クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

陸羽東線全駅下車への道・第3回(その3)

2009-11-30 21:07:14 | 南東北地区

9時43分に岩出山駅に到着。交換可能駅で、島式ホームの1面2線+側線1本の構内です。



跨線橋を渡って駅舎に出ました。昭和59年2月23日築のコンパクトな駅舎です(平成20年9月に「宮城・仙台DC」に合わせて改装)。この旅で訪問した初めての有人駅(新潟駅、仙台駅を含めない)で、窓口営業時間は平日だと6:50~18:15、土休日は7:30~16:55です。



左隣にあるのは木造の旧駅舎。観光、物産センターの奥にある鉄道資料館に行ってみましょう。



レイアウトや鉄道施設の横に旧駅舎のギャラリー。これらは全て木造駅舎ばかりです。結論から先申し上げましたが、現在の陸羽東線には木造駅舎が現役で運用されている駅が1つもありません。


 
鉄道資料館前にある機関車。たしかED15だったような。



なおも時間があるので、街中へ繰り出します。大きな道路(R47)を横断して間もなく、岩出山城跡の入口に到着。少し登ると、東屋があって紅葉真っ盛り。


 城跡から見た岩出山の街並み。



頂上まで行くと間に合わなくなる恐れがあるので駅に戻ります。それでいて、来迎寺に寄り道。法要の直前のようで、木魚が整然と並んでいました。


道に迷いながらも何とか戻り、10時33分発の1732Dにて古川方面へ。1730Dの折り返しの4連でしたが、これも相当な混雑。



岩出山発車時から3分遅れ、10時51分に塚目駅に到着。ホームは片面1面のみ。
宮城県立大崎高校の最寄駅で、高校生が多数下車。



駅舎に出ました。ていうかむしろ待合室で、駅員無配置です(券売機も無かったっけ)。もろ逆光です。トイレは別棟。



自転車置き場の脇にある開駅記念碑。昭和33年12月1日の開業です。これは比較的良い状態ですね。


ホームでは点字タイル(いわゆる黄色い線)の設置工事が行なわれていましたが、待合室にて近くのローソンで購入した竜田揚げなどで昼食タイム。続きは、11時15分発の1729D(キハ111-213+キハ112-213+キハ110-244+キハ110-239)に乗車してから。


つづく
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陸羽東線全駅下車への道・第3回(その2)

2009-11-28 00:23:35 | 南東北地区

陸羽東線1728Dは、8時33分に東大崎駅に到着。ホームは片面1面のみです。



大木と一緒になっていますが、駅舎に出ました。結構広めの待合室がありますが、駅員無配置です。トイレは右側。


東大崎での滞在時間は37分。600mの所にある国指定史跡に行ってみましょう。案内板も出ているし。



これが遺跡への入口。どう見ても、一昔前の牧場にしか見えませんけど。



間もなくして、名生館官衙遺跡に到着。7世紀末から10世紀にかけて大崎地方西部を治めていた役所の跡です。この城内地区には、周囲に板塀をめぐらした東西53m、南北61mの規模をもつ、政庁と呼ばれる役所の中心施設が置かれ、瓦葺きの正殿や、南北に並ぶ2棟の脇殿などが建てられていたことが判明しています。現在では、当時の面影が殆ど無く、広い畑になっています(発掘現場??)。



帰りに大崎神社に立ち寄り、陸羽東線全駅下車達成を誓ってきました。



帰りに見つけた東大崎駅開設記念碑。周囲は桜並木で、4月中旬~下旬には素晴しい光景が展開されるでしょう。


何時の間にか、駅には多くの人々が集まってきました。9時10分発の1730D(キハ112-215+キハ111-215)にて次なる下車駅へ。



9時14分に西古川駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線と側線1本の構内です。かつては仙台鉄道が分岐していました。



跨線橋を渡り駅舎に出ました。昭和59年3月30日築のコンパクトな駅舎で、トイレは右側にあります。改築当初は駅員が居たようですが、現在は券売機があるだけの無人駅です。



滞在時間は17分しかありませんが、休憩した後に周辺を見てきます。駅前道路には個人商店が並んでいますが、右側に折れるとゲートボール場&児童公園があり、C58 19が保存されています。長い間風雨に晒され、お世辞にも状態は良いとはいえません。



