日々の出来事 10月10日 トキのキンちゃん
今日は、日本の最後のトキである“キン”が死亡した日です。(2003年10月10日)
トキは、もともと日本中にいた鳥で、水田にいる小動物を食べていました。
でも、明治になって、美しい羽毛が狙われ、また、お百姓さんからは水田を荒らすと嫌われて、その数を減らして行きました。
昭和に入ると、農薬等による環境破壊で生息数が激減し、1981年 2月、佐渡にいた最後の5羽が人工増殖のために捕獲されましたが結局うまく行かず、ついにトキは日本の空から消えてしまいました。
現状は、中国からのトキが佐渡トキ保護センターで飼育されており、野生復帰に向け2008年に27年ぶりに放鳥されましたが繁殖に至らず、2009年9月に雌を多くするなどして2回目の放鳥が行われました。
トキ(トキの森公園)
☆今日の壺々話
サギ
「 あっ、そこの兄ちゃん!
あかん、あかん、それ、ワイのやがな。
そう、そう・・・・、そこに置いて、あっち行き。
行きよったな・・・。
ホンマに、油断も隙もあったもんやない。
“ パク、パク、パク。”
あらっ、この食いもん、ちょっと、質、落ちたんと違うか?
まあ、不景気やから、しょうがないけどな。
え、何やて、動物園の餌、横取りしてるのに、文句言うなてか・・。
ええがな、ええがな、かたいこと言わんでも・・。
もう、何年もこうして生きてるんやさかい。
何やて、詐欺みたいやてか?
アハハ、ワイはサギやがな。
サギが、何で詐欺したらあかんねん。
ええがな、ええがな。
え、サギにしては、羽根の所が白く剥げてるってか・・・・・。
あ、しもた、しもた、ホンマや、色が落ちてきてるがな。
・・・・・・・・。
あのな、ここだけの話やけどな。
誰にも言うたら、あかんで!
ホンマはな、ワイはサギと違うねん。
羽根に色つけて誤魔化しとんねん。
ホンマはな、ワイはトキやねん。
えっ、なんやて?
北斗の拳でラオウと戦ったヤツてか?
“ あちょちょちょちょちょ、お前はもう死んでいる!!”
こらっ、アホなことさしたらあかんがな!
違うがな、違うがな、それや無いがな。
北斗の拳でラオウと戦ったトキとちゃうがな。
ホンマ、お前、漫画の読み過ぎちゃうか。
トキやがな、トキ。
天然記念物のトキやがな。
でな、この前、佐渡島で仲間、5羽も捕まってしもてな。
ワイ、密かに逃げて来たんや。
大阪やがな、大阪。
大阪やったら、潜伏してても捕まらへんがな。
これ常識。
ほら、喋り方も、大阪弁、完璧やろ。
地元に、溶け込まなあかんと思て、練習したんやがな。
それからやな。
羽根に色付けて、サギに成り済ましてんにゃがな。
バレんと、今まで遣って来たんや。
あ、この前、ニュース、お前、見たか?
キンちゃん、死んでしもたな。
ん・・・・・・。
お前、キンちゃん知ってるか?
え、テレビに出てたてか。
“ なんでこうなるの!!”
あ、こらっ!
また、アホなこと、ワイにさしたらあかんがな!!
違うがな、萩本欽ちゃんと違うがな!
ニッポニア・ニッポンのキン婆さんやがな。
日本で最後のトキやがな。
でもな、ホントは最後とちゃうんやで。
ワイがいるがな。
ハハハハハ!
あ~、腹、膨れたな。
次、酒でも飲みに行くわ。
え、紹興酒やがな。
あれ、美味いでェ。
そこな、仲間、いっぱいおるねん。
でもな、困った事、あんねん。
話が通じひんねん。
中国語で、みんな喋りよるねん。
でも、まあ、ええねん。
いつも、マージャンしてるさかいな。
じゃ、また、明日な!
“ パタパタパタ。”
“ タ~ア、タ~ア!!”
あ、しもた。
ついつい、鳴いてしもたがな。
この鳴き方したら、トキやてバレてしまうがな。
ヤバイ、ヤバイ。
黙って、飛んだろ。
・・・・・・・・・・。」
天然記念物
大学の頃さ、学園祭に来てる女の子を、屋台の食い物売りこみにかこつけてナンパとかしてたわけ。
普段はそんな声とかかけられないんだけど、この後時間あったら打ち上げ一緒に来ない?とかさ。
んで、いかにも“ナンパされに来ました~”って格好と振る舞いの女の子を見かけてさ。
普通に可愛かったから仲間達と声かけたんだけど、一緒にいた連れの女の子がすげえノリ悪いの。
最近ならともかく、茶髪全盛期にもっさい黒髪+地味目の格好でさ。
化粧もしてるのかな?って感じ。
素材は悪くないんだけど、なんで今日ここに来たの?ってツッコミたくなるノリの悪さ。
もう一人の子がノリノリだったから、結局一緒にメシでもってなったんだけど、一人キョドってんの。
「 あの、私、付き合ってる人がいるんです」って、いきなり頭下げられて、帰ろうとすんの。
そこで、わーこいつおもしれーって興味わいてさ。
男いるから他のヤツとはメシも食わないの?って。
なんか、その彼とやらがこの大学にいるから今日来たんだって。
でも、もう一人の子はノリノリだしさ、今時おもしれー子って思ったから、じゃあ彼も呼びなよって言ったの。
こっちもサークルの女友達と合流しちゃうからさ、こうやって友達増えるのもいいじゃんって。
そしたらその子いきなり顔が明るくなって、彼に連絡して、やっぱり同じような真面目くんがやってきた。
こいつもスゲーいいやつで、あっという間に意気投合。
学年は違うけど、同じ学部のやつだった。
今時、天然記念物みたいなその子は、卒業して少ししてから、そいつと結婚した。
