上越新幹線の話題をお伝えします。
4日遅れとなりますが、上越新幹線では1月26日にJ編成(E2系10両編成)の運転が始まりました。J編成が上越新幹線の営業運転に入るのは初めてではないですが、今回の投入目的は明らかに200系の置き換えです。3月16日にはE4系とともに上越新幹線の主力に成長します。1号車が55席または54席、3、7号車が85席、5号車が75席、10号車が64席、2,4,6,8号車が100席なので、E4系に引けを取らない座席数が確保されるでしょう。
E2系J編成は、これまで200系が担ってきた3仕業(定期仕業のみ)に入っています。さて、1月26日、27日の「とき320号」の模様を御覧下さい。
まずは、1月26日の「とき320号」から。「とき305号」の折り返しでやってきました。E2系J8編成です。
「E224-121」を横から。運転席脇に「がんばろう日本! がんばろう東北!」のラッピングが残されています。
9号車にあるロゴマーク。2002年12月に東北新幹線が八戸開業した当時の、りんごをイメージしたロゴマークが残されています。
同様のロゴマークは1号車にもあります。
1号車の「E223-21」に行ってきました。斜めから光が入り、ロマンチックな色合いになっています。
「E223-21」を横から。「つなげよう 日本。」のラッピングが残されています。
1号車の車内。E2系0番台の普通車の座席(7,8号車を除く)は、所定の状態では前のめりになっており、リクライニングしなければ座れたものではありません。
折角なので、長岡まで乗ってきました。東北新幹線で275km/h運転してきた車両にとっては、上越新幹線の240km/h運転は余裕がありすぎる感じがします。まして、今まで200系が担ってきたダイヤだし。当日は強い冬型の一日で、北陸道の三条燕IC以南が通行止めで、国道8号は2車線になるところまで大渋滞。
10時36分に長岡駅に到着。このE2系J8編成は、東京に向けて発車しました。先頭部には「同業者」が2人。
翌27日も、「とき305号」~「とき320号」を撮影してみました。この日はJ15編成です。あの時に七戸十和田まで乗った、思い出のある編成です。
9号車にあるロゴマーク。ヘリの部分が禿げ掛かっています。1号車もそうです。
1号車「E223-28」に出ました。昼間の新潟駅14番線のこの位置は、素晴しい写真が撮れるでしょう。
「とき320号」のレポートは以上です。今回、新潟にやってきたE2系は0番台ですが、1000番台も「つばさ」併結の「やまびこ」での運用が主です。先日発表されたプレス発表によると、200系が3月15日の「とき342号」~「とき347号」で定期運転の終焉を迎え、4月14日のK47編成による団体列車にてラストランを迎えます。上越新幹線がいよいよ新しい時代に入ったと実感すると共に、北陸新幹線の足音もひしひしと感じます。
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鹿渡駅から奥羽本線1671Mに乗車。
15時54分に北金岡駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
跨線橋を渡って駅舎を出ました。平成18年2月築の簡易駅舎です。この駅に降り立って、奥羽本線全駅下車達成。
では駅舎の中へ。ベンチが南北に4脚ずつ備え付けられています。無人駅で、乗車駅証明書発行機があるだけです。
駅舎から少し空間を空けて、多機能トイレが設置されています。
それでは周辺散策。すると、秋田杉を背景に、EF510カモレが大阪方面に向けて通過していきました。
北金岡駅は静かな駅ですが、駅付近は住宅地が並んでいます。
少し歩くと空き地が目立つようになり、3分ほどで㈲フタツイエースの工場に到着。
もう少し歩くと、とある溜池に到着。ちょうど光が差してきて、ロマンチックな色合いになってきました。このあたりは池が多い一帯です。
もう少し奥羽本線の余韻に浸りたいところですが、16時33分発の1664M(701系N35編成)で帰路に就きます。秋田駅手前で防護無線を受信して、突然抑止されました。ものの2分で事なきを得て、17時37分に秋田駅に到着し、難なく羽越本線552M(701系N101編成)に乗り継ぎました。
傍らで座っていた女の子2人組と共に、酒田駅で834D(キハ47 515+キハ47 1511+キハ40 534)に乗り継ぎ、「秋田のまつり」で夕食。ハタハタの酢めしといぶりがっこが印象的でした。鶴岡で彼女らが下車した後、太平山ロングカップで打ち上げ。あの時の念願を果たしました。村上までの2時間半が短く感じました。
