クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

2006年3連休パスの旅(1日目)

2007-09-29 16:53:47 | 東北本線&烏山線

 東北本線は、もともと東京と青森を結ぶ大幹線であり、現在でも首都圏と東北・北海道を結ぶ寝台列車や貨物列車が多数走っている。しかし、2002年の東北新幹線・盛岡~八戸間の開業によって、同区間は、IGRいわて銀河鉄道&青い森鉄道に移管され、東北本線は分断された格好となった。
 私が東北本線の完乗を果たしたのは2000年3月であり、その際にもいくつかの駅に下車している。本ブログで紹介するのは、2006年9月以降の駅巡りについてである。
 ここからは、羽越線全駅下車達成前夜の2006年9月16日の旅模様を紹介しよう。



出発は例によって、新津0時6分発のムーンライトえちご(K2編成)で。青春18シーズンが終わっているにもかかわらず、隣に人が座っていたのは意外だった。


新宿での3分乗り継ぎに失敗し、後続の406T(201系T4編成)で東京に向かう。当時は201系が中央線の主力であった。

東京でやまびこ41号(J64編成)に乗り継いだ。この時は指定を取っていたので、安心して駅弁を買った。しかし、指定された号車は、本来自由席であるはずの4号車で、B席、C席にも座っている人が居た。自由席は激パ必至であろう。

 
一ノ関で下車して東北線駅巡り開始。9時丁度発の1531Mでとりあえず北へ。


最初の下車駅は六原。それほど大きくない駅ながらも2面3線あった。社会科研究をしている女の子が居座っていたが、旅行者である私の事はどう映ったのだろうか。

 
東北線ではすっかり数を減らしたED75が出発の時を待っていた。

 
六原10時丁度発の1532Mで2駅戻って水沢へ。水沢駅は一応水沢市の代表駅ということで、駅前はそこそこ活気がある商店街が形成されていた。

10時45分発の1533Mで1駅北上し、金ヶ崎に下車。1534Mの発車まで19分あったが、そこで信じられない情報を聞いてしまう。

    「東北新幹線全線運転見合わせ」

架線にビニールが引っかかって停電したのが原因らしいが、これから首都圏から東北に向かおうという人には悪い情報である。1番列車で東北に抜けてよかったなと思った瞬間であった。一方、東北本線は殆ど影響を受けておらず、定時運転の1534Mで前沢へ。

 
前沢駅の東西自由通路「ぽっぽ」は、平成17年12月に完成。2面3線である。ここで26分滞在し、1535Mで陸中折居へ。


次に降りた陸中折居は、期待を裏切らない木造駅舎。無人駅だったが、囲碁サロンが併設されていた。駅前は米の倉庫があり、長閑な場所にある。

陸中折居に17分滞在し、1536Mにて山ノ目に向かう。


山ノ目も白系の木造駅舎。駅舎内には中里小2年生の絵画が展示されていた。

 13時8分発の1539Mにて北上へ。

北上駅は、東北本線の他に北上線の発着駅でもあり、入線及び発車の際に其々異なるテイチクのメロディーが使われている。発メロは1発で成功したが、入線音は、ダイヤが少し乱れた関係で1回失敗し、1回外して、ようやく成功したのは14時44分頃。東北新幹線が当てにならないので、14時45分発の1541Mにそのまま乗車して盛岡に向かったのである。途中、村崎野や石鳥谷などに下車したかったが…。

 盛岡に到着したのは15時35分。


 
新幹線ホームでは、ちょうど「はやて」「こまち」の併合シーンに遭遇した。

その後、フェザンの地下の小吃でじゃじゃ麺を食べて小腹を満たす。


 
16時30分発の山田線658D(キハ52 148)に乗車し、本日最大のイベントである浅岸駅訪問を果たす。

17時4分に浅岸駅に下車したには私1人!(それは当然でしょう!)元スイッチバック駅であるが、山の中にあり、近くの建物は全て廃屋しかも、車の音は殆ど聞こえない 私がこれまで訪問してきた駅の中では、断トツのレベルの秘境駅であった。

 17時28分に迎えの653D(キハ52 147)がやってきた!

