九頭竜湖駅から14時33分発の730Dに乗車。顔ぶれは行きとほぼ同じですが、新たに乗る客も居て727Dよりは多いように感じます。
15時18分に越前大宮駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。ここで下車したのは私1人。
越前大宮駅は、如何にも以前駅舎があったかのような大きな駅前広場をもちます。越前大野方には大宮ふれあい会館。
その公民館から更に越前大野方に行くと、見事なまでに八重桜が。
越前大宮駅での滞在時間はたったの15分。計石駅と順番を逆にすればよかった~。
駅前の横断歩道を渡って石段を上ると、浄土真宗大谷派の寺院である東洲山 願浄寺。
石段を登り切り本堂へ。ですが、子供達が遊んでいたので、お参りだけしてそそくさと折り返しました。
残り少ない時間で駅舎撮影。越前富田駅などと同様の待合所です。
待合所に入って見取り図を。ベンチが設えられていますが、座布団が敷かれています。
いつの間にか出発の時間となりました。15時33分発の729D(キハ120 202)に乗車して越前大野方面へ。
15時43分に北大野駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。京都から帰省とおぼしき夫婦と下車。
まずはホームから見る景色を。一面の水田地帯が広がっています。
それでは駅舎撮影。高床式の大きめの待合室です。階下にはちょっとした駐輪場。
一旦駅舎の中へ。一列に木造のベンチが設えられてますが、全面に窓があり明るい印象です。この旅で感じたのですが、越美北線で最も利用客の多い駅は、実はここ北大野駅ではないかと。
ついでに時刻表を。1日9往復です。次の上り列車は17時10分発…。よって、越前大野駅まで歩いていくことに。
出発の前に用を足しておきます。で、トイレはこのブロック積みの建物ですが、実は汲み取り式なのです。
つづく
<ブログランキングに参加しています。是非ワンクリックお願いします。>
越美北線駅巡りの前にニュースをお伝えします。長らく「北越」「いなほ」で活躍し、一時期は「くびき野」に尽力したT15編成は、昨日長野車両センターに廃車回送されました。平成24年9月に全検を受けており、前日にはミステリー列車に入っているので少し信じられない思いです。これにより、上沼垂色の485系はT13編成のみとなり、「くびき野」はR編成の時代に突入したと感じました。
では、本題に。富田小学校の前を通過すると越前富田駅に到着。越前田野駅を出て41分でした。
それでは駅舎撮影。越前田野駅と同様の待合所です。ほたるの里の高架下で、分かりにくい所にあります。
ホームに上がります。越前富田駅は片面ホーム1面のみの構内です。駅裏は正徳中学校グラウンド。
一旦駅舎の中へ。木造ベンチが1列に設えられており、座布団が敷かれています。
では、時刻表を。1日5往復です。次の列車は13時51分発…。
ほたるの里で歯磨きしても暇なので少し散策。田んぼの向こうには古い日本の住宅。このあたりに御所五郎丸の墓があります。
出発まで私1人。13時51分発の727D(キハ120 201)に乗車。矢張り家族連れで混雑しており、母娘の横に座らせてもらった次第。
14時15分に九頭竜湖駅に到着。滞在時間が18分しかないので、速攻で改札をくぐりました。委託ながらも駅員が配置されており、昼間帯は乗車券の販売を行っています。
右手(東側)には大きな待合所。その横にはトイレがあります。
それでは駅舎撮影。昭和62年10月改築のログハウスの駅舎です。連休中で車の出入りが多く、撮影に苦労しました。
駅舎の福井方には和泉ふれあい会館。ここで土産物を買いましたが、当然ながら戦争でした。
一方、九頭竜湖駅の右隣には道の駅・九頭竜。(旧)和泉村は笛の里で、道の駅の方には笛が展示されています。
で、エントランスでは2匹の恐竜がお出迎え。実際に動くので、子供達に大人気です。
出発の時間が近づき、ホームに上がります。まずは車止めを眺めますが、末端近くで線路が二手に分かれています。
振り返ると「キハ120 201」が出発を待っていました。申し遅れましたが、九頭竜湖駅は片面ホーム1面のみの構内です。
つづく
<ブログランキングに参加しています。是非ワンクリックお願いします。>
そろそろ出発の時間となりました。11時2分発の728D(キハ120 203)に乗車して越前下山駅を出発。メンツは行きとほぼ同じ。
11時22分に越前田野駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。開業当時からと思われる待合所のみの駅です。トイレはありません。
