両国駅横に新しい観光スポットが誕生した。「両国江戸NOREN」。中には飲食店がずらりと並ぶ広い空間があり、
真ん中にドンと鎮座するのは土俵。実際の大きさにできており、ここで各種イベントも開催されるという。観光案内所も併設されていた。
そこから北斎通りと名付けられた道を東に進むと、超近代的な銀色の建物が飛び込んでくる。2016年10月に完成した「すみだ北斎美術館」。
北斎の初期から晩年までの作品が時系列に陳列されている。
特に代表作の「神奈川沖浪裏」は、さすがにダイナミックで、人だかりが絶えなかった。
ちょっとびっくりだったのが、狂気とさえ見えるほどの北斎の制作中の姿を再現した人形。かがみこんで描く北斎の形相と、それを見守る娘のお栄の冷徹なまなざしが印象的だ。
美術館の前が公園スペースとなっており、子供たちが元気な声を上げていた。その一角に立てられていたのが「北斎生誕地」の説明板。
美術館完成前に訪れた時には、生誕地の説明板は向かいのあられ店脇にあった。かなり古びてしまっていたが、今はこちらに移されたようだ。よく見ると、新しい説明板では「亀沢付近」と少しあいまいな表現になっている。
ところで、北斎と忠臣蔵との意外な関係を示すものがある。
赤穂浪士が吉良邸に討ち入りして主君の仇を討ったことは評判となったが、その討ち入りの際赤穂浪士たちに立ち向かった吉良藩士の1人に小林平八郎という武士がいた。
その彼の娘が鏡師中島伊勢に嫁ぎ、この夫婦の娘が産んだ子供が北斎だという。
本所松坂町公園の向かいに「鏡師中島伊勢住居跡」の説明板があり、そこには「伊勢は1763年に時太郎(北斎の幼名)を養子にした」と記されている。
このエピソードは北斎美術館にも説明がなされていて、北斎自身がそう語っていたとしている。
美術館のさらに東側には野見宿禰神社がある。相撲の神様とされる野見宿禰が祭られた神社。
従って境内には初代明石志賀之介からの歴代横綱の名前を刻んだ石碑が立っている。
ただ、47代の柏戸以降はスペースの関係で新しい石碑に移されていて、最新の「稀勢の里」の文字はまだ新しい。