大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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☆(  しづめばこ P574 )                          

日々の出来事 10月12日 勘違いイタリア野郎の旅

2018-10-12 08:55:08 | A,日々の出来事_







 日々の出来事 10月12日 勘違いイタリア野郎の旅







質問 私は誰でしょう?

今日の人物を簡単に説明します。

意欲に燃える一人のイタリア人は、

地球球体説に影響されて、

90人のろくでなしを引き連れ、

船を西へ西へ進め、

たどり着いた地を、

勝手にインドと思い込み、

現地人を虐殺もしくは奴隷にし、

ヨーロッパに梅毒を撒き散らし、

アメリカをインドと勘違いをしたまま、

寂しい晩年を送り、

一生を終わりました。


さて、ネイティブアメリカンにすこぶる評判の悪い、卵を立てることが好きなこの人物は誰でしょう?


 その答えは、すってんころりんコロンブス!


 勘違い野郎のコロンブスは、アイスランドのバイキングであるレイフ・エリクソンの次に、ヨーロッパからアメリカ大陸にやって来た人物です。(1492年10月12日)






  コロンブス

















☆今日の壺々話









   長い旅




「 シェ~、シェ~。
 長い旅だったあるよ~。
  今、1512年あるか?
 そうあるか。
 故郷を出てから20年あるね。
 月日の経つのは早いあるね~。
  ポク、何処から来たってかァ~。
 ポクね、明から来たあるよ。
 日本、いいとこねェ~。
 ポク、大好きあるよ!
 ずっと、住み着いちゃうね。
 いつまでも、仲良くしてねェ~!
  あれっ、まだ、ポルトガルは種子島に来てないあるか?
 あ、1543年だったあるね。
 ゴメン、ゴメン。
  あ、ポク、誰あるかって?
 ポク、梅毒ちゃん!
 これからも、よ・ろ・し・く!!」

 梅毒の伝播は弾よりも早いのです。
アメリカ → ヨーロッパ → アジア → 極東の日本
アメリカの風土病であった梅毒は、20年でアッという間に世界中に広がりました。
これは、スゴイ!!

















     ナポレオンの卵




 
「 凄く簡単な事なのに、言われるまで全く気付かなかった。
 まさにナポレオンの卵だな。
 素直に感心しちゃったよ。
 『萌え』と『崩れ』って字似てたんだ!」
「 ナポレオンじゃなくコロンブスじゃないのか?
 いや、故意だったらスマン。」
「 それでは、説明しよう。

       ナポレオンの卵(なぽれおんのたまご)

 ナポレオン・ボナパルトは臣下に「生卵を割らずに中身を食べることができるか」と問いかけ、臣下が困るのを見て楽しむ悪癖があったという。
あるとき、たまりかねた臣下が「陛下にはおできになるのでしょうか」と逆に問いかけたところ、ナポレオンは平然として生卵を殻ごと丸呑みしてみせ、「腹の中に入ったからには食べたことになるであろう」と答えたという。

 このことから、理不尽な言い種を強引に解決することを「ナポレオンの卵」と称するようになった。
ちなみに有名な「余の辞書に不可能はない」というナポレオンの発言もこの時のものという説があるが、定かではない。

                        民明書房「世界の食いしん坊万々歳」より引用   

 どうだ、エッヘン!! 」
「 ググってみてもそれらしきものが見つからなかったんだ。
 そういう言葉もあるんだ・・・・、サンクス。」
「 ウヒヒ、みんなウソ!」
「 う、このおォ~~、ヽ(`Д´)ノ!!!」



















勘違い




 中学の頃、教師からの評価を良くしたかったのと、ケミカルな雰囲気が格好いいと思い込んで理科室の手伝いを良くしていた。
といっても、ゴム栓に穴をあけたり、ビーカーを掃除したりする程度。
 でも当時の俺は、自分がだんだん子供ながら天才的な化学の知識を持つすごい奴だと勘違いし始め、ある日友人を無理やり誘って理科室に忍び込んだ。
そこで適当な物質(っつっても多分ふっとう石とか)を指で触りながら、

「 へえ…、○○先生もなかなか良い物を仕入れて来るんだな。」

とか言ってたり、適当な薬品の入った瓶を傾けて、

「 ははっ。
ちょっと調合の具合がおかしいかな。
ま、授業用には十分か。」

とかほざいてた。
友人は当然ハァ?って感じ。
それでも、俺はおかまいなしに“ふん”とか“ははっ!”とかやってた。
 そんで一番奥の戸棚を開けて急に表情を変え、

「 これは!!
○○先生、いったい!
なんて物を!
何をしようとしてるんだ!」

って、言ってみせた。
友人も驚いて聞いてきた。

「 それ、そんなヤバイの?」
「 こんなの、黒の教科書の挿絵でしかみたことないぜ!
それなら、もしかしてこっちの瓶は!?」

そう言って別の瓶を手に取って嗅いだ。
 そしたら、それはなんか刺激臭を発する化学物質(手であおいで嗅がなきゃいけないヤツ)だったらしく、直嗅ぎした俺は、

「 エンッ!!!」

って叫んで鼻血を勢いよく噴出しながら倒れ、友人に保健室に運ばれた。
 俺は助かったが、どうやら俺の友人が変な勘違いをしたらしく、

「 ○○(俺の名前)は、黒の教科書に載ってる毒物に感染したんです!!」

って、ふれまわっていた。
 それ以来、俺のあだ名は毒物くんになった。
当然、もう理科室に行く事は無くなった。



















アメリカの老舗ホテル(浜田省吾)





『 古いホリデイ・インにチェックインして、それぞれの部屋にバラバラになって、僕はいちばん上のちょっと広めの部屋をとってもらったんで、僕だけ12階まで上がってエレベーター・ホームに出ると、何か霊気みたいなものを感じるのよ(笑)。
背中から誰かが見てるって感じで。
 パッとふり向くと、そこに親子の絵が飾ってある。
なんかシーンと寒いものを感じるわけ。
 で、いちばん奥の角部屋なんだけど、部屋に入ってすぐ窓を全部開けたもんね、全部電気つけて。
だって、その階は他に誰も泊まってなくて、俺だけなの。
 やだなあと思いながら下でみんなで御飯食べて、部屋にまた上がるでしょ。
またそのエレベーター・ロビーでカタカタッっていってる気がするの、絵が(笑)。
“やだやだ”って思いながらも疲れてるから一応寝たのね。
電気全部つけて寝たんだけどさ。
 で、次の日起きて新川君(マネージャー)が、

「 浜田さん大丈夫でした?」

って。
 現地のルイス君は寝られなかったって言ってたよね。
身長が186センチくらいある、ものすごいゴッツイやつなんだけど、
その彼が、部屋の中に赤い玉がビューと飛んでいて寝れなかったって。
 新川君の部屋は、ベッドで起きて電話してたら、うしろでポワンと誰かが座ったような感じがするって言うし、スタイリストの原さんは、

「 シャワーを使ってないのにバスルームの床が濡れてる。」

とか(笑)。
 本当に、あれは行ってみないとわかんないよね。
最上階にひとりで泊まってるんだよ(笑)。
さすがに43才の僕も、不気味なものを感じました(笑)。』

















箱根



 友達と箱根へ旅行に行ったときの話。
少し錆びれた感のある旅館に泊まりました。
女将さんに「朝ご飯は大広間でどうぞ。」と案内され、みんなで大広間へ移動。
友達3人とテーブルを挟み、向かい合わせに私と息子(当時10ヶ月)が座りました。
 食事が運ばれて、食べ始めようとした時、友達3人の後ろにあった襖が10㌢ほど開きました。
私が『ん?』と思ってじっと見ていましたが、それ以上、襖が開くこともなく、誰かが覗いてくることもなく、あの10㌢は何のために、誰が開けたのだろうと不思議に思いながら、目線を下のほうへやると、お婆さんが横になった状態で、その10㌢の隙間から両目でこちらをガン見していました。
生きている婆さんだったが、ぞっとした。



















ウェールズ





 学生の頃、イギリスに留学してたことがあった。
夏休みに学校の仲間と数人でウェールズへ旅行に行ったんだが、その時の出来事だ。
仲間の一人に日本人男子がいて、出発前にこんな話をきかされた。
 最近イギリスのいろんな学校で囁かれてるコワイ話で、夜、寝ていると見知らぬ小さい女の子が現れて、付いて来いと言って歩き出す。
それに付いていくと、二度と帰ってこられない世界につれていかれるとか、そんな話。
陳腐な話だネと思って、笑い飛ばして終わった。
 ウェールズで泊まったホテルは部屋数が足りなくて、一人は荷物部屋ならあいてるから、そこにベッドを用意してやるといわれ、自分がそこに泊まった。
 で、電気を消して眠ろうとしていると、夜中、廊下への扉が少し開いていることに気づいた。
よく見ると小さい女の子が中を覗いている。
今でもはっきり覚えているが、金髪を長くたらして、ぬいぐるみを抱いた4歳ぐらいの可愛い子。
 最初はなんだろう、こんな夜中にと思って、

「 どうしたの?」

と声をかけた。
 すると、女の子は、何か小さい声でもぞもぞと言うが、聞き取れない。
当時はまだそんなに英語も得意じゃなかったから、幼児の言葉は聴き難かった。

「 え?」

と問い返すと、女の子は、うつろな顔で、自分の手を引っ張って、廊下を歩き出した。
振り返っては、付いて来いという風に目で語りかけながら。
その時になって、昼間きいた話を思い出した。
 あまりにも、酷似している、そんな馬鹿な。
自分は手を離し、震える声で、こんな夜中にダメだよ、ダメだよ、というようなことを言い、部屋に逃げ帰ってドアをしめた。
その後ドアは開くことがなかった。
 翌朝、あれは夢だったんだろか、と思いながらダイニングへの階段を降りていくと、そこにはあの女の子がいて、

「 Good morninng!」

と、にこやかに挨拶してきた。
ホテルの従業員とも顔見知りらしく、ほがらかにおしゃべりをしていた。
どうも、そのホテルの泊まり客の子供だったらしい。




















外国




 現場が首都から100km位のところにあったので、毎日、4WDで通っていた。
ある日、帰りが日没になってしまった。
夜は危険なので日没後は、現場に泊まるよう指示が出ていたのだが、冷房もない、毒蛇、サソリもいるようなところに寝たくないので、帰りを決行した。
 その日は、行きにタイヤがバンクして、もうスペアがないところに、運悪く、またパンクしてしまった。
既に、陽は落ち、真っ暗、辺りは田んぼ。
ドライバーがパンク修理の為、朝パンクしたタイヤを転がして、行ってしまった。
 暫くして、原チャリに跨った2人の男が、珍しげに話しかけてきた。
元々治安が悪いところなので、何をしでかすか解らないので、取り敢えず、相手を怒らせない程度に、言葉が解らないなりに受答えしていたのだが、ふと気づくと、いつの間にか周りに5,6人男が集まっている。 
どこから沸いて出たのか、周りは見渡す限り田んぼなのに。 
 暫くして、もう10人以上集まってしまった頃、上半身裸で警察の制服を羽織った目つきの悪い酔っ払いが絡んできた、手に拳銃持って。
 そこでは、軍人警官が最も質が悪い。
拳銃の所持、射殺が合法的にできるから。
昼間は警官、夜は凶悪犯は珍しくない。 
 “ああ、今日が俺の命日か”と覚悟決めて、撃たれないように、酔っ払い警官のご機嫌を取っていたところに、ドライバーが嬉しそうに帰ってきた。
早速、タイヤを取替に掛かったのだが、ドライバーがさっきと打って変わって不機嫌な顔をしている。
 タイヤ交換が終わって、警官の動向だけを見ながら、車に乗り込み、一目散に帰路に就いた。
さっきから不機嫌なドライバーに、

「 What happen?」

と聞くと、いつも愛想がいい奴が、

「 They want to kill you.,and get this car.
Everybody said kill you.」

実に恐ろしきは、生身の人間。
他にもこれと似たような経験があるのだけれど、その度に、守護霊に守られているんだなぁと感じる。















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10月11日(木)のつぶやき

2018-10-12 07:55:35 | _HOMEページ_



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日々の出来事 10月11日 トロイの木馬

2018-10-11 09:42:28 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 10月11日 トロイの木馬