村上到着後、「いなほ13号」を眺め、羽越本線952M(115系N1編成+S14編成)~信越本線2560M(115系N8編成)に乗り継いで帰りました。ちょうど送別会のシーズンで、酔客多数の凄い雰囲気でした。
以上で2012年4月7日の奥羽本線駅巡りは終了です。ただ、奥羽本線全駅下車達成したといっても、大沢、関根の両駅はドライブがてらでの訪問にとどまっています。車での訪問も難しい赤岩は、現在は冬季休業となっています。臨時列車が運転されている時に訪問しておいてよかったです。秋田駅付近に新駅が出来れば行かなければなりません。後三年駅なども改築されてますし。
ところで、先日発表されたプレス発表によると、春シーズンに「日本海」「きたぐに」の設定がありません!「日本海」「きたぐに」はこの冬シーズンを以って完全廃止となったと悟りました。団体輸送用に残されているとはいえ、24系客車も風前の灯であることには変わりなく、「あけぼの」も予断を許しません。日本海縦貫線とは、一体何なのだろう。2011年8月に東能代以北の駅を巡っておいて正解でした。
完
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森岳駅から15時ちょうど発の654M(701系N101編成+N14編成)に乗車。6分くらい遅れていました。
6分遅れの15時12分に鹿渡駅に到着。退避する列車はないですが、2面3線に側線1本の構内です。尚、この駅を境に、東能代方は複線、秋田方は単線となります。
跨線橋を渡って1番線に行くと、女性の委託駅員がお出迎え。駅舎に入ると窓口があり、営業時間は6:50~18:00です。中は開放的です。
それでは駅舎撮影。平成7年9月築の、「青春館」という3階建ての合築駅舎です。トイレは右端にあります。
待合室とトイレとの間には「ヤッピースペース」。円形テーブルがあり調理場もありますが、利用時間は9:00~21:00で、火曜は休みです。ここで見取り図を描きました。
駅舎の南方には「パレス琴丘」。その入口には「縄文の輝き」というモニュメントがあり、平成7年3月に建立されました。
で、「青春館」の最上階に上がってみました。八郎潟の東部承水路まで伸びる住宅地が手にとるように。雲と光の絶妙なグラデーションです。
それでは周辺散策。駅前には農業倉庫があり、JAの施設もあります。前回も出てきましたけど、奥羽本線の町の中心駅には農業倉庫が必ずあるものです。
3分ほど歩くと、三種町琴丘総合支所に到着。典型的な役場建築です。「三種町」の由来は3つの農産物に由来すると考えられます。1つは旧八竜町のメロンだとわかりますが、あと2つは何だろう。米とじゅんさいかな。平成の大合併とは対等合併の場合、妥協の産物になりがちですね。前回の記事でも見た通り、八竜町と山本町、琴丘町の3つの自治体を一緒にしたとわかります。
跨線橋を渡って東口に出ると、小さな一戸建ての住宅が立ち並ぶ一帯に出ました。県営住宅かな。
少し歩くと、丸太が多く立ち並ぶ一帯に出ました。近くに木工所があります。遠くにある秋田自動車道を眺めると、何だか複雑な気持ちになってきました。
鹿渡駅には30分しか滞在できず、定刻にやってきた15時43分発の1671M(701系N9編成)に乗車してこの旅最後の下車駅を目指しました。
つづく
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八郎潟駅から1661M(701系N9編成)に乗車。羽越本線541M車内で出会った女性と再会し、チーズケーキまで貰っちゃいました。
14時22分に森岳駅に到着。もともとは2面3線でしたが、現在は副本線が撤去され、2面2線に秋田方に引込線1本の構内となっています。尚、この駅を境に秋田方は複線、青森方は単線となっています。
跨線橋を渡る前に駅裏の様子を。見渡す限り田んぼばかりで何もありません。嘗てはもうちょっと構内が広かったと思われます。
それでは駅舎撮影。昭和37年8月築の、典型的な国鉄後期型駅舎で、全貌は入りきりません。入口にある丸ポストがアクセントです。トイレは右端にあります。
では駅舎の中へ。委託駅ながらも「出札所」が現役で、営業時間は6:20~17:15です。さすがに荷物扱所は現役でありませんが。
「出札所」の向かいには広い待合室。壁伝いとストーブの周りにベンチが綺麗に設えられています。
駅舎から正面を向くと、「歓迎 森岳温泉」の幟が目に入ります。しかし、駅前には薬局があるだけで、とても温泉街の玄関口という感じがしません。森岳温泉は3kmほど離れており、マイクロバスかタクシーで行くのが一般的です。
駅前広場は駅舎の北側にあります。歓迎の塔を挟んで2体の河童が鎮座しているのは何故でしょう?