道路を挟んで、石造りの「JA古川西古川第2農業倉庫」。大崎地区の農業倉庫は、どうやらこの形態のようです。



9時31分発の4727Dで次なる下車駅へ。「ワンマン」の筈でしたが、やって来たのは「キハ110-241+キハ110-242+キハ110-237+キハ110-240」の豪華編成で特製HM付き。それに負けじと車内も大盛況でした。


つづく
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陸羽東線全駅下車への道・第3回(その1)

2009-11-25 22:27:04 | 南東北地区
皆様、今年は紅葉を楽しまれましたか?私は、陸羽東線で紅葉を味わってきました(特に有備館で)。勤労感謝の日を過ぎて冬に突入という地方が多いかと思いますが、2009年11月7日(土)の乗り継ぎ旅にまいりましょう。


2009年11月6日(金)夜。慌しく家事などを済ませ22時33分頃に出発。22時51分発の信越本線453M(115系N22編成)に乗車して新潟へ。蓮向かいのボックスに座った彼女も高速バスで仙台に行くそうです。よかった、同士が1人いて。


居酒屋の向かいでしばし待ち、23時45分発のWeライナー(宮城200か12-41)に乗車。濃霧の菅生PAでトイレ休憩した他は殆ど眠れてました。5時15分に仙台駅東口に到着して朝マック


指定席券売機で「ホリデーパス」を購入し、6時ちょうど発の東北本線521M(E721系P6編成+P10編成)に乗車しました。塩釜あたりで霧が出始め、進むにつれてどんどん濃くなり、とうとう品井沼以北で徐行運転に。3分遅れの6時47分に小牛田駅に到着。


何が何でも乗り継ぎに成功させてやるという信念でキハ110の自動扉をこじ開け、何とか陸羽東線1723D(キハ110-241+キハ110-242)への乗り継ぎに成功。もし失敗していたら、今回の陸羽東線全駅下車達成は無かったでしょう。


 7時19分に西大崎駅に到着。



駅全体像。少し分かりにくいですが、陸羽東線に多く見られるタイプの無人駅(棒線駅)です。北側には住宅地。



入口脇にある開駅記念碑です。昭和35年7月10日に開業し、当時は「上岩出山」でした(平成9年3月に現駅名に改称)。長い間酸性雨に晒され、今ではこのような状態に。



南側の水田地帯を散策。すると、用水路の向こうに畜魂碑が見えてきました。牛や豚の霊を慰めるですか。農村らしい発想です。



ズボンにお土産を沢山付けて駅に戻り、7時42分発の1725D(キハ111-215+キハ112-215)で次なる下車駅へ。車内ではひたすら土産落とし。



7時53分に上野目駅に到着。西大崎と同様のタイプの無人駅です。平成9年3月改正までは「西岩出山」でした。



上野目駅の時刻表。上下15往復(ワンマン6往復)ずつですが、間隔が異様に空く時間帯が見られます。ここでは27分滞在予定。



ここではR47周辺をぶらぶらと。住宅地の向こうは水田地帯で、向こうの山々が色づいています。このあたりの集落は散村のようです。



8時20分発の1728D(キハ110-242+キハ110-241)に乗車して、次なる下車駅を目指します。


つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問
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高山本線全通75周年記念乗り継ぎ(その8)

2009-11-23 00:03:31 | 中部縦貫線

12時51分に飛騨古川駅3番線に到着。構内は2面3線で、1番線では「ひだ」が折返し整備中。



駅舎に出ました。開業時(昭和9年10月)からの白壁の木造駅舎です。古川観光の拠点駅で、みどりの窓口やKIOSKが併設しています。左手の庇は観光案内所。


飛騨古川には15時35分まで滞在予定。しばし、私と共に小京都・飛騨古川観光をお楽しみ下さいませ。



最初に訪問したのは古川まつり会館。4月19,20日に行なわれる「古川起し太鼓まつり」の様子を3D映像で見せてくれ、迫力を感じました。神輿の最上段でからくり人形が戦闘したりするのが面白いですね。展示物はさほど多くなかったので、割引で700円は高かったかな。