 今日は、ハインリッヒ・シュリーマンが、トロイアの発掘に着手した日です。(1871年10月11日)
ハインリッヒ・シュリーマンは、貧しい牧師の子としてドイツに生まれます。
そして、7歳の時、世界史の中のトロイ戦争を読み、いつかこの遺跡を発掘しようと考えました。
 将来、遺跡を発掘するには膨大な資金が必要になってきます。
だから、財産を作るため雑貨商の徒弟となり金を稼ぎ、さらに語学を身に付け、十数カ国の言葉を話せるようになりました。
このことが、商売上で役に立ち、主人に連れられて商売するうちにあちこちで顔が売れ、信用が増して独立、その後も順調に事業を拡大し財を成しました。
そして、シュリーマンは46歳の時、事業から身を引いて、念願の発掘に取り掛かります。
 当時は、ホメロスのトロイア戦争は作り話と考えられ、シュリーマンの発掘は世間から冷ややかな目で見られていましたが、何と第1回目の発掘で城壁、宮殿址と財宝を掘り出して、世間を“すげェ~じゃん!”と驚かせました。
この発見は、少年のころの夢を追い続けたシュリーマンにとって、夢物語と思われていた世界を現実の世界に再現して見せた人生最良の瞬間であったと言えるでしょう。






  トロイの木馬

















☆今日の壺々話











と、言う訳で、シュリーマンを好きな人は、以下を読まないで下さい。


 シュリーマンの“古代への情熱”は、シュリーマン自身が書いた自伝です。
人間、地位と財産を手にしますと、過去をどうしても美しく脚色しようとします。








     発掘




「 あなたァ~、また、グ~タラ、グ~タラして・・・。
 何を、やってんのよ?」
「 いや、グ~タラしていたのでは無いぞ!」
「 じゃ、何をしていたのよ?」
「 えっ、それは・・・・・。」
「 ちょっとは、教養を身につけるため、本でも読んだら!」
「 いや、ワシは小さい頃から色々な本を読んでおるぞ。」
「 ホントかなァ~?」
「 う、嘘じゃないぞ!
 例えば・・・・。」
「 例えば、何よ?」
「 えっとォ~。」
「 あらっ、机の上にギリシャ神話がある!」
「 そ、そうだ、ギリシャ神話だ。」
「 これ、ホントに読んだの?」
「 そうだよ。
 この本を小さい頃読んで、トロイア遺跡を発掘するのがワシの夢だったんだぞ。
 ワシは、この夢を実現するため、働いて来たんだ!」
「 うわ~、スゴイのね!
 で、何時から発掘に取り掛かるの?」
「 も、もう直ぐだよ。」
「 スゴイ!!
 ロマンがあるのね~!
 みんなに、お話してあげようっと!
 ルン、ルン、ルン!!」

社交界に顔が利く、美貌と教養を併せ持つ30歳年下の妻が感心しながら、部屋を出て行きました。 

「 あ、行っちゃった・・・。
 えっと、困ったなァ~。
 カァちゃん、みんなに言いふらすぞ。
 数時間後には、サロンで注目の的だ。
 今さら、ウソとも言えないし・・・・。
  くっそ~、どうしようかなァ~。
 う~ん・・・・。
 穴堀りかァ~。
 面倒くさいなァ~。
  でも、やるしか無いかなァ~。
 カァちゃん、怒ったら怖いしなァ。
 まあ、発掘したら財宝がザクザク出てくるかも知れないし・・。
 まあ、いいか・・。
 どうせ、やるしかないもんな・・・・。」

数年後です。

「 やったァ~!
 出たァ~!
 ムフフフフフフフ!!
 そうだ、良いことを思いついた。
 これで自伝を書こう。」















世界史の授業におけるM君の立場



先生「 この古代ギリシャの都市国家のことを、はいB君、ミニスカ何?」
M「 ポリス。」
先生「 はい、ポリスといいます。」
















発掘




 実家暮らしなんだけど、昨日、学生時代の物を整理してたら、黒歴史ノート発掘した。
そこには、中2の時、ビッシリと書き連ねた痛ポエムの数々が・・・。

↓ま ず タ イ ト ル か ら し て 酷 い 。

ロスト・マイ・シューズ
フラワー・オン・マイ・デスク
セクシー・モアイ
絶望のホワイトデー
ドリームファイト
葉緑体

歌詞も意味不明。
「君にご奉仕!恋は兼好法師!」とか。
「オカンの反撃、聖夜の惨劇」とか。
もはや、何を伝えたいのかわからん。
どう見ても電波でした。
本当にありがとうございました。

「 どんな悲惨な学生生活を送っていたか、 簡単にプロファイリングできるな。」

「 君にご奉仕!恋は兼好法師!とか、いじめられるのも分かる気がする。」

「 こいつジョイマンのジョイマンの方じゃね?」


















歴史




 イギリスに留学した時、そりゃもうあらゆる国籍の学生がいた。
その中のアラブ出身の奴が、自分が生まれ育って町は 400年の歴史があると自慢していた。
そこへオーストリア出身の奴が、自分が生まれ育った町は 600年の歴史があると自慢した。
アラブ出身の奴がショボーンとして、他の奴もそんなに長い歴史の街には住んでいないと単純にオーストリア出身の奴を感心していた。
 ただ、その時の気分が忘れられないのか、ことある毎にオーストリア出身の奴は自分の町自慢を始めた、
600年の、600年が、600年も、600年、600年、600年、・・・・・。
さすがにみんながその自慢話に疲れて、彼に対する愚痴や不満を言うようになった。
 そんなある日、そのオーストリア出身の奴が自分の所に来た。

「 おい!お前!お前は何処出身だ?」
「 俺は日本だよ。」
「 そうか!日本か!
俺は 600年前のオーストリアの首都から来たんだ!
お前は日本の何処から来たんだ?」
「 俺は 1300年前の日本の首都、京都から来たよ。」

 その瞬間、周りの奴らがみんな立って、一斉に拍手をした。
オーストリア出身の奴が “1300年!?”と驚愕していると、他の奴らが次々とオーストリア出身の奴に近寄っていって、“600年の倍以上だなぁ”、“1300年には勝てないな、ははははは”と言い始めた。
 そのオーストリア出身の奴は体を震わせて顔を真っ赤にした。
でも、何か喋ったり、暴力を振るうでもなく、その日はそれで落ち着いた。

 次の日、オーストリア出身の奴が、また俺に話しかけてきた。

「 なあ、京都ってどんな町なんだ?」
「 京都は、日本でも最も古い町の一つだよ。」
「 ニンジャとか、いるのか?」
「 ニンジャは・・・・、京都にはいないかも。」
「 他の町には、ニンジャはいるのか?」
「 ああ、うん。
一応、戸隠って言うニンジャ集団や、甲賀って言うニンジャ集団の子孫は今もいるよ。」
「 そいつらは、何処に居るんだ?」
「 甲賀は、甲賀市って言うところにいるよ。
戸隠は、戸隠山って言うところだね。」
「 へえー。
京都には何がいるんだ?」
「 京都は天皇(皇帝)の町だったんだ。
それから貴族の町になって、さらに武家の町になったけどね。」
「 武家って言うと、サムライか!」
「 うん。
古代は天皇が力を持っていたんだけど、段々権力を失っていって、貴族が政治をするようになっていったんだ。
でも、貴族に対する不満がサムライ達に溜まっていって、貴族が倒され、サムライの社会が出来ていったんだ。」
「 サムライは何で“Samurai”って言うんだ?」
「 サムライは漢字の『侍』から来てるんだ。
これは元々は、天皇や貴族に仕える軍人のことを言ったんだ。」
「 なるほど。
軍人が天皇や貴族に反逆を起こしたのか?」
「 でも、天皇は倒されなかったんだ。
なぜなら、力がもうその頃には無くて、権威の象徴だったからだよ。
なので、実質的に力を持っていた貴族がサムライに狙われたんだ。」
「 サムライの社会は、まだ続いているのか?」
「 あはは、もう無いよ。
明治時代(Meiji)に無くなったんだ。」
「 どうして無くなったんだ?」
「 当時、アメリカの軍艦が日本に来て、日本中パニックになったんだ。
(ここで、アメリカは何時の時代もロクなことしねえなぁ、と突っ込まれる。)
アメリカと戦えと言う人と、アメリカと手を結べと言う人で日本の意見は真っ二つに分かれた。(ここで、アメリカは何時も他国に混乱を持ち込むなぁ、と突っ込まれる。)
なので、日本国内で頻繁に対立と内戦、陰謀と策謀が起きたんだ。
でも、それを平和的に解決し、サムライの社会を終わらせ、デモクラシーを達成しようとした一人のサムライがいるんだ。」
「 サムライがサムライを終わらせたのか?」
「 サムライの中にも、サムライの社会が続けば日本が滅びると考える人は多かったんだ。
でも、それを実行する勇気、見識、人脈を持っている人は限られていた。
ただ、たった一人の無名の志士がそれを達成するんだ。
この人物は英雄として、日本で最も良く知られた歴史上の人物だよ。」
「 そいつの名前は?」
「 本名じゃないけど、一番良く知られていた通名が“坂本竜馬”って言うんだ。
他にも時代を生き抜くために幾つか偽名を持っていたけど、この名前が一番有名だね。」
「 リョーマか、良い名だな。」
「 そう思う?」
「 良い名前じゃないか。
漢字(Kanji)はどう書くんだ?」
「 こう書くんだよ(竜馬の字をスラスラと書く)。」
「 難しいな。
これはもう暗号だ。
良くこんな暗号を覚えられるな。
(しばらく漢字に対する感想が続く)
・・・それで、この一番最初の字は?」
「 これが『竜』の字で、意味は Dragonさ。
次の『馬』が Horseだよ。」
「 Dragon Horseか。
カッコイイね。
時代を動かした人間に相応しい。」
「 とても優しい人だったらしいよ。」
「 サムライは優しい人なのか?」
「 そうとは限らないけど、優しい人も多かったよ。
サムライは忠義にとても厚い人達なんだ。」
「 もうサムライはいないのか?」
「 サムライと言うのは職業を言うから、その人達はもういないね。
一応、僕の先祖はサムライだけど。」
「 おお!?君はサムライの子供なのか!?」
「 僕のひいひいじいさんがね、サムライだよ。
当時ではかなり珍しいけど、ひいひいじいさんが写ってる写真を持ってるよ。」
「 おお、サムライの写真!ぜひ見たいな!」
「 じゃあ今度、親父に頼んでメールで画像を送るよ。
メルアドは?」
「 ああ、俺のメールアドレスは・・・・。」
「 僕のメールアドレスはここだよ・・・・。」
「 うん、ちゃんと紙に書いたぞ。」
「 そうだ。
これから一緒に晩御飯を食べに行かない?
俺のじいさんは第二次世界大戦でアメリカと戦ったんだ。
面白い話を一杯知ってるよ。」
「 ぜひ聞きたいね。」

 こうして、僕とオーストリア出身の奴とは友達になった。
彼は日本に対して好意も不満も無い、単に“日本に興味が無い”存在だったけど、僕と話す内にどんどん日本に対して興味を抱いていった。
日本から送って貰ったスナック菓子や食べ物を彼にあげたら、とても美味しいと目をキラキラさせて、僕も一緒になんだか嬉しくなった。

 留学して1年経って日本に帰る事になった時、そのオーストリア出身の奴が泣きながら一緒にイギリスに居ようと言ってくれた。

「 その申し出は、僕は本当に嬉しいけど、日本で仕事があるんだ。
帰らないと失職してしまうんだ。」
「 そうか・・・・・(残念そうに目を伏せて)。
君と出会えて本当に良かったよ。
君がアジア人かヨーロッパ人かどうかは関係無い。
君を一人の人間として、好きなんだ。
好意を持ってる。
ありがとうと言わせて欲しい。」
「 僕からもありがとう。」
「 君との付き合いは楽しかったよ。
僕の国、オーストリアは数多くの戦争で多くの歴史が失われたんだ。
僕の育った町、600年の歴史がある町は、僕だけでなく、オーストリア人が唯一確認出来るオーストリアの歴史なんだ。
僕はあの町を誇りに思う。
そして、日本が羨ましいと思うよ。
 第二世界大戦が起きても、数多くの内戦を経験しても、日本には消せないほどの多くの歴史を持っている。
ハイテクな国と言うイメージが今まであったけど、歴史の深い国であることも、君と出会えて知れた。
日本が歴史と文化を大切にする国だと言うことを。
 もしかしたら、オーストリアが目指すべき国の姿は、日本みたいに歴史の国であり、ハイテクな国なのかもしれない。
何時か日本に行く機会があったら、僕を招待してくれないか?
君と一緒に日本を旅行したいんだ。」
「 任せてくれ私の友達。
僕も君のことに好意を持ってるし、君との出会いは何物にも代えがたい物だと信じているよ。」