この駅を見方を変えて。何て素晴らしい芝桜でしょう!降り立って心がこんなにも洗われたのは、これまでの駅巡りで1度あるかないかです。
ホームからの風景を。荒島岳が真正面。長閑な昼下がりのひと時です。
では、駅舎の中へ。木造のベンチが1列になっており、座布団が4枚ほど敷かれています。ここでしばし昼食タイム。
ついでに時刻表を。1日5往復で、使えるのは事実上3往復しかありません。
30分ほど滞在したところで越前富田駅に向けて出発。駅前が墓場だというのは玉に瑕ですが。
出発してすぐ左手に視点を向けると、遥か遠くに白山連峰の山々が。
右手に視点を向けると、水田の向こうに荒島岳の雄姿。
しばらく進むと、再び芝桜の群生に出会いました。
更に進むと、大きな樹木に出会いました。向こうには荒島岳。
農道をひたすら進みます。
ほぼ中間地点には、㈱大野パッキングの工場が。
右手には溜池があり、荒島岳が水鏡になっていました。
富田小学校近くの白山神社でお参りすれば、越前富田駅はもうすぐです。
つづく
<ブログランキングに参加しています。是非ワンクリックお願いします。>
小和清水駅を出て53分で美山駅に到着。
それでは駅舎撮影。平成15年12月改築の、「美山観光ターミナル」という木造駅舎です。トイレは福井方にあります。
では、駅舎の中へ。ベンチが2つ置かれています。無人駅で、券売機の類もありません。
ショーケースには美山町の特産品や銘菓が展示されています。
駅前の様子。道路を挟んで向かいには越前信用金庫があり、隣には郵便局もあります。
構内踏切を渡ってホームへ。申し遅れましたが、美山駅は交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。9時40分発の725D(キハ120 203+キハ120 202)に乗車して九頭竜湖方面へ。
越前大野駅にて「キハ120 202」を切り離します。多くの乗客を集めており、連結器近くは人だかりが出来てました。「キハ120 203」のみになった725Dは、まるで葬式鉄であるかのごとく混雑してました。
10時42分に越前下山駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。下車したのは私1人。
725Dは、終点・九頭竜湖に向けて発車していきました。
それでは駅舎撮影。昭和47年12月の開業以来のブロック積みの待合所です。トイレはありません。
一旦、駅舎の中へ。明かり取りの窓があり、明るい印象です。木造ベンチが設えられており、座布団が敷かれておりおもてなしが温かいです。
ついでに時刻表を。1日5本ずつで、駅巡りに使えるのは実質3本しかありません。
越前下山駅の名物といえばコレ。「九頭竜温泉駅」の駅名標です。その「九頭竜温泉」とは平成の湯のことであり、東方600mのところにあります。
東方ではなく西方に向けて周辺散策。駅前は日本の原風景そのものです。
そのまま進むと荒島岳(1523.5m)が目の前に。そう、越前下山駅は荒島岳の登山口の駅で、上りが4時間40分くらいといわれています。
短い周辺散策を終えて、駅に戻りました。駅前の民家では桜が可愛く咲いてました。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
計石駅から724Dに乗車。福井に出るには頃合いがよく、「キハ120 201」のみの単行ということもあって結構混雑してました。
8時3分に小和清水駅に到着。片面ホームと待合所のみの駅です。
一旦駅舎の中へ。木造のベンチが設えられていますが、緑色に塗られているだけです。
では、越美北線の時刻表を。上下9本ずつで、全てワンマン列車です。
で、並行する路線バスの時刻も。福井駅行きと大野市内方面行きがそれぞれ概ね1時間おきに出ており、完全に越美北線の代替交通手段になっています。
さて、駅前に出ました。大きな桜の木が存在感を示しており、長閑な駅風景が出来上がっています。トイレはありません。
駅の由来となった清水は福井方面に行くと湧き出ているようですが、今回は越前大野方面に進みます。すると、ふるさと会館がありました。
ふるさと会館は平成15年1月に竣工。それに伴い、土地改良記念碑も駅前に移設されています。
それでは、国道153号を美山駅まで歩きます。集落を抜けると、足羽川沿いに出ました。
国道153号は歩道がなくちょっと怖いです。でも、車の切れ目を狙って川沿いに出て、足羽川の渓谷を楽しみました。
左カーブを切ると、右岸にはみやま長寿そば道場・ごっつぉさん亭。間もなく足羽川を渡ります。
