両国橋を渡って少し歩いてみよう。
橋のたもと近くに大きなイノシシの看板を掲げるのは、「ももんじや」。櫻鍋の名店だ。
その先に回向院がある。ここは1657年の明暦の大火によって犠牲となった10万人もの人々を供養するために特別に建てられた寺だ。
金文字の額が光る。
境内には供養塔が立てられている。「明暦大火横死者供養塔」。
さらに、様々な災害に対する供養もこの寺が受け持つようになり、安政大地震や関東大震災碑も立っていた。つまり、明暦の大火以来江戸の町が生み出すほぼすべての無縁の死者たちが、ここの葬られるようになっていった。
また、ここで相撲の場所が開かれていたことから、「力塚」の碑や
呼び出しの墓といった墓もあった。
安藤広重の描いた「回向院元柳橋」には、回向院本体の館の代わりに相撲太鼓の櫓が描かれている。
さらに、変わり種は鼠小僧の墓。勝負事に運が付くという俗説にあやかろうということで、彼の墓を削って持ち帰る人が後を絶たなかったことから、
特別に削り石を置いてその石を削ってもらうようにしているとのこと。
また、猫塚を始めとする動物供養の墓もあった。
回向院の東となりに建つ両国シティコアは、旧国技館のあった所だ。戦後両国にあった国技館がGHQに接収されたため、1950年に蔵前国技館が造られて移転、1984年に両国駅北側に今の新国技館が完成してゆかりの地に戻った。
旧国技館のなごりとしては、シティコア1階の広場に、昔の土俵のあったことを示す円が縁どられているが、
私が行った時は自転車に占領されていて、円の一部しか見えなかった。
現在の国技館は両国駅のすぐ北側にある。再建されて以来、年6場所の大相撲本場所のうち1,5,9月場所の3回がここで開かれる。
周囲には幟が立ち両国独得の風情を作り出している。
歌川国郷の「両国相撲繁栄の図」という浮世絵が両国駅の構内に張り出してあった。
橋のたもと近くに大きなイノシシの看板を掲げるのは、「ももんじや」。櫻鍋の名店だ。
その先に回向院がある。ここは1657年の明暦の大火によって犠牲となった10万人もの人々を供養するために特別に建てられた寺だ。
金文字の額が光る。
境内には供養塔が立てられている。「明暦大火横死者供養塔」。
さらに、様々な災害に対する供養もこの寺が受け持つようになり、安政大地震や関東大震災碑も立っていた。つまり、明暦の大火以来江戸の町が生み出すほぼすべての無縁の死者たちが、ここの葬られるようになっていった。
また、ここで相撲の場所が開かれていたことから、「力塚」の碑や
呼び出しの墓といった墓もあった。
安藤広重の描いた「回向院元柳橋」には、回向院本体の館の代わりに相撲太鼓の櫓が描かれている。
さらに、変わり種は鼠小僧の墓。勝負事に運が付くという俗説にあやかろうということで、彼の墓を削って持ち帰る人が後を絶たなかったことから、
特別に削り石を置いてその石を削ってもらうようにしているとのこと。
また、猫塚を始めとする動物供養の墓もあった。
回向院の東となりに建つ両国シティコアは、旧国技館のあった所だ。戦後両国にあった国技館がGHQに接収されたため、1950年に蔵前国技館が造られて移転、1984年に両国駅北側に今の新国技館が完成してゆかりの地に戻った。
旧国技館のなごりとしては、シティコア1階の広場に、昔の土俵のあったことを示す円が縁どられているが、
私が行った時は自転車に占領されていて、円の一部しか見えなかった。
現在の国技館は両国駅のすぐ北側にある。再建されて以来、年6場所の大相撲本場所のうち1,5,9月場所の3回がここで開かれる。
周囲には幟が立ち両国独得の風情を作り出している。
歌川国郷の「両国相撲繁栄の図」という浮世絵が両国駅の構内に張り出してあった。