新イタリアの誘惑

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隅田川⑰ 花柳界の名残を残す柳橋 赤と青のかんざしがきらめく

2018-02-24 | 東京探訪・隅田川の橋

 柳橋は、神田川が隅田川に注ぎ込む河口に架かる橋だ。江戸時代は、この界隈は花柳界として栄え、

 幾つもの料亭が軒を連ねていた。

 今では、その1つ「亀清楼」がビルとなって残っているが、他はほぼ姿を消してしまった。

 とはいえ、船宿と佃煮屋を兼ねた「小松屋」が今もあり、江戸の風情を伝える。

 橋下には屋形船が停泊していた。当時は吉原へ向かうのに、ここから船で出発するため猪牙船(ちょきぶね)と呼ばれる船が常駐しており、また隅田川の夕涼み、向島への花見船なども発着する場所だった。

 歴史学者田中優子氏は 著書に次のように記している。

 「桜の季節には、神田川に桜の花びらが流れ、船は川面に満ちあふれる花びらをかき分けながら進む。
 
  柳橋はこの辺りのどこよりも江戸時代である。隅田川の良さを知っているのが、柳橋であろう」。


 欄干の手すりに、かんざしのデザインがあった。

 しかも赤と青との2種類が配置されていた。橋の意匠とは思えぬ斬新なアイデアだ。

 今の橋は1929年完成だが、最初の架橋は1698年と古い。

 安藤広重の「浅草川大川端宮戸川」という絵がある。宮戸川とは、千住大橋から浅草あたりまでの隅田川の別称で、そこから下流は大川端と呼ばれた。
 この絵の左下に神田川の河口が描かれていて、この付近が柳橋だった。料亭の建物も見える。遠景の尖った山は筑波山。当時は茨城の山まで見通せたのだった。

 その住居表示「大川端」が、今も電柱に掲示されている。

 夕刻、次第に暮れなずむにしたがって水面が微かな陽を受け止めてきらめきを発し、闇に沈み込む屋形船の影が江戸の情緒を偲ばせていた。

 明治期に正岡子規が詠んだ句が残っている。

       春の夜や  おんな見返る  柳橋




  
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