それでは周辺散策。駅舎近くは古い住宅地が並んでいます。旧山本町は「日本一のじゅんさいの里」と銘打っていました。
少し歩くと水田地帯に出て、3分ほど歩くと三種町山本総合支所&給食センターに到着。平成の市町村合併は、地元民以外は想像も付かないような自治体名になりがちですね。
駅の方に戻ると、年季のある農業倉庫に出会いました。トラック輸送が一般的になる前、奥羽本線の町の玄関にあたる駅は農産物の集散地だったに違いありません。
上り列車に乗ろうと、改札をくぐって1番線へ。秋田方に行くと、あまり手入れされていないようなミニ庭園があり、ちょうどふきのとうが満開でした。
つづく
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鯉川駅から13時14分発の650M(701系N7編成)に乗車し、1駅秋田方面へ。
13時20分に八郎潟駅に到着。この駅で折り返す列車があり、2面3線の構内です。その横に朽ちた側線があります。尚、この駅から秋田方は複線、東能代方は単線となっています。
跨線橋を渡って駅舎の中へ。窓口のようなブースがありますが、2012年2月11日を以って「Kaeruくん」から指定席券売機に変わっています。駅員は居ますが、運輸業務とサポート業務のみです。以前紹介した鷹ノ巣駅も同様の道を辿っています。尚、指定席券売機と券売機の運用時間は6:50~18:55で、それ以外の時間帯は乗車駅証明書発行機での対応となっています。
それでは駅舎撮影。昭和40年12月築の、典型的な国鉄後期型駅舎です。通路の右側は待合室で、トイレは右端というつくりです。
広い駅前広場の向かいには「潟の詩」というアートがあります。平成元年5月に信楽焼により造成されました。なまはげとうたせ舟のイメージでしょうか。尚、ここに描かれている願人踊は、毎年5月5日に開催されます。
駅前広場の北方には「花のかんむり」(平成元年3月)の銅像。お母さんが子供に花の冠を授けているイメージでしょうか。
駅前から少し北に進むと、年季の入って且つどっしりとした農業倉庫がありました。鉄道の駅が農産物の集散地だった頃を物語っています。
5分ほど歩くと、八郎潟町役場に到着。昭和40年代の香りがする役場建築です。早口駅で降りた時も同様の役場を見たっけ。
八郎潟町役場近くのローソンで食料を調達し、駅裏に行こうと、自由通路「ふれあいロード」を渡ります。明るく開放的で、壁には絵画が飾られており、私の目を楽しませてくれました。
駅裏に出ると、住宅地の向こうに独特の形をした山が聳えていました。森山といって、頂上の方に森林公園があります。八郎潟駅での46分間はあっという間でした。
つづく
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今年は、偏西風の大蛇行により例年にない厳しい冬となっており、1月12日には秋田市で68cmもの積雪を記録しました。で、そんな厳しい冬を吹く飛ばすべく、これより2012年4月7日の乗り継ぎ旅をお送りします。昨年の冬も例年になく厳しく、新潟市でも4月だというのに雪がうっすらと積もっていました。
自転車で新津駅に行き、「18きっぷ」に日付印を入れてもらい、6時15分発の羽越本線823D(キハ110-201+キハ110-212)で出発。
海が見える席を取ったので、村上を出ると、笹川流れの車窓を楽しめました。
9時30分に酒田駅1番線に到着。2番線に停車中の541M(701系N8編成)に乗り継いで秋田へ。
541M車内では一眼レフのカメラをもった女性と出会いました。私と同じく「18きっぷ」で旅しているそうで、この日は函館まで行くそうだ。新松戸に住んでいるそうで、武蔵野線のことなどで話が弾みました。11時30分に秋田駅に到着。
この旅の本題はここから。夕食用の駅弁と清酒3種を購入し、11時51分発の奥羽本線1655M(701系N16編成)に乗り継ぎました。向かいの女性がお握りを食べてたので、釣られて私も昼食タイム。