 盛岡には18時丁度に到着し、改札口で次のこまちの指定をとってもらう。すると、本来は16時21分発の「こまち21号」(R21編成)が入線してくる。喫煙車の指定席(通路側)に座って秋田まで過ごす。盛岡を発車すると、大釜、小岩井…の順に停車していく。やはり東北新幹線のダイヤ崩壊だからに違いない。高清水を投入し、隣席の女性に聞いてみると、東京発は14時半過ぎだったという。
 秋田には19時55分に到着し、東横イン秋田駅東口にチェックインした。

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青海川駅&荒浜駅訪問記

2007-09-24 22:11:13 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

今日(2007年9月24日)、「えちごツーデーパス」を利用して、青海川駅&荒浜駅を再訪してきました。

信越本線426M(L5編成+N19編成)にて新津を7時4分に発ち、長岡で1330M(N26編成)に乗り継いで青海川駅に降り立ちました。前日は余り眠れなかったので、柏崎まで仮眠をとっていきます。



中越沖地震で構内が土砂で埋まった青海川駅。大きな被害を受けた駅舎は翌日以降に解体され、現在は小さな待合室になっています。中にはちゃんと駅がありました。向こうには、崩壊した土砂をコンクリートで固められているのが見られます。



青海川駅に差し掛かる特急北越2号(T11編成)。「徐行65」が示すとおり、この区間では、速度制限がしかれていました。


10時4分発の1332M(N9編成)で柿崎に向かいます。9月21日から速度制限が緩和されたとはいえ、柿崎には4分程度遅れて到着しました。


 わざわざ柿崎に行った理由は、「彩」の捕獲のためでした。


10時54分発の1333M(N5編成+N25編成)で柏崎に戻ります。海沿いの区間では、地震で地盤が脆くなっているため、コンクリートで固められていました。

柏崎で昼食をとった後、越後線145M(L13編成)にて荒浜へ向かいます。車窓からは、ビニールシートに覆われた住宅や仮設住宅などが所々に見えました。



地震で駅舎が全壊した荒浜駅。駅舎だけでなく、ホームもリニューアルされました。さすがに駅ノートはありません。


6年前の越後線全駅下車の時に、西中通から荒浜まで駅間徒歩しましたが、今回はその逆を辿っていきます。駅前の左側の道路は全面通行止です。



中越沖地震で潰れた家屋。これにはえらい衝撃を受けました。被災者のことを思うと、心が痛みます。


所々にひびの入った歩道を辿りながら、6年前を思い出しつつ、ひたすら西中通駅まで歩きます。西中通駅近くでは、「危険」とされた家の取り壊し作業が行われていました。

西中通駅には25分前に到着し、13時37分発の136M(N22編成)で柏崎に向かい、その後、1337M(N14編成)、447M(L12編成)で新潟方面に戻りました。

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城端線全駅下車(2日目)

2007-09-21 20:48:32 | 北陸線

 2006年1月9日。半分徹夜状態で4時40分に起床。手短に朝食をとり、チャリで新津駅へ。もちろん夜明け前で、道は凍てついており、物凄く神経を使います。
 そして、予定通りの信越本線420M(115系S1編成)に乗り込みました。「青春18」に日付印を入れてもらうと、あとは爆睡して長岡到着を待つはずでした。しかし、ふと目がさめてみると、うず高く雪が積もっていました。そこで目にしたものは、にわかに信じがたい駅名でした。それは、

 




 


     「越後滝谷駅」であった! 

信越本線420Mとなった列車は、そのまま上越線1724Mで通し運用されていました 慌てて下車したものの、上越線が雪害の影響で小出から先が運転見合わせで、1721Mは運休でした。 というわけで、雪降る中、長岡ゆきのバスを待つことに。
 バスに揺られて、8時7分に長岡駅に戻ってきました。信越本線1330Mには間に合わず、長岡~黒部の乗車券・自由席特急券(4620円)を購入し、特急北越2号を待ちます。そうこうしているうちに、8時半頃に小出からのS1編成が到着しました。結局は、越後滝谷で列車を待っても同じことでした。