今年の冬、その彼が日本に来ることになってる。
楽しみだ。

















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10月10日(水)のつぶやき

2018-10-11 07:53:52 | _HOMEページ_





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しづめばこ 10月10日 P533

2018-10-10 19:41:11 | C,しづめばこ



 しづめばこ 10月10日 P533  、大峰正楓の小説書庫で再開しました。


小説“しづめばこ”は読み易いようにbook形式になっています。
下記のリンクに入ってください。
小説“しづめばこ”



大峰正楓の小説書庫です。
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日々の出来事 10月10日 トキのキンちゃん

2018-10-10 10:31:35 | A,日々の出来事_







  日々の出来事 10月10日 トキのキンちゃん







 今日は、日本の最後のトキである“キン”が死亡した日です。(2003年10月10日)
トキは、もともと日本中にいた鳥で、水田にいる小動物を食べていました。
でも、明治になって、美しい羽毛が狙われ、また、お百姓さんからは水田を荒らすと嫌われて、その数を減らして行きました。
 昭和に入ると、農薬等による環境破壊で生息数が激減し、1981年 2月、佐渡にいた最後の5羽が人工増殖のために捕獲されましたが結局うまく行かず、ついにトキは日本の空から消えてしまいました。
 現状は、中国からのトキが佐渡トキ保護センターで飼育されており、野生復帰に向け2008年に27年ぶりに放鳥されましたが繁殖に至らず、2009年9月に雌を多くするなどして2回目の放鳥が行われました。






 トキ(トキの森公園)
















☆今日の壺々話









     サギ



「 あっ、そこの兄ちゃん!
 あかん、あかん、それ、ワイのやがな。
 そう、そう・・・・、そこに置いて、あっち行き。
  行きよったな・・・。
 ホンマに、油断も隙もあったもんやない。

 “ パク、パク、パク。”

  あらっ、この食いもん、ちょっと、質、落ちたんと違うか?
 まあ、不景気やから、しょうがないけどな。
 え、何やて、動物園の餌、横取りしてるのに、文句言うなてか・・。
 ええがな、ええがな、かたいこと言わんでも・・。
 もう、何年もこうして生きてるんやさかい。
  何やて、詐欺みたいやてか?
 アハハ、ワイはサギやがな。
 サギが、何で詐欺したらあかんねん。
 ええがな、ええがな。
  え、サギにしては、羽根の所が白く剥げてるってか・・・・・。
 あ、しもた、しもた、ホンマや、色が落ちてきてるがな。
 ・・・・・・・・。
  あのな、ここだけの話やけどな。
 誰にも言うたら、あかんで!
 ホンマはな、ワイはサギと違うねん。
 羽根に色つけて誤魔化しとんねん。
  ホンマはな、ワイはトキやねん。
 えっ、なんやて?
 北斗の拳でラオウと戦ったヤツてか?

 “ あちょちょちょちょちょ、お前はもう死んでいる!!”

  こらっ、アホなことさしたらあかんがな!
 違うがな、違うがな、それや無いがな。
 北斗の拳でラオウと戦ったトキとちゃうがな。
 ホンマ、お前、漫画の読み過ぎちゃうか。
 トキやがな、トキ。
 天然記念物のトキやがな。
 でな、この前、佐渡島で仲間、5羽も捕まってしもてな。
 ワイ、密かに逃げて来たんや。
 大阪やがな、大阪。
 大阪やったら、潜伏してても捕まらへんがな。
 これ常識。
  ほら、喋り方も、大阪弁、完璧やろ。
 地元に、溶け込まなあかんと思て、練習したんやがな。
 それからやな。
 羽根に色付けて、サギに成り済ましてんにゃがな。
 バレんと、今まで遣って来たんや。
  あ、この前、ニュース、お前、見たか?
 キンちゃん、死んでしもたな。
  ん・・・・・・。
 お前、キンちゃん知ってるか?
 え、テレビに出てたてか。

 “ なんでこうなるの!!”

  あ、こらっ!
 また、アホなこと、ワイにさしたらあかんがな!!
 違うがな、萩本欽ちゃんと違うがな!
 ニッポニア・ニッポンのキン婆さんやがな。
 日本で最後のトキやがな。
  でもな、ホントは最後とちゃうんやで。
 ワイがいるがな。
 ハハハハハ!
  あ~、腹、膨れたな。
 次、酒でも飲みに行くわ。
 え、紹興酒やがな。
 あれ、美味いでェ。
  そこな、仲間、いっぱいおるねん。
 でもな、困った事、あんねん。
 話が通じひんねん。
 中国語で、みんな喋りよるねん。
  でも、まあ、ええねん。
 いつも、マージャンしてるさかいな。
 じゃ、また、明日な!

 “ パタパタパタ。”

 “ タ~ア、タ~ア!!”

  あ、しもた。
 ついつい、鳴いてしもたがな。
 この鳴き方したら、トキやてバレてしまうがな。
 ヤバイ、ヤバイ。
 黙って、飛んだろ。
 ・・・・・・・・・・。」

















天然記念物




 大学の頃さ、学園祭に来てる女の子を、屋台の食い物売りこみにかこつけてナンパとかしてたわけ。
普段はそんな声とかかけられないんだけど、この後時間あったら打ち上げ一緒に来ない?とかさ。
 んで、いかにも“ナンパされに来ました~”って格好と振る舞いの女の子を見かけてさ。
普通に可愛かったから仲間達と声かけたんだけど、一緒にいた連れの女の子がすげえノリ悪いの。
最近ならともかく、茶髪全盛期にもっさい黒髪+地味目の格好でさ。
化粧もしてるのかな?って感じ。
 素材は悪くないんだけど、なんで今日ここに来たの?ってツッコミたくなるノリの悪さ。
もう一人の子がノリノリだったから、結局一緒にメシでもってなったんだけど、一人キョドってんの。

「 あの、私、付き合ってる人がいるんです」って、いきなり頭下げられて、帰ろうとすんの。

 そこで、わーこいつおもしれーって興味わいてさ。
男いるから他のヤツとはメシも食わないの?って。
なんか、その彼とやらがこの大学にいるから今日来たんだって。
 でも、もう一人の子はノリノリだしさ、今時おもしれー子って思ったから、じゃあ彼も呼びなよって言ったの。
こっちもサークルの女友達と合流しちゃうからさ、こうやって友達増えるのもいいじゃんって。
そしたらその子いきなり顔が明るくなって、彼に連絡して、やっぱり同じような真面目くんがやってきた。
 こいつもスゲーいいやつで、あっという間に意気投合。
学年は違うけど、同じ学部のやつだった。
今時、天然記念物みたいなその子は、卒業して少ししてから、そいつと結婚した。
ドレスなんか着たらビビるほど別人でさ、普段はもっさい癖にマジでちょっとしたお姫様だったよ。
それからもみんなで遊びに行ったり、旅行に行ったり、一番の女の友達になった。
 で、今日妊娠しましたってメールがきたんだよ。
すげーじゃん、お祝い考えとけよって送り返して、もう友達やめようと思った。
 ほんとは一目惚れだったんだよ。
話してみて、もっと惚れてったんだよ。
夫から妻は奪えるけど、子供から母親取り上げちゃいけないよな。
心のどこかで「いつかもしかしたら」を考えちまうから、今日が俺があの子と友達やめる日。


















結婚条件




37歳パート結婚歴無
ちょっとぽっちゃり
性格:おっとり・マイペース
趣味:ショッピング・ワイン・自分磨き
特技:料理


条件
・年収2000万以上
・イケメン
・年齢32歳まで
・身長178cm以上
・非喫煙者
・社交的で明るい人
・浮気をしない
・他
早慶又は旧帝大卒業者希望
専業主婦希望
家事分担希望
義母と同居なし

私はこれまでいろいろな男性とお付き合いしましたが、結婚に踏み出す勇気がなく独身のままでした。
でもそんな私も子どもが欲しい、暖かい家庭を築きたい思いから、結婚を急いでます。
子供は3人、その3人を夫婦で協力して育てて、夏休みやゴールデンウィークには海外に行ったり。
でも、そんな中にもそれぞれ自分だけの時間を有効に使える、そんな生活を希望しています。
私は料理教室に通っていたので料理が得意です。特に私のカレーライスや肉じゃがは天下一品ですよ。
私は37歳で高齢と思われるかもしれませんが人は年を増すごとに深みが増します。
ぜひ37歳という数字ではなく37年生きてきた私の、若い人にはない人間的魅力に目を向けて下さい。
二人で幸せな家庭を築きましょう。

















 日本むかし話 「人を救った佐藤山」






 あるとき、佐藤さんという定年退職したおじさんがおったそうな。
何を思ったのか、突然裏山に小屋をこしらえ始めた。
村人が尋ねると「なあに、津波が来たときのための準備じゃ。」。
村人は「こんなところまで津波はきやせんぞHAHAHA。」と笑って帰っていった。

 また、あるとき、おじさんは岩山を削っておった。
村人が尋ねると「なあに、津波が来たときに逃げる道を作っておるんじゃ。」。
村人は「こんなところまで津波はきやせんぞHAHAHA」と笑って帰っていった。

 そんなことが繰り返され、村人はいつしか、その山のことを「佐藤山」と呼び、せっせと岩を削り階段を作り、小屋を建てるおじさんを笑っておった。

 さて、おじさんも木を植え、看板も取り付けた。
山の上には観測台もつくった。
おじさん「立派な避難所が出来たわい。どれ、村役場に知らせるか。」。
ところが村役場では「こんなところまで津波はきやせんぞ。」と、せっかく作った避難所をまともにとりあげてくれなんだ。

 季節は巡り、ある早春の日。
ごごごご・・・と大地が振動しおった。
「大地震じゃ!!!」
すぐさまおじさんは犬と家族を連れ、「佐藤山」に避難した。
そこにはすでに40人ばかりの人がおった。
「ああ、あれを見よ。」
津波がものすごい勢いで押し寄せ、家や人を飲み込んで迫ってきた。
「早く早く!!!」
村人は、おじさんが作った避難路を


疲れた



あとちょっとじゃねーかw






















 うちの母は鳥が大好きで、飼うだけでは飽き足らず、家の前にパン屑など撒いてそこらの鳩や烏、雀の世話もしていた。
当然、鳥が集まれば五月蝿いだの糞が汚いなどの苦情が来る。
母は近所に謝り、路上の糞は清掃する事で勘弁してもらった。

 翌朝、いつもの様に鳥が集まってきて、母に餌をねだっていた。
「あんた達、ここでご飯食べるならトイレはよそでしておいで。あと、ご飯の時は静かにね。」
と独り言のように呟いてパン屑を撒いていた。

 今から思うと、その辺りから糞の量が明らかに減っていた。
掃除の手伝いをしている時はあまり気にしてなかったが、鳴き声もほとんど出してなかった。
 目に見えて糞の量が減ってきて、鳥も騒がなくなったので、近所も首をかしげながら
母の餌やりを黙認するようになった。
「あんたらったら、食い意地はってんだから。」
と母は笑いながら、相変わらず餌をやり続けた。

 それから1年と少し、母は老衰から倒れてしまい、あまり長くないと診断が下った。
母は入院し、鳥に餌をやる者がいなくなっても、鳥達はいつもの時間に集まり、30分くらいずっとそこにいた。
「もうお袋いねーから、お前らに餌やれんぞ。」
といっても分かるはずもなく、やらなくなって1週間、1ヶ月経っても集まり続けた。
 仕方なしに俺が時々餌を撒いても、すぐに手をつけない。
30分ほど経ち、母が出てこないと分かると、ちょこちょこつまんで去っていく。

 そんな状態が更に1ヶ月ほど続いた先日、母が他界した。
葬式の日の朝、今までにない位の数の鳥が、家の前の電線に密集していた。
糞もたらさず、身じろぎもせず、鳴きもせず、ただずっとそこにいた。
出棺の時、カラスが数羽、高らかに鳴き上げて、それから一斉に鳥たちが飛び去っていった。
とても不思議な光景だった。
 母と鳥の間にどんな絆があったんだろう。
今では俺が毎朝パン屑を撒いている。
相変わらず、糞をすることはない。
















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10月9日(火)のつぶやき

2018-10-10 02:52:59 | _HOMEページ_
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日々の恐怖 10月9日 深憂(9)

2018-10-09 19:47:26 | B,日々の恐怖






 日々の恐怖 10月9日 深憂(9)






 1階も、今思えば応接間以外のドアは閉ざされていたし、その応接間も恐らく元々2部屋だったのものをリフォームで1部屋にしたような広さだったが、中央にアコーディオンカーテンが引かれていて半分は見えなかった。
 その日は、そのまま帰り酒を煽って寝た。
何一つ解決していないし、気になる事もあの家にまだあるけど、もう行く気がしない。
去年の12月にあったこの事が今でも怖い。