12時30分に鯉川駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
それでは駅舎撮影。平成19年7月築の簡易駅舎で、待合室が黒系のつくりです。入口に乗車駅証明書発行機があります。トイレはありません。
待合室の様子。左右合わせて8つの窓が特徴的ですが、東能代方にしか座る場所がありません。勿論無人駅です。壁には、東能代駅で自動改札使用開始のポスターが掲出されていました。
駅前の様子。この区間の特徴である秋田杉の防風林の向こうに人家が1軒あります。自転車置き場があって絵になります。
集落を抜けると、田んぼの向こうに八郎潟の東部承水路の眺望が広がっていました。
坂の途中には交通事故慰霊碑。昭和39年12月22日の交通事故死を悼んで、昭和40年1月25日に建立されました。個人の交通事故死の慰霊碑は極めて珍しく、日本がまだ車社会になりきっていなかった時代の世相を反映しています。
で、道端ではふきのとうが満開でした。
東口に行く途中で跨線橋からふと見たところ、4096レと4061レの交換シーンが展開されました。日本海縦貫線でEF81のカモレは貴重になりました。
東口に出ました。駅前は広いですが、自転車置き場があるだけで駅舎はありません。
少し歩くと、長閑な田園風景が広がっていました。遥か向こうに八郎潟の東部承水路が見えます。
つづく
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次は、上越新幹線の話題をお伝えします。
あの時にお伝えした通り、1982年11月15日の上越新幹線の開業以来走り続けた200系は、今年3月16日のダイヤ改正で定期運用から撤退します。播但線駅巡りの時にお伝えした通り、1月26日にも「とき」「たにがわ」にE2系が入り始めます。「きたぐに」や「日本海」が完全廃止と噂されており、昭和の名車が続々と過去帳入りするご時世ではないでしょうか。
で、早速ですが、200系の最後の活躍をご覧下さい。1月6日の「とき320号」と9日の「とき346号」です。
まずは1月6日の「とき320号」から。「とき305号」として新潟駅14番線に到着しています。編成はK41編成です。
「222-1001」を横から。東日本大震災の際に貼られたステッカーが取り外されるP編成が出てきていますが、運転室の横に「がんばろう日本! がんばろう東北!」が残されています。
1号車部分から先頭部を撮影。ここから見ると迫力ありますね。この時期だけに「同業者」が多数です。
「221-1001」を横から。「つなげよう日本。」が残されています。このラッピングのまま廃車となった車両が実に多いです。
続いて、1月9日の「とき346号」。「とき331号」として新潟駅14番線に到着しています。編成はK47編成です。
「221-1510」を横から。運転室の横に「つなげよう 日本。」が復活しています。
折角なので、10号車側へ。東北新幹線25周年を記念して平成19年5月に原色にリバイバルされた編成ということで、「上越新幹線30周年号」などに使用され、HMに「30th」や朱鷺の姿が貼られることもありました。
「222-1510」を横から。ラッピングはなく、オリジナルの姿を保っています。平日ということで、「同業者」は1名のみでした。
200系の紹介は以上ですが、ここで紹介した他にはK42、K43、K46、K51が現存します。しかし、1月26日にE2系が上越新幹線に入ると定期列車での仕業数が2本に減少し、200系の廃車が更に進みます。200系の乗車、記録は今のうちです。「とき347号」あたりがおすすめです。K47編成は、JR東日本の広告塔の役割も担っているので、当分期間はイベント列車などで残ると思います。次回の新潟新幹線車両センターの公開で展示されるかどうか。
次は、奥羽本線の乗り継ぎ旅をお伝えします。
