新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

バルセロナ建築巡礼⑬ モンタネールの最高傑作・カタルーニャ音楽堂のシャンデリアは破天荒のすごさだった。

2020-02-24 | バルセロナ

 サンパウ病院の次は、やはりモンタネールの代表建築であるカタルーニャ音楽堂へ。

 音楽堂は旧市街・カテドラルにもほど近い場所にある。通りが狭いため、音楽堂全体を写し込むのは非常に難しくて一苦労。

 正面を見上げると、2階付近には偉大な作曲家たちの胸像が並ぶ。バッハ、ワーグナー、ベートーベンの3人だろうか。これらは当時の代表的彫刻家、陶芸家たちを起用して製作されている。

 エントランスの装飾も美しい。この日はギターの演奏会があるという。スペインといえばフラメンコ。早速切符を購入して中に入った。

 3階の一番奥のフロアまで上がって全体を見下ろす。音楽堂というより宮殿といった方がピッタリ来そうな豪華さだ。

 演奏会直前、、室内の照明が消されて舞台だけが浮かび上がった。あのパブロ・カザルスもここで演奏したことがあるそうで、ちょっと気持ちも盛り上がる。

 間もなく演奏が始まったので、写真撮影は中断。しばしフラメンコの調べに耳を傾けた。

 休憩時間。改めて舞台を眺めると、背景に人の像が見える。

 演奏会終了後、脇に回ってその姿をアップしてみた。

 このように、像は音楽を演奏している姿のようだ。

 改めて客席を見回す。まるで花開いたようなデザイン。外窓にはステンドグラスが施されているのに気付いた。昼ならその絵を客席から堪能することが出来るのだろう。

 ガラスの多用は、厳密には音響効果というより装飾効果を重視したのではないかと思える造りだ。

 そして、圧巻は天井を飾るステンドグラスのシャンデリア。きらびやかさを極限まで追求したような照明だ。

 モンタネールは上流階級の出身で、若くしてバルセロナ建築学校の教授となり、後に学長にもなっている。一時、わずか2歳違いのガウディに講義を行ったこともあるという。

 モデルニスモをけん引し、当時は第一人者としてバルセロナの街づくりの先頭に立った建築家の最高傑作とされるのが、1908年に完成したこの音楽堂だ。

 帰りがけに振り返ると、照明を当てられた音楽堂はまた違った雰囲気の美しさを身に纏っていた。

 

 

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バルセロナ建築巡礼⑫ サンパウ病院でモンタネールの設計思想をチラリと思う

2020-02-22 | バルセロナ

 この場所に病院そのものは15世紀からあったが、20世紀になってバルセロナの5つの病院を統合することになり、パウ・ジルが資金を提供して造られたものだ。現在は世界遺産に登録されている。

 サンパウ病院のレンガの茶が、空の地中海ブルーとマッチしてさわやかだ。

 改修工事中だったのであまり中に入れなかったが、少しだけ覗いてみた室内の廊下。天井にモザイク模様がなされていた。

 それが、差し込む光を反射して輝く。

 こうしたことも、モンタネールは計算済みで設計していたのかも。

 建物上部の壁にも人物像。

 そして玄関塔の周囲にもいろんな彫刻が配置されている。

 工事中の部分には、カラフルな覆いがしてあった。

 門柱のデザインがまた面白い。

 陽を受けて出来た規則的なコントラストが美しかった。

 帰りがけ、出入口からのぞくサグラダファミリアの塔が、まるで病院建築とセットになっているかのように見えた。

 

 

 

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バルセロナ建築巡礼⑪ サンパウ病院~「芸術は人を癒す」。その精神を具現化したモンタネールの病院。

2020-02-18 | バルセロナ

 サンパウ病院は、銀行家パウ・ジルの遺言に従ってモンタネールが建設した病院だ。だが、とても病院とは思えない圧倒的な存在感に驚かされる。

 モンタネールは、前に述べた通り19世紀末から20世紀初頭に一世を風靡したモデルニスモ建築ビッグ3の一人。当時はアントニ・ガウディをしのぐ人気を誇っていた。

 病院はガウディ通りと名付けられた斜めの通りの突き当りにあるが、その反対側の突き当りには、建築中のサグラダファミリアがある。見事に2つの建築が対照的に向き合っている形だ。