 彼女からは1月に1通だけ手紙が来た。
年始の挨拶ではなく、もう一度来て今後のお話をしませんかと言う内容と、○○○さんが 中3の頃にイジメにあい、それでも元旦に親戚で集まった時に皆と話して元気になって、卒業、進学できた事から1月は好きな月なのですというエピソードが添えられていた。
 嘘ではあるが、転勤の可能性をほのめかして、今後余り力になれない事をお詫びする文面で返事を出し、それ以来は何も無い。
 訪問した際に渡した名刺が非常に悔やまれるし、その辺で歩く時も必要以上に周囲を気にしてしまう。
名前を出す仕事をしてる人は、本当に気をつけて下さい。
真相がはっきりしないままの長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。















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日々の出来事 10月9日 田中耕一

2018-10-09 10:47:59 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 10月9日 田中耕一






 今日は、嵐電の運転席を眺めながら通勤することを日課としていた田中耕一にノーベル化学賞が贈られることが決定した日です。(2002年10月9日)
田中耕一のノーベル化学賞は、レーザーによりタンパク質を気化、検出することに世界で初めて成功したことによる受賞です。
 この受賞は、一つの失敗から生まれました。
高分子量のタンパク質をイオン化するのに、熱エネルギー緩衝材として“間違って”グリセロールとコバルトを混ぜて、捨てるのも勿体無いと使用したところ、見事に成功したのです。
この失敗に関する考えを田中耕一は言っています。

「 ひょうたんから駒というか、つまり、失敗を失敗と片づけず、なぜそう
 なったかを考えることが必要だと思うんです。
 私も自分の失敗を振り返るのは嫌なものですが、それをたどることが成功
 につながるかもしれないし、隠れたものを発見するには必ず役立つと思い
 ます。」

この言葉は、“失敗は成功のもと”の諺を端的に説明していると言えます。
 受賞の連絡が電話であったとき田中耕一は、ドッキリカメラと思って本気にしなかったようですが、マスコミがワンサと遣って来てやっと現実だと思いました。
そして、島津製作所社員である田中耕一は、最初の記者会見で作業服を着て誠実に対応し、癒し系のいい人が日本中に知られることとなり、親近感を持って迎えられました。
 小学4年生の田中耕一少年が、夢中になって読んだ小松左京の空中都市008の感想文で述べています。

「 自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手で作ることの必要は、今で
 もどんなに進歩した未来でも同じことだ。
 ぼくの考え、ぼくの思いは、いつまでもぼくのものでありたい。」

この言葉から、“ノーベル賞は、子供の頃の心が大人になっても生き続けている人が受賞するものである”と言って良いと思います。

 ノーベル賞を受賞後、マスコミの取材は熾烈を極め、田中耕一は連日連夜の記者の追いかけや善人の代名詞のように言われることに悩んでいました。
 京都観光で観光バスが島津製作所の前を通ったら、必ず、バスガイドさんがお客さんに向かって案内します。

「 皆様、右をご覧下さいませ。
 右に見える建物が、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんが勤める島津製作
 所でございます!」
「 お~~~!!」

でも、島津製作所には、田中耕一の銅像は建っておりません。
もしも、建てるとしたら、後ろを向いて昆布とおかきを食べながら考えている像で、像の下には、“Leave me alone!”と彫られた金属プレートが付けてあるでしょう。
もっとも、銅像自体を建てることを嫌がると思いますが・・・。










  田中耕一が高校の同窓会のカラオケでよく熱唱する歌


 
      “フィンガー5の学園天国”

        Are you ready? (yeah!)

 ヽ( ・∀・)ノHey Hey Hey Hey Hey (Hey Hey Hey Hey Hey)
      Hey Hey Hey Hey Hey (Hey Hey Hey Hey Hey)
      Hey (Hey) Hey (Hey) Hey (Hey) Hey (Hey) who♪ ヽ(´∀`)ノ

 ♪(´∀`)ノ゙ あいつもこいつもあの席を
       ただ一つねらっているんだよ
       このクラスで一番の
       美人の隣りを~
       ああ~ みんなライバルさ~~♪ヽ(´∀`)ノ
 
 ♪(´∀`)ノ゙ ああ~ いのちがけだよ  yeah yeah yeah
       運命の女神さまよ
       このぼくにほほえんで
       一度だけでもォォォォォォ~♪ ヽ(´∀`)ノ

 ♪(´∀`)ノ゙ 勉強する気もしない気も
       この時にかかっているんだよ
       もし駄目ならこのぼくは
       もうグレちまうよ~♪ ヽ(´∀`)ノ

 ヽ( ・∀・)ノHey Hey Hey Hey Hey (Hey Hey Hey Hey Hey)
      Hey Hey Hey Hey Hey (Hey Hey Hey Hey Hey)
      Hey (Hey) Hey (Hey) Hey (Hey) Hey (Hey) woh~♪ ヽ(´∀`)ノ

 ♪(´∀`)ノ゙ 二枚目気どりの秀才や
       あのいやな悪党番長も
       胸はずませ待っている
       どの席になるか
       ああ~ あの横顔を~~~♪ ヽ(´∀`)ノ
 
♪(´∀`)ノ゙ ああ~ みつめられたら yeah yeah yeah
       授業中天国だよ
       このぼくにしあわせを
       与えておくれェェェェェェェ~♪ ヽ(´∀`)ノ

 ♪(´∀`)ノ゙ 勉強する気もしない気も
       この時にかかっているんだよ
       もし駄目ならこのぼくは
       もうグレちまうよ~♪ 
          
ヽ( ・∀・)ノ yeah yeah yeah bap♪  ヽ(´∀`)ノ










  田中耕一















☆今日の壺々話











     無情ということ




「 そういうのすごくよくわかる!
 寂しい一人暮らしだと、会社や家族以外の人とのふれあいが結構うれしか
 ったりするんだよね。
  俺の場合は、その日一日は本当ついていなくて、会社で他人のミスが自
 分に降りかかってきて上司にめちゃくちゃ怒られるわ、いつもの定食屋が
 混んでて自分の注文忘れられ、担当のお客には怒られ(超理不尽な理由
 で!)、ありえない量のサービス残業押し付けられてもうさんざんな状態
 で、帰るころには夜12時を回ってた・・・。
  こういうときは気分転換にいつもと違ったルートで帰るといいと思って、
 寄り道がてら見知らぬラーメン屋に立ち入ったら、そこで偶然中学のとき
 のクラスメート数人とばったり出会ったのよ。
 特に盛り上がった会話はしなかったけど、一人暮らしの寂しい俺にとって、
 こういう偶然の旧友との出会いって、なんか元気でるんだよね。
 おかげでどん底から抜け出せたよ。」
「 ラーメン屋にクラスメート数人って、何人くらいいたの?」
「 よくよく思い出してみると、結構な人数いたかも。
 女子とかも、こんな子そういえばいたな~って子もいたな。 
 懐かしかったwww。」
「 OK、それ同窓会だ。」
「 ありがとう、今週中に死ぬ。」

「 あ゛~っ、生きぃよォ~横山ぁ~( ´∀`)y━~~。」















ノーベル物理学賞受賞者ファインマン君




・学生時代ガリ勉野郎の部屋のドアを外して地下室に隠す。

・マンハッタン計画中に機密の入った金庫を開けまくる。
余りに腕が良かったので、番号を忘れた仲間から依頼されることも。

・検問にむかついたので抜け穴から出る→入るを繰り返してお説教を食らう。
と思ったら、今度は検閲にむかついて手紙をジグソーパズル化する。
当然怒られる。

・当時から物理学の大家であったボーアに「何、とち狂ったこと言ってるんだ」と発言。

・寮で化粧品をばらまき、夜中ベッドの上で飛び跳ねてギシアン音を出す。
そのせいで寮が女性禁止に、女はまだ誰も入ったことなかったのに。

・打楽器ボンゴの名人。

・ブラジルにいた頃「明日は名物のパレードが見られますよ」と言われたがそのパレードに参加していた。

・精神科医が嫌いでいたずらしたら兵役を免れた。

・絵も得意。個展を開いたこともある。

・たまたま喧嘩を目撃し、皿が飛んでるのをみて皿の運動を計算する。
その理論を元にしてノーベル物理学賞を受賞。

・受賞の知らせに「何て無礼な奴なんだ、今深夜じゃないか」、「辞退する方法はないのか?」、「辞退したらもっとややこしいことになりますよ」→諦めて受け取る。

・ストリップに毎晩のように通う、しかも奥さんのお墨付き。

・初来日の時、日本に来たんだし日本の旅館に泊まりたい!というので無理を言って宿泊場所を変更。
風呂の作法が分からないので、とりあえず“ヒャホゥ!”と入ったら先客の湯川博士に怒られた。

・別の来日時は「不敗魔」と自己紹介した。



















表彰




十数年前の話。

 小学5、6年と担任にいじめられた俺。
漢字の書き取りテストが出来なかった事で人間扱いせず、最終的には廊下の壁に向かい合う形で机を置かれ、授業を受けさせてもらえなかったのが半年以上続いた。
 卒業式の時には名前を読み飛ばし、他の先生から指摘を受けると大声で、

「 そんな奴うちのクラスにはいません!」

と言いやがった。
家に帰った段階で首つって死のうかとも思った。

 そんな状態で中学に行った俺は、周りの連中から浮いた存在になった。
そこで、“こんなんなら自分の好きなようにやろーっと!”と、お気楽に考えた俺はちゃんと学業もやりながらボランティアをやり始めた。
 中学の3年間、ボランティアをやっていたおかげかどうかは知らないが、卒業式の日に、一校で一人か二人が選出される表彰を受けた。
自分は、“何かの間違いじゃないんですか”と言ったのだが、“貰えるものは貰っておきなさい”という校長先生の言葉に、ありがたくそれを貰った。

 卒業式から数日後、父と偶然出かけた先で小学5、6年の時の担任に出会った。
向こうは、今教えている子供らとその親数人が一緒だった。
 表彰の事をどこから知ったのか、子供たちや親に自分が取らせてやったのだと言わんばかりの口調と声量で話しかけてくるので、こう言ってやった。

「 そうですよね、あなたが私を人間扱いしてくれなかったお陰で、表彰が受けられたんですよ。」

瞬間、凍る元担任。
そこへ言葉を続ける俺。

「 それに私はあなたの生徒じゃないんですよね。
良かったですよ。
卒業式で名前を呼ばれなくて。」

俺の言葉に、ぎょっとしながら元担任に疑惑の目を向ける親。
最後に子供たちに向けて一言。

「 気をつけろよ。
漢字の書き取りが出来ないって事で、給食を床に四つん這いになって食えとか、廊下に机を出して、授業を受けさせてくれないって事するから、この先生は。」

 口をパクパクさせたまま顔面蒼白な元担任、唖然とする子供たち、呆然とする親にほほえみながら会釈をし、その場を離れ、彼らから目の届かないところに来たところで父がハンカチを差し出した。
 いつの間にか大粒の涙を流していた俺は、そのハンカチで涙を拭うと、父が手を差し出してきた。
その手にハンカチを返すと、父はまた手を差し出してきた。
 手を差し出している訳が分からずに顔を見ると、親父は「よくやった」と満面の笑みを俺に向けていた。
そこで差し出された手の意味を理解した俺は、父とハイタッチを決めていた。


















ノーベル賞





 6歳長女。
昨日、なにやらチョキチョキペタペタ工作して遊んでると思ったら、
「ノーベルお母さんしょう」
「ノーベルお父さんしょう」
「ノーベルあかちゃんしょう」
と書かれたメダルをくれた。
不覚にも泣いた。
 すぐに「ノーベルこどもしょう」を作って首にかけてあげたら、それまでのドヤ顔から、もじもじテレテレに変身。
しばらくずっと部屋の中をヘンな内股で歩いてた。
 帰宅後、ダンナも涙。
新築だからって時計掛ける用のクギうつのも嫌がってたくせに、速攻でメダル飾る用クギ穴あけてた。
飾られたメダルたちを朝見た長女、またもじもじテレテレ歩きになってた。
一晩たった今でも、目に入るとちょっと潤んでしまうよ。ありがとう!!