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今年3月のダイヤ改正では、前に述べた他にJR西日本205系や中央本線辰野周りの「ミニエコー」の引退、211系長野地区版や烏山線用EV-E300系の運転開始など各地で大きな変化が起こります。「きたぐに」や「日本海」の運転も、この冬が最後だと噂されています。プレス発表には出ていませんが、E653系「いなほ」の運転開始も近いうちに始まります。
1986年11月1日、新潟に485系が72両配置されました。当初は「雷鳥」「白鳥」「北越」に充当されてきましたが、現在は「北越」「いなほ」「くびき野」「おはよう信越」「らくらくトレイン信越」「らくらくトレイン村上」に運用されています。T11~18編成、R21~23編成、R25~28編成、K1、K2編成のラインナップです。485系が全国各地で引退を続ける中、今時特急列車の主力として活躍しているのはある意味「奇跡」だといえます。
さて、特急いなほ号の写真を御覧下さい。新潟駅6,7番線が現役だった頃の雰囲気をお楽しみ下さい。
2012年9月15日の「いなほ8号」。2つ目ライトが名物のT18編成でやってきました。大形駅通過のシーンですが、稲穂の季節に「いなほ」、いい組み合わせです。
2012年9月22日。5番線に入っていた、国鉄色K1編成の「くびき野3号」に、T18編成となった「いなほ5号」が6番線に入りました。国鉄色の並びが実現。
2012年9月22日の「いなほ8号」。R21編成の6連で新潟駅7番線に到着しました。
2012年10月27日の「いなほ3号」(T15編成)。所定の表示で新潟駅6番線に入線。その直後に5番線から発車した931M(115系L2編成)と一瞬だけ並びました。
2012年10月27日の「いなほ8号」。T12編成で新潟駅7番線に到着しました。
2012年10月28日の「いなほ4号」。T11編成で新潟駅6番線に入線しました。
新潟駅線路切り替え工事直前の11月3日の「きらきらうえつ」の発車シーン。4、5番線の一部が使用停止となりました。6番線から発車するシーンは今や見れません。
同じ日の「いなほ3号」の発車シーン。R22編成で発車しましたが、新潟駅6,7番線がこの日限りで廃止となることから、何人か「同業者」が居ました。このシーンはお蔵入りです。
その直後に7番線に入ってきた「いなほ6号」(T14編成)。新潟駅6,7番線の記憶は、きっと利用者の心に刻まれるでしょう。
新潟駅6,7番線が現役だった頃の雰囲気はいかがでしたか?485系「いなほ」はそう長くありません。これからも、事あるごとに当ブログでも「いなほ」のシーンを紹介していきます。
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浮間舟渡駅から乗った1502Kは、15時35分に北赤羽駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。
コンコースに下りて改札を出ました。自動改札の右側にトイレがある構造です。右手には券売機がありますが、指定席券売機はありません。確かあるはずだけどな…。
それでは(西側の)駅舎を撮影。高架下に隠れた、コンパクトなコンクリート駅舎です。西側にマルエツが隣り合います。
東側に行く前に、西側の駅前の様子を。駅舎前には自転車が雑然と置かれています。セブンイレブンの向こうには高層マンションが並んでいます。
雨の中、もう1つの駅舎を目指して歩きます。
しばらく歩くと、新河岸川を渡ります。そう、北赤羽駅は「川の上にある駅」なのです。ホーム上に居ただけでは分かりませんが。
その後、とある横断歩道を渡り、「アルカード壱番街モール」を抜けると…。
駅前広場らしいロータリーに出ました大きな木の下に「和」のモニュメントがあります。正面のライフはでした。
振り向くと、東口の駅舎です。1号車側と10号車側の駅舎が異なるのは、石川町駅がいい例です。