 入ってすぐの建物壁面には、働く人たちのモザイク画。

 ちょうど光に照らされて、画面がキラキラと輝いていた。

 正面入り口にある本館。手前には資金を提供したパウ・ジルの像が立っている。

 その前には優しい女性像も。

 病院とは思えない装飾的な建物があちこちに建ち並ぶ。ゴシックとイスラム美術を併せたようなムデハル様式の装飾という。

 「芸術には人を癒す力がある」と語っていたモンタネールの信念が、こうしたところにも生かされている。

 敷地内に、実に48棟もの建築があるという。実は事故で死亡したガウディが最後の日々を過ごしたのも、この病院だった。

 病院というより遊園地にでも入り込んだかのようだ。

 大きな窓枠には天使像と思われる絵が。

 広々とした空間が、心を開放的にさせる。

 モンタネールは完成を待たずして1923年に亡くなったが、息子が引き継いで1930年に完成した。

 

 

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バルセロナ建築巡礼⑩ グエル公園のベンチには、祈りの言葉と花びらの絵が!密かに仕掛けたガウディの企み。

2020-02-15 | バルセロナ

 陶板タイルの椅子を見て回っているうちに、ふと気づいたことがあった。タイルにいろいろな模様が描かれているのだ。     バラの花。

 これはタンポポ?

 こちらは菊の花みたい。

 枯れた葉っぱ。

 こちらは抽象化されたオタマジャクシにも見える。

 たぶん何かの花びらなんだろうな。

 かと思えば、水の中を泳ぎ回る虫のよう。

 これらは、主としてガウディの助手であるジュジョールのアイデアと思われるが、こんな観察をしていると、一層愛着が湧いてきた。

 さらに、この観察の途中でもう一種類別の細工が見つかってきた。「文字」だ!

 「sos ulls」 ああ、彼女の

 「oh maria」  おお マリア

 これも「maria」 聖母マリアよ

 「tota」  すべての

 「tu somrius」   あなたの笑い

 「lois」    ルイス

 後で調べたところ、これらは聖書の「お告げの祈り」に基づいた文字であることが解った。ガウディとジュジョールの共同作業によるもので、マリアに捧げる心底からの祈りの言葉を断片として刻み込み、トータルで建築芸術を完成させようとした粋な試みだった。

 やっぱり奥が深いなあ・・・。

 

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バルセロナ建築巡礼⑨ グエル公園の中央広場。「廃物利用」から「新しい芸術」へ~画期的なベンチが並ぶ

2020-02-11 | バルセロナ

 高台の中央広場にやってきた。まだ朝方のためかそれほど人は多くない。ここは「ギリシャ劇場」と名付けられた場所だ。

 広場の辺を通り囲むように、波型のベンチがずらりと並ぶ。

 座ってみると、なかなか座り心地は良好だ。

 

 もともとここは19世紀末に集合住宅団地造成地として計画された。しかし、結局2戸の住宅が建てられただけで団地構想は未完に終わり、代わりに現在は市民の公園となって今日に至っている。

 何といっても目立つのはモザイクスタイルで造られた鮮やかなベンチ。

 陶器、ガラス、ビンなどの破片を組み合わせて造られたベンチは、四方八方に向いた反射面によって、様々な角度に光を発散する。

 ベンチの制作に関してはジュジョールが基本的に担当した。ガウディが陶器場から不良品としてはじかれた破片を大量に収集。

 ジュジョールは石工とともにそれらを、周囲の風景を配慮しながら色を組み合わせて全体に配置していった。

 二人の色彩に関する生き生きとしたセンスと配合の技術が、見事な異空間を実現したというわけだ。

 あふれるほどの遊びの精神で様々なものを組み合わせて、単なる廃物利用から、新しい芸術へと変貌させてしまった。

 

 

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