一通り見終わった後、100円払って起し太鼓を1打叩いてきました。専用の白木の鉢で叩くのですが、周囲に響き渡るような大きな音でびっくりしました。



アイスを含めて1000円ほど散財してしまったので、飛騨の匠文化館には行かずにそのまま「瀬戸川と白壁土蔵街」へ。鯉が泳ぐ堀もあり趣があって、気に入りました。



弁財天堂(写真右奥)まで進んで荒城川へ。吉城橋のたもとに三番叟屋台蔵(写真左)。なかなか面白い扉です。


 
そして古川三寺の一つ・本光寺へ。車が何台も停まっていて、法要中だと思われます。



すぐ近くには野麦峠文学碑。明治・大正期に諏訪の繊維産業に従事した工女のことを著した『あゝ野麦峠』という小説がありますが、高山の小学校を出たばかりの少女は2月にここに集まって遠足気分で野麦峠を越えたそうです。ですが、諏訪の繊維工場で待っていたものとは…。



復路は「古い町並み」を通って。「飛騨牛」の幟の肉屋や絵ろうそくの店なども見られます。蒲酒造場で土産用のワンカップを買いました。



いったん白壁土蔵街に戻って、古川三寺の一つ・円光寺を訪問。



古い町並みに戻って麒麟会館へ。左隣に屋台蔵がありますが、これは白一色です。神輿もさることながら、屋台蔵も各町内ごとにこだわりがあり面白いですね。



折角なので、まつり会館近くの誓願寺を訪問。法要中で中の様子は伺えません。「古川三寺」の1つだと思ったら空振り三振。もう1つは真宗寺のようです。あと少し足を延ばせればね。



古川観光の最後のポイントは、駅から陸橋を越えたところにある飛騨市美術館。無料の早坂ちよ展を見てきました。


時間が少しばかり余りましたが、さすがに歩き疲れたので駅調査を終えるとしばし休息。有人駅とはいえ本数が多くないので、「ひだ」が発着しない時間帯はホント静かです。尚、飛騨古川ではこの週末(9月26日)に「きつね火まつり」が催されたようです。



3分くらい遅れていましたが、15時35分発の「特急ひだ11号」(キロ85-2+キハ84-302+キハ85-1108)に乗車して飛騨古川を後にしました。飛騨細江を通過すると景色は山峡に一変します。



16時51分に富山駅3番乗り場に到着。VIEDE FRANCEでパンを買い、17時27分発の「特急北越7号」(485系T13編成)で新津に帰還しました。


今回は2泊2日で13駅の訪問にとどまりましたが、高校時代の思い出に浸れ、高山の古い町並みと飛騨古川観光が加わったので、誠に実り多い旅となりました。来年の早い時期に高山本線全駅下車を達成する予定です。


高山本線全通75周年記念乗り継ぎ   おわり
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高山本線全通75周年記念乗り継ぎ(その7)

2009-11-20 21:10:52 | 中部縦貫線

杉崎駅から28分歩いただけで飛騨細江駅に到着。開業時からの木造駅舎が健在です。雰囲気もまた然り。



駅舎に入ります。以前は有人駅でしたが、現在では無人化されて窓口などは御覧の通り。



駅舎の少し高台にホームがあります。交換可能駅で対面式ホームを有し、両者は跨線橋で結ばれています。



なおも時間があるので、高山駅で調達した牛しぐれ弁当で昼食タイム。紐を引いて温めて食べるタイプです。


この駅にはゴミ箱が無いので、ゴミは付近のデイリーに捨ててきました。因みに、このデイリーは、R41岐阜県側最北のコンビニだそうです。



列車に乗るべく跨線橋を渡り2番線へ。駅裏は住宅地と水田で、例の稲干しの風景も見られます。



12時5分発の1828D(キハ48 5811+キハ48 6811)がやってきて、飛騨国府駅に向かいました。



12時16分に飛騨国府駅に到着。交換可能駅で、ホームは対面式です。



駅舎に出ました。昭和9年10月築の素晴しい木造駅舎です。周辺は桜なので、4月中旬頃には素晴しい絵になるでしょう。



駅舎内部の様子。昭和60年6月以来、国府町(のちに高山市)が乗車券の委託販売を行ってきましたが、利用客の減少により平成19年3月30日をもって完全無人化され、窓口はベニヤ板で打ち付けられています。



2番線の待合所。昭和57年に新設されました。


滞在時間が25分しかありませんが、周辺散策してきます。付近では、国府町公民館の解体工事が。廃止なのか、改築なのか…。



歩いて6分の所に、浄土宗大谷派西念寺があります。大ケヤキが保存木です。


駅に戻ると女子高生が先着してましたが、12時41分発の1827D(キハ48 6813+キハ48 3809)で本日最後の下車駅を目指します。先行「ひだ」が遅れて通過したため、我が列車は5分遅れでの運転でした。