では、駅舎の中へ。4台の自動改札の左には券売機があり、そこには指定席券売機もあります。で、トイレは改札をくぐってすぐ左手にあります。
南側の駅前広場に出ました。正面には高層マンションがあり、横には北区民プラザもあります。
16時14分発の1502K(205系15編成)で赤羽に出た後、高崎線925M(E231系U536編成)に乗り継いで高崎へ。グリーン車に乗ったので、北本で相席の彼女が下車すると白金酒造のいも焼酎でやけ酒(?!)。強風で湘南新宿ラインが当てにならないので、これに乗って正解でした。高崎からは上越線747M(115系T1147編成)へ。
渋川~敷島で風規制があっても、水上にて8751M/1751M(115系N26編成)に乗り継げました。検札終了後、高崎駅での駅弁大会で購入した「みやぎ黄金街道」で夕食。長岡到着後、信越本線461M(115系N32編成)で新津に帰還しました。
「武蔵野線全駅下車への道 第2回」は以上です。爆弾低気圧の影響で、後半は埼京線駅巡りとなりました。ですが、吉川美南駅の訪問を果たすなど、実りの多い乗り継ぎ旅になりました。
ところで、「武蔵野線全駅下車への道 第3回」はどうなっているかというと、実は今年の正月に実施しました。武蔵野線全駅下車して南越谷駅、新秋津駅の再訪を果たした上、埼京線全駅下車も果たしてきました。この模様は春先にUPする予定です。
武蔵野線全駅下車への道 第2回 おわり
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14時13分に戸田公園駅に到着。
南口の調査を終えて北口に出ました。これを見ると、戸田公園駅が3階建てなのがわかります。ですが、南口とは異なりロータリーはありません。
大宮方に進むと市民花壇が形成されており、ちょうどパンジーが満開でした。
駅前の様子。付近に大きなドラッグストアがあり、人通りが多いです。徒歩圏内に戸田総合病院があります。
とうとう雨が本降りになり、これ以上の探索を諦めて僅かなスペースで休憩。旅の記念にと、「戸田市歌」の発車メロディーを収録しました。
折角なので、並行する東北・上越新幹線の列車をシュート。E2系の「あさま」がモノになりました。
14時50分発の1456K(205系32編成)に乗車し、埼玉県から東京都へ。2分遅れていましたが、折からの強風で荒川橋梁では徐行運転。
14時58分に浮間舟渡駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。
それでは駅舎撮影。内子駅と同様に駅舎が高架の下に内包され、埼京線唯一の地上駅舎です。この駅舎の東には焼き鳥屋やKIOSKがあり、西にはマルエツが入っています。
駅舎内部へ。勿論有人駅ですが、窓口の類はなく指定席券売機などになっています。5台の自動改札の奥にトイレがあります。尚、右手にはQBhouseが入っています。
で、駅前の様子。駅前ロータリーはパンジーなどが咲いていました。東側正面にはファミリーマートやオリジン弁当などがあります。雨でレンズが曇っており、撮影に苦労しました。
激しく叩きつけるような雨の中、決死の思いで周辺散策。信号を渡ると、そこは浮間公園です。
浮間公園は大部分が浮間ヶ池になっており、風車がアクセントです。画像でも分かるくらい強い雨が降っており、これ以上の探索を諦めました。爆弾低気圧のもう1つの側面というものか。
15時12分発の1440Kに乗りそびれたので、時間を持て余しました。ホームから南方向を眺めると中学校がありました。ただ待っていてもしょうがないので、脇を通過する新幹線をシュート。E4系の通過が素晴しい出来でした。
15時32分発の1502K(205系15編成)に乗車し、この旅最後の下車駅を目指します。
つづく
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