北越2号はT17編成で、6号車に乗車しました。速度制限区間があり、直江津で6分の遅れが生じておりました。


 黒部には10分遅れの10時38分に到着しましたが、544M(413系B04編成)は所定通り泊で抜かれ、10分遅れの10時48分にやってきました。富山にて428M(475系A15編成+A18編成)にスムーズに乗り継ぎ、11時41分頃に高岡に到着しました。
 ぶりのすしを買い、12時1分発の333Dにて駅巡り開始です。城端線沿線はです。とはいえ、6日の時よりは雪が多いです。



この日の最初の下車駅は福光です。大きな駅舎で交換設備があります。自転車置き場には、レーンごとに優等列車の愛称が命名されています。


25分後の336Dで折り返して福野に降り立ちます。



明治30年築の風格ある駅舎です。交換設備があります。



21分後の335Dにて城端線の終点へ。ここも風格ある木造駅舎で、明治31年築です。五箇山への乗り継ぎ駅ですが、14分で東野尻に折り返しました。



東野尻も東石黒などと同タイプの無人駅ですが、とにかく雪が多いです。城端線全駅制覇まであと1駅となりました。


東野尻を10分で後にし、337Dで城端の1つ手前の駅へと向かいます。



越中山田にて城端線全駅下車達成です。 東石黒、東野尻と同タイプの無人駅です。歩いて数分で高速道路をくぐります。


 越中山田に降り立って19分、迎えの340Dがやってきました。城端線は平常通りの運転で、高岡には16時ちょうどに帰着し、447M(413系B01編成)にて富山に戻ります。
 夕食用の三色ちらしを買った後、553M(413系B07編成)で富山県を後にします。名立で退避した北越7号が10分遅れた影響で、この列車の直江津到着は10分遅れの19時1分となりました。
 直江津からは1351M、461Mと乗り継いで新津に帰る形でしたが、上越線が区間運休となった関係で、直江津から乗車した115系N5編成で新津まで乗り通す事となりました。

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城端線全駅下車(1日目)

2007-09-20 19:31:28 | 北陸線

 ここからは、2006年1月に実施した城端線全駅下車について記します。残りの「青春18」を利用したものでしたが、この年の冬は豪雪で、羽越筋が2005年クリスマスの脱線事故で不通、上越線、磐越西線、飯山線、米坂線も大雪でダメで、唯一まともなのが北陸筋だけという条件で、行くところが自ずと決まったようなものでした。

 修士論文が一段落した2006年1月6日、朝5時前に起きて自転車で新津駅へ。気温は氷点下でしたが、雪は降っておらず。無事に長岡行きの始発列車(115系S12編成)に乗車しました。長岡での1324M(115系N18編成)への乗り継ぎも成功し、更に536M(419系D09編成)、540M(419系D05編成)で富山にたどり着きました。富山駅で国鉄色475系を撮影して過ごし、542M(413系B11編成)で高岡に着きました。北陸線がまともだといえ、微妙に遅れが生じていました。