足羽川を渡りきると、「福井豪雨の記憶」というモニュメント。新潟の「7・13水害」から5日後の平成16年7月18日、その福井豪雨が発生しました。未明から昼前にかけて、美山町では観測史上最大となる1時間あたり96mmを記録し、降り始めからの総雨量が285mmという豪雨となりました。越美北線は橋脚が4か所も流失し、長期間の運休を余儀なくされました。このモニュメントは、流された鉄橋のうちの1つ、足羽川第7橋梁をもとにつくられています。
福井豪雨のモニュメントを出発すると、眼下には越美北線の線路が。
坂を下り越美北線沿いに出ると、福井駅行きの京福バスとすれ違いました。
飲食店やコメリが見え、美山の市街地に入りました。間もなく、美山駅です。
つづく
2013年5月4日(土)の朝となりました。いよいよ越美北線全駅下車行の始まりです。
夜中に1回目が覚めましたが、6:00に起床。客室の窓からは、祭りをイメージしたと思われる福井駅の高架の駅舎が。
カロリーメイトの朝食を取り、6時34分発の越美北線723D(キハ120 201)で出発。始発ということで、「同業者」と地元民が数人。
「しらさぎ2号」で急病人が発生した関係で、3分遅れの6時37分に発車。越前東郷駅を出ると、足羽川に沿って進みます。
7時20分に計石駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。昭和35年11月築の待合所のみの駅です。トイレはありません。
では、駅舎の中へ。木製の長椅子が1つだけですが、ビニールが敷かれています。
折角なので、周辺を見てきます。こいのぼりが上がり、長閑な日本の山村です。
水を張った水田もあり、素晴らしい水鏡も見せてくれます。
国道153号をそれると、さっきのこいのぼりの民家が水鏡に映っていました。
線路の南側の民家を。このあたりの民家は、卯建のある家が多いです。
近くで見られた草花を。GWはまさに芝桜の季節です。
では、時刻表を。上下9本ずつで、全てワンマン列車です。上下それぞれ昼間帯に3時間半もの空白時間帯があります。
で、ついでに計石バス停を。福井駅行きと大野市内方面行きがそれぞれほぼ1時間ヘッドで出ています。
計石駅から越前大野方面へ向かうと、ちょっとした峠越えになります。7時48分発の724Dに乗車して福井方面へ。
いよいよ夏の「青春18きっぷ」シーズンに突入し、遠方に出かける計画を立てられている方も多いでしょう。私も北上線駅巡りとか江差線全駅下車達成などを考えています。
でも、これからお伝えするのは、北陸新幹線開業直前スペシャル第3弾・越美北線全駅下車の旅です。2013年のGWに実施したので、「青春18きっぷ」は使えず、新津~勝原の往復乗車券などを使いました。また、新潟から大阪方面への夜行列車はすでになく、福井に前泊することに。
さて、出発の前に越美北線の概要を紹介します。越美北線は、越前花堂と九頭竜湖を結ぶ、全長52.5km、駅数21の地方交通線です。「北線」があれば「南線」はどこかというと、現在の長良川鉄道(美濃太田~北濃)なのです。もともとは越前花堂と美濃太田を結ぶ計画でしたが、九頭竜湖から北濃の間が未成のまま国鉄民営化を迎えて今に至っているのです。車両については全てキハ120系となっており、単行または2両編成で運転されています。
それでは出発しましょう。
2013年5月3日(金)。信越線442Mが出発する少し前に、弟に新津駅まで送ってもらいます。そして、15時34分発の「北越8号」(485系R26編成)で出発。自由席の列には家族連れなどが多く並んでたので、4月下旬に指定を取って大正解でした。
日本海が見える席に陣取って柳都で一杯やりました。乗り始めは快適そのものでしたが、長岡で大量に乗り込んで私の隣にも子供が座ってきました。完全に油断してました。直江津到着時に「春の歌」が、富山到着時には「主よ、人の望みを喜びよ」が流れました。富山を出てからは夕食タイム。
「主よ、人の望みを喜びよ」が流れ、18時59分に金沢駅に到着。「クロハ481-3026」に行ってみましたが、矢張りヘッドマークは真っ黒でした。
特急料金節約のため、19時18分発の北陸線368M(521系M05編成+G05編成)に乗車。矢張り、帰宅客で結構混んでました。
加賀温泉駅では「サンダーバード44号」に抜かれます。683系W34編成+V34編成でした。これを見送って福井駅には20時48分に到着。その後、東横インで2泊しました。
つづく
「いなほ」が全てE653系になり、485系が全て入る特急列車は「北越」だけとなりました。北陸本線最後の485系への注目は日に日に高まっています。昨日は、「北越2号」などに国鉄色のK1編成が入り、平日ながら大きな注目を集めました。そんな485系の特急列車も来年3月で廃止なので、早めに乗車・記録していきたいものです。