つづく
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高山本線全通75周年記念乗り継ぎ(その6)

2009-11-18 22:01:14 | 中部縦貫線

高山駅から1851Dに乗車して上枝駅で下車。「ひだ」を見送った後に下手にある駅舎に入りました。



開業時(昭和9年10月)からの、原型をとどめた木造駅舎です。トイレもまた然り。



木枠も感動モノですが、無人化されて久しく窓口が下ろされています。9600形蒸気機関車(19648)の木工レプリカがアクセントです。


滞在時間が1時間あることだし、少し休んで周辺散策。すぐの所にスーパー銭湯があったりしますが…。



宮川を渡り、R41を下切洞門まで南下します。意外にも奇岩が多いです。川の向こうには稲干しの風景が見られて長閑ですが、日立の工場もあったりします。



帰りも同じルートでしたが、橋のたもとに弁慶石を発見。瀬見温泉といい、2009年の乗り継ぎ旅行では弁慶ゆかりの地によく当たります。



列車に乗る前に2番線名物(?!)を。駅名標のまわりに向日葵が咲いていました。10時20分発の1825D(キハ48 6811+キハ48 5810)に乗車して次なる下車駅へ。



10時34分に杉崎駅に到着。ホームは片面1面のみです。



駅舎に降りる前に駅裏の風景を。どこか懐かしさを感じる稲干しの向こうに県営住宅が立ち並んでいます。高山線があの本数なので、私がもしこそこで暮らしてるなら、多分カーライフです。



駅舎に出ました。昭和31年12月築の木造駅舎です。かつては駅員が居て窓口もあったようですが、現在は無人化されています。少し離れたところにトイレがあります。



ダイヤの都合上、飛騨細江駅まで駅間徒歩。歩き始めてすぐ、玉ねぎ干しの風景に出会いました。懐かしいようで新鮮な感じです。



更に数分歩くと、細江歌塚に到着。高山の国学者・田中大秀は飛騨国司姉小路基綱、同済継の功績を讃えるために碑の建立を計画しましたが、志半ばで没しました。彼の流れを汲む「杉の二本柱」が中心となって明治20年に建立されています。「不るさとに乃こる心は こころにて みはなほひなのみをなけるかな」、「久もをわけにこりをいてしこころや 於なしはちすのつゆの月かけ」の2首が記されています。120年以上も風雨に晒されて読みにくくなっています。



あとは、ほぼ線路沿いに進んでいきます。時折日本の原風景も見られるので、列車と絡めれば最高ですけど…。しばらく進むとファミマがありましたが、食料は一通り揃っているのでそのまま素通り。


つづく

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高山本線全通75周年記念乗り継ぎ(その5)

2009-11-15 22:23:36 | 中部縦貫線
2009年9月23日(水)の朝となりました。7時15分に起床。例によってホテル内で朝食。洋食をオーダーしましたが、バイキングではなくスタッフが配膳するタイプ。盛り付けや味付けは中々上品。コーヒーがサービスなので2杯飲みました



8時にチェックアウト。今日の高山市は。ですが、折角なので、宮川を渡ってプチ市内観光。



上三之町で左折して、古い町並みを通っていきます。中々趣のある通りで、飛騨高山が「小京都」として有名になっている要因の1つといえます。朝8時過ぎにもかかわらず、外国人観光客を多く見かけます。風情ある煎餅屋で「さるぼぼせんべい」(450円)を買いました。今回の旅行で最も印象に残った風景の1つです。



R158に出たところで右折し、いよいよ寺町通り(東山遊歩道)へ。まずは久昌寺の山門をくぐります。



雲龍寺を訪問したところで東山白山神社へ。旅の安全や仕事の成功などを誓ってきました。



列車の時間があるので、大雄寺、洞雲院を訪問したところで終了。もう少し南方にある天照寺にはユースホステルが隣接し、高1の時に宿泊したことがあります。



それでも、飛騨国分寺に寄り道しました。これは三重塔。営業時間は9時からなので本堂についてはまたの機会ということで。



高山駅に到着したのは9時10分近かった。この機会に駅舎撮影。コンクリート駅舎ですが、開業時(昭和9年10月15日)からのもので堂々としています。当然ながら高山観光の拠点駅で、マイクロバスなどが頻繁に出入りします。