高岡駅でぶりのすしで昼食にし、12時1分発の333Dにて城端線駅巡りを開始します。


 最初の下車駅は二塚です。交換可能駅で、貨物線が分岐しています。


二塚駅から林駅まで歩きます。雪の晴れ間で、交通量が少なく、冬にしては快適な駅間徒歩でした。



25分ほどで林駅に到着しました。待合室と片面ホームのみの無人駅です。城端線内でこのタイプの無人駅はここだけです。



林13時7分発の335Dで9分乗り、油田に足を記します。片面ホームのみの無人駅です。

油田に下車してつかの間、11分後の336Dで後にしました。



1駅戻って戸出に下車します。風格のある古い木造駅舎です。交換可能駅。ここでは51分の滞在です。



337Dにて東石黒まで進みます。昭和26年に建てられた待合室です。城端線には、このようなタイプの無人駅が実に多いです。


東石黒に36分滞在し、340Dにて城端線最大の駅に進みます。



砺波市の中心駅という事で、城端線唯一の橋上駅舎です。交換可能駅で上下それぞれに接近メロディーがあります。



砺波を20分で後にし、339Dにてこの日最後の下車駅・高儀に南下します。片面ホームのみの無人駅です。


  周囲には散村が見られます。


 高儀下車中に日没を迎え、16時52分発の342Dにて帰宅モードです。高岡では、特急しらさぎ7号の遅延の影響もあってか、幸運にも555M(475系A02編成+A08編成)に乗り継げました。直江津到着後、1355M(115系N3編成)、463M(115系N17編成+L2編成)に乗り継いで新津に帰りましたが、上越線の雪害の影響で「はくたか」が長岡発着となった影響で、新津到着が20分遅れの23時7分頃となりました。
 今回は、運が味方して、追加料金なしに最終の1本前で帰れましたが、次回は予期せぬ形で特急を利用する事となりました。

つづく

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祝!信越線全面復旧

2007-09-13 21:47:26 | 新潟の鉄道
 本日、柏崎~柿崎間が運転再開し、信越本線が全面復旧しました。同時に、「北越」「きたぐに」なども運転再開となりました。ただ、同区間はしばらくの間、速度を落としての運転なので、通常よりも時間はかかります。
 信越本線の柏崎~柿崎間は、日本海縦貫線の中で重要な位置を占めており、新潟県中越沖地震で被災すると、日本海縦貫線はたちまち寸断されました。「北越」「きたぐに」「くびき野」「日本海」「トワイライトエクスプレス」だけでなく、北海道から関西・九州方面への貨物列車も運行不能に陥りました。貨物列車については、地震の3日後から、新潟からトラックによる代行輸送が行われましたが、出来る限りの台数を集めても通常の輸送量の8割を確保するのがやっとで、あとは東海道線経由の臨時貨物列車を設定して対応しました。信越線の全面復旧は、北海道から関西への物流の円滑化を意味することで、大変喜ばしいことです。また、新潟方面から北陸・関西方面へ鉄道で行き来でき、私にとっては、関西・九州方面への旅行が容易になったことを意味します。

 さて、本日の「くびき野」「北越」レポin新潟駅にまいりましょう。


発車を待つ「くびき野4号」(T16編成)。本日より新井行きとなり、「くびき野」幕が表示されるようになりました。尚、同列車は9月1日より運転を再開しております。これにより、新潟17時20分発の1352Mの混雑はいくぶん緩和されたことでしょう。


 
新潟駅に15分遅れで到着した「北越5号」(R22編成)。「北越」LEDを見るのは地震以来初めてです。


 「いなほ9号」(R21編成)は接続をとって発車しました。



おしまいは「北越10号」(R23編成)。運転再開を待ちわびる乗客が何人もいたことでしょう。

その後、18時29分発の452Mで撤収しました。
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師走の鹿児島線駅巡り(その4)

2007-09-10 22:48:01 | 鹿児島本線
宇土を13時6分に発つと、次は川尻に足を記す。


 
大正6年築の木造駅舎。上下とも追い抜き設備があり、上り列車は待避線に停車する。八代、有佐、松橋、宇土とも、其々形が異なる木造駅舎を訪問した後で、胸がいっぱいだった。



川尻から乗った5342Mは、817系V12編成であった。訪問済みの熊本、上熊本(高架化工事に伴い仮駅舎)、未訪問の崇城大学前~木葉の各駅に停まりながら北上する。



肥後伊倉に降り立った途端、ある種の衝撃を感じた。如何にも木造駅舎という感じの駅舎。委託駅のようで、殆ど荒らされておらず、微笑ましい。 しかも、周辺も長閑。接近音は串木野と同様の踏切音であった。



肥後伊倉で44分滞在した後、5344M(817系V17編成)で玉名に進む。玉名市の中心駅ということで3番線まであり、「有明」や一部の「リレーつばめ」が停車する。



玉名から334M(415系F1521編成)で1駅、大野下駅に下車する。この駅も肥後伊倉と同様、原型をとどめた木造駅舎。しかも、委託駅であり、接近音が踏切音なのも共通である。ところで、この駅舎は、昭和20年8月13日に米軍機ロッキードP38双胴機の爆撃を受けていて、天井にその跡がある。