それでは、2014年4月、5月の特急北越号を見てみましょう。特記以外は新潟駅での撮影です。今はもう鬼籍に入っている編成もありますが、どうぞご覧下さい。
張子は、4月5日の「北越10号」。R27編成でした。
お次は、4月6日の「北越4号」。T12編成でした。亀田駅で撮影。
3つ目は、4月13日の「北越4号」。T13編成で入ってきました。白新線633M(E127系V5編成)と並べました。
4つ目は、4月18日の「北越10号」。1号車のヘッドマークのないR26編成でした。
5つ目は、4月19日の「北越4号」。T13編成で越後石山駅を通過していきました。
6つ目は、4月20日の「北越4号」。T12編成で金沢に向けて発車。
ついでに、9番線に到着する「北越1号」を。R26編成でした。
8つ目は、4月26日の「北越4号」。R27編成でした。
例によって、9番線に到着する「北越1号」を。R23編成でした。
さらに、さつきの駅を通過する「北越6号」を。R25編成でした。
4月27日の「北越1号」は越後石山駅で狙いました。R21編成でした。
4月29日の「北越4号」は、長岡駅で「越乃Shu*kura」の見学会のついでに撮影。T13編成で到着しました。
5月3日の「北越4号」はT12編成。入線を利用して、白新線633M(E127系V11編成)と並べました。
5月10日の「北越4号」。R23編成で出発を待っていました。
「北越6号」は越後石山駅で狙いました。T12編成で颯爽と通過しました。
5月11日の「北越4号」はR23編成でした。「北越」となったところでパシャリ。
越後石山駅に行き、「北越1号」を。R26編成でしたが、残念ながら「回送」となってました。
5月15日の「北越10号」はT12編成でした。1546Mが出発したところで。
5月17日の「北越1号」は越後石山駅で狙いました。T12編成で颯爽と通過していきました。
5月24日の「北越1号」は鯨波駅で狙いました。日本海を入れて。R22編成で新潟駅に向かっていきました。
ついでに「北越2号」も。R27編成で金沢に向かっていきました。やや逆光気味か。
5月25日の「北越4号」はR22編成でした。この日は9番線から撮影。
今回の締めくくりは、9番線に到着する「北越1号」。T12編成でした。
T12編成追悼記事ではないですが、「モハ485-1016」の銘板を。昭和51年東急車輌製造でした。
今回の北越号は以上です。今回登場したT12編成ですが、6月26日夜から27日未明にかけて土崎工場に廃車回送されてしまいました。「いなほ」が全てE653系となったことで485系新潟車の運用が5本となり、間もなく更なるT編成の廃車があるでしょう。T編成の「北越」は幻になってしまいましたね。
ところで、K1編成についてですが、あの時に「一村一山号が最後の花道」と言ってしまいましたが、「スターライト舞浜号」が新潟発で7月25日、8月8日、9月12日に設定されていることから、9月の半ばまでは存続するでしょう。ただ、9月13日の「一村一山号」が185系での運転となっており、T18編成が「くびき野」に入るとはいえ、485系の国鉄色は本当に幻の存在になっています。これからも485系新潟車の動向に要注目です。
次は、北陸新幹線開業直前スペシャル第3弾をお伝えします。
現在、新潟駅の旧5,6,7番線では高架の形が出来つつあり、今にも上越新幹線と同じ高さまで上がろうかという勢いです。そんな中、4番線では、東跨線橋からの乗換通路が6月29日に変更となり、更に7月13日には西跨線橋からの乗換通路も変更となりました。新潟駅高架化工事はこれからが佳境といったところでしょう。
それでは、ここ2週間の新潟駅高架化工事を見てみましょう。
2014年6月28日。旧5番線の屋根が徐々に剥ぎ取られており、新幹線側では構造物が出来つつあります。
東跨線橋から西跨線橋への通路から。作業員が何かを運んでますね。
西跨線橋から白山方を望む。こちらも高架橋の工事が進んでいました。
4番線の西側には何か意味ありげな構造物が。ひょっとしたら、乗換通路になるかもしれませんね。
2014年6月29日。東跨線橋から4番線への乗換通路が変更となりました。6両編成の列車でもこの入り口からは狭いホームをしばらく歩かされます。
東跨線橋から4番線への連絡口。白山方ではなく東新潟方に曲げられます。
2014年7月5日。西側自由通路の真下から。よく見ると、3階部分まで高架が積み上げられようとしていますね。
旧5番線では、穴がある規則に従って掘られていますね。そこでも高架の基礎がつくられようとしています。
2014年7月7日。17時40分を過ぎても高架化工事はたけなわです。で、手前のオレンジ色の板は、もしかして乗換通路の屋根??
