新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

東京探訪・樋口一葉編① 一葉が育った場所は東大赤門の真ん前だった

2017-04-01 | 東京探訪・樋口一葉編
 今月から新シリーズです。東京という街の歴史の面影を、著名人の足跡をたどりながら歩く‟独断的東京探訪”。出来るだけビジュアルにまとめて行こうと思っています。


  まずは、樋口一葉の生涯を中心に据えながら、東京の街を訪ねる第1シリーズ。

 最初に、これから歩く本郷、小石川地区の地図を。

 さわやかに晴れた日、地下鉄南北線に乗って東大前駅で降りた。改札口を通って後ろを振り向くとコンコースに大きな壁画が掲げてあった。



 よく見ると、それはラファエロがバチカンに描いた「アテネの学堂」の模写だ。学問の殿堂・東大のある駅だけに、この絵画が選ばれたのだろう。


 そういえば、御茶ノ水駅近くの東京医科歯科大学の屋上近くの壁にも「アテネの学堂」のレリーフがあったことを思い出した。

 土曜日なのになぜか人通りが多い。どうしてかと思いながら東大に近づいてみてその理由が分かった。この日は東大の大学祭だった。


 出入り自由だったので、中に入って安田講堂を一枚写真に収めた。この場所は70年安保闘争の時、全学連の闘争拠点となり、警察機動隊との激しい攻防戦が行われた所。

  さて、この日の第一目的は樋口一葉の足跡をたどること。地域の地図を入手するために文京区ふるさと歴史館に立ち寄った。すると、かなり詳しい本郷周辺の史跡地図を手渡してくれた。


 その途中で見つけたお菓子屋さん。一葉や漱石、鴎外の作品名の付いたお菓子などが販売されていて、ゆかりの場所といった雰囲気。

 地図を見ながら、最初に向かったのは一葉が幼少時代を過ごした場所。

 それは、まさに東大赤門の真ん前にあった。赤門前の横断歩道を渡ると、「法真寺」の文字が見える。

 ここが、一葉の少女時代の住家となった通称「桜木の宿」といわれるところだ。

 一葉は1872年(明治5年)3月25日、現在の千代田区内幸町で生まれた。本名は「奈津」。父則義が東京府庁の役人だったことから、内幸町にある府庁の公務員住宅に住んでいたためだった。

 
 その後、樋口家は本郷6丁目に転居。そこが法真寺の門前だ。

 一葉はここで4歳から9歳までの幼年時代を過ごした。一葉は生涯で15回の転居をしたが、その中でもこの時代が最も穏やかでゆとりのある生活が送れた日々だった。


 そんな境遇を反映するかのように、晴れ晴れとした少女姿の一葉像がちょこんと置かれていた。
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