大野下から5346M(817系V13編成)で2駅、南荒尾に降り立った。対面式ホームの無人駅である。


 
踏切を渡ると、黄昏の有明海に出た。干潟がどこまでも広がる海である。新潟県では決して見れまい。



南荒尾から336M(813系R202編成)で4分、今回最後の鹿児島線の訪問駅・荒尾に降り立つ。昭和20年築の木造駅舎である。当駅で折り返す列車も多数あることから、留置線を除いても2面4線の大きな駅だ。


 荒尾の駅舎を撮影後、17時12分発の2346M(813系R103編成+R111編成)にて博多に向かう。途中、銀水の駅舎は衝撃モノであったが、17時30分を過ぎると九州といえど撮影条件が厳しくなるので、次への宿題にした。ところで、沿線は、九州新幹線の工事がたけなわであり、羽犬塚に至っては仮駅舎となっていた。鳥栖、久留米、羽犬塚もどうなるのだろうか。
 博多到着後、博多ラーメンを食し、臨時快速ムーンライト九州で九州を後にしたのである。


翌日(2006年12月24日)の模様はこちら


参考サイト さいきの駅舎訪問
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師走の鹿児島線駅巡り(その3)

2007-09-08 22:53:56 | 鹿児島本線

2006年12月23日土曜日。東横インおなじみのおにぎり朝食をとり、7時半に高見馬場を出て、残っていた1系統の高見馬場以北の区間を乗り潰し、鹿児島駅に到着。鹿児島市交通局の電車線は完乗達成ということで。


 路面電車3台並び。鹿児島駅前でしか見れません


 一応、鹿児島本線の終点だが…。


7時57分発の6929M(475系Gk35編成)にて鹿児島中央へ。鹿児島地区の475系は、2007年3月18日に定期運用がなくなったので、これが鹿カコ475系に乗る、事実上最後のチャンスだった。撮影しなかったのが悔やまれる。



鹿児島中央駅になってから初めて撮影するこの駅舎。九州新幹線開業後、この入り口を利用する者は少なくなった。



鹿児島中央から新八代までは「つばめ2号」で急ぐ。自由席利用で4830円はバカ高い。


 新八代から6333M(815系N4編成)にて八代に南下する。



八代駅は、新幹線の駅に昇格せず、古い駅舎が残されていた。同時に、「九州横断特急」「くまがわ」しか停まらなくなり、まるでローカル駅に転落したよう。背景は製紙工場。



6833Mの折り返し電車で千丁を訪問する。藺草の主産地だったが、平成の大合併で八代市に編入されている。昭和58年築の簡易駅舎(無人駅)で、入線音は、隈之城~上伊集院の各駅同様の踏切音で、駅舎側のホームのスピーカーでしか鳴らない。



千丁で26分滞在した後、5332M(815系N2編成)にて有佐に進む。大正14年改築の木造駅舎。待避線あり。



30分後の5334M(815系N10編成)で小川へ。降りたときは丁度、大型ショッピングセンターへのバスが出るところだった。平成7年3月改築の駅舎で、右側のコスモホールとよばれる待合室で、今朝買った駅弁を食べながら薩摩へ思いを馳せたのであった。



30分後の5336M(815系N9編成)で松橋へ進む。宇城市の中心駅で、昭和24年築の個性的な木造駅舎。待避線あり。



30分後の5338M(815系N12編成)にて宇土へ。三角線との分岐駅。ここもまた個性的な木造駅舎(昭和22年築)
である。背後には九州新幹線が…。それでも、末永く残ってほしいものだ。


宇土で30分滞在した後、5340M(815系N5編成)にて川尻に進んだのであった。

つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問

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師走の鹿児島線駅巡り(その2)

2007-09-07 21:58:26 | 鹿児島本線
串木野に滞在したのは33分のみで、14時34分発の2451M(817系V8編成)にて鹿児島方面へ向かう。



串木野に続いて訪問したのは東市来。国道3号沿いの駅。駅舎が南西の方向に向いていたので、斜めから撮影した。



続いてやってきたのは湯之元。駅名の通り、湯之元温泉の玄関口。駅前の商店で、温泉せんべいを買った。帰りの電車の中で食べたら、煎餅というよりむしろクッキーといった感じのお菓子。