 ノーベル賞受賞者出身大学




湯川秀樹 京都大学理学部理学科 ノーベル物理学賞
朝永振一郎 京都大学理学部理学科 ノーベル物理学賞
川端康成  東京大学文学部英文学科 ノーベル文学賞
江崎玲於奈 東京大学理学部物理学科 ノーベル物理学賞
佐藤栄作 東京大学法学部 ノーベル平和賞
福井謙一 京都大学工学部工業化学科 ノーベル化学賞
利根川進 東京工業大学理工学部 ノーベル医学・生理学賞
大江健三郎 東京大学文学部 ノーベル文学賞
白川英樹 東京工業大学理工学部 ノーベル化学賞
野依良治 東京大学理学部物理学科 ノーベル化学賞
小柴昌俊 東京大学理学部物理学科 ノーベル物理学賞
田中耕一 東北大学工学部電気工学科 ノーベル化学賞
南部陽一郎 東京大学理学部 ノーベル物理学賞
小林誠 名古屋大学理学部 ノーベル物理学賞
益川敏英 名古屋大学理学部 ノーベル物理学賞
下村脩 長崎大学薬学部 ノーベル化学賞
山中伸弥 神戸大学医学部 ノーベル医学生理学賞
赤崎勇 京都大学理学部化学科 ノーベル物理学賞
天野浩 名古屋大学工学部電子工学科 ノーベル物理学賞
中村修二 徳島大学工学部電子工学科 ノーベル物理学賞
梶田隆章 埼玉大学理学部物理学科 ノーベル物理学賞
大村智 山梨大学学芸学部自然科学科 ノーベル生理学・医学賞
大隅良典 東京大学教養学部基礎科学科 ノーベル生理学・医学賞
本庶佑 京都大学医学部医学科 ノーベル生理学・医学賞

これまで、
理科系ノーベル賞受賞者21人
文科系ノーベル賞受賞者3人

受賞者の出身大学は、
東京大学7人
京都大学7人
名古屋大学3人
東北大学1人
東京工業大学1人
長崎大学1人
神戸大学1人
徳島大学1人
埼玉大学1人
山梨大学1人

以上が受賞者(2018年まで)




   山中教授との一問一答

 Q 受賞の一報を聞いたときに何をしていたか。

 A 正直な話、受賞すると思っていなかった。家にいて洗濯機がガタガタと音がするので、 直そうと、洗濯機の前で座り込んだ時に私の携帯電話がなった。
英語で話しかけられたので(受賞を)知った。
ノーベル賞に匹敵する人はたくさんいるし、私よりふさわしい人もたくさんいる。
その中で私に電話がきたことは、本当かどうか信じられないというのが正直な気持ちだ。



 洗濯機を直そうとするとは科学者はやっぱ違うな。
うちの洗濯機も直してくれんか。


洗濯機がガタゴトって、足の長さが合ってないだけなんじゃないかな。


受賞の褒美に、政府は取り敢えず最新の洗濯機送れよ。


洗濯するだけじゃないぞ、昼に25キロ走ってきたそうだ。


 洗濯機が壊れたか。
で、自分で直そうとしたと…。


 うちも先日冷蔵庫が壊れたんだよ。
午前中に修理を頼んだら、さっそく作業着を着た電気屋がやってきた。
その作業員に顛末を話して、直すように言うと渋い顔して冷蔵庫に耳を当てて何やら診断してるんだ。
耳あててるだけで、一向に修理らしい事しないんだ。
 で、直せそうですか?って聞いたら、
やっぱり渋い顔して【内蔵されているファンがダメになってますねぇ~】だって。
 交換するのがいいでしょうと言うんで、じゃぁお願いしますって言ったら、いきなり顔色が明るくなって、その場で会社に電話して在庫の問い合わせを始めたんだ。
 で、作業員は一旦会社に戻って新品のファンを持って戻ってきたんだ。
でもって、いざファンを交換ってなって、ファンにさわった瞬間にファンが勢いよく動き出したんだ。
 どうやらちょっとゴミが挟まってただけだったらしいんだわ。
だったら掃除すればいいやってんで、新品いらねって言ったら、やりきれない顔して帰って行った。















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10月8日(月)のつぶやき

2018-10-09 07:54:37 | _HOMEページ_


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日々の出来事 10月8日 石川五右衛門

2018-10-08 11:40:03 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 10月8日 石川五右衛門






 今日は、盗賊“石川五右衛門”が、京都三条河原で釜茹でにされた日です。(1594年10月8日)
石川五右衛門は、昔、ドリフターズの加藤茶がやっておりましたが、歌舞伎“金門五山桐”で京都南禅寺の山門において“絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは、ちぃせえ、ちぃせえ!”と、大どてらを着て百日鬘である爆弾頭で、煙管片手に見得を切る盗賊です。
また、釜茹でのとき詠んだ辞世の句である“石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ”は、ドロボーの絶えない世の中、今後も生き残る名句です。
 石川五右衛門は、実在の人物で安土桃山時代の貿易商アビラ・ヒロンの“日本旅行記”には、“都で盗賊集団が捕まり三条河原で釜茹でにされ、頭目はIxicava goyemon”と記述があり、林羅山の“豊臣秀吉譜”には、“文禄のころに石川五右衛門という盗賊が強盗、追剥、悪逆非道を働いたので秀吉の命によって前田玄以に捕らえられた”とあります。
 この盗賊がヒーローになったのは、江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎で義賊として扱われ、権力者である豊臣秀吉の命を狙う筋書きが庶民の心を捉えたことによります。
 そして、今でも、この盗賊は色々な場面で登場することが多く、ルパン三世で“またつまらぬものを斬ってしまった”の石川五ェ門は、石川五右衛門の第十三代目の子孫として扱われています。
また、ピンク・レディーの“渚のシンドバッド”の替え歌である大瀧詠一の“河原の石川五右衛門”は、大瀧詠一のアルバム“Let's Ondo Again”(1978年)で、曲を聴いた阿久悠が“なめとんのか~!”と許可が下りず、ようやく“NIAGARA FALL STARS”(1981年)で収録されました。

 それでは、ここで河原の石川五右衛門をひとつ・・・。
 (渚のシンドバッドの節でピッタリ歌えます。)


 河原の石川五右衛門(作詞 作曲、大瀧詠一、歌オシャマンベ・キャッツ)

ヽ( ・∀・)ノ アッチチッチ! アッチチッチ!
ヽ( ・∀・)ノ アッチチッチ! アッチチッチ!
      あぁ河原の石川五右衛門~♪  ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙ こちらと思えば またまたあちら
      素早い人ね~♪
      千両箱 小わきに抱え
      屋根から屋根へ♪   ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙ ニキビが取れて すっきりしたと
      キセルをくわえ~
      チョイとお兄さん手のなる方へ♪  ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙ 財宝盗む早業は~ 噂通りなのォ~
      あなたァ~ 石川五右衛門~♪

      みじめ~ あなたはみじめ~  

      あなたはイチコロでダウンよ
      もう釜茹で煮え湯に溺れるぅ~♪ ヽ(´∀`)ノ








  石川五右衛門

















☆今日の壺々話










泥棒猫




関係ないけど、
猫の喧嘩時の声は、
マーオ。
これを互いが連呼し合う。
交互にやりとりしていくにつれてどんどん伸びる&後部が高音になっていく。
こんな感じ。

Aマーオ
Bマーオ
Aマーーオ
Bマーオ
Aマーーーオ!
Bマーーオ!
Aマーーーーーーーーオ!!!!!!
Bマーーーーーーーオ!!!!!
A&B「ギャフベロハギャベバブジョハバ。」
A&B「ゲフムギョボバハ。」
A「フォー!」
B「フブフー!」
俺「Go!」
A&B「フギャシャムベロクジョフォホ!」

こんな感じだった。


で、関係ないけど、
女の喧嘩時の声は、
泥棒猫。
これを互いが連呼し合う。
交互にやりとりしていくにつれて、どんどん伸びる&後部が高音になっていく。
こんな感じ。

Aこの泥棒猫!
Bなによアンタこそ!
Aなんで、知らない女がここにいるのよ!
Bアンタこそ誰なのよ、この泥棒猫!
Aうるさいわよ、この泥棒猫!この人はアタシだけなんだから!
Bあたしなんか、五年も一緒に居るのよ!!!!!
A&B「ギャフベロハギャベバブジョハバ。」
A&B「ゲフムギョボバハ。」
A「フォー!」
B「フブフー!」
俺「Go!」
A&B「フギャシャムベロクジョフォホ!」

こんな感じになるほどモテたかった・・・・。


















コンビニと銭形警部




「 コンビニのレジに、かわいい子がいました。
 お友達になるには、どうしたらいいでしょうか?」

「 あ、それ、簡単。

 1.コンビニに行く。
 2.普通に買い物をする。
 3.なにくわぬ顔で店を出る。
 4.数分後、息を切らしてコンビニのレジにかけよる。
 5,「 お、おい!さっき俺がこなかったか!」と叫ぶ。
 6.「 あなたが買い物していったんですよ?」と店員に言われる。
 7,「 ば、ばかもぉ~ん!それがルパンだ!追えぇ~!」と、叫びながら店
  を出る。

 これで、つかみはオッケー!!」

「 ホントに大丈夫ですか?」
「 いや、ちょっと、自信が無い。」

















お年玉とルパン三世





 サンタはどっちかっていうと、“サンタを信じるような子供でいてほしい親の夢”だと思う。
それを、壊さないでいてやるのも子供の役目。
 うちには、年が明けるとルパン三世がやって来て、机の上に、

「 お年玉はあずかった。ルパン三世!」

って、手紙を置いていった。
どう見ても、母の字に似て達筆だった。
ホント、ありがとうございました。


















さい銭ドロ





 俺は大学受験の時、近所の神社に毎朝合格祈願のお参りしてたら、そこの神主にさい銭ドロと間違えられたらしく、ある日の朝、待ち構えていた刑事に職務質問されたことがある。
そのままパトカーで所轄に連行され、半日以上も自宅に帰してもらえなったよ。
 そこで別の神社に、「俺をさい銭ドロと間違えた神社に天罰が下りますように」って、毎日お願いをしてたら、ある日雷が落ちて社殿が焼け落ち、廃墟と化してしまった。
大学に入学後、ニュースで今度は再建中に放火されていたのを知って思わず笑った。
















黒いクッション




 この前、部屋の窓を開けたまま家を出た。
クソ田舎なのでいつもこんなモンだが、網戸はぶん投げた辞書によってデッカイ穴が空いていたので、カーテンだけしめておいた。
 家に帰ったら、画材が散乱し部屋のあちこちに乱れが・・・・。
まさか?と思って貴重品を確認したところ、なんの被害もなし。
ホッとしたところ、部屋の隅に見慣れない黒いクッションが一つあった。
こんなもんあたっけ?と確認しようとしたら、クッションがにゃあと鳴いた。
猫だった。
しかもなぜか今日もいる。

















ハート様





 もうだいぶ前の話。
当時自分20代毒男、実家住まいで農家やってた
ある日野菜泥棒捕まえた。
相手は近くに引っ越してきたおばはん。
量もたいしたことないし子持ちだし、魔が指したってことで小一時間説教して通報はせずに解放。
一応こんなことがあったよ、と交番に相談だけはしておいた。

 その翌々日、深夜に車の止まる音やら納屋でガタガタ音がするので見に行く。
怪しい人影を発見、“誰何?”したところで意識ブラックアウト。
気付いたら包帯ぐるぐるで病院。
3日ほど空白の時間あり。

 怪しい人影は先日捕まえた泥。
意識が飛んだのは、泥夫が後ろから角棒で私の後頭部を強打した為。
泥が先日の説教中、農機用の燃料を農協が入れに来たのを目撃。
「あそこからガソリン抜けばお得!」
とかトチ狂ったことを思って盗みに来たらしい。
もちろん、ガソリンではなくディーゼル用の軽油です、本当にありがとうございました。

 これから空白の間の話、記憶に無く全部伝聞。
後頭部強打された私は、逆に泥夫をフルボッコ。
ここで、泥夫の悲鳴で他の家族気付く。
泥は夫が私に殺されると思って、持参した包丁で私を刺す。

 私、目標変更して泥フルボッコ。
暫くして家族到着。
止めに入る親父のアバラをへし折る。
兄を間接極めて拘束する。
ここまでやってから、意識不明でぶっ倒れて救急車で病院へ。
兄いわく、納屋が血の池+泥のお漏らし+血まみれで暴れる110㌔で地獄絵図だったそうです。

 当事者双方重症で入院の為、中々話が進みませんでしたが、結果泥夫婦はそろって塀の中へ。
子供は施設へ。
 前科あり+悪質だったので即座に実刑でした。
持参した荷物に包丁とかライターとか怖すぎだろ。
強殺未遂に放火未遂まで付けてもらって多分未だに服役中。
 逆にこちらは正当防衛とのことでお咎め梨。
相手の前歯全部なくなっちゃったけど問題なかった。

