる先客が居ました。



とにかくいい感じの木造駅舎です。昭和4年9月25日の開業以来のものと思われます。標高は766.5mです。尚、駅員は配置されておりません。



2002年1~3月にWOWOWで放送された「おねがい☆ティーチャー」の舞台となっており、一枚の絵がそれを語っています。尚、ゴミ箱については、隣の稲尾駅と共に、平成18年4月1日を以って撤去されています。


つづく
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九州ブルトレ最期の日に(余興篇)

2009-04-05 23:47:37 | 九州地区

前日の模様はこちら


「はやぶさ&富士」廃止騒ぎから一夜明け、2009年3月15日(日)の朝となりました。6時45分頃に起床。天気はでやっと春らしくなりました。朝食をとるなどして、7時25分にチェックアウト。2006年の時と同様に路面電車で鹿児島駅へ向かいます。


 廃ホームの駅名板&その他
「青春18」に日付印を入れ、8時13分発の6928M(415系F515編成)に乗車。平成19年3月改正で475系が撤退してからは、「鹿児島地区の4連=ロングシート車」という図式が成り立ったように思えます。



8時48分に隼人駅に1番乗り場に到着し、2番乗り場に停車中の、57分発の肥薩線2926D(キハ40 2064)に乗り換え。丁度「林家三平のテツタビ」のロケが行なわれており、後方は報道陣が陣取っていました。ウッチャンナッチャンの南原清隆が乗っていたのは確かです。
さて、隼人を出ると、嘉例川まで深い山間を縫って進みます。ここは表木山駅の手前ですが、実は、山の向こうは鹿児島空港の滑走路です。



9時21分に嘉例川駅に到着。交換設備が撤去されて棒線駅となっています。矢張りというべきか、「ここで会いたい人がいる」との文言で、あのロケの一行も途中下車。



改札口でインタビューなどしている間、駅事務室だった部屋に飾られていた雛人形を眺めてやり過ごします。この部屋には、かつて使われていた鉄道設備も保存されています。



報道陣が後にしたのを確認し、駅レポート開始。まずは改札口ですが、106年の時の流れを感じさせて誠に素晴しい限りです。



改札をくぐって窓口跡に出ました。福本平さんが名誉駅長を勤めておりますが、基本的に無人駅です。それにしても、柱時計といい、どことなくノスタルジーを感じさせます。素晴しい。



いよいよ駅舎撮影。とにかく「シブい」です立ち木のアクセントもあり、私がこれまで訪問した中でベスト5に該当する素晴しい駅舎です。大隅横川駅と共に国の有形重要文化財に指定されています。知名度が全国区となったことで、車などで引っ切り無しに来訪がありました。


しかし、その嘉例川駅を楽しめた時間は正味20分程度に過ぎず、9時55分発(実際に発車したのは53分)のバス(鹿児島22き426)で鹿児島空港へ。運賃は200円で、たった7分で到着。



10時55分発のJL1866便にて羽田空港へひとっ飛び。B777-200型機(JA8978)で、全席個人用モニター付き。鹿児島空港を離陸して霧島連山を見せた後、宮崎→室戸岬→潮岬→石廊崎→伊豆大島→羽田というルートを取りました。ちなみに、搭乗率は100%、すなわち満席でした。


12時30分に羽田空港の10番スポットに到着。預け荷物を受け取るなどした後、12時54分発の東京モノレールの区間快速を選択して浜松町駅へ。


13時13分に浜松町駅に到着。山手線で上野に出る予定でしたが、使い慣れてないこともあり、乗ったのは外回り(1201G=E231系543編成)でした。



13時32分に大崎駅に到着し、ビル街で一休み。14時6分発の特別快速3640E(E231系S24編成+K18編成)のG車に収まり、ようやく空弁とさつま揚げで昼食タイム。15時58分に高崎駅に到着すれば、743M(115系T1022編成)、1749M(115系L2編成)で上越線を走破し、長岡からは信越線459M(115系L8編成+N10編成)に乗り継いで、21時2分に新津に帰還しました。明日は出勤だ~。


九州ブルトレ最期の日に   おわり

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九州ブルトレ最期の日に(その7)

2009-04-03 19:04:47 | 鹿児島本線

定刻15時21分に川内駅に到着。整備中ながらも裏口が新設されており、東横インも開業していました。


鹿児島県も決して暖かいとはいえないが、折角なので440円の白熊を購入し、15時55分発の2455M(817系V19編成)の車内で召し上がります。矢張り、新津の原信などで買うものとは全然別物です。



16時7分に串木野駅に到着。築堤上にある、島式ホームの1面2線+側線1本の構内です。駅裏にはプリマハムの工場があります。



トンネルを抜け駅舎に出ました。前回訪問時は仮駅舎でしたが、平成19年3月に新駅舎完成ということで、今回の駅巡りに組み入れました。黒系の長方形の駅舎です。窓口営業時間は5:30~0:30です。



駅舎北方には68660の動輪が保存されています。昭和48年12月に、開業60周年を記念して設けられたそうです。



駅前の交差点の様子。「甑島航路」という表示が何ともいえない旅情を醸し出しています。よう考えたら、私って1月末に続いて凄い所まで旅しているんだな。


今回もかつおラーメンにありつけぬまま、16時33分発の2457M(817系V10編成)に乗車して次なる新駅を目指します。



17時4分に、上伊集院から3つ目の第2松谷トンネルと4つ目の広木トンネルの間設けられた、本日開業の新駅に到着。ホームは対面式です。



伊集院方にある構内踏切を渡り外に出て、鹿児島線全駅下車のタイトルを1日で奪還しました。上伊集院~鹿児島中央に新設された広木駅は、対面式ホームとトイレのみの無人駅です。総工費は4億9000万円で、JR九州が駅構内を、鹿児島市が駅前ロータリーや駐車場(39台)、駐輪場(200台)などを整備しています。



駅前は丘陵地ですが、星ケ峰ニュータウンをはじめとした住宅地が形成されています。広木駅の開業はこの地区の通勤・通学の利便性向上が目的だそうで、1日当たり550人の乗降客が見込まれています。



そうこうしているうちに、肥薩おれんじ鉄道の気動車が通過。それにしても、この駅の入線放送は音量がバカでかく、上り列車の案内が下りホームまでよく聞こえます。



17時50分発の2459Mにて鹿児島中央駅へ。415系F516編成で、南福岡から配転されたロングシート車です。


改札を出た後にを買い、ざぼんラーメン(チャーシュー丼&漬物付き)で夕食。その後、高見馬場電停まで路面電車を利用し、東横イン鹿児島天文館Ⅰにチェックイン。入浴後、五橋カップ(山口県岩国市の地酒)とさつま揚げなどで打ち上げしました。


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参考資料   毎日新聞2009年3月15日号
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