2014年7月10日。東跨線橋から越後石山方にはクレーン車がドカンと置かれており、大きな構造物もありました。東側自由通路の袂には残土のプリン。
2014年7月12日。ふと高架の下部を見てみると、意味ありげな大きな空間が。
2014年7月13日。遂に、4番線の西側の乗換通路が変更となりました。4番線に到着する列車から降り立った乗客は、一旦白山方に迂回させられます。
その乗換通路の出た先(入口)。何と、改札内のトイレと南口の西側改札の目の前ではないですか!よく見ないと間違えそうです。
これまで4番線への階段であったブースは完全に閉鎖されました。連絡通路から4番線のホームには直接出れなくなったのです。
4番線乗換通路変更レポートは以上です。今回の通路変更の理由は、旧5番線にも高架橋をつくるのが目的だったのではないでしょうか。北陸新幹線開業後、「北越」が廃止となって列車本数が減少したら、4番線を廃止するのかもしれません。通路が曲げられているので、4番線の列車をご利用の際は時間に余裕を持たせた方がいいですよ。
今年3月のダイヤ改正で長野地区にて115系電車の運用が急減しました。そんな中、新潟車両センターに4編成が疎開され、それぞれ「N34編成」、「N35編成」、「N36編成」、「N37編成」と命名され、このたび運用に入ったのが確認されています。10日の越後線1547Mと一昨日の信越線2552Mには、N34編成+N35編成が入りました。昨日の信越線432Mには、N37編成が青色のN21編成を従えて入っており、そして本日の信越線444Mには、N36編成がN1編成を従えて入っていました。
それでは、少し古いですが、2014年1月末から3月までの新潟の115系電車をご覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。
張子は、2014年1月25日の白新線1632Mから。N32編成+N8編成で1番線に迫ってきました。
東新潟駅に移動し、羽越線1932Mを。N33編成がS13編成を従えていました。
3つ目は、2014年1月26日の信越線432Mを。S14編成+L14編成でした。
4つ目は、115系電車の並びをご覧下さい。左がS3編成である越後線136M、右が湘南色に塗り替えられる前のL9編成である羽越線931Mです。2014年2月2日撮影。
5つ目は、同日の信越線436M。先頭と最後尾が2000番台であるL5編成でした。
6つ目は、2014年2月9日の信越線434M。N32編成+N3編成でした。白新線633Mが少し遅れてくれて助かりました。
7つ目は、同日の信越線436M。L12編成でした。今では「クハ115-1024」の塗装が少し剥げています。
8つ目は、2014年2月12日の信越線432M。S7編成+L10編成でした。
9つ目は、同日の信越線438M。N8編成+N17編成でした。
そして、2014年2月13日の羽越線939M。L2編成でした。東新潟駅で撮影。
2014年2月15日。上越新幹線が止まった日でした。越後線136MはS10編成でした。
2014年3月2日。信越線429MはL14編成でした。
そして、同日の石打からの1721M。N6編成でした。
更に、9番線から信越線1323Mを。N17編成+S10編成でした。
2014年3月8日。亀田駅にて信越線431Mを撮影。N10編成+L7編成でした。
バリ晴れとなって信越線434Mを。N27編成+N8編成でした。
新潟駅に戻り、羽越線931Mを。L10編成でした。
そして、信越線436Mを。L5編成でした。
2014年3月9日。信越線1323Mは、N26編成+S11編成でした。
そして、白新線1632Mを。N21編成+N6編成でした。
2014年3月22日。羽越線931MはL3編成でした。
信越線436Mは入線時をパシャリ。インバータークーラーのL2編成でした。
最後は、2014年3月23日の信越線432M。S14編成+L1編成でした。
今回の115系電車は以上です。今回の長野色の編成の編入は何を意味しているのか。単に車両不足を補うためとは考えられません。これから始まるE129系電車の投入を前にしての嵐の前の静けさでしょう。秋以降、製造年次の古い編成には大ナタが振る舞われるでしょう。本当に目が離せないのはこれからです。
次は、新潟駅高架化工事関連の記事をお伝えします。