私は切りつけられたとこが悪くて障害残っちゃいました。
それとあだ名が暫くハート様になりました。

教訓:泥を見つけたらまず警察呼びましょう。

自分で捕まえようと思うと痛い目を見ます。
納屋取り壊して、倉庫建てるので厄落としにカキコ。
















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10月7日(日)のつぶやき

2018-10-08 07:59:53 | _HOMEページ_





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日々の出来事 10月7日 フェルマーの最終定理

2018-10-07 10:18:30 | A,日々の出来事_







 日々の出来事 10月7日 フェルマーの最終定理







 今日は、フェルマーの最終定理が証明された日です。(1994年10月7日)

フェルマーの最終定理とは、次の定理を言います。

nが3以上の自然数で、次の等式を満たす自然数の組(X,Y,Z)は存在しない。

 n  n  n
X + Y = Z

つまり、
nが2の時は三平方の定理で、次の等式を満たす自然数の組は無限にあります。

 2  2  2
X + Y = Z
たとえば、(3,4,5)です。

そして、nが3以上の時については、自然数の解が無いと言っているのです。

 このフェルマーの最終定理は、17世紀、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが、著書の余白に、“この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる”と書き残して亡くなったいわく付きの定理です。
以降、350年に亘って、多くの数学者がこの定理を証明しようとしましたが、証明が出来ないままに時が過ぎました。
 アメリカのE・T・ベルは、著書である数学史の中で“おそらく文明はフェルマーの最終定理が解かれる前に滅びるだろう”と言いました。
また、数学者の間のジョークでは、“あるとき悪魔が人間に難問を出したので、困りはてた人間が思いあまってフェルマーの最終定理のことをちらつかせたとたん、さっと悪魔が姿を消した”と言うものがあります。
 そして、1908年、ドイツの富豪ヴォルフスケールがこの定理の証明者に対して10万マルクの懸賞金を設けるに至ります。
 しかし、定理は証明されることも無く、さらに90年弱が経過し、ついにプリンストン大学のアンドリュー・ワイルズが1994年10月7日証明に成功し懸賞金を手にします。
この話題は、世界中の新聞がトップ記事として大きく取り上げました。
 さらに、特筆すべきは、この証明に日本の数学者で若くして自殺した谷山豊と志村五郎の“谷山・志村予想”が利用されたことです。
世界最大の難問を解いたアンドリュー・ワイルズの名誉は、日本の数学者によって支えられていたと言えるでしょう。







  アンドリュー・ワイルズ















☆今日の壺々話








     数学の怪しげな偽定理たち




(1)命題の定理

命題が真ならば命題の対偶は真、とは限りません。
なぜなら、
命題「お腹がすいたら食事をとる」
は真ですが、
命題の対偶「食事をとらなければ、お腹はすかない」
は偽だからです。





(2)定理 2=1である。

証明
 a=bとおく。
 この両辺にaを掛けると
 aa=ab
 両辺からbbを引くと
 aa-bb =ab-bb
 これを因数分解すると
 (a+b)(a-b)=b(a-b)
 両辺をa-bで割り、
 a+b=b
 ここでa=bなので、
 b+b=b
 2b=b
 両辺をbで割り、
 2=1





(3)円の面積に関する定理

ぱいあーるのじじょう、ぱいあるの次女、おっぱいあるのは次女。
というわけで、おっぱいに関する以下の定理が得られました。

定理. 次女はおっぱいがでかい。

















バルキスの定理




 中学の時に、超頭が良くてそれを隠してるって言う秀才を演じてた。
休み時間は何もないのに、自分の左手に右手で何か書きながら上を向いて考えてるフリしながら、

「 xが3だから、バルキスの定理に乗せて・・・。」 (自分で作った定理)

とか言ってた。
女子に“頭いいんだね〜”とか言われたら、

「 いや・・あ・・、親父が外国から帰ってきた時出された問題でさ。」

みたいな、コナン風な感じで、頭がいいイメージを植え付けようとしてた。
 誰もが俺には難しい問題を投げかけようとしてきたけど、

「 教科書レベルか〜。
俺にじゃなくて、参考書に聞きな、ははは。」

みたいな感じで切り抜けてきたけど、受験時にいきなり模試の成績が貼り出されて、ダントツの最下位だった。
 誰もが不信な目で見始めたけど、

「 テスト中はバルキスの定理解いてたわ〜。」

とか言ったら、担任が教室に入ってきて、

「 ○○〜、おまえ、頭よさそうなのにな〜。
毎回、あんなもんだけど、次はがんばれよ。」

て皆の前で言われた。
その日から、あだ名は馬鹿のバルキスになった。
















論理学




[質問]
私の好きな人には彼女がいます。
その人にバレンタインに会うのは難しいと思うので、日曜日会いたいのです。
相手も私のことを好きって言ってくれてるのですが。
もしあなたなら誘いますか?
男性は誘われたらどうしますか?


[回答27]
もし、それで呼び出しに応じるようなら、彼は信用できない男である。
もし、それで呼び出しに応じないようなら、彼はあなたと付き合う気がない。
しかるに、彼は呼び出されて来るか来ないかのいずれかでしかない。
従って、彼は信用できない男であるか、またはあなたと付き合う気がない男であるかのいずれかであるから、どちらにせよ呼び出す意味がない。

・・・これをひっくりかえせるほどのあなたなら、呼び出してもうまくやれると思います。


[回答35]
こうですか?分かりません(><;)
もし、それで呼び出しに応じるようなら、彼はあなたと付き合う気がある。
もし、それで呼び出しに応じないようなら、彼は信用できる男である。
しかるに、彼は呼び出されて来るか来ないかのいずれかでしかない。
従って、彼は信用できる男であるか、またはあなたと付き合う気がある男であるかのいずれかであるから、どちらにせよ呼び出す意味がある。

















サウザーの定理 (女性と自動車)





『退かぬ!』
 何が何でもバックをしない。
 狭い道でのすれ違いで、自分が下がればすれ違えるのに絶対に下がらない。
 壁に突っ込んでガリガリ異音がしているにもかかわらず、さらに前進しようとする。
 自分が一方通行を逆走している場合でも、
 「バックできないんでそちらが下がってもらえます?」と平気で言う。

『媚びぬ!』
 周りの車両・歩行者に対して気配りをしようという気持ちが一切無い。
 他人を危険な目に遭わせてもなんとも思っていない。
 車を停めるときでも、
 「ここに停めたら車両・歩行者の通行の邪魔にならないか?」
 「ここに停めたら建物への人の出入りの邪魔になる」
 など停めてもいい場所かどうかを考えない。
 世の中は自分を中心に回っているというような思考を持っているようだ。

『省みぬ!』
 事故を起こしそうになった。または事故を起こしてしまった。
 狭い道や車庫入れのときに車体を壁に擦ってしまった。
 メンテナンスを怠って故障した。調子が悪くなった。
 このようなときに、
 「自分のどんな行動がそういう事態を引き起こしたのか?」
 という自らを省みる行為をしない。すべて他人のせい。



















問題




「水槽に200匹の魚がいます。99%はグッピーです。
水槽にいる魚の98%をグッピーにするには、何匹のグッピーを水槽から取り除けばいいでしょうか?」





答え
100匹


















怖い話の法則





 三度の飯並みに、怖い話が大好きな僕は良くインターネットで怖い話のサイトを良く見ます。
そうすると、怖い話にはある一定の法則性があることに気が付きます。



1・突然で出てきて驚かせる系

これは、古典的な手法で語り手がオチの部分で急に大声を出したりして驚かせる物です。
色んな怪談に使われます。



2・憑いてきちゃった系

いわゆる、「肝試し」を行い霊に遭遇。
そのまま家に持ってきてしまい困った・・・。
ったと言う話です。



3・足跡を残しちゃう系

コレも「肝試し」などの際、心霊現象に遭遇すると車や背中、手首に手形が有る・・・等です。
コレの現代版は肝試し先や見知らぬ番号から携帯に着信があると言うものもあります。



4・実害がある系

コレも、「肝試し」や「お墓破壊」等で霊の怒りを買う・・・っと言うパターンが多いです。
被害は、軽い物では「原因不明の発熱」から重くなると「精神障害(崩壊)」・「行方不明」・「死亡」まであります。
これは、何故か話の主人公が真っ先に殺られる事なく、一緒に行った友人から順番に殺されて行き、最後は自分の番・・・。
っとなった場合、お寺などに泣き付く事が多いです。
その後、助かったり助からなかったりと結果は様々です。



5・伝染・感染しちゃう系

これは、携帯等の「チェーンメール」で多いのですが「この話を聞いた人は〇〇日以内に霊が現れる。」
もしくは、
「この話を聞いた人は〇〇日以内に霊からの実害がある。(大体殺される)」
っと言った様な話です。
この話の面白いのは、大体は「救済方法が存在する」事です。
大体は「〇〇人に話を広める。(メールをする)」っと言うもの。
はた迷惑な話ですね。(w
古くは「不幸の手紙」があるかと思われますが、この話が急増した背景には、映画「リング」の影響もあるかと思います。



6・ホテルや引越し先がヤバーイ系

ホテルや引越し先などの寝食する場所の日が浅い場合の話が多いです。
大体、語り手や主人公が嫌な予感をしたり回りの友人・恋人が警告を出しますがソレを無視すると案の定、怪奇現象に見舞われます。
被害は本当に多種多様ですが、金縛り系がもっとも多い気がします。
結果は、引っ越したり、除霊したり、ホテルのときはそのまま逃げ出したり、部屋を変えてもらったり・・・・っと様々です。



7・学校・病院・就職先等の施設がヤバーイ系

学校の放課後、病院で入院した、職場で残業しているなどの特定の施設、特定の条件で人数が1~2人等の少人数になった時に霊が発生するパターンです。
なぜか、その施設の警備員などがその霊の事情をよく知っています。
学校や職場で四六時中霊に脅されていたら迷惑ですね。



8・怪物・怪人系

これは古くから「口裂け女」や「人面犬」や新しいものでは「ゴム人間」などでしょうか。
さらに、昨今のアメリカ型凶悪犯罪の影響なのか、「ベットの下に凶器を持った男が潜んでいた・・・」のような話もあります。
これ等は、怪談と言うより都市伝説(流布話)ですね。
妙に日常的でリアルな話が多いですね。



9・この話、一体誰が伝えてるの?系

例えば、「〇時〇分学校のトイレの鏡の前に立つと、中から怪人が現れて鏡の中に引きずり込まれる・・・」見たいな話です。
これ、話の主人公が死んだり行方不明になっているのに誰が話を伝えているのかが非常に気になります。
学校の怪談なんかに多いパターンです。



まだまだ沢山あるかも知れませんが大体このパターンに当てはまるのではないのでしょうか?
もしくは、これ等のパターンが複数まざっている話もあるかもしれません。
なので、怖い話を集めると殆どが「どこかで聞いたような話」になるのです。
しかも、パターンがあると言うことは何かしらの意図を感じますね。
つまり、作り話の可能性が見えてきます。ヾ(´ー`)ノ

なので、このパターンに当てはまらない話などは聞いてても楽しいのです。
あと、このパターンにも当てはまらずオチもイマイチ・・・っという話ほど真実味があって唸ってしまいます。
案外、こういう事を本気で研究しても面白いかも知れませんね。ヾ(´ー`)ノ















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10月6日(土)のつぶやき

2018-10-07 07:58:25 | _HOMEページ_

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日々の出来事 10月6日 高田純次と天才・たけしの元気が出るテレビ!!

2018-10-06 10:53:24 | A,日々の出来事_








 日々の出来事 10月6日 高田純次と天才・たけしの元気が出るテレビ!!