改札をくぐって構内を撮影しようとすると、デジカメのバッテリーが切れてしまいました。しかし、今回は予備バッテリーを持ってて良かった。これまでの教訓が生きた瞬間です。そうこうしているうちに、高山線1851Dが動き出しました。「キハ40 6308」の単行で、飛騨古川を観光しようとする人々で賑わっていました。



高山駅を発って5分ほど経った9時23分、我が1851Dは上枝駅2番線に到着。交換可能駅で、対面式ホームを有しています。



跨線橋の軒先で待つこと3分、猪谷方から「ひだ6号」が入線しての並びが一瞬だけ実現しました。


陸橋を渡ってホームの一段下にある駅舎に入ります。


つづく


参考文献  杉崎行恭『駅舎再発見』
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高山本線全通75周年記念乗り継ぎ(その4)

2009-11-12 20:57:35 | 中部縦貫線
下呂駅での小休止を利用して一旦改札を出ました。目的は2つあって、最も重要なのは乗車券の区間変更です。この旅をやろうと決めたとき、帰りの乗車券は「高山→新津」でした。しかし、フリー区間の認識違いにより空白区間があったのです。そこで、みどりの窓口に赴いて「下呂→新津」に乗車変更してもらいました。追加料金は830円也。



変更作業はあっさりと済み、駅舎撮影。車通りは多いし、時間内での撮影ですので詳細なレポートができませんが、観光案内所などがあり相当細長い駅舎です。周囲は土産物屋だらけで相当賑やかです。温泉宿への迎えのマイクロバスが次々とやってきます。



高山へ向かう前に、2,3番線の島にある温泉塔を。露出オーバーになりましたけどね。


「ひだ95号」に遅れて抜かれた関係で、我が4719Dは3分遅れの15時36分に発車。下呂温泉は日本の超有名温泉の1つで、沿線には温泉旅館が林立。時期が時期だけに予約率が100%という宿もあるでしょう。



15時41分頃に禅昌寺駅に途中下車。線路は2本あるもののホームが片面1本のみ、つまり普通列車同士の交換は不可という構造の駅です。面白いですね。



駅舎に出ます。平成9年2月築のコンクリート簡易駅舎で無人駅です。設備といえば待合室と信号関係の機器のみで、トイレはありません。


折角得たチャンスなので、瀧澤山・禅昌寺に行ってみましょう。



住宅地の中を歩くこと数分、六所神社に到着。ここで旅の安全を祈願。



更に歩くこと数分、禅昌寺に到着。平安時代の創設で、臨済宗妙心寺派の禅寺です。おやまあ、立派な山門と鐘楼だこと!



山門前の日本庭園。向こうの橋といい蓮の花といい、趣がありますね。



本堂に到着。しかしながら、営業時間は16:00までで受付は閉まっており、中には入れませんでした


併設の資料館も火曜定休で、随分暇を持て余した禅昌寺滞在でした。向かいの売店では笹寿司が売っていたようですが、もう店じまいの時間。このままでは駅には戻りたくないし…。



いっそのこと、R41を横断して飛騨川を渡りましょう。高山線の橋梁が見えたので、「ひだ」を拝みます。たまたま上ってきたのは、豪華な9両編成。


跡津神社の案内があったので、右岸の狭い道路をひたすら北上。しかし、行けども行けども辿り着けず途中で諦めました。しかも、R41の裏道で車通りが激しいし。


なおも時間が余ったので『鉄道ダイヤ情報』を読んで時間を潰します。3分ほど遅れていましたが、17時9分発の4721C(キハ48 6809+キハ48 3815)に乗ればもう高山へ向かうのみです。


18時11分に高山駅2番線に到着。近くのラーメン屋で高山の夕食。高山ラーメンのポイントはちぢれ麺。今夜はワシントンホテルプラザに一泊します。


つづく
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高山本線全通75周年記念乗り継ぎ(その3)

2009-11-09 21:04:42 | 中部縦貫線

中川辺で昼食を済ませた後、4717Cに乗車して13時18分に飛騨金山駅に降り立ちました。構内は2面3線で保線基地もありますが、3番線は使用されておらずレールが錆び付いてます。