湯之元から8分東進して伊集院にやってきた。沿線に3つも高校を抱えていることもあり、私が下車したときに高校生が大量に乗ってきた。駅舎の左側は理容店。



伊集院16時30分発の2455Mで1駅東進し、薩摩松元へ。駅の機能はホーム上にある建物で。トイレはトンネルの向こう。



薩摩松元16時58分発の2457M(817系V11編成)にて3分、今日の駅巡りは上伊集院にて締めくくる。日の入りが最も早い時期とはいえ、17時で1/100secでシャッターが切れた。南九州は、新潟県より40分~50分、日の入りが遅いと感じた。


 上伊集院での34分間を利用して、山の上まで歩いてみると、ニュータウンの入り口にぶち当たる。そう、上伊集院は今や新興住宅地。道理で訪問時に迎えの車が途切れないわけだ。
 六角形の待合室に飾られていた松陽高校美術部の作品を鑑賞し、17時35分の2459Mで一路、鹿児島中央へ。817系V3編成のみで、女子学生を中心に激パの模様。この時間になると、南九州とはいえ、夜の帳が下りてきた。
 鹿児島中央に到着後、ざぼんラーメンで夕食。その後、指宿枕崎線351D(キハ200系2連)で谷山へ。JR谷山駅から市電の谷山駅までは歩いて7~8分。すぐに1系統の電車に乗れたが、席は全て埋まった。途中駅での乗降も激しかったことから、高見馬場までは32分かかった。そして、今宵の宿・東横イン鹿児島天文館Ⅰにチェックイン。


 入浴後、鹿児島中央駅前経由の2系統を乗り潰し。


交通局前で鹿児島駅前行きの1系統電車に乗り継いで高見馬場に戻る。1周で35分と案外かからなかった。この日の打ち上げは、伊集院で買った焼酎・さつま白波で。

つづく
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師走の鹿児島線駅巡り(その1)

2007-09-06 00:01:46 | 鹿児島本線

 鹿児島本線は、門司港から博多、熊本と経由して鹿児島まで結ぶ九州の大動脈であるが、九州新幹線の部分開業によって、八代から川内まで肥薩おれんじ鉄道に移管されて断ち切られた格好となっている。八代から先が特急列車が消滅したといっても、新八代から小倉までは特急の大動脈となっていて、貨物列車も鹿児島まで通っている。
 鹿児島本線の駅巡りは、九州新幹線の部分開業によって最も本数が少ない区間が断ち切られたことにより、劇的に易化している。とはいえ、90駅も存在する。今回は、2006年師走の鹿児島県内と熊本県内の駅巡りについて紹介しよう。

 実行したのは2006年12月22日(金)~24日(日)で、金曜日は年休を利用している。行きは、東京までMLえちごを利用した後に、羽田から鹿児島までは日航機を利用している。帰りは、博多からML九州を利用し、新大阪から普通列車を乗り継いで新津まで帰還している。新津から「きたぐに」「のぞみ」
「つばめ」を利用して川内まで鉄道利用でもプランは変化しないが、「青春18」の効力を生かしたいのと、日航のマイレージを久々に貯めたかった等の理由で、あえてMLえちご+航空機を選択したのである。


 
新津0時6分発のMLえちご(K1編成)で新宿まで眠っていく。


 新宿到着後、山手線外回り電車(400G
)で品川に行き、「青春18」に日付印を入れてもらった後、京浜急行でいざ羽田空港へ。朝がゆを食べ、自動チェックイン機にかければ、もう搭乗手続きは完了。JL1863便は8時5分発なので、あとは暇だ。
 JL1863便は、ボーイング777-200型の鶴丸機(JA8985)。8時12分ころ出発。愛知県まで東海道を辿った後、潮岬を経由してあとは海上を飛行する。