 今日は、日本テレビ系列で放送されたバラエティ番組“天才・たけしの元気が出るテレビ!!”が終了した日です。(1996年10月6日)
 この“天才・たけしの元気が出るテレビ!!”は、番組内容が現実と演出の微妙なバランスの上に成り立っており、見たものにとって、何処までが現実で何処までがヤラセなのか疑問を持ったまま、ついつい見てしまう変な番組でした。
 たとえば、寂れた商店街を復興させようと、タレントがやって来て作戦を立て、成功して人が集まり町おこしが出来たように見せておき、バンザイして企画が終了します。
でも、企画が終了すると、どれもあっさり放置され忘れ去られて、以前より寂れた町になってしまいます。
 他のコーナーでやっていた企画も、テレビの宿命である視聴率稼ぎのため、目先をどんどん替えて使い捨てて行くものでありました。
そして、このドキュメントバラエティのパターンは、後の“電波少年シリーズ”に受け継がれて行きました。
 この番組が終了したのは、主役のビートたけしが “今のバラエティでやっていることは全てこの番組でやってきた” と言っているように、企画のネタが出尽くしたからであろうと思えます。
 バラエティ番組は、その時、面白ければそれで良い。
それは、それで良いのです。
それは、それがテレビ番組の色々な分野のひとつであるバラエティが受け持っている役割りだからです。

 この番組に最初から最後まで休まず出演したのは、松方弘樹と高田純次の二人だけです。
特に、高田純次のキャラクターは、群を抜いていたと思います。
他の番組でも、テキトー男の高田純次は、強烈に面白いです。







  高田純次















☆今日の壺々話










      高田純次



 高田純次が出演していた深夜番組“あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!”では、笑ってしまいました。
共演していた渡辺正行が愛犬を連れてきた時、突然、高田純次はパンツを脱ぎ、犬の鼻めがけて放屁します。
苦しがっている犬を前に、渡辺正行がカンカンに怒って言います。

「 犬の嗅覚は人間の百倍とも言われるんですよ!
 何てことするんですか!」
「 ハハハハハ!」

 さらに、この時、高田純次は渡辺正行に注意されていたにもかかわらず、密かにこの犬に大量のビーフジャーキーを与えていたのです。
そして、この犬は、二日後、急逝してしまいました。

今日も、高田純次はテレビに出ています。

「 こんにちは~、いつもステキな高田純次です。
 オレももう60歳なんだけど、この前、トイレでズボンを下ろさないまま
 ウンコしちゃっんだ。
 ハハハハハハハハ!」



















指名手配




 日本テレビ系の『世界まるみえテレビ特捜部』女子留学生を取り上げた回を放送した際、その女子留学生が日本の代表的コメディアンとして高田の名を挙げていた。
それを受けて番組スタッフが高田を連れオーストラリアへ直行。
そして、女子留学生と合流し『トゥナイトライブ』にバズーカを持って出演(紹介VTRは『元気が出るテレビ』での数々の登場シーンであった)。
 スタジオに登場するやいなや、いきなり司会者めがけてバズーカーを一発撃砲する高田。
会場は大いに沸く。
その後、高田は番組進行を全く無視し、通訳をしていた女性留学生そっちのけで
「バスーカーイズマイラバー」「ドンウォリー、ビーハッピー!」等、
思いつきのたった5つの英単語を繰り返し発音するのみで適当に受け答えをしていた。
 そんな高田に、司会者から早朝バズーカをリクエストされる。
この為夜の街にでて一般人の家に乗り込み、その家の人がこの番組を見ていないと知ると「オー、バッドボーイバッドボーイ!」とバズーカーを撃ったり、家の玄関口でバズーカーを撃っていた。
 これはパトカーが出動するほどの騒ぎとなってしまう。
番組スタッフは面白がって「パトカーも撃ってくれ」と言ってきたが、さすがに止めたという。
これは『世界まる見え2時間スペシャル』枠で放送された。
後に住民から騒音被害で訴えられ、オーストラリアで指名手配された。

















高田純次



・子供の頃は近所の人たちから神童と呼ばれていたと言われ、中学時代までは成績はトップクラスであったという。事実現在でもテレビやラジオでの言動を見聞していると、無茶苦茶をしている中にもある種の「頭の回転の良さ・豊富な知識」を垣間見ることが出来る。しかしながら本人はいつもの調子で「『シンドウ』って言っても、震える方の『振動』じゃないよ」と、煙に巻き周囲を笑わせてしまう。

・高校時代のあだ名は「国領のニワトリ」。

・夫人との間に二女がおり、1983年には花王のCMで一家揃って出演した。長女は「TAGE」(タージュ)のデザイナー、二女はアルバイトをしながら美術活動(銅版画作家)をしていると話している。また孫もいる。

・自動車好きとしても有名。現在はアストンマーチン・DB9を所有。またフォルクスワーゲン・トゥアレグW12に乗っているとも話している。そして「時速800kmで衝突した」と話す。

・ダイヤモンド鑑定士の資格を持つ。そのためダイヤモンドなどの宝石の価値、デザイン、原価・販売価格に関して「高田節」を交えつつ、バラエティ番組などでは一定ラインの評価を得ている。

・還暦を迎えたが、とても還暦過ぎとは思えないほどの外見と若さを保っている。故に外見だけは若い女性からの受けが良い。

・芸能プロダクションの経営者でもある。一時所属タレントであった麻木久仁子によると、普段はテレビに出ているのと変わらないが、年に一回のギャラ交渉のときだけは一切冗談も言わず、目も笑っていないという。

・『多摩川』が本人のパワースポットであり、少年期に遊んだ経験から、人生を見つめ直す今日を語るにあたり「多摩川べりへ行って…」などと述懐することが多い。

・尊敬する人物は高田が出演していた『どうぶつ奇想天外!』の司会者みのもんた。理由は高田曰く「飲みに行くと必ず奢ってくれるから」。高田の交友関係で、みのの名前がよく出る事から、お互いに最高の友人と認め合っている。

・横尾忠則を『神』と崇めて尊敬している。又近年では『キタムラ』のメンズバッグのロゴマークデザインを依頼されるなど、芸術面に関する造詣の深さを変わらず持ち続けている一面も見せている。

・口癖は「?ですよね」「いや意外と」「だって?だから」「すっとこどっこい」「グフッ」「とんちんかん」「あらオシャレだねぇ」など。

・高田と同世代から20歳代の若者までの男性から「高田さんみたいな生き方に憧れる」「高田さんみたいに歳をとれたら最高だ」と言われることが多い。「単に奇抜な格好をしたり適当なことを言っているだけの人」とは思われていない人柄、幅広い人々から愛される生き方をするタイプである。

・1970年代に、当時高校生の小川菜摘をナンパしたことがある。

・過去にたまたまナンパした相手が娘の同級生だったことがある。

・企業の宴会に呼ばれたとき、異常な盛り上がり方をしていた宴会を見て「俺、やることないから後は適当に…」と宴会の幹事に告げ、営業を適当に済ませたことがある。












高田純次名言集




・「キミ、少し影がある人が好きなの?僕も夕方歩くと影があるんだ」

・「レディー・ガガって、普段は普通のかっこうだよね。会ったことはないけど」

・「レディー・ガガは目の上に目をかいてたけど、あれは僕の方が先にやってたんだ」

・「鼻の大きさとアソコの大きさが比例するっていうけど、それが正しかったら、俺は他の人よりも20㎝は大きいことになるよ」

・「オレはタバコを吸わないんだ。食べるんだ」

・「俺は朝と夜とでは、体重が5㎏違うんだ」

・「世の中、分からないことが多いけど、街中を裸で歩いてはいけないということだけは分かってるんだ」

・「僕は泣ける映画でも笑っちゃうんだ」

・「バリ島にキンタマーニっていう場所があって、大好きなんだ」

・「キミ、長身の女性が好きなの?2mとか」

・「オレは、のどちんこを震わせながら歌舞伎揚げを食べるのが好きなんだ」

・「キミの手から加齢臭がすると思ったら、オレの手だったよ」

・「オレが好きな言葉は、『高田さん、面白すぎて俳優だということを忘れちゃう』だよ」

・「オレは中学校の時、サッカーの同好会をつくったんだけど、小学生に負けて泣いたことがあるんだ」

・「よく『時差ボケ』ってうけど、オレ自体ボケてるからボケとボケで、まともになっちゃうんだ」

・「今、3Dがハヤってるけど、オレの体も3Dで見てほしいんだ」

・「え? その時計、時間がわかるの? 素晴らしいな~」

・「オレは昔、仕事で 栃木前の宝石屋さんの前で、一日じゅう皿回しをしたことがあるんだ」

・「キミ、この前 下着で一日過ごしたの?そういう時は言ってくれないと」

・「自分で言うのもアレだけど、朝に見る高田純次はキツイよ」

・「キミのその下着、食べられるやつ?」

・「オレからスケベをとったら加齢臭しか残らないんだ」

・「汗と加齢臭とチョコレートのニオイだよ」

・「CDを500万枚作る予定だったんだけど、好評なので1000万枚作ろうかと思うんだ」

・「昔、日本テレビでAKBの番組をやってたんだけど、俺がクビになったとたんにAKBが売れたんだ」

・「俺はオヤジから『お前も大きいんだから、グラビアをやったら?』って言われたことがあるんだ」

・「映画も出るし、CDも出したし、他にやることといったらオリンピックに出ることだな」

・「俺も分別はあるよ。さっきも、ちゃんと水洗トイレを流してきたよ」

・「オレはレコード世代だから、CDっていうと『クリスチャン・ディオール』の略だと思っちゃうよ」

・「キミ、好きなタイプはハンサムなの?オレも範疇に入るね」

・「僕は小心者だから、カレーかウンチかを確かめてから食べるよ」

・「キミ、ラスク食べる?あとで事務所に請求書がいくけど」

・「オレの趣味はヒヤシンスの日記を書くことだよ。書いたことはないけど」

・「俺は、ものまねを聞いてる時、オシッコをしてる時の犬みたいな目になるんだ」

・「俺はカラダが良くて、スケベな女がタイプなんだ」

・「最近はカラオケで新しい歌を歌うことにしてて、『われは海の子』を歌ったんだ」

・「なんでも『速いのが良い』って言われてるけど、俺も昔から『はやい、はやい』って言われてるから、時代を先取りしているようなものなんだ」

・「ウエスタンブーツは良いよ。俺は持ってないけど」

・「俺は、カラダのいろんな部分を使ってサインを書いちゃうよ」

・「街で小さな靴屋さんを見つけると、どうやって生計を立てているのか、気になってしょうがないんだ」

・「え?キミ、『昔の榊原郁恵さんに似てる』って言われるの?それは、可もなく、不可もなくだな」

・「俺はレコーディングをする日の朝は、いろんな友達に『今日、レコーディングするんだ』って、電話をかけまくるんだ」

・「銀座の蝶は、美人度6以上が『銀座の蝶』なんだ」

・「美人度6以下は、蛾とかカナブンなんだ」

・「最近は僕の隣りにカナブンが座ることが多くて、お金を余計に払わないと蝶は来てくれないんだ」

・「俺は女のランニングから手を入れて『コリコリ族!』っていうのが好きなんだ」

・「俺はパリコレに出たことがあるんだけど、前からアレが出ちゃって『何コレ?』って言われたことがあるんだ」



















お話 “適当親父と俺”






 1980年代、大学を卒業した親父は定職にもつかずブラブラしていた。
ある日、暇なので近所に住む幼馴染とセックスした。
幼馴染は処女だったが1回で妊娠した。
それが俺だった。

「 産みたい?」と親父が聞いた。
「 うん。」と母ちゃんが言った。
「 じゃあ結婚すっか。」

というわけで二人は結婚した。

 両親も義父母も、結婚したら親父がまともになるだろうと思っていた。
しかし、親父は働かなかった。
アパートでごろごろしてテレビばっかり見ていた。
母ちゃんは当時OLをしていて、臨月ぎりぎりまで働いた。

 2月の寒い明け方、母ちゃんは産気づいた。
予定日よりだいぶ早かった。
親父がタクシーを呼び、二人で病院に行った。
昼前、俺が生まれた。

 自分の子供を見ようと、親父はくわえ煙草で病室に入ってきた。
看護婦さんに怒られて、慌てて廊下の灰皿に煙草を捨ててきた。
それから、ニコニコしながら病室に入ってきた。

赤ん坊は男だった

「 名前はオメガにしよう。」と親父が言った

親父はゆとりだった。
母ちゃんが大反対した。
そのおかげで、俺はまあ普通の名を付けられた。
命名は親父の父がしてくれた。

 出産後、半年もしないうちに母ちゃんは職場に復帰した。
親父が働かないからだ。
俺の世話や家事は親父がした。
主夫というやつだ。

 つーわけで、当初、俺は親父に育てられた。
その頃の記憶はあまりないが、よく散歩に連れていってくれた。
公園とか川っぺりの遊歩道とか喫茶店とか親父の実家とか母ちゃんの実家とか、いろいろ歩いた。

 親父はいつも煙草をすっていた。
いつでも、どんな時でもだ。
実家では「仕事しろ」といつも言われていた。
「いまさがしている」とか何とか言い訳していたが。

 そんな生活が続いていた。
俺はどんどん成長していった。
こんどの春から、俺が幼稚園に入る年のことだ。
とつぜん親父の姿が消えた。

「 アメリカを見てくる。」

という置手紙を残して。

 アパートを引き払い、俺と母ちゃんは母ちゃんの実家に移った。
その年の秋、アメリカから手紙が来た。
蝶ネクタイをした親父がヒゲを生やした黒人と肩を組んでピースしている写真が同封してあった。