いよいよ駅舎。昭和3年3月築の曲屋の木造駅舎で、窓口営業時間は6:15~19:15(休み5回)です。集計が正しければ、私にとって1900番目の下車駅です。



飛騨金山での滞在時間は1時間。これを利用して周辺散策。ますは、南に600m余進んだ所にある国境争論地を訪問。美濃国(苗木藩)と飛騨国(天領)が国境を争った所で、元禄14年(1701年)6月22日に幕府特使による現地裁判で決まっています。確かに周囲には人家が無く、対岸にコンクリ工場があるだけですね。



一旦駅に戻って、飛騨川を渡って市街地へ。合流点の左側では工事中の橋があるし。川の西側には橋本町商店街。この町も例外ではないようで、かなり寂れていました。デイリーで缶コーヒーを買っただけ。


14時22分発の4716C(キハ48 3816+キハ48 6812)で1駅折り返します。この日の高山線は全体的に遅れ気味で、この4716Cも5分遅れの運転でした。



14時32分に下油井駅に到着。交換可能駅で、対面式ホームです。



駅舎に出ました。昭和3年12月築の木造駅舎が健在です。無人駅となって久しく、かつて窓口や駅事務室だったところは「JAめぐみのコミュニティー 下油井」になっています。祭日であるこの日はシャッターが下りていました。



時間は僅かですが周辺散策。狭くて車通りが少なくない国道256号を進んでいくと、高山線の線路と飛騨川の峡谷が望める地点に出ました。狭い傾斜地に茶畑が広がっています。対岸のシェッドは国道41号。



例の場所で佇んでいると踏切音が鳴り、4719Dが定刻にやってきました。やや急ぎ気味に跨線橋を駆け巡り乗り込みましたが、交換相手の「ひだ」が遅れていた関係で発車したのは4分遅れの14時50分。この列車は車掌が乗務しており「キハ48 6501+キハ40 5501」の車内は観光客などで混雑し、高山へ観光するという女性と相席させてもらいました。高山で泊まるというなら私も同じですけど…。



5分遅れの15時20分に下呂駅に到着し、乗客の半数以上が下車。2面3線の構内を有し、この4719Dは「ひだ95号」に抜かれる為しばし停車します。私も一旦改札を出ます。これには目的があるのです。


つづく
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高山本線全通75周年記念乗り継ぎ(その2)

2009-11-06 21:38:50 | 中部縦貫線

白川口駅から徒歩5分の所に白川温泉があります。しかしながら、プランの都合上周辺を散策する時間は無く、4713Cに復帰して下呂近くまで歩を進めます。



出発して3分、鷲原信号場に停車して「ひだ4号」と交換。茶畑の脇に彼岸花が咲いていました。そう、このあたりのお茶は「白川茶」のブランドが付せられており、JR東海管内のKIOSKなどで販売されています。



9時31分に焼石駅に到着。交換可能駅で、ホームは対面式です。下車したのは、私1人だけだったような。



昭和4年12月築の木造駅舎が未だに健在です。無人化されて久しく、窓口などが閉鎖されています。離れたところに水洗トイレ。



滞在時間が50分あるので周辺散策。例によって、橋梁の上から飛騨川を。桜の季節はきっと絶景でしょう。



近くでは、秋の風物詩の1つ・柿の実がなってました。彼岸なのでまだ小粒ですが。ここから1.9kmの所に苗代桜がありますが、雨が強くなったのでたまらず駅に戻りました。



10時21分発の4712C(キハ48 3812+キハ40 5802)で美濃太田方面に戻ります。今日の高山本線は全体的に遅れ気味で、この列車も5分程度遅れていました。



5分遅れの11時28分に中川辺駅に到着。交換可能駅で、ホームは対面式です。



大正11年11月築の木造駅舎が、未だにリニューアルされておらず健在です。川辺町役場まで0.5kmですが、無人化されており、窓口は閉鎖されています。券売機も無かったっけ?しかし、近くのダム湖が「2012年 ぎふ清流国体」のボートの会場のアクセス駅とされており、この木造駅舎も津川駅と同じ道を辿るのではないかと思われます。記録はお早めに。


付近にはスーパーがありますが、2番線ホームのベンチは既におばさま方に制圧されてるので、道沿いの喫茶・サンシャインにてカツカレーランチで昼食にしました。



時間がギリギリでしたが、12時18分発の4717C(キハ40 5802+キハ48 3812)に乗車して再び下呂方面へ。例によって白川口駅では3番線に入り、4713C以上の時間停車して上下の「ひだ」をやり過ごしました。


つづく

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