 日南海岸の上空にさしかかるとディセント。

10時15分に鹿児島空港に着陸し、急ぎ足で10時30分発の特急バスに乗り換える。初めて通過するルートではあったが、睡眠を補う格好となる。


 11時40分に川内駅に到着。


昼食をとった後、鹿児島線駅巡り開始。2階に上がって改札口に入るが、正面に進むと新幹線の改札で、在来線の改札は、その右に申し訳程度に設けられている。在来線ホームに下れば、高校生が多数。沿線の高校は終業式のようだ。彼らと共に、12時22分発の2447M(817系V6編成)に乗車する。



6分の乗車で木場茶屋に下車。国道沿いの無人駅で、付近にはサンクスやビデオ屋があり、結構賑やか。


39分の滞在で、2440M(817系V5編成)で1駅北上。木場茶屋での乗車が私1人だけだったのが災いし、車中の高校生から総スカンクを食らった
。(録音機材を持っているからなおさらだろ)



隈之城駅は、この日訪問した唯一の趣ある木造駅舎。れいめい高校の最寄り駅ということで、高校生の海の中で2449Mを待つことに。



2449Mに揺られること13分、市来で途中下車。一応待避線のある駅だが、今は使われていない模様。



 2442M(817系V6編成)で1駅戻り、串木野の降り立つと、何と仮駅舎ではあるまいか12月9日に改札が変更され、以前あった木造駅舎は、訪問時までに取り壊されたようだ。(現在は、黒系の新駅舎となっている)
 串木野は、さつま揚げ発祥の地で、かつおラーメンが名物のようだが、リサーチ不足&日航機利用がたたって、またの機会ということで。(次は何時なんだよ


つづく

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2007年GWの旅(その5)

2007-09-02 21:20:19 | 中央本線


瑞浪から313系に揺られること19分、美乃坂本に降り立ちます。中央西線全駅下車まであと1駅です!


 大正6年築の木造駅舎です。


部活帰りの高校生が続々集まる中、19分後の快速セントラルライナー7号(313系B203編成+B204編成)で後にして、中津川で3857M(213系H14編成)に乗り継ぎ、1駅のみ進みました。



中津川から4分、落合川にて中央西線全駅下車達成となりました。 昭和51年築の待合室のある無人駅です。


 落合川駅からの道は、桜並木に囲まれていましたが、この時期ではさすがに葉桜です。4月中旬頃はきっと素晴らしい光景でしょう。46分の下車時間を利用して、白山神社まで散策しました。
 RUNXからのカップルと共に1833M(313系B308編成)に乗り込めば、あとはもう新津に帰るのみです。これまで下車してきた駅に思いを馳せながら。


 中央西線の旅には寝覚ノ床は外せません


 落合川から2時間23分、松本に到着です。あずみ野四季彩を買い、「しなの17号」(383系A3編成)にて長野まで急行します。Uターンラッシュと逆方向ということもあって、善光寺平の見える場所に陣取れました。松本駅の売店で木曽の地酒・七笑が売っていたので、買えばよかったです。
 長野で飯山線・143D(キハ110-235+キハ110-228)に乗り換えです。連休中とはいえ、ちょうど帰宅ラッシュなので、10分前でも座席は全て埋まっていて、女の子のそばに立っていきます。沿線は林檎の花が満開です。このような季節に信州を旅行したのは、恐らく初めてではないかと。それでも、飯山でどっと下車したので、終点・越後川口までボックス独占です。夜の帳が下りて、先ほど買った駅弁で夕食です。終点・越後川口まで乗り通したのは、私とスーツケースを持った女の子の2人だけでした。
 越後川口からは、上越線・1749M(115系N29編成)、信越線・463M(115系N15編成)と乗り継いで新津に帰りました。新津到着は22時47分でした。
 
 このように、中央西線の全駅を駆け足で巡ってきたわけなんですけど、中津川から先は古くからの木造駅舎が多数あって、駅舎訪問を趣味とする人にとっては素晴らしい路線だと思います。
 しかし、中央西線の魅力はそれだけではありません。南木曽、上松、木曽福島、薮原、奈良井など、見所を抱える駅が多数あり、そのまま通過するだけでは勿体無い路線です。機会があったら、ゆっくり旅したいと思います。
 最後に、381系の動きから目が離せません。

 

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