「 いま、サンディエゴでバーテンをやっています!
タツ(俺のこと)は元気?
see you!」

とあった。

 母ちゃんと親父は手紙のやり取りをしていたようだが、だんだん音信不通になっていった。
ていうか、親父の住所がしょちゅう変わって送った手紙が回送されてきたりした。
そんなこんなで、俺は小学校3年生になっていた。

ある休日の朝、電話が鳴った。
母ちゃんがとった。

「 え? あんたいまどこいんの?」と母ちゃん。

親父からの国際電話だった。
  
「 なにいってんの急に・・・ばかじゃないの・・・うん・・・はあ?」

母ちゃんと親父の話が続いた。

俺も電話に出た。

「 タツか?」
「 うん。」
「 パパだよ、覚えてる?」
「 うん。」
「 元気か?」
「 うん。」
「 学校行ってるか?何年になった?」
「 3年生。」
「 お前、ママとアメリカ来るか?」
「 え?」
「 アメリカ、おもしろいぞ。」

俺は母ちゃんの顔を見た。
母ちゃんは首を横に振っていた。
  
「 アメリカおいで、な?」
「 んー、わかんない。」
「 ママにアメリカ行きたいって言いな。」
「 うん。」
「 じゃあな、待ってるからな。」

そんな会話をして電話は切れた

 アメリカで、いつのまにか親父は店を一軒持っていた。
その当時は、タラハシーとかいうよくわからん町に居たらしい。
金もあるので、母ちゃんと俺を呼び寄せようとしたわけだ。
母ちゃんは、今さらアメリカなんぞに行く気はなかった。
俺も外国に行くなんて嫌だった。

 たぶん同じ年の出来事だと思うが、母ちゃんと親父の両親がアメリカに行った。
親父に会うついでに連れ戻しに行ったのだ。
しかし、母ちゃんたちは帰国しても親父の話はしなかった。
俺はどうなったのか聞きたかったけど、聞きにくい雰囲気だった。

 そんなこんなで、俺は中学生になっていた。
母ちゃんは親父について何も話さなかったが、離婚したんだろうぐらいに俺は思っていた。
どうも、向こうに女がいるらしかった。
葉書や手紙が時々届いたが、俺が読む前に母ちゃんがズタズタに裂いて捨てていた。

そんなある日の夜、家で飯を食っていると近所の親父の実家から、親父の弟が走ってくるなり、

「 帰ってきた。」と言った。
「 は?」って感じだった。
  
親父が十年ぶりに帰国してきたのだった。

 母ちゃんは行きたがらなかったので、叔父さんに連れられ、俺が親父に会いに行った。
十年ぶりに見る親父は皺が増え、白髪も出ていたがあまり変わっていなかった。
というか記憶もあいまいなのだが。

「 よ!ひさしぶり。」と父が言った。

ひさしぶりじゃねーよ、と思った。

 親父の傍の畳の上で、外人の女の子が寝ていた。
2歳ぐらいの子だった。

「 友達の子預かってきてるってママには言ってな。」と親父が言った。

いや、ぜってーお前の子だろ・・・、中学生ながらに即座に思った。
爺ちゃん婆ちゃんは黙って、もううんざりという顔をしていた。

 親父の話によるとアメリカでバーテンしながら働いているうち、ストリップ劇場を持っている女と知り合って、店を一軒まかせられたらしい。
その店が倒産して、店を売って日本に帰ってきたとのこと。

「 金はあるのか?」と祖父が聞くと、
「 ねーな。」

と親父が言った。

 家に帰ってから、母ちゃんからいろいろ聞かれた。
が、何をどう言っていいのかわからなかった。
とくにあの娘のことは言いにくかった。

「 とりあえず日本に住むみたいよ。」と言った。
それから、「 なんか女の子もいたよ。」と。
「 は!?」

母ちゃんの顔が険しくなった。

 しばらくは、それぞれ実家に暮らしていた。
親父は何度か母ちゃんの実家に顔を出し、飯を食ったり酒を飲んだりして行った。
Kティという女の子もいっしょだった。
Kティは「ダディー」と言って親父に抱きついたりした。
一瞬、場が凍った。

親父は当初言葉を濁していたが、

「 ま、俺の子供だな。うん。」と認めた。

 そして母ちゃんを指差し、Kティに「マミーだよ〜」とか言ってた。
母ちゃんは無表情で、それを無視していた。
そんなこんなで、親父は母ちゃんの実家に住むようになった。

 ひさしぶりに家族が同じ屋根の下で暮らすことになった。
いつのまにか一人増えていたわけだが。

「 仕事はどうするの?」
「 これからどうするの?」

と、母ちゃん方の両親にあれこれ聞かれていたが、親父はまたもや働かず、家に居てKティの世話をしていた。

 親父と母ちゃんの関係は、全然夫婦みたいじゃなかった。
母ちゃんはKティのことが嫌いみたいで、Kティのほうも中々なつかなかった。
まあ、ほかの女の子供なのだからそうなるのだろうけど、親父の近くにはいつもKティがいるので、母ちゃんと親父が話すこともほとんどなかった。

 そんな状態でも月日は経っていった。
俺は高校生になり、Kティは幼稚園に通うようになった。
当たり前だが、Kティは日本語が話せるようになり、家にも徐々に馴染んでいった。
そして、まただった。

親父が消えた。

今度は突然の蒸発ではなかった。

「 東京の友達のとこで、仕事あるみたいだから行ってみるわ。
2、3日したら戻るから、ヨロシク。」

と言い残して。
しかし、次に連絡があったのは2ヵ月後だった。
電話が来た。

「 あんた、どこにいるの?」と母ちゃん。

 母ちゃんによると親父は貿易関係の仕事についたらしかった。
英語が喋れるので、交渉事にあたっているとのことだった。
電話があった週の土曜日、○○商事というネームの入った、おんぼろのワゴンに乗って親父が帰ってきた。

「 おい、ドライブしようぜ。」

親父が言った。
俺とKティと母ちゃんは状況がよくわからないまま車に乗った。
車は高速に入って北を目指してぐんぐん進んだ。

「 どこ行くの?」と母ちゃん。
「 どこ行きたい?」と親父。
「 海がいい」とKティが言った。
「 オー・ケー」

というか、俺たちが住んでるのは海辺の町だったのだが、それとは反対方向に走っていった。

 5時間ぐらい走り続けた。
ドライブっていう距離じゃなかった。
高速を降り、日本海に面した町に入った。
もう夕方だった。
その日は民宿に泊まった。
家族で初めての、そして最後の旅行だった。

 旅行から帰って、俺たちを家で降ろしてた。
俺に10万、母ちゃんにも10万金をくれた。
それから、親父はそのまま東京に行った。
その後、数ヶ月連絡が途絶えた。
○○商事に電話をすると、親父はとっくに辞めた後だった。
その頃、沖縄から葉書が届いた。
親父は米軍基地で働いているらしかった。

 その頃にはもう別に驚かなかった。
俺も母ちゃんも、生きていればいいかと思うぐらいだった。
『男はつらいよ』って映画あるだろ、あれ見てると俺は親父を思い出す。
ていうか、寅さんのほうが、まだ家に帰ってるほうだけどな。

 それから、年に2、3通葉書が来るだけだった。
沖縄だったり石垣島だったり、西表島から葉書が来ることもあった。
どうやって食っていけているのか、ほとんどわからなかった。
 俺とKティはどんどん成長していっていた。
あの日の旅行から、いつのまにか俺は大学生になって東京に出ていた。

 大学3年の夏休み、俺はKティを連れて沖縄に行った。
もちろん親父に会うためだ。
Kティは、もう5年以上親父に会っていなかった。
俺もだが。
とにかく、そろそろ実家に連れ戻そうと思っていた。
当時、親父は沖縄本島の北部のアパートに住んでいた。

 空港からバスを乗り継いで、親父の住む町へ向かった。
沖縄の夏は糞暑かった。
歩いているうち、Kティはあまりの暑さに気分が悪くなった。
喫茶店で休み、町の人に聞いてようやく目指すアパートを見つけた。
3階の部屋のチャイムを鳴らすと、若い女が出てきた。
俺は親父の名を告げた。
若い女は「?」という顔をした。

 どうやら親父は、すでにこの部屋を退去しているようだった。
この住所が記された手紙も、数ヶ月前のものだった。
俺とKティは那覇へ戻るバス停に立っていた。
Kティがしくしく泣きだした。
俺は、生まれてはじめて親父の生き方への怒りが込み上げた。

「 勝手すぎるだろ!!!」と。

 後で知ったのだが、その頃親父は那覇に居たらしい。
俺とKティも、那覇のホテルで2泊したのだが、会うことはなかった。
せっかく来たのだからと、俺たちは市内を観光したり、海で泳いだりしてそのまま帰った。
Kティは見た目は白人なので、日本語をぺらぺら喋るのにみんなが驚いていた。
そして、年の離れた同行者の俺が怪しまれていた。
父親というような年でもなかったから。

 次の年、母ちゃんが病気で倒れた。
さいしょは疲労ということだったが、中々良くならなかった。
俺は東京なのでKティが世話をしてくれた。
しばらくして乳癌だとわかった。
おかしいと思った医者が、詳しい検査をすると判明したのだ。

乳癌というと、おっぱい切り取ればなんとかなると俺は思っていた。
だが、すでに転移しまくっていたらしかった。
肺や食道もやられていたらしい。

「 よくて半年です。」

急遽実家に戻った俺は病院で医者から言われた。
頭が真っ白になった。

 俺はどうしても親父に連絡しなきゃならんと思った。
どこにいるんだ?
いい加減にしろ!!!!
しかし、どうすればいいのか見当もつかなかった。
捜索願い?探偵?
俺がやきもきしてるのを見て、母ちゃんが言った。

「 いいよ、お父さんは、ああいう人だから。
わたしは後悔してないよ。」

 半年ももたず、次の月に母ちゃんは死んだ。
あいかわらず親父からの連絡はなかった。
冬の初め、母ちゃんの葬式をした。
喪主は俺だった。
 親戚中が、親父の両親さえも、親父のことを怒っていた。
なんたる不義理かと。
まあ、当然だった。

 葬式が終わってほとんどすぐのことだ。
親父が帰ってきた。
不思議なことに、といおうか。
 親父も体を壊していた。
肝硬変になりかけて、那覇の病院に入院してたとのことだった。
どうせ、酒の飲み過ぎかなにかだろう。
親父は母ちゃんの仏壇の前で泣いていた。
初めて見る親父の涙だった。

 家に帰って次の日、「一切反省なんとかかんとか」という宣言文を書き、親父は頭の毛を剃って近所の寺に入った。
母ちゃんの慰霊をするとのことだった。
親父は寺の掃除とか雑用をしながら、墓場の世話をしたり、仏壇の前でお経を唱えたりしてた。

 近所の寺で寝起きし、読経や付近の掃除に励むという生活が続いていた。
といっても、俺はよくは知らない。
俺は大学を卒業し、親父を反面教師として、ちゃんとした企業に就職していた。
Kティも中学生になっていた。

 母ちゃんの三回忌をした日、親戚がみんな酒を飲んでいる中、親父はずっと仏前で読経していた。
夜になっても、夜中になってもずっとしていた。
好きにさせてたらいいわ、と思ってそのままにしていた。
そして次の朝、親父は町から消えていた。

 親父が最後に失踪して一年近くなる。
連絡はまだ何もない。
死ぬまで無いままのような気もしている。
風の噂で聞くところによると、同じ町内の未亡人と一緒に駆け落ちでもやらかしたらしい。
噂というか、実際その未亡人もいなくなっているので本当だと思う。

 先日のお盆で、集まった親戚たちと話をした。
いま、親父はどこで何をしているのかと。
いろいろと迷惑をかけた親父だが、ここまでくると笑い話みたいになっている。
町内でも伝説みたいに、いろんな人が親父のことを話している。

連絡も無いし、ひょっとして親父はもう死んでるのかもしれない。
それでも別にかわまない。
別に悲しくもない。
人生適当すぎワロタwwwwwwww。
で、済んでしまうだろう。

 母ちゃん、俺は真面目に働いてるよ。
Kティは白人の血が入ってるのか、もう大人みたいで、すごく美人になったよ。
親父は生きていれば相変わらずだろうな。
まあ、仕方がないさ。

じゃあ、母ちゃん、安らかに。















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