ドレスなんか着たらビビるほど別人でさ、普段はもっさい癖にマジでちょっとしたお姫様だったよ。
それからもみんなで遊びに行ったり、旅行に行ったり、一番の女の友達になった。
で、今日妊娠しましたってメールがきたんだよ。
すげーじゃん、お祝い考えとけよって送り返して、もう友達やめようと思った。
ほんとは一目惚れだったんだよ。
話してみて、もっと惚れてったんだよ。
夫から妻は奪えるけど、子供から母親取り上げちゃいけないよな。
心のどこかで「いつかもしかしたら」を考えちまうから、今日が俺があの子と友達やめる日。
結婚条件
37歳パート結婚歴無
ちょっとぽっちゃり
性格:おっとり・マイペース
趣味:ショッピング・ワイン・自分磨き
特技:料理
条件
・年収2000万以上
・イケメン
・年齢32歳まで
・身長178cm以上
・非喫煙者
・社交的で明るい人
・浮気をしない
・他
早慶又は旧帝大卒業者希望
専業主婦希望
家事分担希望
義母と同居なし
私はこれまでいろいろな男性とお付き合いしましたが、結婚に踏み出す勇気がなく独身のままでした。
でもそんな私も子どもが欲しい、暖かい家庭を築きたい思いから、結婚を急いでます。
子供は3人、その3人を夫婦で協力して育てて、夏休みやゴールデンウィークには海外に行ったり。
でも、そんな中にもそれぞれ自分だけの時間を有効に使える、そんな生活を希望しています。
私は料理教室に通っていたので料理が得意です。特に私のカレーライスや肉じゃがは天下一品ですよ。
私は37歳で高齢と思われるかもしれませんが人は年を増すごとに深みが増します。
ぜひ37歳という数字ではなく37年生きてきた私の、若い人にはない人間的魅力に目を向けて下さい。
二人で幸せな家庭を築きましょう。
日本むかし話 「人を救った佐藤山」
あるとき、佐藤さんという定年退職したおじさんがおったそうな。
何を思ったのか、突然裏山に小屋をこしらえ始めた。
村人が尋ねると「なあに、津波が来たときのための準備じゃ。」。
村人は「こんなところまで津波はきやせんぞHAHAHA。」と笑って帰っていった。
また、あるとき、おじさんは岩山を削っておった。
村人が尋ねると「なあに、津波が来たときに逃げる道を作っておるんじゃ。」。
村人は「こんなところまで津波はきやせんぞHAHAHA」と笑って帰っていった。
そんなことが繰り返され、村人はいつしか、その山のことを「佐藤山」と呼び、せっせと岩を削り階段を作り、小屋を建てるおじさんを笑っておった。
さて、おじさんも木を植え、看板も取り付けた。
山の上には観測台もつくった。
おじさん「立派な避難所が出来たわい。どれ、村役場に知らせるか。」。
ところが村役場では「こんなところまで津波はきやせんぞ。」と、せっかく作った避難所をまともにとりあげてくれなんだ。
季節は巡り、ある早春の日。
ごごごご・・・と大地が振動しおった。
「大地震じゃ!!!」
すぐさまおじさんは犬と家族を連れ、「佐藤山」に避難した。
そこにはすでに40人ばかりの人がおった。
「ああ、あれを見よ。」
津波がものすごい勢いで押し寄せ、家や人を飲み込んで迫ってきた。
「早く早く!!!」
村人は、おじさんが作った避難路を
疲れた
あとちょっとじゃねーかw
鳥
うちの母は鳥が大好きで、飼うだけでは飽き足らず、家の前にパン屑など撒いてそこらの鳩や烏、雀の世話もしていた。
当然、鳥が集まれば五月蝿いだの糞が汚いなどの苦情が来る。
母は近所に謝り、路上の糞は清掃する事で勘弁してもらった。
翌朝、いつもの様に鳥が集まってきて、母に餌をねだっていた。
「あんた達、ここでご飯食べるならトイレはよそでしておいで。あと、ご飯の時は静かにね。」
と独り言のように呟いてパン屑を撒いていた。
今から思うと、その辺りから糞の量が明らかに減っていた。
掃除の手伝いをしている時はあまり気にしてなかったが、鳴き声もほとんど出してなかった。
目に見えて糞の量が減ってきて、鳥も騒がなくなったので、近所も首をかしげながら
母の餌やりを黙認するようになった。
「あんたらったら、食い意地はってんだから。」
と母は笑いながら、相変わらず餌をやり続けた。
それから1年と少し、母は老衰から倒れてしまい、あまり長くないと診断が下った。
母は入院し、鳥に餌をやる者がいなくなっても、鳥達はいつもの時間に集まり、30分くらいずっとそこにいた。
「もうお袋いねーから、お前らに餌やれんぞ。」
といっても分かるはずもなく、やらなくなって1週間、1ヶ月経っても集まり続けた。
仕方なしに俺が時々餌を撒いても、すぐに手をつけない。
30分ほど経ち、母が出てこないと分かると、ちょこちょこつまんで去っていく。
そんな状態が更に1ヶ月ほど続いた先日、母が他界した。
葬式の日の朝、今までにない位の数の鳥が、家の前の電線に密集していた。
糞もたらさず、身じろぎもせず、鳴きもせず、ただずっとそこにいた。
出棺の時、カラスが数羽、高らかに鳴き上げて、それから一斉に鳥たちが飛び去っていった。
とても不思議な光景だった。
母と鳥の間にどんな絆があったんだろう。
今では俺が毎朝パン屑を撒いている。
相変わらず、糞をすることはない。
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